小江戸とちぎ散策 その2 日光例幣使街道旧道・北エリア

店蔵の間の路地に古刹が見えたので、蔵の街観光館前まで戻って、立ち寄ってみよう。古い街並みの背後には、大きな寺社が必ずある。狭い街中の公共的施設であると同時に、地震や火事の場合には避難場所であったり、軍事上の防衛拠点とするためである。


(観光館脇に参道があり、赤い大鳥居が見える。)

観光館奥には、地鎮の神明宮【鳥居マーカー】がある。歴史は古く、室町時代中期に伊勢神宮より分祀されたと言われており、「栃木のお伊勢さま」として、広く信仰を集めたという。現在の県名・市名である栃木は、この神社の本殿に天高く聳える十本の千木(ちぎ/ 屋根の両端にあるX字状の木材)があり、「十千木(とちぎ)」と呼ばれる様になったのが、その由来とされている。実は、初めてここで知り、神社由来とは意外である。

比較的短い参道を歩き、大鳥居を潜ると、大きな拝殿が構えている。急峻で前に迫り出す様な大屋根に圧倒される。明治初期築のもので、国家神道を推進する中教院として建てられたものを、廃院後に再建・転用したという。背後に本殿があり、明治16年(1883年)再建、伊勢神宮と同じ神明造り銅葺き屋根になっている。勿論、御祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)で、本殿と拝殿は市の重要文化財になっている。


(神明宮拝殿。)

この神明宮の北隣には、近龍寺(きんりゅうじ)【寺マーカー】という大寺もあるので、行ってみよう。室町時代中期の応永28年(1421年)に称念寺(しょうねんじ)として創基、天正16年(1588年)に栃木城建設のために当地に移されたという。栃木の浄土宗の名刹で、中国の故事「鯉が三級の位に達すると、龍になる」ことから、「三級山(さんきゅうさん)・天光院・近龍寺」と改められた。また、栃木県の最初の小学校と師範学校がここに設けられている。


(近龍寺本殿。)

本堂は大きく立派なもので、江戸時代後期の文化年間建立とのこと。今から約200年前のものである。境内の墓所には、文豪・山本有三(ゆうぞう)の墓もある。地元呉服商の長男として生まれ、少年時代からの芝居好きが高じて作家になったという。代表作は「路傍の石」、「女の一生」など約40編あり、戯曲(演劇台本)「米百俵」もそうである。戦後は、国会議員として活躍。青少年の国語教育や地元発展に貢献し、この町の名士になっている。墓前まで行くと、大きな自然石の墓石に、「動くもの 砕けるものの中に 動かないもの 砕けないものが 大きくからだに伝わってくる」(小説「無事の人」より一節)と刻まれていた(墓所は撮影しない方針なので、画像はご容赦願いたい)。

さて、この蔵の街大通りには、多くの店蔵や大正風建築が建ち並び、十分に楽しめるが、一番奥にこの町の歴史散策の真髄がある。昔ながらの旧道が残る重要伝統的建造物群保存地区がある北エリアに行ってみよう。東武デパート前まで再び北上し、ふたつ先の万町交番前交差点を左折すると、入口【A地点】がある。元々、蔵の街大通りは、家康公を祀る東照宮への参詣道の一部であり、正式には、「日光例幣使街道(にっこうれいへいしかいどう)」と言う。なお、例幣使とは、元和3年(1617年)に駿河久能山から日光に家康公が改葬され、その後、毎年、朝廷から例幣使と呼ばれる使者が使わされたことが由来である。中山道の倉賀野(くらがの)宿からから北関東を横断し、天明宿(現・佐野市)を経由してここに至り、今市(いまいち)宿で日光街道に合流していた。


(嘉右衛門町重要伝統的建造物群保存地区案内板。平成24年に栃木県初の指定を受けている。)

道幅はやや狭く、住宅が密集している地元住民の居住エリアなので静かに見学しよう。先ずは、大きな洋風建築が迎えてくれる。国登録有形文化財の館野(たての)家住宅店舗【赤色マーカー】である。昭和7年(1932年)竣工の木造二階建て住宅兼店舗で、肥料商兼履物商であったという。一階の店舗部分は土間と12畳の帳場がある和風、二階南側のひと部屋だけを洋風に造っており、外は洋風、中は和風と全く異なるのが面白い。通りに面した一階外壁には、小さいながら、凝った装飾も施されている。また、敷地奥には、同時期に建てられた母屋と、明治中期から後期に建てられた土蔵群がある(内部非公開のため、通りに面した店舗外観のみ見学可)。


(館野家住宅店舗。)

(一階部分外壁の装飾とアーチ窓。)

通りは一直線ではなく、大きくクネクネとカーブしているのも、旧道の面影を残す。そのため、見通しは非常に悪い。歩道もない上、地元住民の車が頻繁に通るので、注意して歩く。


(日光例幣使街道旧道の町並み。)

左に大きくカーブし、右の大きなカーブで返すと、立派な旧家の門が構えている。この付近13村を治めていた代官の岡田嘉右衛門(かえもん)家(岡田記念館)【黄色マーカー】である。元々は、武士の家柄であったが、関ヶ原合戦頃の慶長年間の頃、帰農して栃木に移住し、荒地を開墾したという。その功績から、徳川家から「嘉右衛門」の名を賜り、現当主26代目まで襲名している市内屈指の旧家であるとのこと。

延べ敷き約1万坪に、当時の代官屋敷が残っており、私設歴史博物館(有料・一般800円)として一般公開している。歴史ある屋敷の他、武具や美術品などを公開しているという。また、近くの川の畔には、翁島と呼ばれる別荘も建てられている。


(代官屋敷岡田嘉右衛門家表門。)

門の並びには、屋敷の土蔵を利用した無料休憩所兼土産店や明治時代の床屋もある。入場時には、当時のままである店内の見学も出来るとのこと。


(明治時代の理容店外観。)

岡田家の向かいには、国登録有形文化財の天海(あまがい)家住宅店舗【青色マーカー】もある。大正13年(1924年)築の木造二階建て店舗で、北側の外壁は屋根まで届く大谷石(凝灰石)の石積みにして、防火対策をしているのが特徴になっている。また、敷地奥には、明治28年(1895年)築・切妻二階建ての土蔵があるとのこと(内部非公開のため、通りからの店舗外観のみ見学可)。


(天海家住宅店舗。状態は大変良く、現役の店舗である。)

代官屋敷から先は、真っ直ぐに街道が北に延びる。建て替えられている住宅が殆どであるが、所々に古い商家があるのがいい。古い木造商家である平澤商店【紫色マーカー】の隣にも、神明神社が鎮座していた。なお、この嘉右衛門町は、戦国時代末期の天正年間(1573-1592年)に新田開発され、その後、街道沿いの在郷町として発展したという。


(岡田嘉右衛門家の前から北を望む【カメラマーカー】。)

(平澤商店。)

(長江商店【茶色マーカー】。店頭を覗くと、米穀商らしい。)

この旧道の中間地点には、如唱寺【寺マーカー】という古刹がある。山門の代わりに、オリジナルの鉄製ゲートがあり、ちょっと立ち寄ってみよう。幅2m程度の参道の両側には、法話や格言の吊り灯籠が連なっている。こんな格言も見つけ、思わず笑ってしまう。しかし、旅好きなので、そうであると言い切りたい。


(鉄製ゲートと参道。)

(格言の書かれた灯籠。灯籠は沢山あり、檀家から寄進されたものらしい。)

参道の奥に突き当たると、こぢんまりとした小寺がある。宗派は日蓮宗、山号は如意山。江戸時代後期の文政5年(1822年)に古庵が再建され、安政3年(1856年)に現在の本堂が建てられたという。本堂の内陣と外陣の間に大黒天が彫り抜かれていることから、地元では、「蟇股(かえるまた)の大黒さま」と呼ばれ、信仰を集めているという。

とても狭いが、よく手入れがされていて、清々しい寺院である。本堂前には大きな枝垂れ桜があり、春には参拝者を楽しませくれるという。


(本堂と枝垂れ桜。本尊の釈迦如来木座像は江戸城由来らしく、尼僧が開山したという。明治10年までは、如唱庵と呼ばれていた。)

本堂左手前には、とても立派な報恩塔もある。江戸時代末期の慶応2年(1866年)に建立されたもので、熱心な女性信者が昆布やワカメを行商しながら、日蓮宗の教えを説き、頂いたお金を貯め、還暦を祈念して納経建立したという。台座には、小さな花とプレートが置かれていて、何だか微笑ましくなる。


(報恩塔台座に置かれた小花とプレート。)

小寺の佇まいを楽しんだ後は、通りに戻ろう。しばらく進むと、ユニークな栗の形をした自然石の庚申塚【史跡マーカー】がある。江戸時代中期の寛政12年(1800年)のものと伝えられている。ここは分岐点になっており、道標も兼ねているそうで、道祖神と兼ねているのは時々見かけるが、庚申塔は珍しい。左方面の最終目的地は不明であるが、三日月道という小さな街道が分かれている。


(自然石の庚申塔。紙垂「しで」も回され、地元でも大切にされているらしい。左・三日月道、右・日光例幣使街道。)

そして、大きく左にカーブした先に、この歴史散策の第一目的地である油伝味噌(あぶでんみそ)【緑色マーカー】に到着する。この例幣使街道旧道最北端の味噌蔵である。

江戸時代後期の天明年間(1781-1789年)に創業。最初は油屋であったという。二代目から味噌を作り始め、明治の頃の木樽を使った天然発酵の国産大豆無添加味噌を作っている。また、明治時代の5つの建物が、国登録有形文化財に指定された大きな屋敷である。


(油伝味噌。最初は油屋、初代は伝兵衛が屋号の由来。暖簾を見ると、天明元年創業としている。)

実は、観光客相手に味噌田楽が食べられる店を併設しているので、お邪魔してみよう。まるで江戸時代の様な店構えの障子戸を、開けて良いのかと見ていると、奥から主人が丁度やって来て、「どうぞ、どうぞ」と案内してくれた。


(田楽あぶでん。)

障子戸をそろりと開ける。少し薄暗い白熱灯の照明の元、手前に無垢材の大きなテーブル席が幾つかと、奥に小上がりがあり、結構広い。勿論、復元店舗であろうが、まるで江戸時代にタイムスリップした雰囲気である。

初めての訪問であるので、看板メニューの「田楽盛り合わせ(税込み530円)」を注文。女将が下ごしらえした具を、丁寧に味噌焼きしてくれる。コトコトと調理の音だけがする静かな中、美味しいお茶を頂きながら待つと、「おまちどおさま」と出てきた。


(油伝の田楽盛り合わせ。単品注文も出来る。他に甘酒、コーヒーなども提供している。)

地元栃木特産の手作りこんにゃく「鹿沼こんにゃく」、小さな里芋、豆腐の三点串セットである。具によって、味噌の配合も変えてあるそうで、そこは味噌屋の究極である。一口食べてみると、甘辛な味噌であるが、不思議に甘過ぎず、しかし、辛過ぎず、奥行きのある味わいが絶妙でとても驚く。具も見かけによらず食べごたえがあり、とても美味しい。


(店頭で販売している油伝味噌の田楽味噌と中條商店の鹿沼こんにゃく。こんにゃくは、ちぎったような餅の様な大きさで、プリッとした弾力が強い。)

【油伝味噌/田楽あぶでん】
火曜日定休(祝日は営業)、11時から16時半まで(時間変更の場合あり)。
個人客は予約不要。団体客は要予約・30名まで。栃木市嘉右衛門町5-27、専用駐車場あり。

(つづく)

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2019年2月7日 ブログから転載。

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