近江線紀行(2)近江鉄道の歴史と米原駅

時刻は午前9時過ぎ。さて、近江鉄道の旅の始まりである。1日フリー切符を駅員氏に見せて、改札口を通り、近江鉄道のホームに上がろう。旅の始まりはとてもわくわくすると同時に、きりっと襟を正したくなるのは何故だろう。遠くから、レールのジョイントを踏む音が段々と大きくなり、2両編成の青い電車が真っ直ぐにホームに滑り込んできた。どっかで見たような顔と思いきや、元・西武鉄道新101・301系電車である。


(近江鉄道100系電車[2代目]が、1番線ホームに到着する。)

近江鉄道は、西武グループ(現・西武ホールディングス)に属する地方民営鉄道で、西武グループ創業者・堤康次郎氏が沿線の愛荘町(近江鉄道愛知川駅付近)出身の由縁からである。元々は、東海道線のルートを外れた湖東平野の町々の有力者達が危機を感じ、地元資本の鉄道会社を立ち上げたのがルーツになっている。開業から120年を越える滋賀県最古の民営鉄道になり、明治22年(1889年)の東海道線開業のわずか4年後、明治26年(1893年)に有志44名が鉄道敷設を申請、明治29年(1896年)に免許交付・会社設立。明治31年(1898年)には、彦根から愛知川間12.1kmが初開業した。順次路線を延伸開業し、昭和19年(1944年)に八日市鉄道(現在の近江鉄道八日市線)を合併して、現在の鉄道営業路線が確立している。

また、大正時代以降、蒸気動力から電気動力化(電車化)を進めると共に、昭和18年(1943年)に西武グループに入っている。それ以来、約80年間の長きに渡り一員になっているため、「西武が近江鉄道を作った」と誤解する地元住民もいるほどである。

◆近江鉄道の略史◆

1889年(明治22年)7月 官営鉄道東海道線開業。湖東平野内陸部の町々がルートから外れる
1890年(明治23年)2月 現在のJR草津線を含む関西鉄道(柘植〜草津間)が開業
1893年(明治26年)11月 地元有志44名により、近江鉄道敷設を発願・免許申請
1896年(明治29年)6月 近江鉄道株式会社設立・敷設免許交付
1898年(明治31年)6月 彦根〜愛知川間(12.7km/第一期工事)開業
1898年(明治31年)7月 国から委託され、郵便輸送開始
1898年(明治31年)7月 愛知川〜八日市間(7.4km/第一期工事)開業
1900年(明治33年)10月 八日市〜日野間(12.5km/第二期工事)開業
1900年(明治33年)12月 日野〜貴生川間(9.9km/第二期工事)開業
1901年(明治34年)1月 全通祝賀・開業式を彦根駅で開催
1911年(明治44年)2月 前年の軽便鉄道法施行により、指定を受ける

1928年(大正3年)3月 多賀線開業(高宮〜多賀間/2.5km)
1925年(大正14年)3月 彦根〜多賀間が初電化。以降、電化を順次進める

1931年(昭和6年)3月 米原〜彦根間(5.8km)延伸開業(当初から電化)
1943年(昭和18年)5月 国の鉄道省の斡旋により、西武グループに入る
1944年(昭和19年)3月 八日市鉄道(新八日市〜近江八幡間/8.7km)を合併
1946年(昭和21年)1月 八日市〜新八日市間(0.6km)を開業し、本線と接続
1946年(昭和21年)8月 全線電化完了
1984年(昭和59年)1月 郵便輸送廃止
1987年(昭和62年)5月 全線ワンマン運転開始
1988年(昭和63年)3月 貨物輸送廃止
1998年(平成10年)6月 開業100周年
1998年(平成10年)12月 列車集中制御システム(CTC)導入

また、地元では、「ガチャコン」、若者たちは更に略して、「ガチャ」と呼び、非常に突飛な愛称で親しまれている。ただでさえ、堅苦しい鉄道業界の慣例を考えれば、かなり珍しい。同じ西武グループの伊豆箱根鉄道駿豆線(すんずせん/静岡県東部・三島〜修善寺間)の愛称「いずっぱこ」と、いい勝負になるだろう。それだけでは、全く鉄道を連想できないのが面白い。麻呂眉の黄色いキツネの近江鉄道公式マスコット「駅長がちゃこん」もおり、観光宣伝やイベントなどで活用されている。どこかの関東の大民鉄の変な電車もどきよりも、愛嬌がある上にインパクトがある。


(駅長がちゃこんの等身大立体視覚看板。着ぐるみもあり、彦根のひこにゃんと共同で観光宣伝イベントも。※八日市駅ホームにて、当日撮影。)

なお、電車の走行音が由来とのことであるが、「ガチャ」は連結器のぶつかる音と思うが、「コン」とは何か。古い電車に乗ると、たまに床下から、「コン」と突き上げる様な大きな音がするが。ちなみに、開業当時から昭和初期には、略称の「近鉄(きんてつ)」と呼ばれていた。今や近鉄といえば、関西の大民営鉄道・近畿日本鉄道を指すが、昭和19年(1944年)創業であり、実は近江鉄道が元祖である。近畿日本鉄道の開業以降は、混同を避けるため、次第に使われなくなったという。

現在は、近江鉄道グループとして、基幹事業の鉄道のほか、バス、タクシー、観光遊覧船や観光ロープウェイにも携わっており、湖東エリアの地域交通を担っている。ほか、駅テナントビル、不動産分譲、高速道路サービスエリア、保育園、太陽光発電、公園委託管理事業など、多角化も進めている。なお、本社は米原ではなく、彦根駅前にある。

鉄道の営業路線は3路線になり、戦前からほぼ変わっていない。米原から沿線中核駅の彦根と八日市を経て南下し、貴生川(きぶかわ)までの本線。本線の高宮(たかみや)から枝分かれした多賀線。八日市とJR東海道本線近江八幡を結ぶ八日市線である。丁度、JR東海道本線とJR草津線を結んだ直角三角形の斜辺のようなルートで、「湖東平野内陸部の鉄道未通の町々を結ぶ」という、近江鉄道敷設の第一目的がよく現れている。なお、多賀線は「おしゃもじ」でよく知られる多賀大社の参詣線になっており、八日市線は八日市と近江八幡を結ぶ二都市間連絡線・東海道線連絡線としての性格も強い。路線毎に厳密に運用を区切っておらず、例えば、米原発であっても、本線終点の貴生川行きのほか、多賀線終点の多賀大社前行き、八日市線終点の近江八幡行き(八日市経由)があり、近江線内で利便性と運用効率化を図っている。米原・彦根・近江八幡・貴生川の4駅でJR線と接続しているが、乗り入れはしていない。


(近江鉄道路線図。※2019年版近江鉄道時刻表より。)

スタートの前に、今回の近江鉄道の旅の大まかな予定を話しておこう。全日程は3日間になり、エリアを3ブロックに分ける。初日は本線北側の米原から八日市間。2日目は本線南側の八日市から貴生川間。3日目は八日市線(八日市〜近江八幡間)とした。1泊目は米原、2泊目は八日市に宿泊。どちらも、大手チェーン系の駅前ビジネスホテルを手配してある。なお、連泊にすると、着替えなどの大きな荷物を置きっぱなしにでき、メインの中日が楽になるが、あいにく取れなかった。

帰りの新幹線は、米原発19時57分ひかり534号東京行きに乗車。帰京客ラッシュ後のやや遅い発車時刻の上り列車にし、最終日の夕方に慌てることがないようにした。なお、現地の日の出・日の入り時刻は、朝5時00分頃と夕方18時40分頃になり、日が上がっている時間も長い。途中下車の町歩きも多くセッテングしたので、存分に楽しみたい。

近江鉄道のホームはJR米原駅の東側に設けられ、JRの線路から少し離れているが、お互いのホームはよく見える。JR線は頻繁に電車が発着し、本線の名に恥じず、多くの乗降客がいるが、一方の近江鉄道ホームは閑散としている。この米原から彦根間は併走区間になり、JRの方が所要時間も半分と短く、運賃も大幅に安いため、どうしてもJRに乗客が流れてしまう。1日の乗降客数は1,000人程度と、中規模地方ローカル線の起点駅としては少ない。


(新デザインの駅名標。半円や電車の水色は、琵琶湖をイメージしているという。)

元々は、この湖東平野湖岸部の経済中心都市であり、城下町の彦根が起点であったが、国鉄の鉄道要衝地であった米原に延伸接続をし、利便性を図った。そのため、本線では最も遅い開業区間になっている。当時、今以上に盛んであった、多賀大社への参詣客輸送のためでもあった。今でも、平日の朝夕には、米原発多賀大社前行きが何本か設定されている。

2007年(平成19年)6月に、駅前ロータリー向かいの山側から移転しているため、駅設備は真新しく、古い地方ローカル線の駅によくある埃っぽさはない。3両編成まで対応できるコンクリートパネル床の1面2線のプラットホームは、地方民営鉄道の駅としてはかなり広々としている。この駅移転の際、山際に寄っていた線路をJRの線路沿いに付け替えたが、営業キロは変更していない。


(近江鉄道米原駅ホーム全景。左手のJRホームは、非常に混雑している。)

(1番線0kmポストと車止め。)

近江鉄道の社章が車体中央下部に取り付けられており、120年の長い歴史を象徴する凝ったデザインになっている。近目で見ると何だかわからないが、遠目に見るとわかり、近江の「近」を中心に置き、周りが「江」のデザイン文字である。古い鉄道会社の割には、車輪やレールなどの定番的デザインが入らないので、当時は先進的デザインであったと思う。今見ても、とても斬新である。また、西武グループに属するため、白地に青・赤・緑帯のライオンズカラーやレオマークも使うこともある。


(近江鉄道の社章。社章の上にローマ字で「OHMI」と大きく入るのも、どこかハイカラである。)

ホームの建て植え式駅時刻表をみると、朝夕の通勤通学時間帯を除けば、1時間毎に1本と典型的なローカル線のダイヤになっている。本線終点の貴生川行きの全通列車もあるが少なく、半数以上は彦根や八日市行きの区間運転列車か、多賀大社前行きか近江八幡行きである。また、一部の列車では、自転車の持ち込みが可能なサイクルトレインになっている。


(ホームの駅時刻表。)

(本線の停車駅案内。米原が上り方面であるが、一番下になっている。)

運転士ひとりだけのワンマン運転のため、折返し仕業後に乗車案内になる。初めは、自分を入れて3人だけであったが、発車時刻直前になると、わらわらと30人ばかりの乗車になった。まずは、途中の本線中核駅である八日市まで、車窓ロケと撮影をしてみよう。運転士の安全運転と集札業務に支障を来さないため、最後尾車両の運転室前に陣取る。


(ホーム端から貴生川方を望む。1番線が本線になり、2番線先に引き上げ線も設けられているが、保線用らしい。右手はJR東海道本線と操車場跡。)

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米原0922======1011八日市
下り1907列車 近江八幡行き(ワンマン運転)
100系第5編成(←105+1105)・2両編成
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(つづく)

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※この近江鉄道編は、3部構成30話程度、約1年間の長期連載になります。

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