大鐵本線紀行(21)千頭駅 後編

駅構内を見学してみよう。地方民営鉄道の終着駅としては、構内は広く、多くの側線があり、車両が沢山留置されている。現在、井川線の千頭から奥泉間が、落盤防止工事の為に部分運休(※1)しており、留置している井川線の客車は殆ど無く、がらんとしている。

本線ホームと井川線ホームの間は、線路を取り払い、ミニ鉄道公園が設置されている。大正時代の代表的蒸気機関車である9600形蒸気機関車や、旧型電気機関車E10形(103)の静態保存機の他、腕木式信号機、レール、車両の部品等が野外展示されている。


(構内のミニ鉄道公園。線路に降りられるスペースになっている。)

(腕木式出発信号機。移設されたものであろう。)

キューロクこと、49616号機は、大正9年(1920年)・川崎造船所(のちの川崎車両)の製造になり、昭和51年(1976年)に、北海道の国鉄北見機関区から入線している。その隣には、E10形103が鎮座している。なお、49616号機はSL復活運転用ではなく、静態保存機としてやって来た。


(キューロクこと、国鉄9600形蒸気機関車とE103。)

井川線のホーム下沿いには、鉄道部品が展示してある。戦時出征蒸気機関車であるC56-44号機の泰緬鉄道時代(たいめん-)からタイ国鉄時代の動輪がある。タイの鉄道の軌間は、1,000㎜のメーターゲージになっており、日本国鉄の軌間よりも67㎜狭いが、その差は少ない。日本からタイへ出征する際、車輪の事前交換と各部の調整をし、海を渡って行った。


(タイ国鉄時代のC56-44号機のメーターゲージ動輪。)

米国のカーネギー、カメル、トロイ製や日本の八幡製作所製の古いカットレールも展示されている。また、国鉄信越本線の軽井沢駅から横川駅間で使われたラックレールもある。米国トロイ製鉄所製の1880年製25kgレールが最も古く、日本では明治13年になる。これらは、大井川鐵道開業時に集められた輸入レールであろう。中でも、22kgのカメル製鉄所製(1898年製)が最軽量となっており、今の標準レールの半分程度の重さしか無い。


(古いカットレール。)

(国鉄信越本線のラックレールと鋼製枕木。後ろは、C56-44号機のタイ国鉄時代の排障器。)

タイ国鉄時代のC54-44号機の部品や踏切電鈴等も展示されている。錆止めのペンキも丁寧に塗られており、状態は良好である。後方を見ると、井川線ホームの擁壁は、川石を使っているのが判る。


(部品類。)

山側の側線を見ると、井川線専用のミニ貨車が留置されている。全て中部電力の所有車両になり、形式表記の前に、「C」のアルファベットが打たれている。現在も、ダムへの物資輸送や線路の保線工事等に使われている。その後方には、金太郎塗りの312系電車と旧近畿日本鉄道色の420系電車が留置されているが、事実上の廃車である。


(井川線のミニ貨車群。)

金谷方から順に、Cトキ232/Cト105/Cト101/Cワフ4/Cト109/Cワフ2/Cワフ3/Cワフ1/Cト103の9両編成が留置され、この雑多な感じが良い。なお、Cトキ232とCト103は、側面のあおり戸が外されている。国鉄貨車と比べても大変小さく、後の普通の大きさの電車と比べても、まるでミニチュアの様である。

【Cトキ200形/木製長無蓋車】
全長11.0m、自重9.6t、荷重16.0t、ボギー台車、在籍9両。この車両は、全てのあおり戸を外している。元々は、木材運搬車である。


(Cトキ232。)

【Cト100形/鋼製短無蓋車】
全長5.5m、自重4.8t、荷重8.0t、二軸車、在籍10両。今では、大変珍しい板バネ台車の二軸貨車である。


(Cト105。)

【Cワフ0形/有蓋車兼緩急車】
全長5.9m、自重5.0t、荷積4.5t、二軸車、在籍4両。車端部に車掌室がある緩急車。乗務員扉は片方のみある。


(Cワフ4。)

Cワフ0形の1と4には、井川線用3/4自動連結器と本線用の自動連結器を縦に並装し、本線の電気機関車と連結が可能になっており、井川線車両の本線乗り入れ時のアダプター車両になっている。他、変圧器や重機を輸送する大物車のCシキ300形(在籍1両)もある。


(ふたつの連結器が、縦に並んでいるのが判る。トリミング処理済み。)

井川線の6番線ホームに行ってみると、井川線ホームのレールは錆び、客車のスロフ305が1両のみ留まっている。千頭駅から奥泉駅までは、落盤防止工事の為、部分運休中になっている(※1)。

このスロフ300形は、全長11m、全幅1.84m、全高2.69m、自重10.5t、定員55名(座席37名)の井川線専用小型客車である。また、半室展望車も1両ある。


(井川線6番線ホームと井川線の旅客用客車スロフ300形305。)

駅舎側の最奥手には、昭和35年(1960年)に、汽車製造で造られた元・岳南鉄道1100形ステンレス電車(1105)が鎮座している。珍しい両運転台形の電車になっており、平成8年(1996年)まで活躍したが、今は、倉庫として使われている。角にアールの付いた上窓と直角の下窓に分かれているバス窓が特徴であり、初期の民営鉄道向けステンレス車体は、鉄道遺産的に貴重なものになっている。


(元・岳南電車1100形。古い車両であるが、コルゲートが美しい。)

国鉄車掌車(緩急車)や電車の廃台車も留置されている。車掌車の床は板張り、屋根は屋根幌が被っており、形式も古い。車体側面の形式・車番表示は消えているが、車台枠に「5365」の表示があり、国鉄ヨ5000形の改造車と思われる。


(国鉄ヨ5000形車掌車。)

千頭駅西側の高台から、駅の全景を眺める事が出来る。ちょっと、行ってみよう。駅の先にある井川線の踏切を越え、郵便局前の急坂を少し登る。
マピオン電子地図・千頭温泉貯湯タンク付近(1/3,000)

手前に木立が若干あるが、ミニチュアの様に千頭駅構内の配置が判る。広い平坦地になっているが、造成時に膨大な川石を集めて整地したと言う。なお、営業線路はホーム用6本(本線用5本・1本は乗降に使われていない)と井川線用1本がある。側線は山側に10本あり、そのうち、井川線に直接接続は3本、渡り線で行ける線路が1本がある。更に、本線ホームと井川線ホームの間に側線が2本(E31形と静態保存車両を留置)あり、合計18本の大配線になっている。


(千頭温泉貯湯タンク付近からの千頭駅全景。高さは、30m差位ある。)


(グーグルマップ・千頭駅航空写真。)

そろそろ、SL急行列車が到着する時刻である。ホームに戻ろう。到着ホームは、本線から真っ直ぐに入る3番線ホームになる。また、2番線と3番線は対になっており、機関車入れ替え用の渡り線が設置されている。


(2番線ホームからの千頭駅と渡り線。)

(つづく)


(※1)復旧をしたが、2016年6月現在、接岨峡温泉駅から終点の井川駅まで運休中。2017年3月に全線復旧した。
(※2)本線運行は未定。E32とE34は新金谷車両区で入換機として使われている。E33は下泉駅に留置。2017年にE34が先行整備され、本線運用に入った。

2017年8月5日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年8月5日 文章修正・音声自動読み上げ校正

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