小布施めぐり(7)浄光寺

陽が西に傾いて来たが、もうひとつ、古刹を訪問してみよう。岩松院の駐車場を出発。岩松院前の交差点からふたつ南の花公園交差点を左折し、細道を奥へと行くと、浄光寺【万字マーカー】がある(薬師堂は国重要文化財、拝観料無料、16時頃まで、無休、撮影可)。


(浄光寺の案内看板。)

岩松院と違い、とても静かな山寺である。見事な黄金色の大銀杏があり、辺りには銀杏の香りが風に乗って漂い、人気も全く無い。日本的な秋の情緒を感じ、思わず感嘆の声を上げる。

寺伝によると、奈良時代初期の天平2年(730年)に開基し、征夷大将軍の坂上田村麻呂が、改築したと伝えられる古寺になっている。現在の宗派は真言宗豊山派、山号は浄瑠璃山、地元では雁田薬師とも呼ばれ、浄瑠璃山医王院浄光寺が正式な寺院名になる。

聖武天皇の皇后・光明皇后の願いにより設立された、施薬院(せやくいん)をルーツとしている。諸国から献上された薬草を使い、貧しい庶民の病気治療や施薬を行っていたという。その後に祈願寺になり、今はがん封じ・厄除け・縁結びやパワースポットの寺として有名になっている。
北信濃小布施/浄光寺公式HP


(「雁田薬師」こと、浄瑠璃山医王院浄光寺。)

(黄金色の大銀杏。)

銀杏の黄葉にまみえた仁王門が、何とも言えない風情を漂わせている。この奥には、杉並木の長い石段が続いているので、登ってみよう。一段一段ゆっくり登って行くと、ただのでは無い雰囲気を、ひしひしと感じ始める。


(仁王門全景。)

(仁王門と参道。浄財箱などがあり、体力などで石段を登れない人達への配慮がある。)

この石段は、この山で採れる雁田石を無造作に敷いてあるが、体を屈めて見ると、きちんと先端が一直線に揃っているという。この光景は、数百年間も全く変わっていないとの事。しかし、所々が小崩落しており、足場は悪いので、慎重に登ろう。


(雁田石の石段参道。)

木漏れ日が差し込む、大杉が立ち並ぶゴツゴツとした石段を登り切ると、北信州エリアで、最も古い薬師堂が構えている。今から600年前の室町時代初期・応永15年(1408年)の再建と伝えられ、大変貴重である事から、国の重要文化財にも指定された。薬師如来を堂内に安置し、「縁結びのお薬師さん」としても知られているという。なお、本堂は麓の仁王門左手に置かれており、近くの閉校した町立小学校の古材を再利用し、昭和51年(1976年)に再建したとの事。

しかし、最後の石段から境内に一歩踏み入ると、怖さにも似た、ゾクゾクとした物凄い波動を全身に感じる。まるで、地面から何かが天に向かって、上がっている様な感覚がある。その方面に敏感な人なら、パワースポットと呼ばれるのが判ると思う。

この薬師堂の大きさは、桁行三間(横幅5.5m)・梁間四間(奥行き7.3m)で、単層の入母屋造り茅葺きになっている。昭和21年(1946年)の修理時に墨書が見つかり、築年が判明したそうだが、相当に古い文化財級建築物として、明治40年(1907年)には、国の重要文化財として既に指定されていた。


(薬師堂正面。)

(薬師堂近景。平成19年[2007年]に茅葺き屋根を総葺き替えている。)

また、堂前に聳える一本柱は、回向柱(えこうばしら)である。御堂等の完成時や記念時に建てられる木柱で、祈願の真名等が梵字で記されている。五重塔等の多宝塔が五輪塔に代用され、更に四角木柱で代用されたものであり、供養時や墓所で見られる板塔婆も簡略化した同類のものである。


(回向柱。「かいこう」ではなく、「えこう」と読む。)

石段を登り切った右手には、百度石も設置されている。破損しているものや、撤去されるものも多いが、完璧な状態で残っていた。刻印文字が右横書きなので、戦前以前に設置されたものであろう。民間信仰と仏閣信仰が迎合し、祈願成就の百度参りに使うもので、1日に百回参拝する回数を勘定するものである。棒に刺された鉄の円盤を、参拝毎に、1枚ずつスライドして使う。なお、本来の百度参りは、数日間と期間を決めて参拝していた。しかも、この石段を仁王門から登り降りする為、相当きつかったであろう。


(百度石。)

堂前には、背がやや詰まったハートマークの石灯籠もあり、とても厳かな古刹であるが、なかなか可愛い。また、ここは別名「妻恋薬師」とも呼ばれており、「嫁が欲しけりゃ雁田へござれ」といわれている。良縁祈願に訪れた参拝者が、この石灯篭にお参りするという。


(良縁祈願の石灯籠。)

周辺は、深々とした静寂と鄙びた雰囲気が漂い、小さな墓所も点在している。首なし地蔵や石仏の代わりの頭石が、何故か顔に見えたりもする。大変驚いたが、お地蔵様や御仏の魂が宿っているかもしれない。


(古い首なし地蔵と石仏。)

最後に、薬師堂に参拝をして、撮影のお礼と旅道中安全を祈る。石段を降り、戻る事にしよう。どうしたものか、登りは荘厳に見えた石段も、下りは軽やかに見えた。


(創建600年の薬師堂に参拝する。堂内には、岩座の十二神将に囲まれた薬師如来が、微笑んでいた。)

(石段を見下ろす。)

(つづく)


【歴史参考資料】

現地観光歴史案内板
小冊子「信州おぶせ」(小布施町発行)

2020年4月2日 ブログから転載・文章修正・校正。
2022年8月20日 文章校正

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