上高地線紀行(2)新島々へ

松本駅は新幹線が乗り入れていないため、急かしたような雰囲気がなく、どことなく、のんびりとした国鉄在来線主要駅の雰囲気を残す。上高地線は民営他社の鉄道であるが、松本駅構内に直接乗り入れており、一番西側の7番線ホームに割り当てられている。

なお、上高地の名が路線名に付いているが、終点は上高地ではない。遥か手前の新島々(しんしましま)まであり、山にさえ入らないので山岳路線でもない。開業業当時の路線名は島々線であり、戦後の昭和30年(1955年)に上高地線に名称を変更した。観光客向けの誘導的ネーミングは賛否両論あると思うが、マーケティング的には成功している。日本人の観光客のほか、欧米やアジアからの観光客も多い。終点まで乗車し、同じアルピコ交通の大型観光バスに乗り継ぎ、上高地や深山の温泉などに行くのである。そういう意味では、鉄道とバスが一体化した上高地線と言える。

ここで、上高地線の歴史を簡単に触れておきたい。大正初期に設立された筑摩(ちくま)電気鉄道をルーツにしている。松本から西に向かう街道は、江戸時代以前から、信州松本と飛騨高山、その先の越中富山までを結ぶ重要な交易路のため、自然発生的に鉄道敷設の計画があがったのであろう。最初は、松本から安曇村稲核(いねこき※)まで結ぶ路線長23.2キロメートルの安筑軽便鉄道を計画したが、免許申請が2度も却下になっている。計画を縮小し、3度目にして、松本から龍島間19.0キロメートルの免許が交付された。東筑摩郡新村(にいむら/現在は松本市に合併)出身の実業家・県会議員の上條信(かみじょうしん)ら63人が発起し、地元・新村駅近くの専念寺で会社設立を行っている。ちなみに、「筑摩」とは、奈良時代以前からの松本周辺の地方名である。

蒸気鉄道での開業計画であったが、上條信が設立した東筑摩電灯(松本周辺に設立された水力発電兼配電会社の一社/後の東筑電気)から電力を融通する事になり、開業当初からの電気鉄道になっている。当時の長野県下の電気鉄道は、上田温泉電軌(現在の上田電鉄の前身・別所線の一部)や伊那電気鉄道(JR飯田線の前身)のみで、他は蒸気鉄道で大変珍しく、煙を出さないアーバンな鉄道として、人気があったという。


(新村駅に保存されている筑摩電気鉄道の社章。)

設立当時、生糸や綿糸の価格暴落などがあり、株式の出資者を集めるのに苦労したが、東筑摩電灯(東筑電気)の支援も得て、大正10年(1921年)1月に着工。まずは、松本から森口間、森口から龍島間のふたつの工区に分けられた。軌間は1,067ミリ(通称・サブロク=3フィート6インチ)、30キロレールの全線単線、600ボルトの直流架線電化の省鉄(鉄道省管轄の官営鉄道/後の国鉄)と同等の高規格な鉄道設備で建設された。川沿いの広い谷間の緩やかな扇状地であるため、さしたる難工事もなく、同年10月2日、9ヶ月間のスピード工事で、松本から新村間6.2キロメートルが開業した。

その後、翌年の大正11年(1922年)5月に波多(はた/現在は波田に改称)、9月には島々まで開業。その先の龍島までの開業を目指したが、地形が険しく、技術的・資金的に困難なため、早々に島々を終点に変更した。昭和4年(1929年)に島々から龍島間の免許は失効している。なお、筑摩電気鉄道から松本電気鉄道への改称は昭和7年(1932年)、松本電気鉄道からアルピコ交通への改称は平成23年(2011年)である。地元では、「松電(まつでん)」や旧線名の「島々線」と呼ばれ、アルピコ交通へ変わった後も、松本電気鉄道(松本電鉄)の名は公式愛称として使われている。

上高地への避暑観光客、北アルプスへの登山客、白骨温泉や平湯温泉などの湯治客が主な利用客で、昔も今も変わらない典型的な観光登山鉄道である。かつては、県下で盛んであった生糸や木材、戦後高度成長期のダム建設資材の輸送にも活躍した。鉄道趣味的には、路線長が短く、特徴に乏しいためか、あまり注目されていないのが残念に思う。しかし、一見地味な地方民営ローカル線の隠れた魅力を探るのが、この旅の目的でもある。沿線各所も丹念に歩いてみたい。

まずは、ロケハンも兼ね、終点の新島々までの14.4キロメートルを乗り通してみよう。路線距離は短いが、駅数は14(起点と終点を含む)と多く、毎時約2本・1日25往復(50本)の列車を運行している。主要駅は、起点・JR接続駅の松本、車両基地のある新村、文教商業中心地である波田、上高地方面へのバスターミナルがある終点・新島々である。その他の駅は小さな無人駅が多い。なお、地方民営鉄道は追加設置駅が多い傾向があるが、開業当初からの駅は12駅と多い。


(松本駅の駅時刻表と駅案内。愛称の松本電鉄が使われている。終点新島々までの大人普通運賃は、700円である。左側には、上高地方面への乗り継ぎ割引運賃も表示されている。松本から上高地まで、往復5,000円以内になっている。※運賃は取材時。)

連絡跨線橋を降りると、すぐに上高地線の乗り場になっており、狭いホームに結構な人数が行き交う。さすが、日本を代表する山岳観光地方面に行く鉄道である。島式ホームであるが、単式ホームの様に使われており、南側の7番線が上高地線、北側の6番線がJR大糸線のホームになっている。連絡跨線橋が南端にあるため、大糸線への乗客は上高地線乗り場の前を通過して行く。真っ白な2両編成の電車が既に待っており、折り返しの10時10分発普通・新島々行きになる。


(上高地線と大糸線への連絡跨線橋。あくまでも、他社線であるので、LED式発車案内板はなく、番線案内のみである。)

(発車を待つ普通新島々行き3000形第3編成(3005・3006)。観光客向けの特別ラッピングトレインになっている。)

(上高地線0キロメートルポストと線路終端部。右手向こうが、大糸線の乗り場になる。)

車内に入ると、2両編成のオールロングシートの半分は埋り、70人位であろうか。地方ローカル線としては、とても多い乗客である。山男、ハイカー、温泉客、外国人観光客と多種多様で、地元沿線の住民の利用もあるが、圧倒的に観光客が多いため、まるで観光バス内のようにワイワイと明るく賑やかである。ローカル線らしくないと言えるが、この上高地線の風土ともいえ、良しとしよう。撮影やロケハンをするので、運転士や他の乗客に迷惑のかからない、最後尾車両の乗務員室前に陣取る。


(車内の様子。クロスシートの方が旅の雰囲気は出るが、短距離路線であるのと、大きな登山用リックを背負う乗客もいるので、ロングシートの方が勝手が良い。)

列車はワンマン運転化しており、車掌は乗務していない。先程の新宿からの特急あずさ1号に接続する列車でもあるので、観光ガイドの年配男性が乗務している。なお、切符の発券や乗降扉の開閉などはせず、ガイド専門とのこと。発車前に運転士から、上高地線1日フリー乗車券(大人1,000円)を発券して貰う。なお、連絡改札口も設置されていないため、JRの乗車券を持ったまま、乗り継げる。上高地線の運賃の支払いは、途中の有人駅では着駅払い、無人駅は下車時に運転士に支払い、終点の新島々駅までの場合も着駅払いになっているので、路線バスと同じ後払い乗車方式である。単一路線の上、松本駅のみJR線に接続し、単純なためであろう。もちろん、上高地線のみの利用時は、松本駅切符売り場の自動券売機や沿線の有人各駅で、上高地線の切符を事前購入する。無人駅では、車内整理券を乗車時に取る方式である。

車両は東京の京王電鉄井の頭線3000系を改造し、アルピコ交通のイメージカラーのホワイト地にダイナミックストライプの塗装になっており、元車のスレンレス車体がわからない程である。平成11年(1999年)に譲渡・導入され、4編成(うち、1編成は点検整備ローテンション)が運用されている。イベントや観光時期には、ヘッドマークを先頭車両に掲出する場合もあり、この列車には、某鉄道模型会社の鉄道系キャラクターのヘッドマークが付いている。また、車体側面に小型幕式表示器もあるが、サボ(※)がしっかり差し込まれているのも、今では珍しい。


(車体側面に差し込まれたオリジナルのサボ。)

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松本1010======1040新島々
列車番号13・普通新島々行き
3000形第3編成(3005+3006)・2両編成(ワンマン運転)
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発車まで少し待とう。名古屋からの特急しなの号の到着が少し遅れ、乗り継ぎ客が急かし足で乗り込んで来る。男声の自動発車アナウンスが流れ、ガラガラと乗降扉が閉まると、カルダンが「ウォー」と上昇駆動し始める。2分遅れの10時12分に松本を発車。特急あずさ号や大糸線普通列車用の電車が留置されている狭い構内を南に少し走り、大きく右にカーブして行く。ほぼ、90度方向転換したカーブ出口のアウト側に単式ホームの西松本駅がある。松本駅構内に隣接しているので、400メートルしかなく、徒歩でも行ける距離であるが、朝夕の通勤通学利用が多いという。


(松本駅を発車。※列車最後尾から後方の松本方を撮影。)

駅に隣接するプレートガーター鉄橋を渡ると、そのまま、カーブ半径300メートルの築堤を15.0パーミルの勾配で上がり、松本市内を南北に縦断する国道19号線をオーバーパスする。かつては、道路との併用軌道区間で、現在の線路よりもアウト側にあったという。市内の自動車の交通量が激増したため、昭和36年(1961年)に高架化した。

築堤から降り、女声での自動案内放送が日本語・英語・韓国語で順に流れると、渚(なぎさ)駅に停車。海無し県に渚とはミスマッチで面白いが、元々はこの駅が西松本駅であり、昭和2年(1927年)に渚駅に改称し、現在の西松本駅に譲っている。また、戦後高度成長期のダム資材輸送の際、松本駅構内が狭かったため、この駅に4本の貨物側線が敷設され、松本駅から逆機牽引された貨車を松本電鉄の電気機関車に付け替えていたという。大型の国鉄貨物用蒸気機関車のD51形を使い、全線の線路補強工事もされた。

渚駅を出ると、左急カーブ先の奈良井川を長いデッキガーター鉄橋で渡り、対岸の信濃荒井駅に停車。ひとつめの列車交換可能駅である。専任ガイド氏によると、線路先の正面に見える大きな頂は、日本百名山のひとつの常念岳(標高2,857メートル)とのこと。今日の頂上付近は、あいにく厚く曇っていて、拝めない。


(奈良井川橋梁を渡る。※列車最後尾から後方の松本方を撮影。)

(水量豊富な奈良井川。中央アルプスの茶臼岳を源流とする一級河川である。松本付近で梓川と合流し、犀川に名を変え、長野市方面に北流して行く。)

緩やかな上り勾配を、速くもなく、遅くもない中速で軽快に走る。地図上では、線路が直線に見えるが、小さなカーブが多いのは、古い町割りの家々を避けるためであろう。「ガシャン、ガシャン、ガシャン、ガシャン」と急に畳み掛けるジョイント音がすると、大庭(おおにわ)駅に停車。この駅の前後には、珍しい短尺レールが使われているらしい。長さ20メートルの標準レールよりも短いレールを短尺レールと呼び、古い輸入レールの場合、長さ約9メートル(30フィート)のものが多い。レールの継ぎ目の間隔が狭まるため、ジョイント音も連続して聞こえる。

松本市街地を抜けて、長閑な田園地帯に入り、11.4パーミルの上り勾配が続く。大庭駅先の長野自動車道をアンダーパスし、ログハウス風駅舎の下新(しもにい)駅と松本大学最寄りの北新(きたにい)・松本大学前駅に停車。単式ホームの小さいな駅であるが、両駅共に通勤通学時間帯に駅員が勤務している。そして、線路両側に住宅が建ち並んでくると、広い構内をもつ新村駅に停車。地元住民らしい数人が下車して行く。


(下新から北新・松本大学前間を時速50キロメートルで快走する。※帰りの上り列車の最後尾から、後方の新島々方を撮影。)

(下新付近の田園風景。稲作と畑作の混合栽培である。手前は稲作、向こうの白い畑は蕎麦畑の花である。周りを囲む山々の稜線が美しく、信州に来た感じがする。)

新村までが第一期開通区間であり、ふたつめの列車交換可能駅になっている。駅周辺には役場や公共施設等はなく、小さな住宅地が点在している。この上高地線発起の地、発起人兼初代社長の上條信の地元でもあり、その影響が強いのであろう。小さいながらも、鉄道町と言える。


(車両基地のある新村駅。※帰りの上り列車の最後尾から、後方の新島々方を撮影。)

上り列車の交換後に新村駅を発車。山と広い田畑を見ながら快走する。勾配率も上がり、16.7パーミルの上り勾配が続いている。この付近まで来れば、松本の文化経済圏の影響も薄れ、昔ながらの筑摩の雰囲気を感じる。線路の北側には、梓川(あずさがわ)が流れているので、上高地線もこの川に沿って西進して行くが、車窓からは全く見えない。なお、特急あずさ号の名称由来になっているが、意外に知られていない。槍ヶ岳を源流とし、上高地の大正池を経て、北アルプスを下り、奈良井川と合流すると、犀川(さいがわ)に名称を変えるためであろう。その先は、信濃川(千曲川)に注いでいる。

小さな単式ホームのみの三溝(さむぞ)駅を過ぎると、上高地・高山方面に向かう国道158号線を右手に並走する。交通量も多く、観光に向かう他県ナンバーの家族連れの車の中から、小さな子どもたちが手を盛んに振るので、振り返す。線路脇には、地元住民ボランティアが長年世話をしているという花壇が続く。上高地線の撮影名所になっており、無料で配布されているオリジナル乗車記念絵葉書の絵柄にもなっている。


(三溝から森口間の国道並走区間。※同日午後の乗車時、列車最後尾から後方の松本方を撮影。)

列車の方が少しだけ速く、並走する車をスローに追い越して、国道から離れると森口駅に到着。3つめの列車交換可能駅で、上高地線唯一の相対式ホームを備える比較的大きな駅であるが、平日の日中のみの業務委託駅になっている。なお、この駅の前後には、20パーミルを超える上り急勾配があり、坂であるのがはっきり判る。線路脇の勾配標を確認すると、松本方は21.4パーミル、新島々方は20.4パーミルになっており、駅構内も5パーミルの微勾配がある。新村駅の松本方にも、19.6パーミルの短い急勾配があるが、この森口駅の前後が線内最急勾配らしい。

再び、国道と並走すると、下島駅に停車。すぐに国道と別れ、住宅地の間の16.7パーミルの長い上り勾配を走る。北アルプスの山裾が両側から迫り、川谷は狭くなってきた。線路右手が低くなり、河岸段丘の上から大きな町並みを見下ろすと、途中主要駅の波田駅に停車。開業以来の直営の終日有人駅で、駅周辺に学校や商業施設も集まっており、起点の松本を除けば、今も沿線一の賑わいを見せる。なお、沿線各駅では、新村、森口や波田では数人の乗降があるが、他の駅では殆どない。観光客が多いので、皆、終点の新島々まで行くらしい。


(北アルプスの稜線が迫る波田の町並みを望む。※同日午後の乗車時に撮影。)

(波田駅を発車。河岸段丘の崖淵にあり、樹木が高く生い茂る左手の一段下に市街地があるので、ホームから町並みは見えない。※列車最後尾から後方の松本方を撮影。)

波田駅を発車する。日本アルプスサラダ街道と呼ばれる大きな坂道の踏切を越えると、河岸段丘を斜めに横切るダウンアップがあり、下り16.7パーミル、返し10.0パーミルをソロソロと走って行く。ダウンアップを越え、美しい田んぼの中に出て、上高地線一の難読駅である渕東駅に停車。つい、「ふちとう」と読みたくなるが、「えんどう」である。この田園の静かな小駅が最後の途中駅になり、進行方向には、北アルプスの巨大な稜線が折り重なっているのが見える。


(波田から淵東間の河岸段丘ダウンアップ。途中、波田寄りに第4種踏切もある。※列車最後尾から後方の松本方を撮影。)

(最後の途中駅の淵東駅。開業当時の駅ではなく、大正13年[1924年]に追加設置された。※列車最後尾から後方の松本方を撮影。)

ここから、ラストスパートである。カーブ付きロングダウンアップのある上高地線一の難所区間になる。河岸段丘を削った掘割りに入り、長い下りの15.2パーミル、下りながらの半径550メートルの左カーブ、底の水平区間(勾配標L現示)、返しの上り15.0パーミルをこなすが、列車の速度は速い。水力発電所の建物の真横を通過すると、終点の新島々駅2番線に到着。ホームに降りると、冷涼な山の空気を感じる。ここまで、松本から30分の小さな旅である。


(山峡のロングダウンアップを走る。梓川が山間から出る扇頂部になる。※帰りの上り列車の最後尾から、後方の新島々方を撮影。)

(新島々駅2番線に到着。)

(つづく)

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(※稲核/いねこき)
新島々駅から更に北アルプスに約6キロメートル分け入った梓川沿いの集落。物資の中継地・宿場として栄えた。今は、その役目は終え、稲核ダムが建設されている。
(※サボ)
行き先標のこと。幕式やLED式の以前は、行き先を書いた金属板を先頭車両正面や車体側面に掲げていた。現在は、サボ受けがあっても、差し込まない場合が多い。サインボードの略。

※車内から線路や駅の撮影は、運転士の安全運転に配慮し、列車最後尾から後方を撮影。
※アルピコ交通の公式パンフレットでは、車両は3000系ではなく、3000形で紹介。
※勾配率のパーミルは、水平距離1,000メートルの高低差(メートル)を表す。

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