小江戸とちぎ散策 その1 蔵の街大通り・東エリア

今年の正月も無事に越し、少し落ち着いてきた。久しぶりに、鉄道抜きの街歩きをしてみたいと思い、前々から気になっている栃木県栃木市に行ってみた。「栃木県の栃木市」というと、他県の人は場所が判らない場合が多いだろう。県庁所在地である宇都宮は、テレビの天気予報などで、よく知られているのであるが。

宇都宮の南西約23km、栃木県中央部の人口約16万人の大きな町である。宇都宮よりも小山に近く、北関東横断ラインのJR両毛線(りょうもうせん)沿線の主要都市になっている。県名と同じなのは、かつての県庁所在地であったためで、元々は、江戸と日光を結ぶ日光例幣使(れいていし)街道の宿場町(現在の国道4号線日光街道のルートと異なる)、後に商都としても大いに栄えた。

少し早起きをして、都内から栃木駅に向かう。大宮・小山経由のJR宇都宮線(東北本線)・両毛線で行く方法と、北千住・東武動物公園経由の東武鉄道伊勢崎線・日光線を使うふたつのルートがあるが、今回は東武鉄道を使ってみたい。先ずは、北千住まで行き、東武伊勢崎線急行南栗橋行き10両編成に乗車。伊勢崎線内は主要駅のみの停車である。今日は土曜日。ロングシートもかなり疎らで、シート下の暖房もガンガンと効き、眠たくなってくる。終点の南栗橋で、日光線4両編成のローカル列車にすぐに乗り換えると、この付近は広大な畑が広がり、冬日の長閑な北関東の車窓を楽しみながらである。次の栗橋でJR宇都宮線と接続し、利根川の大鉄橋を渡って幾つかの駅を過ぎると、栃木駅に到着する。なお、北千住からの所要時間は1時間30分程度(乗り換え1〜2回)、片道運賃890円(切符購入の場合)。東武特急けごんを利用した場合は1時間(乗り換え無し)、指定席特急料金は別途1,230円である。

午前9時過ぎた所である。栃木駅では結構な乗客が下車し、日光へ向かう感じの観光客が車内に残っているが、今はオフシーズンなのでかなり少ない感じである。行き来する東武特急も、上り下りともに車窓に見える乗客はかなり少ない。

この駅は東武線とJR線が平行して並んだ高架駅になっているが、共同利用駅ではなく、北千住の様に別々にホームと改札口がある。ホーム下の改札口を出ると、大きなコンコースがあり、中央にベンチがあるので、ここで出発の準備をしよう。北口に観光案内所があり、街歩きパンフレットを貰う。ふたりの中年女性の案内係に外せない見所を教えて貰い、散策の所要時間を尋ねると、「2時間半位ですよ」とのことであるが、撮影や昼食もするばらば、半日近くかかるだろう。もちろん、たっぷり時間を取ってあるので、じっくりと回ってみたい。なお、今回は、先日導入したカメラの撮影特訓も兼ねている。


(駅コンコース北口の観光案内所。向かい側にJR両毛線の改札口がある。)


(※カラーマーカーは主要建物のみ。)

この栃木市に来た理由は、「北関東の小江戸」と呼ばれ、街中に古い店蔵が沢山残っていると聞いたからである。前回訪問した同じ小江戸の川越(埼玉県)ほどの大きな規模ではないが、なかなか見応えがあるらしい。現在の時刻は9時半、早速、出発しよう。天気は快晴、風は無し、日中の最高気温は10度の予報であるが、かなり寒く感じるので、まだ5、6度位しかない様である。北関東の冬は空っ風が強烈に吹きつけるので、風が全くないのは、とても珍しい。


(栃木駅北口を出発。駅前の巨大オブジェは、栃の木と実をモチーフとしたもの。しかし、某有名ゲームのボールにどうしても見える。)

なお、蔵が建ち並ぶエリアは、駅から少し離れているという。市街中心部を南北に貫く「蔵の街大通り」を北上する。寒いが、北関東らしい抜ける様な青空が広がり、気分も上々である。約700m・10分歩くと、最初に出迎えてくれるのが、この五連店蔵【赤色マーカー】である。新しい道路や建物の中に突如あるので、とても驚いた。手前から四番目と五番目の二棟(毛塚紙店・丸三家具店/二階窓が横長)は国登録有形文化財になっており、明治41年(1908年)築という。明治後期の店蔵の特徴がよく見られるとのこと。


(蔵の街大通りを歩き始める。近年、綺麗に整備されたらしい。車は多いが、人通りは少ない。)

(五連店蔵。何故か、貰った散策マップに紹介されていないが、結構有名らしい。)

手前右端は人形店、向こう左端は出店売り和菓子店の現役店舗、真ん中は休業・廃業している様子であるが、良い雰囲気である。しかし、さすがは北関東の冬。風はないが、とても底冷えがして、ガタガタと体が震えてきた。なんと、向かいに真新しいスターバックスコーヒーがあるので、ここに緊急避難する。


(スターバックスコーヒー栃木倭町店。外観は和風の造りになっている。暖かい時期には、外のウッドデッキも使えるらしい。)

お助け小屋に駆け込む様に入り、温かいラテ(税込み399円)を注文。道路側のソファーに落ち着く。大きなガラス越しに五連店蔵が眺められるのも、なかなか商売上手であるが、当の店蔵側としては、複雑な気持ちなのかもしれない。


(五連店蔵を眺めながら。丁度、向かいが、国登録有形文化財の毛塚紙店と丸三家具店である。)

暖を十分に取り、トイレを済ましたら、気を取り直して、再出発しよう。スターバックスコーヒー角の交差点西側には、銀座通り商店街【黄色マーカー】のアーケードがある。名前の通り、町一番の盛り場であったのであろう。今も営業している店もあるが、大分廃れている。骨董品屋のショーウインドウを覗くと、懐かしいラッパ蓄音機が展示販売されていた。


(倭町交差点からの銀座通り商店街アーケード入口。町の西に抜ける通り道らしく、車の出入りは多い。この交差点脇に旧栃木町の道路起点を示す標石がある。)

(アーケード下のサインもあり、昭和のしっとりとした雰囲気を感じる。)

(大きなラッパ蓄音機。なかなか美しい。修理が必要とのことで、65,000円の値札が付いていた。)

交差点から少し北上すると、通りの東側に二軒の荒物屋と大正風の建物が並ぶ。中央の荒物屋は、時間が早いために閉まっているが現役、左は洒落たカフェとして営業している。中央の荒物屋の屋号はこの通り一の難読で、「ごじゅうはた」ではなく、「いかはた」と読む。元々は、明治中期築の糸綿店であったが、大正時代末期に五十畑家が入ったという。隣の大正風建築は大正11年(1922年)築で、明治から昭和初期まで煙草卸売商が入っていたという。目を引く凝った装飾は、オーストリア・ウィーン由来のセセッション式という大正期に流行したデザインとのこと。なお、どちらも、国登録有形文化財になっている。


(倭町交差点北の二軒の荒物屋と大正洋風建築の喫茶店。)

この付近から、両側に古い店蔵や昭和時代の商店が多くなってくる。川越の様に店蔵が一直線に並んでおらず、散在しているが、統一された時代感のないカオスも面白い。


(蔵の街大通りを更に北上する。)

しばらく進むと、観光客相手の土産店や案内所などが集まるエリアに到着。寄り道しなければ、駅から約15分位の場所で、この大通りの観光中心地らしい。ひときわ大きな店蔵が観光案内所【案内所マーカー】になっており、向かいに山車会館(だしかいかん)【美術館・博物館マーカー】がある。祭りの際、神輿ではなく、山車を何台も曳き回すのは、川越と同様に江戸の祭りの原形を受け継いでいるとのこと。


(観光拠点のとちぎ蔵の街観光館。元々は、荒物問屋・田村家の店蔵で、背後に土蔵群が連なる。なんと、土蔵はアパートとして、戦後に使われていたという。現在は、観光案内所兼土産店と食事処になっている。隣の白い小店蔵は、江戸時代末期の安政3年築と古く、国登録有形文化財になっている。元々は、履物商であったという。)

(観光館北隣の好古壱番館「こうこいちばんかん」。大正12年竣工の元・呉服店の木造二階建て洋館で、銅板葺きのマンサード屋根が特徴。今は、蕎麦、栃木の江戸料理や地元料理を提供する食事処になっている。)

(とちぎ山車会館。無機質なコンクリートむき出しの建物が異彩を放つ。最新映像技術を駆使した展示が売りで、実物の3台の山車も常時見学できる。)

山車会館の奥には、江戸時代後期竣工の黒土蔵が三つ連なっており、この栃木市一の保存土蔵になっている。近江商人をルーツとする大豪商・善野家の土蔵群で、米穀商や大名相手の質屋を営んでいたという。大通り側の東側から順に古く、江戸時代後期の文化年間初期(1804-1818年)・天保2年以前(1831年)・天保11年(1840年)竣工になる。黒土蔵の重厚さと品格のバランスが素晴らしい。現在は、美術館として改修し、地元作家の作品を中心に展示している。


(蔵のまち美術館。地元では、「おたすけ蔵」と呼ばれている。町民の困窮時に米や銭を放出して救済したとも、不況時にこの蔵を建てたとも言われているのが由来。重厚な造りのこの土蔵群は、栃木県の有形文化財になっている。※画像向う側が大通り側。午後に撮影。)

蔵の街観光館前から更に北上しよう。大きな箱棟の店蔵は迫力があるが、高さの低い小さな店蔵も多く、これもいい感じである。戦後昭和の小さな看板建築に一部改築している書店もあり、横から眺めると面白い。書店向かいの大きな店蔵は、文豪・山本有三(ゆうぞう)の記念館【青色マーカー】になっている。実は、この栃木市の出身で、この近くに生家があるとのこと。文学に疎くとも、教科書にも載っている小説「路傍の石(ろぼうのいし/昭和12年発表)」の作者といえば、判るだろう。なお、ひとつの大きな建物に見えるが、南棟と北棟に分かれており、屋根を共有するユニークな造りになっている。北棟(画像左側)が増築部になり、軒周りや窓のデザインを微妙に変えてある。

(交差点角の古商家カフェ「悟理道(ごりどう)珈琲工房」。築80年を超える古商家を改装したというので、昭和初期築の木造建物らしい。この通りには、観光客相手に団子やアイスクリームなど売る出店よりも、カフェがとても多いので、若い女性観光客が意外に多い。冬はとても寒く、風が強いためらしい。)

(大通り側を小さな看板建築に改築した出井書店。右隣は洋品店「はとや」である。よく見ると、屋根の形も違う。)

(山本有三ふるさと記念館。明治初期築といわれ、有三愛用の品々や自筆原稿、初版本などを展示している。建物は国登録有形文化財に指定されている。)

この通りの奥には、とても大きな東武デパート【紫色マーカー】やシティホテルが二軒建つ。かつては、今以上に栄えたのであろう。店内に少し立ち寄ると、地方デパートに見られる陰のある雰囲気は全くなく、新しく洒落ており、市役所もこの中に入っている。また、この巨大なビルの向かいに小さな店蔵が建つ。現存する店蔵の中でも最古級といわれる元・提灯店を改装し、江戸時代の有名浮世絵師・喜多川歌麿の資料館になっている。当時、この栃木の豪商と親交があったという。


(東武宇都宮百貨店栃木市役所店。地元の福田屋百貨店の撤退後に市役所が移転し、元デパートの建物が本庁舎になっている。一階の東武デパートの食品売り場が、テナントとして入る。)
とちぎ歌麿館。最古級の江戸時代末期の弘化2年(1845年)築で、市の所有管理になっている。歌麿浮世絵の複製画などを展示しており、入館は無料。)

そして、東武デパートの北側交差点角には、国登録有形文化財の旧・足利銀行栃木支店がある。昭和9年(1934年)竣工、平成17年(2005年)に移築。一見、コンクリート建てに見えるが、木造平屋建てである。出入口に大きな角柱が二柱あり、昭和の初めによく見られた銀行建築様式という。かつては、市所有の庁舎として使われ、現在、洋食レストランがテナント営業をしている。時間があれば、この様な所での昼食も良いだろう。


(国登録有形文化財の旧・足利銀行栃木支店。陸屋根に見えるが、周囲をパラペットで上手く隠している。)

この付近までが、蔵の街大通りの観光エリアになる。店蔵の奥の路地に寺社が見えたので、少し戻り、立ち寄ってみたい。

(つづく)

□□□

© 2019 hmd
文章や画像の転載・複製・引用・リンク・二次利用(リライトを含む)や商業利用等は固くお断り致します。