明知線紀行(8)岩村駅

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【停車駅】
明智1401==野志=山岡=花白==1420岩村
上り14D列車・恵那行(アケチ10形(14)・単行)
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徒歩十数分で、明智駅に到着。時刻は14時前である。ホームには、恵那行き上り列車が停まっていて、エンジンが起動している。若い駅員氏に「もう、出ますよ」と案内され、急いで乗り込む。直ぐにドアが締まり、汽笛が一声後に発車。この明智ともお別れになる。次回は、もっと時間を取って、下車散策をしてみたい。


(明智駅を発車する。)

復路は、往きの車窓ロケハン時、良さげに感じた駅を訪問しよう。エンジンは全開で、30‰(パーミル)の急坂を一気に登る。車内は立ち席が若干出る程度、最前部は子供達が楽しそうに見ているので、最後尾で過ぎ行く車窓を見ながら、岩村駅まで行く事にする。

ロングシート車のアケチ10形(14)の走行キロ計を覗くと、557,045kmになっている。平成11年(1999年)の導入車なので、年間走行は約5万kmとなり、1日当たり平均3往復程度の運用である。

急勾配の野志駅を過ぎ、山岡駅に停車。この山岡駅は、行政機関の窓口、レストランや土産店が併設された複合駅舎になっている。この付近は、冬の朝晩の大きな寒暖差を利用した寒天が特産になっており、天然細寒天の生産量は、国内シェア90%の日本一である。また、恵那寄りの側線には、第三セクター転換時に導入された気動車アケチ1形が留置されており、今は、倉庫として使われている。


(山岡駅を発車。最後部から、後方を撮影。)

温泉前駅の花白駅を発車し、春の昼下がりの中、狭い谷間の木陰の勾配を登る。この付近も、とても長閑な山里風景になっている。なお、野志峠を越えて、岩村までは、基本的に下り勾配の為、列車は結構なスピードを出す。


(花白から岩村間の田園風景。)

下り勾配が緩やかになり、広大な田園地帯が左右に広がってくると、乗車時間約20分で、岩村駅に到着する。駅舎側の下りホームに、大勢の観光客を乗せた下り明智行きのアケチ10形(11)が、先に到着していて、列車交換になる。


(岩村駅の下り2番線に到着。数人が下車する。)

乗車した恵那行きの上り列車のアケチ10形(14)が先発する。その後、満員の下り明智行き列車も、タイフォンを鳴らした後に発車して行く。


(下り明智行き列車と交換する。)

先に、改札口の駅長氏に1日フリー切符を見せて、見学撮影の許可を貰おう。この岩村は、木曾谷のひとつ南側の山脈を越え、山に挟まれた大地溝帯の盆地である。町は北流する岩村川の右岸に位置し、川岸から東に伸びた城下町になっている。また、国道257号線と363号線が接続する交通の要衝地でもある。


(国土地理院国土電子web・岩村付近。)


(国鉄風の建て植え式駅名標が、下りホームにある。)

この岩村駅は、明知線唯一の列車交換設備がある有人駅で、国鉄時代の古い木造モルタルの駅舎も残っており、「中部の駅百選」に選ばれている。国鉄明知線が阿木駅から延伸した昭和9年(1934年)1月の開業で、同年6月の終点明智駅までの延伸開通前までは、一時的な終着駅であった。

昔ながらの千鳥式ホームが南北に配され、警報機や遮断機のない構内踏切がある。線路の東側に駅舎本屋が置かれており、南並びの駐車場付近には、貨物ホーム跡と引き込み線がある。現在は、保線車両の留置線になっている。


(上りホームからの駅全景。重なりも少ない、美しい千鳥式ホームが残る。)

(下りホーム改札付近から。この駅では、必ず列車交換が行われる。)

上りの恵那方は、側線が上り線に接続し、少しばかり線路が並走した後、スプリングポイントで纏まって、緩く左カーブをして行く。向かい側の山裾を左に迂回して行くと、山の反対側に飯羽間駅(いいばま-)がある。


(恵那方。)

上りホーム南端から、下り明智方を眺めると、この付近の民家と同じ重量感のある黒瓦葺き屋根の倉庫兼詰所と資材置き場がある。側線際の電柱を切った上には、小さな百葉箱が置いてあり、明知鉄道の保線区が置かれているのであろう。また、上りホーム外側(川側)の側線は、資材搬入用として使われ、先日のDMV車両(デュアル・モード・ビークル)の試験運行時の出入りに使われた。


(明智方と保線小屋。)

実は、この駅には、今でも、可動出来る腕木式出発信号機がある。国鉄時代から平成16年(2004年)3月まで、この駅で使われていた本物で、動態保存の鉄道遺産とモニュメントとして、平成18年(2006年)4月に移設復元した。駅舎側下りホーム駅事務室前に、ワイヤーが連結された操作てこが設置してある。腕木のサイズは、長さ900mmもあるので、実物を間近で見ると、その大きさに驚く。夜間認識用の色レンズも付いており、夜間は石油ランプや電球で光らせていた。


(保存されている腕木式出発信号機。)

なお、駅員氏に申し出ると、監督の下、操作体験する事が出来る(駅員勤務時の朝9時から夕方17時まで)。側線と言えども、営業中の駅構内で操作体験出来るのは、全国唯一であろう。周辺の床に染み付いたオイルも現役さながらである。なお、てこを押し込む状態が、進行(青信号)になる。本線2本、側線2本の二系統あり、錯誤防止の連動鎖が付いている。


(操作てこ。)

駅舎を見てみよう。大きな縦型窓のある古い木造モルタル建築になっている。改札横の手作りの木製駅名標や岩村城の観光看板も味がある。起点の恵那駅から6駅目(開業当初は3駅目)、15km地点、所要時間約30分、所在地は恵那市岩村町、標高501m、1日乗降客数約300人の曜日時間限定の有人駅である。


(改札口横の木製駅名標と城を模した歓迎板。)

15畳位の天井の高い待合室に入ると、国鉄時代のままで、昭和の民家の様な砂壁が特徴になっている。窓沿いや中央に置かれた木のベンチも良い感じで、天井近くの壁面には、正面に岩村城下、左手に蒸気機関車時代の写真が、掲げられている。反対側には、昔ながらの出札口(切符売り場)と観光案内所が設けられている。なお、硬券切符の発券もしており、火・木・土・日曜日の13時から17時のみ窓口が開いている。それ以外の曜日・時間帯は無人であるので、購入は不可である。


(待合室。)

駅前に出てみよう。出入口上には、開業当初のものと思われる古い駅名プレートが残る。駅前広場は広いが、商店は殆ど無く、静かな住宅地の中にある。なお、町の最西端に駅があり、直ぐ西には、岩村川が流れている。


(駅出入口。)

(駅前からの岩村駅。駅舎の屋根は葺き替えられている。)

また、国鉄明知線の開通前には、地元資本により、岩村電気軌道が恵那(当時は大井)から岩村まで敷設されていた。明治39年(1906年)開業の岐阜県初の電化路線、全国13番目の鉄道敷設になり、当時の岩村の町は、先進的な気風の土地柄であったらしい。現在の岩村駅の横にホームがあったそうで、町中に軌道跡も一部残る。

なお、現在の明知線のルートと異なり、最短ルートの阿木川(あぎ-/現在は、阿木川ダムがある。)沿いに敷設された。軌間は国鉄と同じ狭軌1,067mm・直流600Vの電化路線であったが、走行速度が遅い路面電車であった為、所要時間がかかり、昭和10年(1935年)の国鉄明知線開通直後に廃線になった。その後、水力発電部門は存続し、中部電力に再編されている。なお、明知線は阿木村を経由した為、大井(現・恵那)から岩村間は、急勾配と急カーブの難所区間になっている。


(赤ラインは、岩村電気軌道のルートイメージ。青ラインは、明知線。)

(つづく)


2017年7月30日 FC2ブログから保存・文章修正・校正
2017年7月30日 音声自動読み上げ校正

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