屋代線紀行(1)松代駅へ

秋の深まってきた11月。廃線の決定で、注目を浴びている長野電鉄屋代線を訪問したいと思う。

長野電鉄は、長野県北部の県庁所在地の長野市近郊に、ふたつの路線を持つローカル民営鉄道である。長野と有名温泉地の玄関駅である湯田中(ゆだなか)を結ぶ本線と、その途中にある主要駅の須坂から分かれている、支線の屋代線がある。屋代線は、日本海に注ぐ大河の千曲川(ちくまがわ)東岸沿いの山際を東西に走り、しなの鉄道(元・JR信越本線)との接続駅である屋代まで結んでいる。
長野電鉄公式HP

関東から現地までの交通手段は、長野新幹線で往復する事も検討したが、屋代線の初電から乗車をしたい為、自家用車で現地の主要駅まで行き、鉄道に乗車するパーク・アンド・ライド方式で行く事にした。なお、初電からの乗車は乗り鉄の基本でもあり、春夏よりも日没時間が早い晩秋は、実質的な日中の行動時間が少なくなる理由もある。

先ずは、屋代線沿線の主要町である松代(まつしろ)に向かおう。深夜0時前に自宅を出発、高速道路は利用せず、全て国道経由の夜行である。時期的にも、信州方面にサマータイヤで行けるギリギリの時期に当たり、4日後は雪の予報が現地に出ているが、何とか大丈夫であろう。先ずは、甲州街道(国道20号線)の笹子峠経由で甲府に抜け、甲府の西の韮崎(にらさき)から、八ヶ岳高原に上がり、清里と小海を経由、上州の佐久(さく)へ抜ける。そこから、北国街道(ほっこくかいどう・国道18号線)を西進して、小諸(こもろ)と上田を経由し、長野県に入る。なお、高速道路も含めて、諏訪・塩尻・松本経由が一般的であるが、国道の場合、険しい峠の塩尻峠や国道19号線の松本-長野間の長い山間部を通らず、国道が狭くて通過に時間が掛かる諏訪周辺や、松本の様な大きな町も少ない事から、東京方からは、八ヶ岳高原経由の方が時間的・体力的に早道になっている。

八ヶ岳高原の国道141号線では、途中、視界5mの濃霧に見舞われたが、約250kmを5時間30分程で走り、夜明け前の朝5時過ぎに松代駅に到着。駅の西側にある町の無料観光駐車場に車を駐めて、初電の時間まで待機しよう。

なお、この松代駅は、長野電鉄屋代線の中程にある主要駅で、沿線一の中心地になっており、長野市中心部から見ると、南方向の山際の千曲川(ちくまがわ)東岸沿いにある。戦国時代、上杉謙信と武田信玄が対峙した川中島古戦場にも近く、上田から転封した六文銭の家紋で有名な真田氏の城下町として栄えた。

今日の天気予報は曇りのち晴れだが、空を見上げると、一面の重苦しい曇天になっていて、心配になる。様子見も兼ねて、乗車する電車を一本遅らせる事にする。すると、夜明けの太陽の日差しと共に、雲が嘘の様に取れて来た。山の天気は、先が読めないと言うが、ちょっと、驚きである。急いで支度をし、嬉々とした気分で、駅に向かう。気温は寒くは無く、布製ジャケットを着て、丁度良い感じである。今日の天気予報では、日中は17度程度まで上がるそうで、過ごし易い秋の日和になりそうである。


(駐車場の柵から、スプリングポイントの夜間用ランプと松代駅の初電。)

駐車場から、大きなスーパーマーケットの横を通ると、駅舎が直ぐに見えて来る。開業当時からの平屋建て木造駅舎の松代駅は、鉄道雑誌やポスター等にも良く紹介され、国鉄の木造駅舎とは、似ている様な、何処か違う様な感じがする。その独特な雰囲気が、ローカル民鉄らしさを感じる部分でもあり、国鉄線から転換された第三セクター鉄道とも違う印象を受ける。また、朝露で濡れたしっとりとした感じが、とても日本的な風情を感じる。


(長野電鉄松代駅。)

(駅出入口と駅名標。)

時刻はまだ7時前。駅には誰もおらず、町も大変静かである。屋代線の営業キロは24.4kmと短く、日帰り強行も可能であるが、沿線観光に十分な時間を当てる為、1泊2日のゆったりとした旅程を組んである。1日目の今日は屋代線東側、この松代駅から長野電鉄本線が接続する須坂駅の間、2日目の明日は西側、松代駅からしなの鉄道が接続する屋代駅の間と区切り、屋代駅前の某チェーンビジネスホテルに宿泊予定である。

天井が高い、広い待合室に入り、昔ながらの木造の出札口を覗くと、もう、初老の駅長氏が詰めている。「おはようございます」と挨拶をして、フリー切符を発券して貰おう。


(昔ながらの木造出札口と鉄道小荷物窓口。)

駅長氏は黒スタンプを丁寧に押印し、発券して貰えた。切符代は、長野電鉄全線乗り放題・大人2,260円(本線の特急利用時は、別料金が必要)であるが、有効期限は当日限りでは無く、二日間の有効で、今回の様な旅程ならば、大変お得になっている。定期券よりもふた回りも大判な横117mm・縦81mmの切符裏には、全線路線図が印刷されている。


(長電フリー乗車券。)

(裏面の全線路線図。)

早速、改札を通ると、相対式二面三線の構内踏切付きの大きなホームになっている。西の屋代方を望むと、雲や山際に掛かっていた朝霧が、先程よりも取れて来ている。なお、駅付近の標高は約350mになる。


(構内踏切の渡り板上から、西の屋代方を撮影。)

駅舎向かいの島式ホーム上には、開業当時の大型木造旅客上屋がある。この駅は、1番線が駅長室側に無い特例駅で、駅舎側ホームに3番線が振られている。なお、一番外側の1番線は、この駅の折り返し列車の発着に使われているとの事。


(島式ホームの木造旅客上屋。)

構内踏切の警報機が鳴り出し、遮断機が降りると、屋代行きの下り二番電車がやって来たが、少し違和感を感じる。この松代駅は、全国的にも大変珍しい、構内右側進行の特例駅でもある。単線路線の列車交換駅では、通常、進行方向の左側の線路に進行するが、右側の線路に進行する。


(下り屋代行き二番電車が到着する。)

また、全線単線のローカル線であるが、気動車が走る非電化路線ではなく、直流1,500Vの電化路線になっている。車両は、東京の営団地下鉄(現・東京メトロ)の譲渡車を運用しており、信州のローカル線で見る地下鉄の銀色車体は、関東住まいの人間には、驚きにも似た新鮮さも感じる。

また、停車中の電車の床下を見ると、ずらりと並ぶ抵抗器が懐かしい。最近の電車の制御器は、VVVFインバータ制御(※)主流であるので、昔ながらの自然通風式抵抗器も見られなくなっている。右の間隔が密な抵抗器は起動・力行用主抵抗器、中央の大きいのは電制用主抵抗器、左は副抵抗器(バーニア抵抗器)と思われる。アナログの無骨な感じが格好良い。


(自然通風式抵抗器ユニット。)

なお、観光の為、昼頃に松代駅に戻る予定である。その際、この駅の見学と撮影をする事にしよう。この下り列車と列車交換になる松代駅7時01分発・上り404列車須坂行きに乗車して、三駅先の信濃川田駅(しなのかわだ-)に向かおう。駅舎側の3番線に到着した、松代駅7時01分発の上り404列車・須坂行きに乗車する。乗客は自分を入れて、ふたりだけであり、貸切状態である。


(長野電鉄3500系の車内。)

長野電鉄3500系と呼ばれる、このステンレス車体の電車は、東京の営団地下鉄(現・東京メトロ)から譲渡された元・3000系2両編成である。現在、本線用と合わせて、三種の編成バリエーション・合計8本が運用され、ワンマン運転対応等の改造をしている。

外観の特徴としては、運転席窓上のおでこが広く、車体に帯状のプレスがある事から、鉄道ファンの間では、「マッコウクジラ」とも呼ばれている。また、この独特なステンレス製プレス車体をコルゲート車体と言い、鉄道車両にステンレス車体を採用し始めた頃に、強度や溶接対策として採用された。現在は、車両製造技術の進歩により、コルゲート車体は採用されなくなっている。車両の製造年は、昭和35年(1960年)から41年(1966年)製と古いが、金属腐食に強いステンレス車体は、車齢50年近く経った今でも、大変美しい外観を保っている。

【長野電鉄3500系(元・営団3000系)の主諸元】
全長18.0m、全幅2.8m、全高3.7m(パンタグラフ搭載車は+0.3m)、
ステンレス車体、両開き三扉車、自重31.0-33.0t、設計最高速度100km/h、
定員120名(運転台付き先頭車・座席48名・オールロングシート)、
架線集電方式直流1,500V、WN平行カルダン駆動(※)、直流モーター4基搭載、
バーニア抵抗制御方式(※)。

(つづく)


グーグルマップの線路部分は、廃線の為に削除されています。駅の所在地は正しいです。

(※)VVVF(スリーブイエフ)インバータ制御
架線から取り入れた直流電流を交流に変換し、交流モーターを駆動・制御する電源装置。効率が良く、従来から用いられていた直流モーターよりも、メンテナスが簡単でコストの安い交流モーターを搭載できるので、最近の電車の駆動・制御方式の主流である。京浜急行の「歌う電車」こと、ドレミファ電車の様に、起動時に音階を発するインバータもある。

2018年6月23日 ブログから転載・校正。

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