わ鐵線紀行(14)花輪宿散策 前編

花輪駅の見学の後は、町並みも見てみよう。江戸時代から大正時代の足尾鐡道敷設までは、銅街道(あかがね-)の宿場として栄え、歴史的建造物も少し残っている。

天下分け目の戦い・関ヶ原の戦いから10年後の慶長15年(1610年)、渡良瀬川上流で足尾銅山が発見され、産出した銅を江戸に運ぶ為、慶安2年(1649年)に銅街道が整備された。

銅街道の宿場(継場)は、沢入(そうり)、花輪、大間々(おおまま)、大原、桐原の五宿になっており、馬に載せてリレーで運び、河岸にある平塚(境町)と亀岡(太田市)から、利根川の水運で江戸に運ばれていた。この花輪宿には、銅輸送を管理する銅問屋(どうといや※)も置かれていた。


(列車から見える花輪集落の遠景。この付近は、川谷も広く、日当たりも良い。)

駅前から南に伸びる小さな県道が、旧街道に接続している。駅から100m程南に歩くと、二車線分の歩道の無い道路に出る。沿道には、商店や民家等が連なっており、元・国道122号線「銅街道」であるが、線路反対側の山際にバイパスができ、今は、静かな町の大通りになっている。


(花輪駅に接続する交差点付近から、銅街道の足尾方を望む。)

交差点を右折し、南西の桐生方に歩いて行くと、大きな旧家の旧今泉邸【青色マーカー】がある。立派な門柱と塀、母屋、土蔵が残っており、国登録有形文化財に指定されている。現在は、町のイベント等で活用されている。


(旧今泉邸と表門。)

江戸時代末期の建築と伝えられる母屋は、白漆喰壁の木造二階・一部平屋建てになっている。元は、町医院であり、周辺の旧家とは造りが違う。母屋後ろの土蔵は、大正4年(1915年)の建築になり、珍しいモルタル仕上げである。


(母屋。)

また、国内で初めて製鉄を開始した官営八幡製鉄所の技術長を務め、後の日本初の民間製鉄メーカー・日本鋼管(現・JFEホールディングス)や日本エナメル(現・タカラスタンダード/大手住宅機器メーカー)を創立した今泉嘉一郎氏(かいちろう)の生家になっている。

今泉嘉一郎氏が、ドイツ留学中に学んだ製鉄・製鋼技術は、完全国産化に大きく貢献し、その功績は大きかったと伝えられており、「日本近代製鉄の父」と呼ばれている。鉄道もその名の通り、レールや車両に鉄を多用しており、由縁の深い人物である。なお、昭和16年(1941年)6月に逝去し、地元の名士として、今でも尊敬を集めている。


(表門にある今泉嘉一郎氏生誕地記念石碑。)

◆国登録有形文化財リスト◆
「旧今泉家住宅主屋・蔵・表門・塀」

所在地 群馬県みどり市東町花輪96
登録日 平成19年(2007年)10月2日
登録番号 [主屋]10-0242[蔵]10-0243[表門]10-0244[塀]10-0245
年代 [主屋]江戸末期(1830-1867)/平成18年(2006年)改修
[蔵]大正4(1915年)/平成18年(2006年)改修
[表門]江戸末期(1830-1867)/平成18年(2006年)改修
[塀]江戸末期(1830-1867)/平成18年(2006年)改修
構造形式 [主屋]木造2階一部平屋建、鉄板葺、建築面積94㎡。
[蔵]土蔵造二階建、瓦葺、建築面積17㎡。
[表門]木造、瓦葺、間口3.8m、潜戸及び袖塀付。
[塀]木造、瓦葺、延長36m。
特記 [主屋]市北部の旧東村の中心部に位置する。
桁行6間、梁間4間半規模の切妻造平入の木造2階一部平屋建て、
背面屋根を葺き降ろす。
真壁造の漆喰仕上げ、腰を下見板張及び簓子下見板張になっている。
南面して建ち、正面に下屋を設け、中央に式台を構える。
軽快な意匠の住宅建築。
[蔵]敷地のほぼ中央、主屋背後に南面して建つ。
桁行2間半、梁間1間半規模の、切妻造妻入とする2階建の土蔵。
正面に入口を設け庇を掛け、側面に鉄格子を付けた窓をあける。
外壁は鉢巻を含め、石積風目地を付けたモルタル塗洗出しで仕上げ、
簡潔かつ重厚である。
[表門]主屋の南側に、通りから3mほど後退して建つ。
間口2.3m、切妻造、桟瓦葺の腕木門。背面に控柱を建て、
西側に潜戸、東に袖塀を付ける。
比較的大きい屋根には緩やかな起りをつけ、
棟込み瓦を青海波に積むなど、丁寧なつくりである。
[塀]南北に長い矩形の敷地南側に築かれる。
表門両袖から折れ曲がり、旧銅山街道に面する。
桟瓦葺、腰簓子下見板張の南塀と、
その西端から北側に接続する腰竪板張、横連子窓を開ける西塀からなり、
南塀両端部に鬼板を付ける。表門と一体となり風格ある外観を呈す。

(文化庁公式ページの国指定文化財等データベースを参照・編集。)

更に、西に歩いて行くと、高草木家御用銅蔵(-ごようどうくら)【橙色マーカー】がある。高草木家は、この花輪宿の御用銅問屋であり、銅を一時保管していたこの蔵は、みどり市指定文化財になっている。


(高草木家御用銅蔵。)

(観光案内解説板。)

江戸時代末期の天保年間(1830〜1843年頃)の大火後、嘉永3年(1850年)に再建された土蔵になっており、桁行き3間、梁間2間の大きさがある。昭和8年(1933年)に、薄茶色の粗壁と板葺き屋根を、白壁と瓦葺き屋根に改修した。板葺きに載せられた鬼瓦も小さく、敷瓦の厚さも薄い。

なお、高草木家は旧花輪村の名主でもあった。母屋は、江戸時代末期・天保11年(1840年)築の奥座敷を持つ立派な邸宅になっており、銅を輸送する際に付けられた継ぎ送り札(荷札)や古文書も残っている(一般公開なし、公道からの見学のみ)。

◆国登録有形文化財リスト◆
「高草木家住宅主屋(母屋)」
※御用銅蔵は、みどり市指定文化財。昭和54年1月28日指定。

所在地 群馬県みどり市東町花輪92-1
登録日 平成20年(2008年)3月7日
登録番号 10-0255
年代 天保11年(1840年)/大正初期増築(1912-1925)
構造形式 木造2階建、瓦葺、建築面積210㎡
特記 銅山街道花輪宿の銅問屋。
旧街道北側の敷地中央に南面して建つ、木造2階建である。
桁行10間・梁間6間半規模の切妻造桟瓦葺とする。
東を土間、西を居室とし、南面に式台(来客用玄関)を構える。
2階は蚕室に転用され、換気の越屋根を設ける。名主も勤めた旧家の遺構。

(文化庁公式ページの国指定文化財等データベースを参照・編集。)

この御用銅蔵から桐生方は、住宅が疎らになっている。反対側の足尾方に歩いてみよう。丁度、昼食も取りたいが、町食堂が見当たらない。途中の農協販売所(購買店舗)【食事マーカー】に立ち寄り、昼食代わりのパンを購入する。この農協周辺が一番の商業中心地であったらしく、小さな商店街も残っており、数店が今も営業している。


(グーグルストリートビュー・御用銅蔵前から足尾方へ。)

この商店街の中でも、立派な店構えの大黒屋【水色マーカー】は、狭い間口と奥に長い敷地、土蔵が控え、ふたつの腰窓や黒の重厚なデザインの母屋(商家)が、往年の街道の繁栄を忍ばせている。今も、食料品、雑貨や煙草を販売しているらしく、店舗向かいの倉庫には、大村崑氏(※)のオロナミンCドリンクのブリキ看板があり、大分、錆び付いている。


(大黒屋。)

(懐かしいオロナミンCドリンクブリキ看板。)

大黒屋の右隣には、花輪駐在所がある。新しい建物であるが、風見鶏も設置された面白いデザインになっている。駐在所裏の空き地には、大きな一本老桜が勢い良く咲いており、趣きのある枝の形と咲きっぷりに見惚れる。


(花輪駐在所。)

(駐在所裏の老桜。冬の強い季節風の為か、枝が南西側に流れている。)

街道に戻り、足尾方に歩いて行くと、上町と書かれた宿灯籠があり、ここが花輪宿の北端【塔マーカー】らしい。なお、復元された宿灯籠には、「上宿」と表示されており、江戸の方が「上」でなく、足尾方が「上」である。なお、農協がある付近は「中宿」、御用銅蔵のある付近は「本宿」になっている。この先の街道は、左にカーブをし、わたらせ渓谷鐡道の線路を越えて行く。


(上町の宿灯籠と町並み。酒屋の足利屋商店の一角にある。)

花輪駅の方に戻ろう。装飾付き街路灯には、市町村合併前地名の勢多郡東村(せたぐんあずまむら)のプレートが、そのまま残っている。

勢多郡は、明治時代からの歴史ある郡部名になっている。平成18年(2006年)3月には、新田郡笠懸町(にったぐんかさかけまち)、山田郡大間々町(おおまま-)と合併し、みどり市になった。所謂、「平成の大合併」により、消失している。


(勢多郡東村時代の街路灯柱。)


(※問屋/といや)
宿場役所。本来は運送業の意味であった。人馬の手配、荷継ぎや宿場の自治等を行った。
(※大村崑/おおむらこん)
昭和30年頃のテレビ黎明期、大変人気のあった上方のコメディアン。

2017年8月10日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年8月11日 文章修正・音声自動読み上げ校正

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