わ鐡線紀行(44)通洞駅

足尾駅から、軽便軌道跡のトロ道の歩き鉄をし、通洞駅(つうどう-)に到着する。時刻は、13時30分前である。先ずは、駅を見学してみよう。この駅には、国の登録有形文化財に指定された歴史のある駅舎が建っている。

大正元年(1912年)12月開業、起点の桐生から41.9km地点、14駅目、所要時間約1時間20分、栃木県日光市足尾町松原、標高640mになる。現在の足尾町中心部にあり、役場、学校や観光施設も至近であるので、町の玄関駅となっている。駅名が町名ではない玄関駅は、全国的に珍しいかもしれない。なお、近くの足尾銅山の主要坑道名が、駅名の由来になっている。


(駅前からの通洞駅。)

駅舎の土台部には、大きな銅銘板が埋め込まれている。大正15年(1926年)頃、地元名士の青井勇によって作詞された、郷土曲の歌碑である。鉱都として栄華を極めた頃が偲ばれる歌として、今でも、町民に親しまれていると言う。

「足尾の四季」作詞・青井勇

春晴千里水清く 霞とまごう桜花 春酣の渡良瀬や
夏庚申の滝の音 緑滴る満山に 雲紅の夕日影
薄戦く山の峰 脱硫塔の影黒く 月中天に秋深し
男体颪吹き荒れて 白凱々の備前楯 幌馬車急ぐ暮れの町


(通洞駅前の歌碑「足尾の四季」。)

柱や梁が外壁に出ている、ハーフティンバー様式の北ヨーロッパ由来の洋風木造駅舎は、町の北西側の山際高台に建てられている。竣工から100年を越え、わたらせ渓谷鐵道の駅の中では、唯一の洋風建築駅であり、隣駅の日本的な木造建築の足尾駅との対比も面白い。斬新さを感じる大きな縦二段窓が特徴になっており、高い屋根であるが、平屋建てになる。手摺状の木造窓装飾もあり、凝った造りになっている。


(駅出入口周辺。)

(窓周辺。縦型二段窓の木枠も横型で、大きい。)

駅舎内に入ってみよう。幅広の急なコンクリート石段を登ると、直ぐに大きな駅出入口があり、コンクリート叩きの床と白天井の待合室に入る。大間々駅や足尾駅よりも、ひと回り小さいが、わたらせ渓谷鐵道の駅では大きな方である。桐生方窓下に壁据付のL形配置の長ベンチがあり、壁の窓面積が非常に大きいので、とても明るく、当時は相当ハイカラに感じたと思われる。


(待合室と改札口。)

駅出入口右手の駅舎中央部には、有人の出札口がある。時間限定ではあるが、硬券切符を発券しており、鉄道ファンが購入している姿も良く見かける。左隣の一段低いテーブルと引き戸の出入口は、鉄道手小荷物窓口跡である。なお、春・夏・秋は毎日10時から15時40分、12月1日から3月19日までは毎週火曜日(同時間)の窓口営業になり、冬季は足尾駅と掛け持ち勤務になっている(足尾駅の勤務後、この駅に勤務する)。

駅事務室は改築されており、駅員詰め所を出札口のみに小さく造り直し、予備の待合室として開放している。引き戸があるのは足尾駅と同じ構造で、手小荷物の取扱量が多い為、取り付けられたのだろう。奥に行くと、現役の駅でありながら、ホーム出窓内側や三畳程度の畳敷きの宿直室も見学出来る。


(出札口と手小荷物窓口跡。)

(奥の宿直室。今も、駅員の控室として、使われているらしい。)

年配のにこやかなベテラン男性駅長氏が勤務しており、挨拶をする。列車の発着時刻の間、最近の足尾の町の様子や、わたらせ渓谷鐵道の乗車状況等を話してくれた。「古い建物財産標等が、残っていませんか」と尋ねると、元・駅事務室内のホーム出窓部分の高所に、竣工・改築年月日の木札があると教えてくれた。それを見ると、「開通 大正元年十二月三十一日 改築 昭和十一年二月十四日」と記されている。国鉄時代の改築時に取り付けられたものであろう。


(竣工・改築年月日を記した木札。)

ホーム出窓下には、古い大きな金庫も置かれている。おそらく、駅業務で使われていたもので、あまりにも重い為に処分されなかったらしい。扉に付けられたメーカーズプレートが鈍く光り、刻印は右横書なので、大正から昭和初期のものと思われる。


(駅で使われていたらしい大金庫。)

(メーカーズプレート。「大日本東京小倉製」と刻印されている。)

通洞駅の改札口は、駅出入口から直線上の最短距離にあり、木製のコの字型ラッチが残っている。直ぐにホームに出るが、単式ホームの棒線駅であり、列車交換は出来ない。その為、ディーゼル機関車牽引の「トロッコわたらせ渓谷号」の観光客は、この駅で殆ど下車するが、機回しの為に次の足尾駅まで運行されている。


(ホーム側からの改札口。)

(改札口周辺と旅客上屋。旅客上屋は線路側には、かかっていない。)

ホームを歩いてみよう。5両編成程度の長さのホームになっており、駅舎は間藤方端に寄っている。間藤方の駅舎寄りは嵩上げと舗装がされているが、桐生方に砂利敷きの客車ホーム部分が残り、擁壁は間知石(けんちいし)の割石積みになっている。


(桐生方からのホーム全景。向かい側は、山が迫っている。)

桐生方を眺めると、長い20パーミル以上急勾配を登り切った所に通洞駅がある。なお、線路に渡り板が取り付けられているのは、赤道(あかみち※)である。また、この駅には貨物側線や貨物ホームの跡が無いが、桐生方の左側にやや広いスペースがあるので、この付近にあったのかもしれない。


(桐生方と赤道。)

間藤方は、緩くカーブをした後に、警報機や遮断機の無い第四種踏切と渋川橋梁がある。駅の並びには、ミニ公園が整備されており、トロッコ列車の発車見学等が出来る様になっている。なお、踏切横の緑トタン屋根小屋の右横が、足尾駅から歩いて来たトロ道になる。


(間藤方。)

駅舎と旅客上屋を見学していると、駅長氏がやって来て、「見てごらん。」と屋根裏を指差した。見上げると、屋根の棟下に古い電球傘がひとつだけ残っている。駅長氏の曰く、開業当時のものとの事で、昔はこの電球傘が沢山あったのだろう。シンプルでありながら、何処かしら、可愛い感じがする。


(開業当時とものと思われる古い電球笠。)

通洞駅周辺には、鉄道関連施設や鉱山施設の見所が多数ある。駅長氏に御礼を言って、昼食と観光に出かける事にしよう。


(ホームからの駅舎。)

◆国登録有形文化財リスト◆
「わたらせ渓谷鐵道通洞駅本屋及びプラットホーム」

所在地 栃木県日光市足尾町松原字新梨子裏5400-7
登録日 平成21年(2009年)11月2日
年代 大正元年(1912年)竣工、昭和11年(1936年)改修。
構造形式 [駅舎本屋]木造平屋建、瓦葺、建築面積159m²、石段付。
[プラットホーム]石造、延長103m。
特記 桁行10m・梁間6.8mの事務室と桁行6.8m・梁間7.3mの待合室をT字形に配し、
本屋西面には103m長のプラットホームを設ける。
外観はモルタル塗仕上げを基調とし、独特のハーフティンバー風の装飾を施す。

(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

(つづく)


(※赤道/あかみち)
非公認の踏切。線路の先に住宅や畑があったりする場合や古くからの通用路などが、鉄道会社の黙認で設置される場合がある。しかし、危険な為、近年は廃止される傾向である。

2018年6月9日 ブログから転載・校正。

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