天浜線紀行(27)西気賀駅 後編&プリンス岬

改札口を通り、駅舎内に入ってみよう。待合室は八畳位でやや狭く、東側の窓沿いに木造ロングベンチが設置されている。天井は高く、床はコンクリートの打ち放し、大きな二段縦窓、出入口は大型吊り戸で、内装は他の天浜線の各駅と似ている。窓枠は木製のままで、角を金具で一部補強してある。また、ホーム側と駅出入り口側の吊り戸も両方残り、補修もしてあるので、他の天浜線の駅と比べても、待合室の原形の保存状態が良い。


(待合室。出入口側の吊り扉は、全てガラス入りになっている。)

(待合室内からの改札口。出札口や鉄道手小荷物窓口は改装され、面影は無い。)

改札口横には、国登録有形文化財指定の案内パネルもある。何故か、小学校の机があり、駅スタンプラリーのスタンプが置いてある。なお、改札口側の吊り戸は、登録有形文化財パネルの後ろのホーム側にある。


(国登録有形文化財の案内パネル。)

駅事務室は改装され、出札口や鉄道手小荷物窓口は残っていない。現在、洋食屋「グリル八雲(やくも)」がテナントで入店している。名古屋駅東側の繁華街にあった洋食店「八雲」の暖簾と味を受け継いでいるそうで、中京エリアの洋食料理店界隈では、とても有名な店らしい。浜名湖の幸を使ったフランス料理を提供し、三ヶ日牛のビーフシチューや女優・美空ひばりが好物であったコーンポタージュスープが名物との事。
天竜浜名湖鉄道公式HP内・西気賀駅「グリル八雲」(※定休日・営業時間は要確認。)


(駅テナントのグリル八雲。予約無しで大丈夫との事。)

駅前に出てみると、国道から少し奥まった場所に駅があり、舗装された広い駅前広場があるが、商店等は無い。他の天浜線の駅舎と違い、上部の白いモルタル外壁と下部の腰板が洒落ており、母屋の屋根からの庇が殆ど出ていないのが特徴である。外壁、屋根や出入口上の国鉄風駅名標は、綺麗に塗り直されている。また、中央の窓は小さな出窓になっているが、改装前は大きな二段縦窓が同じ場所に付いていたという。


(駅前からの駅舎外観。南に面しているので、明るい雰囲気である。)

(駅出入口。)

次の上り列車まで、少し時間があるので、近くのプリンス岬を散策してみよう。今上天皇御一家の皇太子時代、この岬の別荘で夏の御静養された事から、そう呼ばれている。正式には、五味(ごみ)半島という。桟橋の様に浜名湖の支湖である引佐細江(いなさほそえ)に突き出しており、一周20分程度で歩ける超ミニ半島になっている。

駅前の国道を右折、直ぐ先のバス停付近から半島内の道路に入り、反時計回りに廻ろう。西側の湖岸には、低い堤防と高さ3m程ある防風生け垣に守られた住宅が建ち並んでおり、無数の杭は海苔の養殖場らしい。


(五味半島西岸から、線路と国道がある北西方向を望む。)

天気も大変良く、湖面も静かに佇んでいる。湖岸をよく見ると、無数の白い貝殻が散らばっている。先端の岬に近づくと、徐々に道路も細くなり、自動車がやっと一台通れる位になった。なんと、砂浜に道路が直付けになっている感じである。また、半島内の最も高い場所でも、標高は20m位しかないという。

10分程歩くと、半島先端部のプリンス岬に到着。一段高い台に、南無阿弥陀仏の仏碑と地蔵が安置されている。湖を見つめ、水難犠牲者の供養と安全を祈願しているらしい。階段を上がって、手を合わせる。


(水難慰霊碑の高台。)

ここは、引佐細江(いなさほそえ/別称・細江湖)と呼ばれる、浜名湖北東部の瘤状になった支湖で、都田川が東側から注いでいる。半島周囲部の水深は2.5m以下、沖の最深部でも5mから8mと浅い。古くは、万葉集の和歌(歌人不明)に歌われる昔からの景勝地でもあり、東岸近くの西気賀小学校には、歌碑が建立されているという。

「遠江(とほつあふみ) 引佐細江の澪標(みをつくし) 吾れを頼めて あさましものを」
(万葉集巻14-3429/作者不詳。)


(引佐細江の眺め。)

慰霊碑の高台から振り返ると、美しい引佐細江が一望できる。街や道路の喧騒も聞こえず、大変静かである。波の音が微かに奏で、とても良い気分になってきた。遠くに見える赤い橋は、東名高速道路の浜名湖橋(全長603m、上下2車線)で、左手が東京方、右手の名古屋方に渡り切ると、浜名湖サービスエリアがある。また、この橋のある場所が、浜名湖の本体との接続部になる。

なお、浜名湖は湖水面積約65km²、沿岸長114km、平均水深4.8mの国内10番目に大きな湖で、本体の浜名湖とそれにつながる四つの水域(支湖)がある。太古の昔、天竜川が堆積した台地を海が削って谷を作り、約38万年前に入り江となり、氷河期の終わり頃の約1万年前には、今の浜名湖の原形が作られた。現在、海水と真水が混じり合う汽水湖(きすいこ※)であるが、かつては、浜名湖の方が標高が高かった為、淡水湖であった。しかし、室町時代中期の明応7年(1498年)の明応地震により、現在の外海との接続部の今切口(いまぎれぐち)が決壊し、海水が浸入した為、汽水湖になっている。なお、特産品としては、全国的に有名な鰻、すっぽん、海苔、牡蠣等の養殖が盛んで、アサリの潮干狩りが観光客に人気がある。

岬から東側にぐるっと回ろう。小さな漁港と作業小屋がある。漁師が漁道具の手入れをしていたので、挨拶をする。また、この半島の東寄りの沖合に、船の安全な航路を示す「みをつくし(澪標)」があるそうだが、自分の肉眼では良く判らない。


(五味半島東岸からの眺め。)

(五味半島東岸には、小さな漁港があった。)

(漁師の作業小屋も隣接する。)

国道に再び接続し、30分程で駅に戻ってきた。歩いた距離は1km程度、軽いウオーキングと浜名湖を手に取る様に楽しめ、大満足である。


(国道からの西気賀駅。)

(国鉄風の黒色駅名標。)

相変わらず、駅には誰ひとりもいない。待合室内の木製のロングベンチに腰掛けて、列車を待つ事にしよう。次の上り列車は、10時06分発になる。

(つづく)


(※汽水湖)
海水は1L当たり、約35gの塩分を含む。浜名湖は場所によるが、8gから30gになる。なお、約1万年前の縄文時代の頃は、海岸線が現在よりも内陸側に入っていた。

2022年2月12日 ブログから転載・文章修正・校正。

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