屋代線紀行(19)松代めぐり その5

旧横田家住宅【赤色マーカー】で、ゆったりと一服後、国道403号線方面に向かう。長野市役所松代支所(旧・松代町役場)、松代文化ホール、松代郵便局、銀行や商店が集まり、現在の松代町中心部になっている。

途中、小さな社を発見。金刀比羅社(ことひらしゃ)【鳥居マーカー】がある。江戸時代に大流行した金刀比羅信仰が、創祀の由来らしい。大物主大神(おおものぬしのみこと)を祀り、「金刀比羅」なので、あの有名な香川県琴平町の「こんぴらさん」である。大きな社も貫禄があるが、町中にひっそりと佇む小社を探し見つける楽しみもある。


(金刀比羅社。)

松代総合病院の東側には、江戸時代後期再建の旧松代藩鐘楼【黄色マーカー】があるので、行ってみよう。しかし、残念ながら、修繕工事の最中であった。松代藩時代には、昼夜を問わず、2時間に1回ずつ時鐘を打ち、火事の際も打ち鳴らしたと言う。かなり大きな鐘楼であるらしく、覆いのシートからも推測出来る。また、江戸時代後期の嘉永2年(1849年)、佐久間象山が電信機を試作し、この鐘楼から長さ50mの電線を架け、電信実験が成功した逸話も残っている。その由縁から、日本電信発祥の地にもなっている。


(修繕工事中の旧松代藩鐘楼。)

鐘楼前から、「中町通り」と呼ばれる細い小路を東に歩いて、長国寺【寺マーカー】に向かおう。大通りを横断し、更に東に歩くと、10分程で到着する。


(中町通りを抜ける。)

長国寺【万字マーカー】は、松代藩主真田家の菩提寺としての大寺であり、歴代藩主の霊屋や墓所、真田家墓所や供養塔等の他、家臣の墓も多くある。山号は真田山、宗派は曹洞宗で、真田氏家紋「六文銭」が本堂の屋根に掲げられている(国指定史跡・国指定重要文化財他、境内見学は無料、16時頃まで、無休、境内撮影可)。


(長国寺総門。)

(総門からの本堂。)

天文16年(1546年)、真田家の礎を築いた真田幸隆(ゆきたか)が開基したが、何回かの災禍に見舞われている為、本堂は明治19年(1886年)の再建になっている。広い境内にゆったりと諸堂が建ち並ぶ様は、大寺としての貫禄を感じさせる。また、屋根上の鯱鉾(しゃちほこ)は、松代城から移設したとも言われている。なお、本堂前の山門は、焼失してしまったらしく、土台だけが残る。


(本堂。)

(六文銭と鯱鉾。)

(境内案内図。)

本堂裏にある初代藩主・真田信之(のぶゆき)の御霊屋は、国の重要文化財に指定され、見事な彫刻と天井絵があるとの事。なお、見学には、予約と拝観料が必要である。真田の勝負強さにあやかりたい人達が、多く参拝するらしい(要予約、9時から16時まで、毎週水曜日と年末年始は休み、御霊屋・墓所拝観料大人300円、御霊屋特別拝観料一人500円)。

夕方の16時になり、陽が大分傾いてきた。本堂や庫裡(くり/僧侶の居住食事場所)内の見学をしたかったが、見学終了時間である。長国寺【寺マーカー】からの道を戻って来ると、遠くから、大音量の演歌が聞こえる。何だろうと行ってみると、祝神社(ほうりじんじゃ)【鳥居マーカー】の祭らしい(拝観料無料、見学自由、無休、撮影可)。

出店も多く出ており、子供達も走りまわって賑やかだ。向こうには、「がまの油売り」の白い幟が。本当なのか、興味が湧く。


(祝神社。)

(出店が並ぶ。)

この神社は、千年の歴史があると伝えられ、古くからの松代の総鎮守社になっていると言う。彫刻が見事な本堂は江戸時代後期の建築になり、境内に幾つかの小社も合祀している。また、関ヶ原の戦い直前に、松代城にあった諏訪神社を合祀した為、「お諏訪さん」とも言われ、親しまれているとの事。


(社殿。)

再度、南下して、国道沿いの旧家・八田家【赤色マーカー】(内部非公開)を見学し、近くの松代まち歩きセンター【案内所マーカー】に訪問する。中年女性の担当者から、松代の町や気候風土の話を聞いたり、パンフレット等を頂いた。丁寧にお礼を言い、そろそろ駅に戻ろう。話をしている間に陽は山影に入り、山国の夕暮は早く、薄暗くなってきている。なお、象山地下壕の見学以降、意外に時間がかかった為、大英寺、真田宝物館や駅北側にある松代城に行く時間が足りなかった。明日の昼に予備の時間があるので、再度訪問しよう。

駅に帰る途中、矢沢家表門【黄色マーカー】に立ち寄る(市指定文化財、内部非公開)。寛政4年(1792年)再建、間口13m・奥行き3.7m・高さ6.8mもあり、他の武家長屋門よりも立派な大門である。また、鬼瓦や軒下に六文銭があり、門の左右に同心部屋を配す。


(矢沢家表門。)

(重厚な木扉。)

矢沢家初代・矢沢頼綱(よりつな)は、真田家初代・真田幸隆(ゆきたか)の弟にあたり、代々、松代藩の無役席(むやくせき/筆頭家老)を務めた名家である。なお、江戸時代初期の禄高は、2,100石余り(現在の貨幣価値で、約1億2,600万円)、中期以降は、1,400石(約8,400万円)で、預同心(部下)は40人を擁す、藩中最高格であった。この矢沢家の前の通りは、家老職の重臣家が建ち並ぶ登城道であったと言う。

道の向こうに駅の明かりが見えて来た。そろそろ松代駅に到着する。

(つづく)


文化財管理者の長野市教育委員会文化財課より、写真掲載承諾済み。

【歴史参考資料】
現地観光案内板、長野市教育委員会文化財PDF資料。

2019年9月21日 ブログから転載・文章修正・校正。

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