屋代線紀行(12)松代駅 その2

屋代方の旅客上屋端には、風防壁のある簡易待合所が設置されている。完全に開放しているので、夏季用であろう。サッシ窓と白いトタン外壁なので、戦後に取り付けられたものらしい。


(島式ホーム端の簡易待合所。)

島式ホーム1・2番線から屋代方を眺めると、長い直線が続いた後、片開きのスプリングポイントで線路が纏まる。右手には、広大な空き地が広がる。左手の平屋の建物は、地元チェーンのスーパーマーケット「マツヤ」である。また、ホーム端には、小さな花壇も設置され、地元のボランティアが世話をしている。

なお、1番線の線路の屋代方は、本線に接続しておらず、車止めになっている。現在、空き地や駐車場になっている右手には、かつて、何本かの貨物側線があったそうだが、レールは撤去されている。

太平洋戦争が始まった昭和16年(1941年)、武器弾薬を製造する金属が不足になり、屋代線は不要不急線として、鉄のレールを取り外す命令が政府で検討された。しかし、本土決戦に備えた大本営を松代に建設する事になり、撤回されている。その際に建設物資輸送の為、貨物側線の増設を行ったという。なお、戦後の昭和48年(1973年)4月まで、この駅で貨物の取り扱いがあった。


(島式ホーム端から、屋代方を望む。)

島式ホーム1・2番線屋代方から、ホーム全景を眺めてみる。同じ列車交換駅である信濃川田駅や綿内駅と同様に、短いホームの割に構内複線部分が長いのは、鉱石や農産物を運んだ長編成貨物列車の交換と冒進防止の為であろう。


(島式ホーム屋代方からの構内全景。)

須坂方の警報機・遮断機付きの幅が広い構内踏切を渡り、駅舎側に行ってみよう。


(須坂方の構内踏切。)

構内踏切遮断機横から須坂方を望むと、大きくカーブしながら、スプリングポイントで纏まり、小さな踏切を通過する。なお、分岐した2番線のレールから、更に、1番線と側線のレールが枝分かれしている。


(須坂方。)

須坂方のスロープ下の通路から、目線を落として、1番線の短尺レール側面の刻印を探してみると、「9249 OH A」、「11211」、「C」と刻まれているレールを発見。しかし、メーカー名や年号は見当たらない。100年近く前の輸入レールのため、錆等により、刻印が一部崩れているかもしれない。大正時代の輸入レールは、官鉄(後の国鉄)の時代や、現在のJIS(日本工業規格)に基づいた国産レールの規格表示とは異なり、四-五桁の数字は、他にも色々な数字がある事から、製造番号(ロット番号)かも知れない。また、古いアメリカ製輸入レールでは、数字でレール重量と断面を示す場合があるが、数字がバラバラで統一性が無い為、その可能性は低い思われる(※30kgレールならば、どのレールも60から始まるはず。ポンド表示なので、60ポンドは30kgを表示。OHは製鋼炉の種類、平炉製鋼法「Open Hearth」の表示である)。

また、最後のアルファベットのAは、アメリカ土木学会のレール規格「ASCE」の頭文字Aを示す場合がある。また、AやBが、同じくアメリカ土木学会規定のレール断面形状を示す場合もあり、A(ARA-A)はレール高が高く、スマートな断面の旅客線用、B(ARA-B)はレール高が低く、どっしりとした断面の貨物線用を示すが、此処にはCがあり、それらが混在している事から、これも詳細不明である。

屋代線に使用されている古レールについて、撮影した資料用写真の中から、古レールについての解説があるのを発見した。それによると、屋代線開業時に導入されたレールは、アメリカ製の60ポンド(30kg)輸入レールで、1920年(大正9年)製のコロラド社製と、1921年(大正10年)製のテネシー社製との事。なお、アメリカのレールメーカーとしては、カーネギースチールやベスレヘムスチールが有名であるが、当時のアメリカでは、中小の製鉄レールメーカーが乱立していたという。

須坂駅3・4番線ホーム端にある鉄道オブジェコーナー「鐵道古典」に、解説板と長野電鉄の最初の電車・モハ101の車輪と古レールのカットモデルがある。手前にコロラド社製、反対側にテネシー製が展示されている。このカットレールでは、メーカー名と年号等の刻印が確認出来る。


(須坂駅の鉄道オブジェコーナー「鐵道古典」コーナーのカットモデル。)

この1・2番線の島式ホームは、最下段の組石が違う上に一度だけの嵩上げ工事が行われていおり、大規模に改修されたのだろう。また、積雪を支える為なのか、斜め梁の角度が大きく開いているのも、この旅客上屋の特徴である。


(島式ホーム旅客上屋。※同日早朝に撮影。)

(踏切横からの島式ホーム全景。)

駅舎側3番線ホームは、元の客車ホームの高さから、二度、嵩上げされた跡がはっきりと判る。開業当初、旅客上屋の支柱は、もっと長く見えたはずである。


(駅舎側3番線ホーム。)

大きな観光案内板が、駅舎の壁に取り付けられており、目を引く。左横手書きのプラスチック板である事から、昭和中期頃のものだと思われる。


(昭和な雰囲気満載の観光案内板。)

駅舎側3番線ホームは、駅舎本屋の幅一杯まで、旅客上屋が長くなっている。信濃川田駅や綿内駅よりも、屋根が高く、開放感があるのが特徴になっている。斜め梁が大きい力強い印象は、見応えがある。


(3番線ホーム須坂方から、屋代方を望む。大型ミラーは、運転士のホーム確認用。)

(本屋横の屋根下の梁構造。屋根の横方向に沿って、昔ながらの電線も張られている。)

(3番線ホーム屋代方から、須坂方を望む。白線は無く、今風の点字ブロックが目立つ。)

昔懐かしい「駅長」の木製吊り案内板もあり、有人の現役駅である事が貴重である。


(改札口周辺。)

(駅長の吊り案内板。)

(つづく)


2019年9月12日 ブログから転載・文章修正・校正。

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