足利散策 その3

さて、足利学校の見学を終え、定点的観光から本領の町歩きを楽しみたい。大日大門通りまで戻ると、寂しげに通り入口を三毛猫が眺めていた。普段のように観光客がいるならば、かわいいモデルの人気者だろう。


(誰か来ないかと向こうを眺める見つめる三毛猫。その後、土蔵の脇に入って行った。)

その前に、気になる飲食店がある。通り中ほどにある、「めん割烹なか川」【食事マーカー】である。なんと、詩人・書家の相田みつをが、足げに通っていた蕎麦屋とのこと。彼もこの足利の出身になり、まだ売れなかった昭和20年代の頃、初代女将が作品を買い取り、経済的に支援していたという。その中には、有名な代表作品「人間だもの」も所蔵。店内には作品も展示され、ファンには堪らない店になっている。


(一見では、普通の蕎麦屋に見える「めん割烹なか川」。)

(相田みつを関連の解説も多数掲示された、店出入口。)

先程、焼きそばとシュウマイを食べたばかりであるが、試食していこう。引き戸をカラカラと開けると、小洒落た雰囲気であるが、土産物がわらわらと山積みされた蕎麦屋らしくない店内には、奥の上がりに家族連れが一組だけ。突き当りのテーブル席に案内され。基本のざる蕎麦(税込み864円)を注文。10分も待たないうちに出てきた。

この店では、日本本来の蕎麦を提供しているとのことで、品種改良された現代の蕎麦の実ではなく、今や大変貴重になった在来種を使っているという。大柄で愛想のいい旦那にその実を見せてもらうと、一般的な実の半分程度の大きさで小さく、米粒くらいしかない。

蕎麦の生産から、自家製粉、井戸水仕上げの自家製麺とこだわった手打ち二八蕎麦は、香りが大変よく、とても柔らかい麺でありながら、スルスルとした喉越しに唸る。これが本来の日本の蕎麦だという。ちなみに、ニシン甘露煮が相田氏の好物であったとのこと。


(ざるそば。竹の器は小さいが、蕎麦が縦に盛り付けてあり、結構な量がある。ほか、蕎麦懐石、御膳、アレンジ系や相田みつお風などメニューも多彩。)

なお、足利は北関東の小麦文化圏に属するが、東の栃木市と同様に蕎麦の町でもあり、名店も多い。全国の有名老舗蕎麦店しか加入できない「新そば会」に、栃木県内で唯一承認されており、「蕎麦屋(が食べに来る)の蕎麦屋」というので、只の蕎麦屋ではなかろう。蕎麦によく合う日本酒の品揃えも力を入れている。

スルスルと蕎麦を平らげ、旦那にお礼を言って出発しよう。町の西の方に行ってみたい。大通りの県道沿いに行くのがわかりやすいが、裏道を通る。本当の町の様子や面白い発見があるかもしれない。鑁阿寺(ばんなじ)の環濠沿いに歩き、枡形状の交差点を曲がって、北仲通りと呼ばれる東西道【カメラマーカー】に入る。丁度、南側の県道沿いに並行した一方通行の裏道である。商店街も少し残っており、かつては賑わっていたのであろう。今は静かな生活道路になっている。


(北仲通り東端から入る。)

人通りはほとんどなく、静まり返っている。この通りから、北側の山に向かって南北道が延び、古い住宅地が広がっているらしく、市役所もこの奥にある。南側の県道は真っすぐで幅広のため、新道かもしれない。この通りが、古来の街道だった可能性がある。

少し歩いて南側を見やり、「あれは、なんだろう」と路地に入ると、映画館跡【赤星マーカー】があった。今は、ショッピングセンターなどに併設された巨大映画館が一般的になったが、昭和の中頃まで、映画会社系列ごとに町の映画館があり、盛り場であった。廃業されてから相当年が経過している雰囲気で、居酒屋やスナックに改装されたが、それもほとんど廃業しているようだ。2階に上がる幅広の大階段が往年の賑わいを感じさせる。


(映画館跡と「劇場通り」の道路上を渡る鉄製アーチ。東映系の映画館とのこと。かつては、多数の映画館が市内にあったという。)

正面左手にはオブジェがあり、蔦も複雑に絡み、怪しげな昭和な雰囲気がたまらない。まるで宇宙船に付いているようなハッチハンドル風のドア、セクシーなダンサーの影絵が何枚か掲げられているが、人の頭ではなく、犬のような頭でシュール過ぎる。それも、上の3枚は逆さまだ。


(円形ハンドルドアと逆さオブジェ。)

北仲通りを西に進もう、商店が所々に残るが、ほとんどが廃業している。交差点角の崩れかけた薬局跡【黄星マーカー】もなんだかいい感じで、思わずカメラに収める。奥の路地は細く、おばあちゃんが自転車に乗ってポンと出てきた。時間が許せば、フラフラと吸い込まれそうな雰囲気である。なお、江戸時代から明治維新まで、足利を治めた足利戸田家(譜代大名・石高約1万1,000石)の陣屋がここにあったという。この付近は、戸田氏馬印の「雪輪」から、雪輪町と呼ばれている。


(崩れかけた薬局跡と路地。なお、右のたばこ店は営業している。奥には、市役所や消防署などの行政エリアがあるが、この通りからは全くわからない。)

途中、通りの南側に中規模チェーンスーパーマーケットがあり、店周辺は再開発されているが、店裏側にとても古い長屋の商店【青星マーカー】と町銭湯【緑星マーカー】が軒を並べ、いい感じだ。


(長屋の商店と町銭湯。手前のはんこ屋は、今も営業している雰囲気である。)

この町銭湯は「花の湯」と呼ばれ、この通り沿いが花街であったことが由来という。今や、市内で現存する唯一になり、昭和らしい銭湯絵とタイル張りが残るレトロな造りで、関東の銭湯ファンの間でも有名らしい。なお、湯船の湯温が非常に高いことでも有名らしく、宮沢りえ・オダギリジョー主演の映画ロケで撮影されたという。また、角に立つ、ホルモン・ラーメン屋「小鉄(しょうてつ)」の電光看板も気になる。風呂上がりに一杯のお決まりルーチンを誘う。


(銭湯「花の湯」。昔ながらの薪炊きを続けており、昭和28年[1953年]の創業という。)

そして、この通りを抜けると、紅白模様の派手な交差点歩道橋があり、足利一の大社・足利織姫神社【鳥居マーカー】に到着。もちろん、立ち寄ってみよう。山の中腹の高台にあるため、229段の急階段を上がろう。日頃の運動不足と加齢による体力低下に苦笑しつつ、やっとのことで登りきると、砂利敷きの広い境内の一段高い場所に紅白の社殿がどんと構えている。とても美しい神社に驚く。「陸の龍宮城」と地元では呼ばれており、国の登録有形文化財なっている。


(足利織姫神社正面大鳥居。若いカップルが、和服姿で記念撮影していた。)

(神社の観光大看板。左手の鳥居は女坂のもの。)

神社としての創始は比較的新しく、江戸時代初期の宝永2年(1705年)に足利の守護神として、伊勢神宮から2柱の神を迎えた勧請神社である。機織りの男神「天御鉾命(あめのみほこのみこと)」と織女「天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)」を祀ることから、なんともファンタスティックな神社名を授かり、地元の若い女性に人気があるらしい。境内では、女性観光客が多く、記念撮影をしている外国人新婚カップルもおり、神社でのウエデイングドレス姿に驚いた。尊厳な雰囲気はないが、人が集まらない神社も経営が成り立たないので、よかろう。

なお、明治12年(1879年)に現在地に遷座し、社殿を構えたが、翌年の火災で焼失。約60年後の昭和12年(1937年)に現在の社殿を再建。境内からは、足利市街と関東平野が一望でき、毎年元旦に多くの市民が初日の出を拝みに参詣するという。


(社殿。焼失した教訓から、鉄筋コンクリート造りになっており、垂木[屋根下の斜めの木]から上のみが木造である。)
(境内から足利市街中心部を望む。)

元々は、産業振興の神社であるが、織物は縦糸と横糸が織り合うことから、今は、縁結びの神社として信仰を集めている。地元の若い人たちには恋人の聖地になっており、一角に愛の鐘や錠前掛けもある。神社いわく、男女の仲だけではなく、健康・知恵・人生・学業・仕事・経営と合わせて、7つの縁結びできるとの触れ込みで、何でも願って良いらしい。垢抜け過ぎていて、なんだかこっ恥ずかしいが、健康と道中安全を願っておこう。

無事に参拝した後、もう少し西に行ってみよう。下調べでは、ここより南西約1キロの場所に足利公園【カメラマーカー】があり、市内一の桜の名所になっているというので、そこをゴールにした。雲も大分出て日差しも弱くなってきたが、気温が高く、蒸し暑い。水分を十分に補給しながら歩いて行く。

徒歩15分ほど歩くと、公園入口の観光案内板があり、突き当たりに福厳寺(ふくごんじ)【万字マーカー】があるので、覗いてみよう。寺入口には、桜と花桃が満開で、丁度、雲の切れ間から日も差しこみ、「おおっ」と、シャッターを切る。


(多宝山福厳寺。桜の後ろに花桃があり、ミックスして見える。)

地元檀家のための小さな古寺であるが、寺伝によると、寿永元年(1182年)に藤原系足利氏(尊氏の源氏系とは別系統/源平合戦では平氏に付き、一時は大きな勢力であった)の菩提寺として創建。南北朝時代に禅寺になり、のちに、源氏系の足利宗氏2代目・足利義兼が、世継ぎ誕生の祈祷をしたと伝わる。義兼の持仏であったらしい秘仏「子安観音」、15世紀頃作のご本尊・木造釈迦如来像などを安置する。なお、山号は多宝山。現在の宗派は、臨済宗建長寺派になっている。


(江戸時代後期の文政11年[1828年]築といわれる本堂。大正時代までは茅葺屋根であったという。)

また、境内左手には、真新しい地蔵堂があり、大きな延命地蔵が微笑む。寺の近くの畑の土中から堀り出されたといわれ、古老たちも知らず、由来がわからなかったという。とりあえず、道端に安置した後、明治のはじめに境内に移された。しかし、平成28年(2016年)に地蔵堂を建て直した際、江戸時代中期の宝永6年(1709年)10月の開眼供養と多数の施主の名が、台座に刻まれているのが発見され、やっと、由来の一部がわかったという。


(延命セキ地蔵尊。子供と同じくらい、高さ150センチ位の大きな地蔵であるが、柔和な尊顔にほっとする。堂内には、小さな仏像も数多く奉安され、小休憩できるベンチも備える。)

昔、子供たちに猛威をふるった百日咳やお年寄りの喘息に効果があると、いつの間にか「セキ地蔵」と呼ばれるようになったという。この地蔵にかけられたタスキを1本借りていくのが、習わしになっており、お礼参りに2本奉納した。足利に仕入れに来た関西の反物問屋や、それを聞いた関西や四国の人も参拝祈願にやって来て、大変賑わったという。

福厳寺を出発。道路脇の用水路を眺めながら、もう少し南に歩くと、すぐに足利公園【カメラマーカー】に到着。隣接して、八雲神社【祈りマーカー】が鎮座している。地元では、「天王さま」と親しまれ、足利の総社になっている。

小さな神社であるが、平安時代中期の貞観11年(869年)に三陸沖で大地震が起き、地震鎮撫・国家安泰・疫病退散の祈祷のため、第56代・清和天皇が東国の第一祈願所として設けたのが始まりとされる。その際、高名な京都八坂神社と尾張国(おわりのくに/現・愛知県)の津嶋神社と並んで勅願所になった。後世においても、京都天皇家から例幣使(れいへいし)が遣わされ、平将門を追討した藤原秀郷や前九年の役・後3年の役の源頼義・義家も戦勝祈願している。もちろん、歴代足利氏からの信仰も厚く、足利全域の総鎮守(総社)に定めた。

そんな歴史深い社であればと、段上の社殿まで進むと妙に新しい。なんと、平成25年(2013年)の伊勢神宮式年遷宮の際、月読尊荒御魂宮(つきよみのみことのあらみたまぐう/天照大御神の弟神)の本殿と幣殿を譲与されとのことで、驚いた。前例も殆どなく、2,000年間に3例のみとのことで、天皇家由来のためであろう。なお、出雲で八岐大蛇(やまたのおろち)を退治した、須佐之男命(すさのおのみこと)が主祭神になる。


(八雲神社。古名は、「足利天王八雲榊(さかき)神社」であった。「天王さま」の由来は、火の神の火具土命が祀られていることから。須佐之男命の別名から、牛頭[ごず]天王とも。)

八雲神社の南側に広場があり、JR両毛線に接する最南部は、緩やかな土手になっている。ここに桜が植えられ、多くの人々がのんびりと花見をしている。本来ならば、足利さくらまつりの会場になる予定であったが、中止になり、自主的参加になっているらしい。なお、この足利公園は、大小10基の古墳が点在する史跡公園でもある。幕末から明治にかけて活躍した、足利出身の有名南画家・田崎早雲(そううん)の美術館も併設している。


(足利公園の桜。)

(ずらりと並んだ露店。普段の年ならば、花見客でごった返していただろう。店主も、のんびりと過ごしていた。)

満開の桜を愛でた後は、駅に戻るとしよう。帰りは、町中を東西に貫く県道を歩く。朝、駅近くの中橋から見えた渡良瀬橋【橋マーカー】に少し寄ってみる。渡良瀬川に架けられた市内橋では、最初に架橋された永久橋で、筆頭の鉄橋になっている。現在の鉄橋は3代目になり、昭和9年(1934年)9月竣工、6連下路式ワーレントラス、橋長243.3メートルとのこと。現橋の架替えには、足利織布産業関係者の強い働きかけがあり、足利の近代化シンボルでもあるという。


(3代目渡良瀬橋。全高の低いコンパクトなトラスが特徴である。なお、初代の木橋は明治35年[1902年]、2代目は大正6年[1917年]に架橋されている。)

実は、この橋。女性歌手・森高千里氏の代表曲「渡良瀬橋」のモデルになった。下流側の堤防道路歩道上には、立派な歌碑【音符マーカー】が設置され、横断歩道式の押しボタンを押すと、本人の歌声も流れるという凝った趣向になっている。先程の八雲神社をはじめ、市内各所に歌詞由縁の名所があり、ファンも訪れるという。


(「渡良瀬橋」の歌碑と再生ボタン。森高氏は足利市の観光大使も務めており、この曲は東武足利駅の列車到着メロディに採用されている。)

渡良瀬橋は自動車専用の県道なので、上流側の歩行者用橋を渡り、駅に向かおう。橋詰を左に曲がり、伊勢崎線の高架南側を歩いて行くと、2連ノコギリ屋根の大谷石積み工場跡【工場マーカー】がある。

明治政府が設立した、製糸模範工場の旧足利模範撚糸(ねんし/製糸のこと)工場とのこと。明治36年(1903年)竣工の重厚なロマネスク様式洋風建築で、今は、地元スポーツクラブのレッスン室に活用されている。撮影していると、トレーナーの声が石に反射し、大きく響いている。人の出入りのある生きている建物は、保存状態も保たれるので良い。


(旧足利模範撚糸工場。全国6ヶ所の模範工場のうち、現存する唯一のもの。国登録有形文化財になっている。※内部の見学は不可。)

そして、14時を過ぎたところで、スタート地点の東武足利市駅に無事に到着。約5時間、7キロほど歩いただろうか。良い運動と気分転換になった。まだ、日も高いが、早めに帰ることにしよう。この足利には、他にも多数の古刹や名所があり、和洋食の美味い飲食店が多いらしいので、食道楽も面白そうである。機会を見て、ぜひ再訪したい。

(おわり/足利散策編)

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【取材日】
2021年3月27日

【カメラ】
Leica X2(with Elmarit 24m/m f2.8 asph.)

【歴史参考資料】
現地観光歴史解説板
史跡足利学校・足利織姫神社見学者向けパンフレット(現地訪問時に入手)

※健康管理と防疫に十分に留意し、慎重な取材体制で臨んでいます。

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いつも、お越し頂きまして、ありがとうございます。
これにて、足利散策編は完結になります。
準備ができ次第、ローカル線の旅の新シリーズを連載します。
今後も、よろしくお願い致します。

作者 hmd

©2021 hmd
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