屋代線紀行(5)若穂駅

信濃川田駅から、隣駅の若穂駅に向かおう。須坂方のひと駅隣で、駅間距離は1.5kmになる。須坂行き電車の発車5分前になると、地元の社会人3人と女子高校生2人が駅にやって来た。この古い木造駅の往年の賑やさを、少しだけ想像させる。定刻どおりに須坂行き電車が1番線に到着すると、2両編成の車内に30人近い通勤通学客が乗車しており、ローカル線の静かなラッシュアワーになっている。高校生達が大半であり、終点の須坂に学校があるのだろう。

++++++++++++++++++++++++++++
【停車駅】◇→列車交換可能駅、〓→主な鉄橋
信濃川田◇0752=〓===〓===0755若穂
上り406列車・須坂行き(←3521+3531/O1編成・2両編成)
++++++++++++++++++++++++++++

線路が纏まると、赤野田川の小さなプレートガーター鉄橋を渡り、上信越自動車道の盛土部が右手から近づき並走する。二本目の赤い鉄橋の保科川を渡り、高速道路と共に二車線の県道踏切を越えると、所要時間3分程で若穂駅に到着する。


(若穂駅を発車する須坂行上り電車。)

下車は自分だけで、通学の高校生達が3、4人乗車。電車は直ぐに発車して行く。ホームの二ヶ所に、私鉄風の建植式駅名標があるが、どちらもかなり色褪せており、一目では駅名が判らない。


(色褪せた駅名標。)

この若穂駅は、長野市若穂綿内(わかほわたうち)にあり、60m級単式ホームの無人駅になる。起点の屋代駅から9駅目、17.2km地点、所要時間約23分、標高340m、昭和41年(1966年)7月開業の地元要望による追加新設駅である。なお、ホームは北東・南西方向に配され、直ぐ横に高速道路が並んでいる。
国土地理院 国土電子web(長野電鉄若穂駅)


(ホーム全景。)

長野市最東部の若穂地区は、昭和34年(1959年)の町になる為に合併した際、綿内村(たうちむら)、川田村(わだむら)、保科村(しなむら)の頭文字を、一字ずつ取った人造地名になっている。現在では、「若穂川田」の様に、”新地名+旧字”の様に表記しているとのこと。また、旧郡名は上高井郡で、昭和41年(1966年)10月に長野市に合併している。

北東の須坂方は、山裾に向かって走るが、大きく左にカーブして回避する。高速道路は、山裾を潜る綿内トンネルにそのまま突入している。ちなみに、この駅周辺のレールも、短尺レールになっている。


(須坂方。)

南西の松代・屋代方は、ホーム横の県道踏切を越えると、保科川の鉄橋までの18.2パーミルの長い登り急勾配が続く。なお、踏切の道路を左に行くと、旧・保科道(ほしなどう/現・県道34号線)に接続する。


(屋代方。)

昭和高度成長期の駅開業当初から無人駅だった為、駅舎は元々無いが、木造の待合室がホーム中央部にある。外壁は補修の為、縦スリットの入った厚手のベニア板の上に、木目プリントのトタン板を張り付けてある。元のベニア素地は、線路側軒下天井や引き戸上部に残る。また、窓枠等は渋いピンク色に塗装されているが、経年で大分剥げている。屋根は、切妻屋根に切羽板付きの独特なデザインで、出庇の代わりに線路側に寄っている為、ずれた帽子の様にアンバランスであるのが面白い。

また、出入口の両引き戸や窓枠はサッシでは無く、木製建具を使っている。屋代側の切羽板のビスは銀色の新しい物なので、新しい板に交換されているらしい。補修の手がかなり入っているが、その時代を感じるので興味深い。


(待合所。)

小さな駅出入口並びには、路線案内兼運賃表と大きな写真付き観光看板がある。観光看板はかなり立派で、屋代線活性化の為に、平成22年(2010年)9月に設置されたとのこと。山に近い土地柄、紅葉や花の見どころが多い。


(運賃表。)

(観光案内板。)

待合室の中を覗いてみよう。三方の壁面の半分がガラスの採光部なので、室内は大変明るい。木製のベンチは、ホームに面して、「コ」の字に据え付けられている。あちらこちら補修されているが、このベンチの部分は、本来の木材部分と考えられる。渋めのピンクに塗装されているので、木造にある黒系の重厚さは無く、ポップな感じがする。なお、須坂方の窓だけ、二枚サッシに交換されている。


(待合所出入口。)

(木造ベンチ。)

須坂方ホーム外れには、木造トイレも残っており、内部の一部は使用不可だが、現役である。この様に独立した建物の駅木造トイレは、早い時期に水洗化の為に建て替えられ、木造駅舎よりも現存していないと言えるので、大変貴重である。「便所」と言う木板も、最近は見られなくなった。


(木造の便所。)

須坂寄りのホームには、「NO.1007 型式(無印字)昭和40年2月製造(株)京三製作所」と刻印された銀色の大きい器具箱がある。この京三製作所は、現在も、国内を代表する鉄道・道路用信号機の大正創業の老舗メーカーで、実は、昭和6年(1931年)に、トヨタや日産よりも早く、汎用小型トラック「京三号」(単気筒500cc 0.5トン積み)を生産をした、自動車メーカーでもあった。


(器具箱。)

駅前広場は無く、ホームの高さまでの土のスロープと砂利道、片勾配屋根の自転車置き場がある。地元の高校生達が、通学時に駐めているのだろう。


(駅前から全景。)

県道踏切横から駅を見ると、ホームの基礎石は新しいが、ホーム柵のデザインは独特な雰囲気がある。駅の周辺には、JAグリーン長野の支所や直販所、JAの病院、小さな商店が一軒だけあり、田圃、果樹園や住宅地が混在している感じだ。


(踏切からホーム全景。)

(踏切から北側・国道403号線方面を望む。)

次の上り列車に乗車して、須坂方の隣駅・綿内駅(わたうち-)に行こう。大分、青空も見えて来た。今日は、素晴らしい秋晴になりそうである。


(上り列車が到着する。)

(つづく)


グーグルマップの線路部分は、廃線の為に削除されています。駅の所在地は正しいです。

2019年6月27日 ブログから転載・校正。

© 2019 hmd all rights reserved.
文章や画像の転載・複製・引用・リンク・二次利用(リライトを含む)や商業利用等は固くお断り致します。