明知線紀行(9)城下町岩村 前編

岩村駅を見学した後は、岩村の町を散策してみよう。飛騨高山と同じ様に、江戸時代の古い商家の町並みが残る城下町になっている。

岩村城は、この付近を治めていた遠山家十八城の本城であった。約800年前の鎌倉時代の西暦1185年(文治元年)に築城され、標高717mの日本一高所の山城になっている。残念ながら、明治政府の廃城令で、城は取り壊された為、石垣のみが残っている。

戦国時代、遠山家は西進する甲斐の武田家に対抗する為、尾張の織田家と同盟を結び、織田信長の叔母の「おつやの方」が、嫁ぎに岩村城にやって来た。後に、岩村城主の亡き後の跡取りが、当時6歳と幼少であった為、歴史上唯一の女城主として相成った。大変な美人で、城下に良く出向き、領民にも気配りが行き届いて、大変評判が良かったと言われている。しかし、戦国の混沌とした駆け引きの中、身内でありながら、信長によって斬首された。

駅前右手にある観光案内板を見ると、本町通り沿いが観光スポットで、駅から少し歩く様である。


(駅前の観光案内板。)

暑い日差しの中を歩いて行く。緩やかな上り坂が続き、少し息切れがして、日頃の運動不足を実感する。両側には、古い旧家がずらりと建ち並び、とても静かな通りになっている。なお、旧家は100軒近くあるそうで、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。


(岩村の旧家の中を歩く。)

駅から約700m、10分程歩くと、敵の侵入を阻む為に道を直角に折り曲げてある下町桝形【石碑マーカー】に到着。奉行所の御触書を掲げた高札場も再現され、奥には、小さな寺もある。


(復元高札場。)

この下町枡形から、国道363号線の本町交差点の先までが、この岩下城下町の見所になっている。緩やかな上り坂が続く両側に、木曽エリアの町家の景観が良く残り、京風の旧家やレトロな商店も多く、旧・岩村銀行の大正風ビルを使った観光協会もある。また、ゴールデンウィーク中であるが、あまり混んでおらず、落ち着いた雰囲気になっている。


(下町枡形から、グーグルマップストリートビュー。)

左右の旧家を見ながら、東に進んで行こう。岩村郵便局前【郵便マーカー】には、明治20年(1887年)頃のポストを復元した黒ポストがある。もちろん、現役のポストとして取り集めもされ、郵便局の建物は現在のもので、周りの景観に合わせた京風のレトロ調になっている。なお、日本の郵便制度は、鉄道と同様に、当時の先進国イギリスを見習っている。


(明治時代の復元郵便ポスト。)

郵便局の南隣には、江戸末期に三代続いた大庄屋の浅見家【赤色マーカー】が並ぶ。木村家と共に藩の御用達として藩財政に貢献し、国鉄明知線開通前の明治末期に、岩村電気軌道(恵那〜岩村間/路面電車)を開通させた町の名家である。大庄屋と言えども、京商家風の建物になっている(外見のみ見学可。建物内部は非公開)。


(浅見家。)

郵便局の斜め向かい側には、土佐家【黄色マーカー】がある。今から260年前の江戸時代には、染め物業(紺屋)、明治時代は、金融業を営んでいた。通りに面した母屋は、江戸時代後期の安永年間(西暦1780年頃)のもので、土間がある店の造りになっている。現在、当時の染め工場の様子を、見学出来る施設になっている(見学は有料)。


(土佐家。)

郵便局を通り過ぎると、この通りの中心地に到着する。左手の観光案内所(まち並みふれあいの館)は、地元興行銀行の旧・岩村銀行の本店ビルで、明治41年(1908年)築の大正風の擬洋風建築になっている。立ち寄って、観光パンフレットを貰っておこう。


(中心地の観光案内所付近。)

観光案内所【iマーカー】の斜め向かいの京風の立派な旧家が、この城下町を代表的する旧家の木村家【青色マーカー】である。江戸時代、岩村藩主に招かれた三河の藩士が問屋として商売を行い、藩の財政困窮時に御用金を用立てするなど、藩政に大きく貢献した。岩村藩主も何度も直接訪れる程の名家で、藩主専用の玄関もある格上の造りが見られ、藩主が町の商家に立ち寄るのは異例であったと言う(見学は有料)。


(木村家。)

(木村家の軒下。)

そして、国道の本町交差点【B地点】に到着する。この先までが、観光スポットになっている。


(国道交差点先の通り。)

国道交差点角には、水野薬局(マルミ薬局)【十字マーカー】がある。江戸時代から、三河・飛騨・美濃エリアに卸していた薬卸問屋で、軒下には、薬の古い看板が並ぶ。この木曾檜の大きな特注看板は、学術的な価値も高いらしい。かつての屋号は、「得歓堂」と呼び、この看板も、もっと沢山掲げられていた。


(水野薬局。)

ショーウインドウを覗くと、目薬の広告の軍服姿の軍人が、時代を感じさせる。また、明治時代、内務大臣を務めた自由民権運動の板垣退助が、東濃エリアの遊説に訪れた際、ここに泊まった。岩村の町民から、熱烈な歓迎を受けたと伝えられている。


(タイル腰巻きのショーウィンドウ。御岳百草丸は、地元に伝わる伝統的な胃腸薬である。)

水野薬局の先は観光客も途切れ、坂道が続いており、岩村城があった城山が見える。この距離で、この高さなので、結構険しい山である。麓には、資料館が開館しており、山頂まで石畳が続いている。

なお、日本三大山城のひとつとして数えられる名城で、標高は717m、城下町との高低差180mに築かれた山城は、霧が多い事から「霧ヶ城」と呼ばれていた。文治元年(西暦1185年)に築城以来、明治までの700年間、城主が途絶えなかった城としても、大変珍しい。


(城山と職人町である上町の町並み。)

(つづく)


2017年7月30日 FC2ブログから保存・文章修正・校正
2017年7月30日 音声自動読み上げ校正

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