八丁堀散策 後編

北は東京駅八重洲口、東は永代橋(えいたいばし)に向かう大きな交差点「新川二丁目交差点」を南に折れる。この先の吊橋を渡ると、もんじゃ焼きで有名な月島や勝どき方面につながっている。薬局前の番犬に見送られながら、あの三角形の橋主塔を目指して行ってみよう【スタート地点/徒歩マーカー】。


(道幅も広く、美しく整備された八重洲通りを南に歩く。)

この新川エリアは、江戸時代以前は隅田川の中洲だった場所だ。江戸幕府初代将軍・徳川家康が大規模な埋め立て事業をおこなったという。かつては、霊岸島(れいがんじま)と呼ばれ、島内にあった霊厳寺開祖・高僧の雄譽霊岸(ゆうよれいがん)(※1)に由来し、また、上人が事業の指揮を執ったと伝えられている。しかし、江戸時代初期の明暦3年(1657年)の大火で寺は被災し、江東区深川に移転した。今も現存しており、上人の墓所もある。

道幅も広く整備され、交通量もひっきりなしに多い。中高層マンションが建ち並ぶこの界隈は、地元住民も多く住んでいる。沿道に面した1階部分を見やると、小さな食料品スーパー、コンビニエンスストア、クリーニング店や薬局などが並ぶ。コンクリートの谷間のような景色の中でも、買い物客が多く行き交い、生活感のあるゆったりとした雰囲気だ。なお、新川エリア(霊岸島)は関東大震災では甚大な被害で、焦土と化したという。もともと、広大な沼地藪原の土地を埋め立てたというので、軟弱な地盤が災いしたのだろう。

南に約180メートル・2分ほど歩くと、交差点左角向こうに、屏風を立てたような巨大ビルが木立越しに飛び込んでくる。新川リバーサイドのランドマークの東京住友ツインビルディング【赤色マーカー】である。かつては、実業家・渋沢栄一創立の東京湾汽船本社がここにあり、その後は住友銀行の金融担保倉庫があったという。非常にグラッシーな美しい外観で双子ビルのように見えるが、東側のビルが3階分高く、少しだけ大きいとのこと。


(東京住友ツインビルディング。左手が西館、右手が東館になる。)

関係者以外はビル内には入れないが、人々の出入りも頻繁な様子で、働いている人も多いらしい。ここから先は車歩分離の上り坂となり、巨大な吊橋の袂に到着する。背景には高橋(たかばし)から見えた高層マンション群の一部が見える。


(中央大橋。橋の中央にA型の主塔を置き、両岸に左右各8本ずつ、計32本のワイヤーで橋桁を支える。隣接する高層マンションと比較すると、高さは30階相当の巨大なもの。)

この中央大橋は、新川と沖合埋立地である月島エリアを結ぶ主要な橋のひとつで、都道であるが非常に立派な造りである。なお、隅田川沿いの下町に長年住む知人曰く、「隅田川に掛かる橋はデザインが各々違う」そうだ。関東大震災を教訓に、橋の耐久性などを検証しているとのこと。天気の良い日に、散歩がてら橋巡りするのも楽しいだろう。

橋の中央部は少し右カーブし、周辺の景色や川面を見渡せる展望デッキ【青色マーカー】がある。上流方は、永代橋と東京スカイツリーも望める、隠れたお立ち台になっている。少しせり出した橋台の上には、上流方を向いたメッセンジャー像が安置されているのもアートだ。

(隅田川本流とスカイツリー。水色のアーチ橋は永代橋。水際までビルが林立している。左岸は新川公園。)

(スカイツリーを望むメッセンジャー像。戦前のパリ万博由来のもので、帆船を抱いた海運の守護神。東京都とパリ市が友好都市であることから、1992年[平成4年]10月に複製を寄贈。1994年(平成6年)の開通時に安置されたらしい。)

眼下には、隅田川の莫大な水量がゆったりと流れ、河岸は新川公園として整備されている。ここは月島埋立地の北端角にあたる。この橋真下が本流、南の分岐方が晴海運河になる。川の分流地点であるため、川面が倍に広がる爽快な景色だ。なお、晴海運河を下ると豊洲に出る。なお、橋を渡った先の三角地帯は佃(つくだ)と呼ばれ、かつては、石川播磨の造船所があったところだ。今は、河岸公園と高層マンションが建ち並ぶ高級住宅街で、都道沿いに石川播磨資料館も設けられている。今回は立ち寄れなかったが、機会があれば立ち寄りたい。

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行き交う観光遊覧船や運搬船を見送りながら、しばらく橋上を歩いた後、引き返そう。中央大橋の歩道から階段を下り、西側の川沿いの路地に入ると、「無交点(むこうてん)」と名付けられた一等水準点【黄色マーカー】がある。非常に重要なものであるが、道端の植栽の中にひっそりと佇んでいる。東京湾の平均海面の高さを示すものだ。


(一等水準点「無交点」。ジョウロ等も置かれ、地元住民が定期的に手入れをしているようだ。)

(近くの東京都隅田川係留所ビルの壁面には、巨大なアート壁画もある。真下に椅子とテーブルがあり、自由に休憩できるらしい。日当たりもいいので、温かい時期はランチも食べられそうだ。)

設置された解説板を読むと、明治6年(1873年)から12年(1879年)の間に潮位観測をし、平均海面の高さを決定したとある。水準点は何度か移転しているそうだが、平成18年(2006年)にここに移転した。標石は昭和5年(1930年)の移転時に造られた小豆島産花崗岩で、少しばかり豪華らしい。ややこしいが、現在の水準原点は、永田町の国会議事堂洋式庭園内の「日本水準原点」である。東京湾平均海面上24.3900メートル(2011年改定)にあり、無交点の0メートルを基準にした高さ(標高)になっている。わかりやすく言うと、「水準原点のもとの水準点」か。

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更に、この水準点を川沿いに行ってみよう。高橋から見えた亀島川水門があり、隅田川に接続している。水門前には、奇妙な宇宙船のような物体が宙に浮くようにあるので驚いた。霊岸島水位観測所【紫色マーカー】である。

明治初期に日本の近代測量が始まり、当時は河川の河口部に量水標を設置し、平均海面データを用いていた。なお、ここだけではなく、銚子・江戸川・淀川など全国各地に設置されている。その後、平均海面データを全国統一することになり、この霊岸島水位観測所が選ばれたという。現在は、神奈川県三浦半島の水位観測所に機能が移されている。


(霊岸島水位観測所。)

この奇妙な銀色の箱は「斜方12面体」というもので、それぞれの面に勾配45度の四角錐が付いている。陸側からはわかりにくいが、河川側(遊覧船)から移動しながら眺めると、正方形、正六角形、八角形へと形が変わって見える、幾何学(数学)的なマジックが味わえる。外側の逆三角形のフレームはシンボル柱として、建築土木で用いられる記号(▽)をオマージュし、下端部は平均海面を測るためのゼロ指標を示す。フレームの一辺も東経139度47分の経度位置から、13.945メートルというこだわりだ。

なお、平均海面を測るための絶対的なゼロ指標が、三角フレームの下端(A.P.0m/Arakawa Peil ※Peilはオランダ語で基準の意味)である。このA.P.0mからの東京湾平均海面高は1.1344メートルで、T.P.0m(Tokyo Peil)という。このT.P.0mから24.3900メートル上に国会議事堂の日本水準原点があり、山の高さや土地の高さは、国会議事堂前の日本水準原点からの高さである。仕組みは複雑であるが、観測で得られた平均海面データは環境や気候の変変化によって変動する。絶対的に安定した水準点を固定するため、三段構えになっていると考えられる。そう頻繁に変わると、地理や建築などに影響が甚大なためだろう。

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路地を引き返して住友ビルの交差点まで戻ろう。この交差点を左に曲がった先には、地元一番の歴史的文化遺産の南高橋(みなみたかばし)【橋マーカー】がある。いぶし銀に輝く鉄橋は遠くからのひと目で重厚な歴史を感じさせる。


(鋼鉄トラス橋の南高橋。向こうのビル横には桜が何本かあり、開花シーズンには、銀色と桜色の美しいコントラストも見どころだ。※橋の西詰から撮影。)

昭和6年(1931年)に起工し、翌年の3月に竣工。関東大震災後、この一帯の復興区画整理の際、新しく架けられたという。しかし、多くの復興架橋を同時に行っていたため、予算不足になった。そこで、被災した隅田川両国橋の三連トラス中央部分を補強し、幅を狭めて移設したという。関東大震災で被災した明治37年(1904年)製造の近代トラス橋として、奇跡的な運命をたどった鉄橋だ。なお、都下の鋼鉄トラス橋でも2番目に古く、全国でも6番目に古いとのこと。


(無数の補強材とリベットの幾何学的構造が美しい。塗装も厚く、保存状態が非常に良い。)

(南高橋から高橋を望む。橋の上で撮影していると、お父さんに連れられた小さな女の子が不思議そうに私を見ている。全身黒ずくめの服装もあるからだろう。手を振って挨拶したら、安心したようだった。)

この橋の東詰に小さな社【祈りマーカー】がある。江戸時代、越前松平家の大きな下屋敷が新川にあり、その屋敷稲荷だったと伝えられている。御神体は徳川家御用達の遊覧船の舳先(へさき/船首)の木材を彫ったという粋なもので、江戸時代の明暦大火や関東大震災の災難も免れたが、戦災で全焼。戦後すぐに再現され、先の中央大橋架橋の際にここに遷座したという。ひとつ参拝しておこう。


(徳船稲荷神社。覆屋と石鳥居が設けられており、丁寧に祀られていた。)

橋を渡った先の花屋も有名で、店先に生い茂るグリーンが、妙にビオトープのようで気になる。この付近は湊と呼ばれる静かな住宅街で、低層な建物が多く、旧来の界隈の町並みが続いているといえるだろう。通りに面した斜め向こうのビルの一階には、小洒落た銭湯「湊湯」があったりする。


(生花・観葉植物販売店「フラワー・ワークス」。花よりも緑が鬱蒼としている店頭が特徴。フラワーアレンジ教室も開催しているという。)

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花屋先の信号機付き交差点を左に折れると、鎮守の鉄砲洲(てっぽうず)稲荷神社【鳥居マーカー】に到着。ここをゴールにしよう。珍しい名称であるが、この場所は、鉄砲の形をした細長い河口の島(洲)だったこと、また、江戸寛永年間(1622〜1644年/江戸時代最初期)頃に大砲の射撃演習場だったことが由来という。なお、かつての海岸線は現在よりも遥かに奥まっており、海岸線の変化に伴い何回か海側に遷座し、現在地に落ち着いた。もとは、江戸湾岸の桜田村の地鎮として創始され、主神・生成大神(いなりのおおかみ)は、この付近一帯(京橋付近)の産土神とされる。古来は菜畠稲荷、後に八丁堀稲荷神社とも呼ばれていた。


(鐵砲洲稲荷神社。関東大震災被災後、昭和10年[1935年]に再建されている。ビルの谷間にある狭い境内の神社であるが、参拝者は意外に多い。船運と問屋の街であったことから、旅行安全や商売繁盛にご利益があるという。)

平安時代初期(841年頃)に凶作が続いたため、困りかねた地元住民が祈願発起し、自らの国魂神(くにたまのかみ※2)を祀ったのが始まりという。京都伏見や豊川稲荷からの勧請社ではないらしい。また、東京湾の最奥部にあり、船の出入りも多かったことから、江戸時代から船乗りたちの信仰も厚かった。

また、社殿右手奥には、中央区で唯一現存の富士塚(富士浅間神社)や力石もあり、区の文化財になっている。


(鐵砲洲稲荷神社富士塚「末社富士浅間神社」。千駄ヶ谷や品川ほど有名ではないが、苔むした風情もあり、原形をよく残している。高さは約5メートル。震災後の昭和11年[1936年]再建のもの。※後日2026年4月撮影。)

(富士塚入口付近に奉納された力石。左は30貫[約113キロ]、右は35貫[約131キロ]ある。共に江戸時代享保19年[1734年]奉納。境内の松の木の根元に埋まっていたといわれ、昭和20年[1945年]頃に現・筑波大学教授が発見したという。発見当時は無銘で、その後に刻印された。※後日2016年4月撮影。)

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無事に参拝し、隠れた名所の桜川屋上公園【噴水マーカー】に立ち寄った後は、馴染みのカレー屋【食事マーカー】で昼食を取ろう。店は高橋から八丁堀駅方面の路地を入ったところにある。


(桜川屋上公園。浸水を防ぐ都下水局桜川第二ポンプ所の3階屋上にあり、ゲートボール場、東屋や小川なども整備され、見事に緑化されているので驚く。向こう側の中央区福祉施設「ブーケ21」からも出入りできる。)

ネパール人オーナーの小さなチェーン店で、店頭看板はカレー屋と銘打ってはいないが、カレーがメインである。日本人向けにアレンジしているので、程よい辛さで食べやすい。ここ10年来、八丁堀を日中に訪れた際は必ず立ち寄っている。


(アジアンダイニング&肉バー「Sita(シータ)八丁堀店」。)

少し混沌とした店構えだが、心配はない。店に入ると、カタコトの日本語を話す中年男性店員に迎えられる。空いている時間帯なので、どこのテーブルでもいいそうだ。早速、日替わりランチセットを注文。少し待つと、顔の大きさほどある熱々のナンが出てきた。カレー4種類(うち1つは日替わり)あり、辛さも5段階から好みで組み合わせられる。ナンかライスも選べ、おかわり1回まで無料の上、ミニサラダと飲み物付きなのでお得感が高い。他にも、キーマカレーやアソートセットなどメニューが多数あり、飽きが来ないのも良い。


(日替わりランチセット[税込み950円/取材時]。やや辛口のチキンカレーとラッシーを選択した。ナンは巨大なので、おかわりをすると結構満腹だ。)

ひっそりと裏路地にある店であるが、地元では結構な人気店であり、平日の正午頃になると満席になることも。おかわりのナンも貰い、美味しく頂いた。今日はこれで上がり、駅に戻るとしよう。

(おわり/八丁堀散策編)

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(※1)雄譽霊岸(ゆうよれいがん)
江戸時代最初期の高僧のひとり。天文23年(1554)駿河国(静岡県)沼津生まれ。永禄7年(1564)に出家。浄土宗寺院の建立や再興に尽力した。京都知恩院の大火後の再興にもあたる。徳川家康に見出され江戸に招聘。寛永18年(1641年)遷化(没)。
(※2)国魂神(くにたまのかみ)
特定の土地に宿る霊威・神威(土地神)のこと。広く知られているのは、大国主神などがある。

【参考資料】
現地歴史観光案内板
中央区ふれあい街歩きマップ「茅場町・八丁堀・兜町」
(2016年発行/中央区商店街連合会発行/街歩きマップとして利用)

【取材日】
2025年5月13日 所要時間約3時間

【カメラ】
LEICA X (Typ 113)
LEICA X2 ※京華スクエアの大通り側全景のみ
LEICA SL2-S + Summicron M 35mm f2 3rd ※鐵砲洲稲荷神社富士塚と力石のみ

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