わ鐵線紀行(15)花輪宿散策 後編

街道に面した丸美屋商店と八百新商店の間に、小さな路地と寺の門柱がある。入ってみよう。


(石門柱と小さな路地。)

奥に、なだらかな石段があり、車は通れない。突き当りを右に曲がると、小さな踏切がある。間藤行きの車窓から見た急階段下のあの第四種踏切である。石段横や傍の桜の下には、石仏や供養塔が多数安置されており、本来は寺の参道らしい。


(石塔と石段。)

(第四種踏切と桜。桜下には石仏が安置されているのも、日本的風景である。)

車両通行止めの標識が立っているが、「自転車は除く」と標示している。しかし、手前に石段があり、更に急階段では、自転車でも通行困難と思われる。
マピオン電子地図・わたらせ渓谷鐡道花輪駅間藤方の第四種踏切


(踏切と急階段。)

45度もありそうな急階段の途中から間藤方を望むと、日当たりの良い南向きの土手に続く桜並木は、もう散り気味になっており、早咲きの場所らしい。ここからの鉄道撮影も、良い感じになると思う。


(踏切から間藤方土手の桜並木。)

踏切先の急階段を上がり切ると、曹洞宗の祥禅寺(しょうぜんじ)【万字マーカー】がある。地元出身の童謡の父・石原和三郎氏の墓所も、この寺にある。

由縁は、平安時代初期の大同・弘仁年間(だいどう-・こうにん-/806〜823年)頃、赤城山麓の二の鳥居に開基されたのが前身と言われ、鎌倉時代初期の建久年間(けんきゅう-/1190〜1198年)頃に、ここに移設されたと伝えられている。その為、山号も「赤城山」となっている。この山門は、約400年前の江戸時代初期・元和7年(1621年)に建立された大変古いものになっており、傍らの古松と相まり、風情を醸し出している。


(祥禅寺山門。)

寺は高台にあり、花輪の町を見渡せる。延命地蔵菩薩が御本尊となり、風邪を治す綿神様(わたがみさま)、福の神の布袋尊や聖徳太子を祀った太子堂もある。境内はよく整備されており、苔むした小さな祠も歴史をじんわりと感じさせる。

また、小さな墓石を積み重ね、高さ5m程のピラミッドになっている巨大な無縁塔(無縁仏の供養塔)があり、大変驚く。無縁仏ではあるが、この花輪の歴史の長さを感じ、天辺には地蔵が安置されている。(墓石は撮影しない方針の為、画像はご容赦願いたい。)


(苔むした灯籠と祠。赤城山由来の寺であり、神仏合祀も残っているらしい。)

境内奥に進むと、本堂前に青銅製の仏を左右一対安置し、禅寺らしいユニークな窓が連なっている。この窓は、火灯窓(かとうまど)と呼ばれ、元々は、中国から伝来したものである。


(祥禅寺。一段高い場所に、本堂や庫裏がある。)

(本堂。)

旅の道中安全と撮影御礼の参拝を済ませた後は、山門を降り、右手へ歩く。坂を少し降ると、旧花輪小学校記念館【紫色マーカー】がある。

高さ3mもある花崗岩の門柱は、大正5年(1916年)に建立され、国登録有形文化財に指定されている。なお、平成に入ってから、道路拡張工事の為、校門から一段低いこの場所に移設された。


(旧東村花輪小学校門柱。)

(扁額と解説板。)

◆国登録有形文化財リスト◆
「旧東村花輪小学校門柱」

所在地 群馬県みどり市東町花輪191
登録日 平成13年(2011年)11月20日
登録番号 10-0087
年代 大正5年(1916年)
構造形式 石造、1対、間口2.9m、高さ3.0m。
特記 門柱は高さ3m、30cm角ほどの花崗石製。江戸切り状に仕上げる。
左の門柱側面に「大正五年二月建之」とあり、前身校舎時代の建立を示す。
平成5年頃、前面道路の拡幅に伴い、
校庭よりも低い道路沿いの現在地に移設されている。

(文化庁公式ページの国指定文化財等データベースを参照・編集。)

山際には、とても大きい、立派な木造校舎が建っている。昭和初期の標準的な木造校舎は、この花輪のシンボルになっている。また、校庭の一角には、幼稚園も開設され、小さな子供達の元気な声が聞こえて来る。

町の名士の故・今泉嘉一郎氏の寄付により、昭和7年(1932年)に建築され、築80年程になる。なお、先程の門柱は、旧校舎時代のものである。


(旧東村花輪小学校記念館。)

校舎中央の三角屋根下の昇降口が、懐かしさを感じさせる。教室は4間×5間(約7.2m×9m・65m²)の広さがあり、北側に廊下がある。また、屋根上の換気用小窓も特徴的になっており、他にあまり例が無いと言う。


(正面昇降口。)

この花輪小学校は、平成13年(2001年)の学校統合時に廃校になっており、今は、旧花輪小学校記念館として、週末のみ公開されている。校舎内では、懐かしい木造校舎の造りが見学できる他、小学校教育の資料、校長でもあった石原和三郎氏や、今泉嘉一郎氏に関する資料展示もされている。また、木造駅舎時代の花輪駅の柱時計、廃止された草木駅のホーム駅名標、手持ち信号灯等や、昭和30年頃の国鉄足尾線の写真も展示されており、鉄道ファンにもお勧めである。

【旧花輪小学校記念館の案内】
毎週土日のみ公開、10時から16時まで、見学無料。
みどり市公式HP内「旧花輪小学校記念館」

◆国登録有形文化財リスト◆
「旧東村花輪小学校校舎」

所在地 群馬県みどり市東町花輪191
登録日 2001年11月20日
登録番号 10-0086
年代 昭和7年(1932年)
構造形式 木造2階建、瓦葺、建築面積627㎡。
特記 当地の出身で「日本の製鋼・鋼管技術の先駆者」とされる
今泉嘉一郎の寄付により建設。
木造二階建,切妻造,フランス瓦葺,下見板張の学校建築で,
北面片廊下とし正面中央に玄関ポーチを突出させる。
昇降口部の窓構成や腰折れ屋根窓などに造形的特色がある。

(文化庁公式ページの国指定文化財等データベースを参照・編集。)

寺と小学校の間には、みどり市東町支所や公民館等があり、公官庁エリアになっている。元々は、勢多郡東村(あずまむら)の村役場があり、東村の中心地であった。ちなみに、「東村」は、群馬県内に複数あり、同県内は大変珍しい。間違いやすい為、郡部名の一部を組み合わせ、「勢多東(せたあずま)」と表記されていた。現在は、市町村合併により、全ての東村は消滅してしまっている。

そろそろ駅に戻るとしよう。駅向かいの道路を歩いていると、丁度、下り間藤行き717D列車・わ89形315「わたらせIII号」が汽笛を一声響かせ、発車して行く。


(花輪駅を後にするわ89-315「わたらせIII号」。左のフェンスが小学校。)

時刻は正午前である。待ち時間が少しあるので、農協販売所で購入したペットボトルの緑茶を飲みながら、駅待合室のベンチで一服する。

待合室の掲示板には、色々と掲示してある。この「わ鐵だるま」は、高崎のだるま市で有名な群馬特産の達磨をオリジナルカラーで仕上げ、レール上に撒く、本物のスリップ止めの砂が付いている。「七転び八起き」の諺から、受験生向けのお守りとして販売しているらしい。

沿線は風光明媚な上に観光地も多く、観光トロッコ列車も自社所有しており、全国の第三セクター鉄道の中では、かなり幸運な経営環境であると言える。それでも、長年の赤字に悩まされ、色々と知恵を絞り、増収の企画を立てている。


(わ鐵だるま。)

暫くすると、「うさぎと亀」の曲が流れ、エンジン音とレールの響きを高鳴らせながら、花輪駅12時18分発の上り7187D列車・桐生行きがやって来る。わ89形313「わたらせII号」単行に乗車し、この花輪の町とも、お別れになる。


(花輪駅に到着するわ89形313「わたらせII号」。)

乗客は数人である。クロスシートに腰掛けると、窓テーブルのパステル調の可愛らしいイラストが目に止まる。これは、「わたらせアートプロジェクト(WAP)」のアーティストの作品である。平成18年(2006年)から、わたらせ渓谷鐡道沿線を舞台に、30人以上の精鋭アーティストが、美術活動をしている。
わたらせアートプロジェクト公式HP


(わたらせアートプロジェクト(WAP)のアーティストの作品。)

(つづく)


2017年8月10日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年8月11日 文章修正・音声自動読み上げ校正

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