わ鐡線紀行(43)「歩き鉄」足尾駅から、通洞駅へ。

大正の初めにタイムスリップした様な足尾駅を出発し、再び、歩き鉄になる。隣駅の通洞駅(つうどう-)までの距離は、約900mなので、そう遠い距離では無い。

旧国道の県道250号線へは出ず、線路沿いの車一台分の小道【A地点】を歩く。地元では、「トロ道」と呼ばれ、足尾鐡道(後の国鉄足尾線)開通前の明治28年(1895年)から昭和28年(1953年)まで、軽便鉄道が走っていた軌道跡である。丁度、現在のわたらせ渓谷鐵道の線路高台真下を並走し、通洞駅の先まで、行く事が出来る。


(足尾駅横のトロ道の起点部。)

開通以前には、古河市兵衛氏が建設した貨物用ロープウェイが、足尾周辺に整備されていた。この足尾馬車軽便鉄道が開通すると、輸送力の小さなロープウェイに代わり、銅や生活物資輸送に大いに貢献した。軌間は610mm、300頭の曳き馬を擁し、旅客輸送も後に開始されて、木製客車を牽引していた。先程の渡良瀬橋の袂に基地を置き、最盛期の総延長は約33km、南は沢入(そうり)まで、北は日光との境である地蔵峠まで延びていた。

また、大正元年(1912年)の足尾鐡道の開通後も直ぐに廃止にならず、町内の乗り合い交通と末端の物資輸送を担い、大正14年(1925年)には、フォードエンジンを積んだ小型ガソリン機関車を導入した。地元では、「定時客車(単に、定時とも)」と呼ばれ、その運行ダイヤの正確さは、時計代わりになっていたと言う。

煉瓦造りの危険品庫の裏を過ぎると、少し低い位置から、足尾駅構内全体【カメラマーカー】が見渡せる。線路向こうの山際には、開業当時の木造建物が幾つか残っており、廃屋になっている。なお、桐生方の貨物側線のポイントは、全て取り外されている。


(トロ道からの足尾駅全景。)

(鉄道関連施設群。木造の他、国鉄末期のプレハブ建物も混在している。)

(一段高い場所に大きな木造家屋がある。鉄道員とその家族が暮らした鉄道官舎かもしれない。)

トロ道の谷側には、先端が曲げられた細い金属柵【黄色マーカー】が続いている。実は、かつての馬車軽便鉄道で使われていたレールと言われている。


(古レールの金属柵。)

切断された支柱部もあり、レール断面から判断すると、最軽量の6kgレールを使っていたらしい。なお、明治から大正期のレールと思われるが、風化と錆が酷く、刻印は見当たらなかった。普通鉄道用のレールではなく、鉱山に使われている土木建築用の軽レールと思われる。


(レール切断部。置いたボールペンの長さは、15cmあるので、その細さが判る。)

足尾駅西端にある転轍機小屋を見て、この足尾駅を後にしよう。両脇に民家が建ち並んでおり、平坦で真っ直ぐな道が、線路跡を何となく感じさせるだけである。わたらせ渓谷鐵道の線路は一段高い山際にあり、渡良瀬川側はかなりの傾斜で低く、幾つかの沢がトロ道と交差している。


(トロ道の様子。)

足尾の町中は、トタン屋根の木造家屋が多いが、立派な大谷石の蔵【倉庫マーカー※】が目を引く。店蔵らしく、足尾の町中では珍しい。

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(石蔵。※渡良瀬川側から撮影。詳細不明である。)

暫く歩いて行くと、天台宗の法華山宝増寺(ほうぞうじ)【万字マーカー】の前を通る。本堂は大きく立派なもので、最近建て直されたらしい。奈良時代末期の延暦7年(788年)、高僧の伝教上人(でんきょうじょうにん)が創基したと伝えられ、元々は、渡良瀬橋北の渡良瀬地区にあったが、明治に入ってから、ここに移転した。足尾の地名の由来になっている波之利大黒天(はしりだいこくてん)」の木像が、本堂に安置されており、日光開山の祖・勝道上人(しょうどうじょうにん)の作と言われている。

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(法華山宝増寺入口と鐘楼。)

(法華山宝増寺本堂。)

宝増寺の先には、足尾キリスト教会【十字架マーカー】がある。18世紀末のイギリスの鉱山王グリーン・ビビアン氏が、世界各地の首位鉱山に教会を建てる計画を立てた。日本では、この足尾が選定され、キリスト教伝導団グリーン・ビビアン・マイナーズ・ミッションから、2,500円(現在の5,000万円相当)の破格な献金で、明治41年(1908年)に建てられた。

なお、グリーン・ビビアン氏は、失明を期にキリスト教に入信し、過酷な労働環境に置かれている鉱山労働者や、その家族に対しての宣教活動に携わった。現在は、彼の遺志を受け継いだ福音伝道教会が運営している。また、この教会が建てられた4年後に、グリーン・ビビアンは逝去している。


(足尾キリスト教会。勿論、木造建築である。)

※追記※
平成26年(2014年)に、国登録有形文化財に指定された。

◆国登録有形文化財リスト◆
「足尾キリスト教会(現・福音伝道敎団足尾キリスト敎会)」

所在地 栃木県日光市足尾町赤沢2525
登録日 平成26年(2014年)4月25日
年代 明治41年(1908年)
構造形式 木造平屋建、鉄板葺、建築面積119㎡。
特記 足尾銅山の玄関口であった通洞地区の東側、赤沢地区に位置する。
南正面の中ほどに玄関を設け、西側を一室の会堂とし、
東側を牧師の居住空間とする。
足尾で初めての本格的な教会堂であるとともに
唯一の現存例であり、当時の銅山従事者の信仰の様相を伝える。

(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

トロ道から所狭しと並ぶ家々の間の山側を覗くと、小さな稲荷神社【鳥居マーカー】もあるのも、良い感じである。直ぐ裏には、線路も通っている。

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(線路脇の小さな稲荷神社。)

教会を過ぎて、民家の中を歩いて行くと、通洞駅が見えて来た。駅手前の遮断機や警報機の無い第四種踏切の先には、浄土真宗金龍山蓮慶寺(れんけいじ)【祈りマーカー】がある。日光を開山した勝道上人(しょうどうじょうにん)由来の小寺で、歴史は大変古く、飛鳥時代末期・天武天皇治世の西暦676年開基と伝えられている。

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(金龍山蓮慶寺前の第四種踏切。)
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(金龍山蓮慶寺本堂。)

境内奥の河岸には、簀子橋山神社大鳥居(すのこばしさんじんじゃ-)が鎮座している。元々は、寺横の渋川上流にあった山神社のもので、護岸工事の為に移設された。なお、江戸時代までは、現在の精錬所のある足尾本山ではなく、渋川上流が銅採掘の中心地であった為、安全祈願の山神社が多数建てられていた。近くにあった簀子を渡した桟橋状の木造橋が名の由来で、当地最古の山神社だったと言う。


(簀子橋山神社大鳥居。江戸時代のものと、伝えられている。)

そして、国登録有形文化財の渋川橋梁【橋マーカー】を過ぎると、通洞駅前に到着。足尾鐡道開業時の大正元年(1912年)に架橋された、明治時代形式のデッキガーター鉄橋で、トロ道側通洞方には銘板があるが、鉄橋の影に隠れて良く見えない。

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(渋川橋梁。)

◆国登録有形文化財リスト◆
「わたらせ渓谷鐵道渋川橋梁(しぶかわきょうりょう)」

所在地 栃木県日光市足尾町赤沢・松原
登録日 平成21年(2009年)11月2日
年代 大正元年(1912年)
構造形式 鋼製単桁橋、橋長14m、橋台付。
特記 渡良瀬川水系渋川に架かる橋長14m、単線仕様の鋼製単桁橋。
桁は40ftのデッキガーダーで、スティフナーの上下端をJ形とするなど
明治中期の形式を留める。橋台は花崗岩をイギリス積風に積んだ
精緻な造り。

(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

この渋川は、床屋川(とこやがわ)と呼ばれていた。現在は、鉱毒を沈殿させる簀子橋堆積場(鉱滓[こうさい]ダム)が上流にあり、渋川を遡る道路は立入禁止になっている。しかし、場所が場所だけに、万が一に決壊すると、町中心部が汚染・壊滅すると言われている。


(谷間に見える、簀子橋堆積場の巨大な鉱滓ダム。)

足尾駅から見学をしながら、徒歩30分程で、通洞駅に到着した。

(つづく)


(※石蔵)
現在は、取り壊された可能性がある。奈良部商店のものと思われるが、詳細は不明。

■簀子橋堆積場について■
鉱毒に汚染されており、撮影見学や興味本位での立ち入りはしないで下さい。

【参考資料】
現地歴史観光案内板
足尾銅山略図(日光市発行・平成22年)

2018年6月4日 ブログから転載・校正。

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