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【乗車経路】
東屋代0712======0715屋代(終点)
下り405列車・屋代行き(←3536+3526・3500系O6編成2両編成)
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屋代行き電車に再び乗車して、屋代駅に戻ろう。東屋代駅からは、自分を含めて三人が乗車し、ひとり下車する。しなの鉄道との並走区間を経て、屋代駅5番線ホームに到着。ふと、窓の外を見ると、起点表示の0kmポストが見える。現在は、屋代方が下りであるが、この駅が東京方面に接続していた事から、かつては、この屋代方が上りであった。
(0kmポスト。開業当時の河東鉄道の名残でもある。)
数人の乗客は通勤客の様で、運転士に定期券を見せながら、ひとりずつ下車して行く。最後になり、フリー切符を見せて、ホームを見学しよう。この屋代線ホームには、大型の木造旅客上屋と木造待合室があり、他の屋代線の駅よりも、屋根の高さがかなり高い。
(旅客上屋と待合室。)
柱のホーロー製の行先案内標や駅名標も、昔のままで、鈍い光沢を放っている。平成14年(2002年)に廃線になった木島線木島方面の表示も、そのまま残る。
(ホーロー製柱駅名票。)
屋代駅は、屋代線前身の河東鉄道河東線の起点駅として、大正11年(1922年)6月に開通開業した。駅自体は、信越本線の官営鉄道駅(後の国鉄)として、明治21年(1888年)9月に開業しており、千曲市大字小島字寺前にある。
かつては、信越本線との東京方接続口として、旅客輸送・貨物輸送共に重要な駅であり、現在は、第三セクター鉄道のしなの鉄道と接続し、共同使用駅になっている。しなの鉄道ホームと平行して南北に島式ホームが配され、駅舎から一番遠い東の山側にある。なお、しなの鉄道側の4番線はフェンスで閉鎖されており、片面のみの使用になっている。かつては、両面が使われていたらしい。
南側の屋代線終端部には、第二種車止めが設置されている。奥には、長野電鉄グループ企業の長電テクニカルサポート屋代工場がある。しなの鉄道と工場内で線路が接続しており、長野電鉄が譲渡車両を受け取る際は、この工場を経由して受け取っている。なお、この工場では、しなの鉄道の車両整備を委託されている。長野電鉄の自社車両の整備は、須坂駅構内の須坂工場が担当している。
(線路終端部と長電テクニカルサービス屋代工場。)
北側の松代方を望むと、端部は客車ホームのまま閉鎖され、南側の2両分のみが使用可能である。ホーム全長は4両編成が停まれる程度になっている。また、側線が一本分岐し、工場内まで接続している。
(松代方を望む。)
この駅の最大の魅力は、この古い木造待合室で、現存するこの規模のものは、なかなか無いと思う。旅客上屋が高いので、屋根の下に独立して、小屋が建っている感じになっている。大きさは、大凡、1.5間(2.7m)× 4間(7.3m)あり、四方にガラス窓があるグラッシーな造りになっている。
正面出入口上を見ると、昔の電光駅時刻表が、そのまま使われている。広告の店は、まだあるのだろうか気になる。横文字は左書き、電話番号の市外局番が地名になっている電話交換手時代のものなので、戦後の昭和20年代から30年代頃のものであろう。
(木造待合室と電光式駅時刻表。)
引き戸を開けて、中に入ってみよう。木目の黒ずみ方や擦り切れ方から、かつての利用客はかなり多かったらしく、相当な草臥れ感である。しかし、昔からの雰囲気を良く残しており、窓の桟の意匠は信濃川田駅と同じになっている。広さは十二畳程の長方形、床はコンクリートの打ち放しになっており、駅舎側に木造ロングベンチが据え付けられている。
(待合室内部。)
(待合室内から、跨線橋側を見る。)
天井は、壁と同じ灰色に塗られており、ストーブの煙突の穴も残っている。なお、閉鎖ホーム側の引き戸外へは、立入禁止である。
(天井とストーブ排煙口。)
窓越しに、しなの鉄道のホームが見える。あちらも見事な木造旅客上屋であり、こうして見ると、タイムスリップした気分になる。
(待合室からしなの鉄道ホームを望む。)
窓下に、「更埴(こうしょく)を訪れる旅人の心を哀しくさせてしまう」云々の手作りの注意書きもあり、その通りなので、悪戯はやめよう。
(味わいのある手書き注書き。)
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ここで、長野電鉄3500系(O6編成)を紹介したい。ほぼ、営団地下鉄時代(現・東京メトロ)の外観のままであるが、長野電鉄のイメージカラーである赤帯、正面車番プレート、長野電鉄のロゴと車体側面上方に社章が取り付けられている。また、Hゴム付きパノラミックウインドウ、広いおでこ、美しいコルゲートやヘッドライト一体型角型テールランプが特徴になっている。
(長野電鉄3500系O6編成・屋代方3536。)
(長野電鉄の社章。)
運転室周辺には、電光式運賃表示器、運賃箱や整理券発行機があり、ワンマン改造がされている。乗務員室後ろには、短いロングシートが無いタイプになっている。
(乗務員室周辺。)
運転台は、電流計・速度計・圧力計2個の四連メーターを備え、伝統的なツーハンドル仕様である。独立した箱形のマスコンやブレーキ制御装置が、今では懐かしく感じる。なお、ブレーキ制御装置のメーカーは三菱電機製になり、平成の年月刻印プレートが付いているので、老朽化と保安の為に交換されているらしい。マスコンはオリジナルで、大型ハンドルの跳ね上げロック式になる。
(運転台。左がマスコン、右のブレーキ制御器のハンドルは、運転士が携行し、運転時に装着する。貫通扉があるので、意外に狭い。)
(料金箱は、使用時に乗務員室扉を開放して、客室側に引き出す路線バスと同じ両替機能付きタイプである。)
また、乗降ドアの窓の位置がかなり高く、小さいのは、元・地下鉄車両らしい特徴的な部分である。東急百貨店のつり革広告があるが、長野駅前に東急百貨店が営業しているとの事。
(高窓式乗降扉。)
(東急百貨店の広告入り吊り革。)
なお、ワンマン運転になるので、屋代線の有人駅の松代駅と須坂駅以外は、進行方向先頭車の乗務員室後ろ扉一箇所のみが開閉する。乗車方法は路線バスと同じで、前乗り・前降りの運賃後払い方式になっている。乗降扉横には、乗車時に発券する整理券発行機が両側にあり、冬季の折り返し待ち時、車内保温の為にドアを締め切るので、半自動扉に改造されている。冬季の締め切り時は、手で開閉する。
(つづく)
グーグルマップの線路部分は、廃線の為に削除されています。駅の所在地は正しいので、参考程度にして下さい。
2019年9月28日 ブログから転載・文章修正・校正。
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