屋代線紀行(10)須坂駅 その3

さて、ホームと駅構内を見学したので、階段を上がって、改札口に行ってみよう。須坂駅の改札口は橋上化しており、駅舎を兼ねる駅ビルに直結している。少し薄暗い、ホーム上の連絡跨線橋を渡る。ありふれた私鉄風の近代的な作りだが、電光番線や方面表示の文字が、昭和の民営鉄道風で懐かしい。


(連絡跨線橋に上がる。)

(跨線橋から改札口方面。)

こんなものも。3番線ホーム南端のオブジェコーナーの案内である。分岐器(ポイント)の夜間認識用ランプだが、一般乗客には、とても奇妙に見えるかも知れない。


(「鐵道古展」の案内看板。)

改札口には、昭和国鉄風の金属製変形八角形改札詰所が並び、有人の清算窓口もある。また、改札口の右手には、防寒設備付きの待合室も設置されている。自動改札化されず、整然と綺麗過ぎない所も、懐かしいローカル民営鉄道の中核駅らしく感じる。


(改札口。)

(駅事務室出入口と精算口。)

改札口の真上の駅時刻表を見ると、屋代線は、1日15本・毎時1本になっており、8時・10時・13時台は列車が無い。また、改札詰所の中に、何故か鉄柱が抜けているのも面白い。


(改札口上の駅時刻表。最下段が、屋代線の時刻表部分。)

丁度、改札口前では、屋台販売の催しが開催され、「ながでん駅なか商店」の赤い幟が立っている。野菜、きのこ、果物、漬物や食料品等が所狭しと並べられ、やって来た年配の女性客が、次々と品物を見ている。長野電鉄の集客・収入対策の一環であろう、面白い取り組みだと思う。毎週月曜日・水曜日・金曜日の開催、りんごや野菜等が100円(訪問時時価)からと格安で、会計は改札係が行っているとのこと。


(ながでん駅なか商店。)

切符売り場には、自動券売機が3台あり、有人の出札口も並ぶ。記念切符やオリジナルグッズ販売も大変熱心で、自動券売機横のショーケースには、長野電鉄オリジナルグッズが沢山展示されている。ローカル民鉄としては、かなり種類が多い方であろう。これらも、貴重な収入源になっている。
長野電鉄公式HP「鉄道グッズ」


(自動券売機と出札口。閉鎖された右端の出札口は、長電バスのもの。)

(長野電鉄オリジナルグッズが、所狭しと並ぶ。)

駅前に出てみよう。改札口は二階にあるので、その左手向こうの大きな階段を降りる。駅前に大きなロータリーがあり、バスとタクシー乗り場が隣接している。まるで、下駄を二枚重ねた様な面白いデザインの駅舎である。一階には、ラーメン店や学習塾等のテナントが入店しており、二階の端から向かいの商業ビルに、空中歩道が伸びている。


(駅前ロータリーからの駅舎全景。)

駅の東方向を見ると、ジャスコ須坂店と駅前商店街の通りが続いている。このプラスチック的で奇抜な商店街アーチも、強烈な昭和を醸し出している。この須坂は、旧街道・谷街道の元・宿場町であり、高崎方面に向かう北国街道脇往還・大笹街道の分岐地点でもあった。明治時代からは、製糸業が栄え、近年は、電子・機械製造業が盛んで、りんごと巨峰ぶどうの大名産地でもある。市内には、製糸業で大いに栄えた頃の蔵の街並みや、大正洋風建築の旧上高井郡役所も残っており、人口は約5万人弱とのこと。時間があったら散策をしてみたかったが、スケジュール的に難しい。
須坂市観光協会公式HP


(駅前のジャスコ須坂店と駅毎商店街通り。)

(国土地理院電子国土Web・須坂駅周辺。)

もう少し時間があるので、駅ビルの南側に行ってみよう。美容室角の公共駐輪場の通路から、ホームが見渡せる。このマルーン色の長野電鉄2000系A編成は、昭和32年(1957年)に製造され、2000系の中で最初に導入された第一編成である。デビュー当時の塗装であり、後年、りんごカラーに変更されたが、引退前に戻されている。なお、B編成(第二編成)とC編成(第三編成)は、既に廃車解体されている。


(左から、りんごカラーの2000系D編成[第4編成]、8500系T5編成長野行き、マルーン色の2000系A編成と鐡道古展コーナーを望む。)

2000系A編成は固定3両編成で、車番は、前方から「モハ2002+サハ2051+モハ2001」になる。先頭車正面の独特な丸い膨らみと二枚のHゴム付きガラス、大型一灯のヘッドライトは当時大流行していた湘南顔デザインの影響である。また、右端の縁石は5番線ホームの末端部になり、コンクリートはボロボロになっている。


(2000系A編成と5番線ホーム南端。)

2000系の前には、長野電鉄10系(二代目)、愛称「新OSカー」も留置されていた。OSとは、通勤客由来の「Office men」と、通学客由来の「Students」の英語頭文字が由来とのこと。長野市中心部の踏切渋滞解消の為、長電長野から善光寺間の地下化に合わせ、地下鉄に準拠した厳しい不燃・難燃化車両基準に対応して製造された。もちろん、自社発注の長野電鉄オリジナル電車である。


(OS11編成「モハ11+クハ6」 ※公共駐輪場の通路から望む。)

スラント付き三面三枚運転席窓や十字型サッシの側窓、りんごカラーのツートン塗装が可愛らしい。また、抑速ブレーキを装備しているので、本線終点の湯田中までの運行が出来た。長野電鉄の最後の自社発注車両として、長野電鉄らしい端正さを感じる。当初は、増備の計画があったが、東急電鉄から譲渡車を導入して改造する事になり、2両編成1本のみが製造された。その為、その希少性からも、鉄道ファンに人気があった車両である。しかし、木島線が平成14年(2002年)に廃止され、木島線用の3500系が余剰となった事や、冷房化やワンマン化がされていないため、平成15年(2003年)3月に引退し、倉庫として使われている。

【長野電鉄10系・新OSカーの主な諸元】
昭和55年(1980年)製造、日本車輌製造、正面非貫通型、全長20.0m・全幅2.7m・全高3.9m(モハ11は4.1m)、自重〈モハ11〉36.0t〈クハ6〉28.0t、三扉車、モーター出力150kW/基、抵抗制御、抑速ブレーキ付き。

(つづく)


2019年8月30日 ブログから転載・文章修正・校正。

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