屋代線紀行(27)科野の里歴史公園

松代駅前を通って、自家用車を置いてある市営観光駐車場まで戻る。行きたい場所があるが、最寄りの屋代駅から遠い為、車で行こうと思う。

駐車場から国道403号線谷街道に出て、屋代方面に向かう。雨宮駅近くの交差点を左折、住宅地の中を抜け、広々とした田園の中を走り、長野県立科野の里歴史公園(-しなののさと-)を目指す。なお、「科野(しなの)」は、「信濃」と読みが同じで、奈良時代の8世紀頃までの旧国名表記である。所要時間約20分弱で、到着する。その名称の通り、長野県立と千曲市立のふたつの歴史博物館がある大きな歴史公園になっている。


(長野県立科野の里歴史公園。)

実は、前方後円墳が此処にあり、訪問したいと思っていた。有名な大阪府堺市の仁徳天皇陵等から、平らな場所にある印象を持つが、何と、有明山と呼ばれる山の中腹にある(写真矢印)。
国土地理院 国土電子web(長野県千曲市・森将軍塚古墳)


(有明山にある古墳。※矢印が古墳。)

(科野の里歴史公園案内図。)

山中の前方後円墳を見るのは、初めてになる。早速、行ってみよう。なお、この先は、一般車両は通行止めになっている。麓の千曲市森将軍塚古墳館では、見学バスが随時運行されているので、利用しよう。ロビーの自動券売機で、往復券大人400円を購入。受付係が出発の手配をしてくれる。玄関先に停められたワンボックス車に乗り込み、初老の職員氏の運転で、つづら折りの急坂を登る。古墳館からの距離は約1km、片道5分、高さは130m上がるとの事。話によると、犬の散歩やウォーキングを兼ねて、地元住民は徒歩30分位で登るそうで、平日は学校の校外授業の訪問が多いと言う。話しているうちに、山中のバス乗降場に到着。40分後には、帰りの迎えが来る約束である。

山道を少し降ると、前方後円墳の森将軍塚古墳が見えてくる。かなり大きく、尾根の形に沿って「くの字」に少し曲がっている。


(森将軍塚古墳全景。)

今から1,600年程前、古墳時代初期の4世紀末頃に造られた全長約100mの古墳で、当時、科野の国を治めていた王の墓と言われている。なお、森将軍は個人名ではなく、「森という土地の偉い人」の意味である。古くから、森将軍塚と呼ばれているそうだが、被葬者の実名は不明になっている。

また、長野県内に残されている最大の古墳で、発掘調査に基づいて正確に復原しており、古墳の大きさ、材料、工法、石の積み方も、当時と全く同じになっている。登るのを拒む様な急傾斜であるが、階段があるので、登ってみよう。階段下には、4号埴輪棺と言われる小さな墓があり、王の近親者が埋葬されていたらしい。なお、本来の古墳に階段は無い。見学用に取り付けられたコンクリート製である。


(階段下の4号埴輪棺。)

急勾配の階段で、古墳の四角部分である前方部に上がる。儀式を行う場所と考えられ、大きな埴輪が縁にずらりと並び、とてもシュールな光景である。勿論、レプリカであるが、27種類157個の埴輪が並んでいるとの事。実は、かなりの埴輪好きなので、見ているうちに、楽しくなってきた。円筒埴輪、朝顔形埴輪、入れ物状の合子形埴輪(ごうすがたはにわ)など多種多様で、高さ50cmから1m位の底が開いている儀式用・象徴用の大型埴輪になり、三角形の穴が沢山開いているのが特徴である。なお、教科書に載っている人形や家畜等の埴輪は、5世紀以降に造られた。


(大型埴輪が縁に沿って並ぶ。)

(入れ物状の合子形埴輪。埴輪は素焼きで、赤く着色してある。)

特に、合子形埴輪は大型で、カゴの様な形が面白い。当初、何を模した埴輪なのか、研究者の間でも判らなかったという。また、毎年11月3日に、「森将軍まつり」という大規模なファンイベントが開催されており、古墳でのイベントも大変珍しい。


(後円部から、前方部の全景。テニスコート二面分位の広さがある。)

もうひとつの階段を上がり、円形の後円部に登ろう。古墳上も、高低差がかなりある。尾根の傾斜により、完全な円ではなく、楕円形になっているのが特徴で、長さ7.6m・幅2.0m・高さ2.3mの巨大な石室が中央部にあり、王が埋葬されていた。石室の床面積は、日本最大級という。なお、頂上が平らなのは、前期古墳の特徴であり、石室は埋め戻されている。本来、前方部もこの後円部も、平たい石で覆われていたが、見学者の為に砂利敷になっている。


(後円部に登る。)

また、此処からの景色が大変素晴らしいので、暫くの間、眺めてみよう。周りに家族連れや観光客も数人居るが、誰も話さない程、夢中に見入っている。標高は約450m、南から北を望む、善光寺平が一望出来る大パノラマが広がる。古墳の上である事を忘れてしまう程である。
マピオン電子地図(森将軍塚古墳3D地図・1/15万 ※周辺の起伏が判る。) 

突然、「ゴー」と空に響く様な轟音がして、飛行機かと思いきや、長野新幹線・東京発長野行き11時28分長野着の「あさま513号」が、高架橋上をあっという間に走り去って行った。


(善光寺平・篠ノ井方向を望む。画像中央に、新幹線が見える。)

(山麓の歴史公園からの高さは、約130m。ビル40-50階建て相当になる。)

(長野市中心部方向。手前の盛土の道路は上信越自動車道。高速道カーブ向こうの遠くのビル群が、市中心部。松代は、右手の山裾の裏手にある。)

(手前左から天城山[標高695m]、鞍骨山[798m]、大峰山[841m]。)

古墳の上から、麓側に降りよう。麓側はかなりの高さがあり、下から見ると迫力がある。前方部の傾斜がきつく、まるで壁の様になっている。


(麓側の古墳下。)

前方後円墳の括れた部分に、直径6mの古墳「3号円墳」があり、6世紀頃に造られた横穴式石室がある小さな古墳との事。その近くにも、別の石棺がある。


(3号古墳。)

(近くの別の石棺。)

この森将軍塚古墳の周辺には、直径3mから20mの小さな円墳13基が集まり、古墳の麓外縁部には、箱型石棺が64基、埴輪棺12基と多数埋葬されている。また、古墳上の前方部にも、ふたつの石室とひとつの埴輪棺が発見されている。

これらは、王の近親者や家臣、味方の豪族、古墳関係者の追葬と推測され、森将軍塚古墳の本体が造られた後の200年の間に追って造られたものという。なお、千曲市内には、山中の前方後円墳が他に三つあり、森将軍塚古墳を含めて、埴科古墳群(はにしなこふんぐん)と呼ばれている。現在、この四つ全てが国の史跡になっており、この有明山の上方にも、有明山将軍古墳(4-6世紀頃築・全長37m・埋め戻し保存中)がある。


(森将軍塚古墳周辺図。)

古墳と大パノラマで大興奮し、あっと言う間に40分間が過ぎている。迎えのバスがやって来るので、バス乗降場に戻ろう。バスは急坂を滑る様に降り、麓の古墳館に到着すると、次の見学者を乗せて行く。なお、古墳館の見学はしなかったが、詳しい展示や解説、副葬品の数々、石室の実物大レプリカが展示されている(入館料大人200円、開館時間や休館日等は、下記の公式HPを要確認)。

また、「科野のムラ」と名付けられた、古墳時代中頃の古代村が併設されているので、行ってみよう。大小の住居や倉庫の8棟と、田畑や儀式場も再現されている。これらは、隣にある長野県立歴史館の下から発掘されたものを、復原したとの事。


(高床式倉庫。)

(切妻形の古代住宅。)

(竪穴式住居。)

善光寺平を見下ろすビューポイントは、周辺に多数あるが、中々の穴場だと思う。太古のロマンと絶景の両方が楽しめるのが良い。そろそろ、松代に戻ろう。
千曲市森将軍塚古墳館 公式HP

(つづく)


千曲市森将軍塚古墳館事務局から、写真掲載許可済み。

【参考歴史資料】
現地解説板
森将軍塚古墳館 見学者向けパンフレット(千曲市発行)