小布施めぐり(1)小布施へ&長野電鉄小布施駅

平成23年(2011年)11月、最後の秋の長野電鉄屋代線訪問を終えた。今旅は1泊2日の予定であったが、折角なので延泊し、有名な小布施(おぶせ)の観光をしよう。

明後日は降雪の予報になっており、サマータイヤで何とか訪問出来そうである。昨晩泊まった屋代駅前のルートインコート千曲更埴(ちくまこうしょく)に電話をすると、今夜も大丈夫との事で、宿泊を依頼した。満室の場合、長野市中心部でホテルを探そうと思っていたので、大助かりである。松代駅西の市営観光駐車場から、国道403号線谷街道を南下し、20分程でホテルに到着。松代駅前のスーパーで寿司パックを購入してあり、夕食は簡単に済ました。

朝の6時に起床。今日の交通手段は全て車なので、ゆっくりと身支度準備をした後、7時過ぎにホテルの朝食をとる。コーヒーで一服した後、チャックアウトし、小布施に向けて出発する。

国道403号線谷街道を北上すると、須坂を経由して、小布施にそのまま行く事が出来る。この千曲市屋代からは約30km、ノンストップならば、車で1時間かからないだろう。なお、長野市内を抜ける千曲川西岸ルートは、朝の渋滞に遭遇する可能性が高いので、避けた方が良いと考えた。案の定、交通量も然程多くなく、屋代線の線路をちらほらと見ながら、順調に北上する。途中、信濃川田駅近くの谷街道宿場町の川田宿に立ち寄って、ここも見学をしよう(屋代線編にて紹介)。

松代を過ぎた金井山付近は、白い急崖が所々に見え、国道と白崖に挟まれた果樹園の中を、屋代線の線路が走っている。この崖からは、柴石という地元特産の安山岩・凝灰岩(地元で建築資材として使用)が採れるそうで、周辺には石材屋も多い。なお、「柴」は、ここの集落名である。


(白い岩肌が見える柴地区。)

川田宿を見学した為、正午前の11時に、小布施中心部に到着する。国道の近くの町営駐車場(有料・4時間まで普通自動車300円)に車を停め、徒歩観光をしよう。時折、薄日が差す明るめの曇り空で、やや気温が低く、上着が必要である。とても、北信州の晩秋の感じがする。

町営観光駐車場の受付は、観光案内所も兼ねており、ガイドマップも貰った。この小布施は、「信州の小京都」、「栗と葛飾北斎由縁の町」と呼ばれる有名観光地で、長野市中心部から北東の千曲川東岸にある。以前、車で通過をした事はあるが、小布施観光は初めてになる。


(町営有料駐車場。)

車で来ているが、町の玄関口の長野電鉄小布施駅に行ってみよう。町営駐車場から西の国道403号線に出て、向こう側に渡り、そのまま道なりに歩いて行く。


(国道403号交差点。二車線しかないが、交通量はとても多い。)

駐車場から徒歩10分程で、長野電鉄小布施駅に到着する。木造駅舎ではないが、日本瓦屋根の和風建築になっており、観光地らしい雰囲気のある駅舎になっている。長野電鉄本線の主要駅のひとつである終日有人駅で、大正12年(1923年)3月の河東鉄道河東線(かとう-)の延伸開通時に開業、長電長野駅から14駅目、17.5km地点、所要時間は約35分(普通電車利用)、長野県上高井郡小布施町大字小布施字親木、標高349mにあり、特急も含めた全ての列車が停車する。


(長野電鉄小布施駅。観光協会案内所やテナントも入っている。)

出入口の間口は広く、一枚板のシンプルな駅名標が掲げられている。防寒・風防設備や改札外待合室が無く、悪天候時や冬季は隣の観光案内所兼喫茶店を利用するか、ホームの待合室で待つしかない様である。


(駅出入口。)

昔ながらの出札口が残り、自動券売機も一台設置されている。改札口は、金属ポールとサッシ引き戸の簡易な設備になっている。また、ポスター等が丁寧に貼られており、地方ローカル線によくある煩雑な印象が無いのが好印象である。


(改札口周辺。)

コインロッカー上に駅時刻表があり、改札口上には、二段表示の自発光式列車案内表示器が、上下線別々に設置されている。特急を含めて、毎時2-3本の運行ダイヤになっており、標準的な地方ローカル線の幹線級ダイヤである。


(駅時刻表。)

駅構内も見学してみよう。出札口で硬券入場券を購入する。なお、普通サイズの入場券もあるが、栗が描かれた葉書サイズの日本一ジャンボな入場券も有名である。
長野電鉄公式HP「小布施駅ジャンボ入場券」

改札を通ると、駅舎側単式ホームと島式ホームの組み合わせの2面3線が、南西・北東方向に配置され、中央の島式ホームが普段の乗降に使われている。


(ホーム南西端・須坂方の構内踏切付近から、ホーム全景を望む。)

この駅は、逆番線振り分けの上、右側進行の特例駅となっており、全国的に珍しい。駅舎側が3番線になり、イベント列車の発着時以外では、使われていないという。また、物品販売もしている為か、あまりホームの感じがしない。

昭和35年(1960年)頃の構内写真を見ると、現在の3番線は中線になっており、旧駅舎側にホームに接したもう一本の線路があって、貨物や鉄道手小荷物の扱いをしたという。なお、長野電鉄の貨物営業廃止は昭和47年(1972年)3月、鉄道手小荷物廃止は昭和58年(1983年)8月になっている。また、当時の島式ホームは、現在と同じ旅客乗降用に使われており、逆番線振り分けの理由は、この貨物用ホームを1番線とすると勝手が悪かった為と思われる。


(駅舎本屋と3番線。駅前からは、平屋に見えるが、二階建てである。)

長野方の警報機・遮断機付き構内踏切を渡って、島式ホーム1・2番線に行ってみよう。踏切横から長野方を望むと、線路は真っ直ぐに伸びている。なお、長野電鉄の本線は、単線直流電化1,500Vになっている。


(長野方。)

構内踏切を渡ると、改良工事がされた階段と大きなスロープがあり、木造の旅客上屋がある。ホーム幅が広いのも、観光地の玄関駅らしく、混雑する乗降客をさばく配慮であろう。支柱間をM字の斜め梁で繋いでいる形は、屋代線屋代駅の旅客上屋と同じデザインになる。

暫くすると、信州中野行き8500系T4編成(3両編成)が到着。数人の観光客が下車する。今日は曇っていて見えないが、ホーム上から北西方向には、「北信五岳」こと、飯縄山(いいづなやま)・戸隠山・黒姫山・斑尾山(まだらおさん)・妙高山の雄大な山並みが見える、大変景色の良い駅としても有名である。
マピオン電子地図(小布施駅と北信五岳・3D地図・1/30万)


(傾斜の緩い大きな屋根の木造旅客上屋。)

(島式ホームの旅客上屋全景。全長は然程長くない。※構内踏切から撮影。)

旅客上屋の柱には、昔ながらのホーロー製行先案内版も残っている。廃線になった木島方面も書かれているが、後ろの柱の文字は隠してあるので、誰か剥がした様である。また、信州中野の「州」は珍しい字体で、代用異体字「刕」の省略漢字であり、「大刕(たいしゅう)」の様に苗字に使われる場合がある。なお、「刀」が「力」になっているのは、誤字といわれている。


(柱行き先案内板。改札口に、叔母に連れられた小さな子が、電車を見にやって来た。)

木造旅客上屋の端には、十畳程の大きな待合室があり、内外の壁は今風であるが、木造ロングベンチが据え付けられている。入口横の広告入りの大きな姿見鏡に、昭和の雰囲気を感じる。


(ホーム待合所内。)

再び、ホームに出る。湯田中方を望むと、2番線の信州中野・湯田中方面がそのまま本線として直進し、1番線と3番線をまとめる。右の大きな建物は、県内独立チェーン系ドラッグストアである。


(湯田中方を望む。)

湯田中寄りのホーム上には、俳人・小林一茶の句碑も立てられている。「いがごてら 都へ出たり 丹波栗」と刻まれ、棘が付いたままの特産の栗が、都に運ばれる風情を詠ったものらしい。後ろは、「ながでん電車の広場」と名付けられた、長野電鉄の鉄道車両を静態保存する施設になっている。


(建て植え式駅名標と小林一茶句碑。)

また、何故か、発電所の導水管と水車が展示されている。これは、長野電鉄の前身・河東鉄道創業者の神津藤平(こうづとうへい)氏によって、千曲川支流の樽川に建設された樽川第二水力発電所のものである。

当時の電化鉄道では、鉄道会社が発電所を所有する事もあった。大正15年(1926年)の河東線全線電化の際に建設された、ふたつ建設された長野電鉄専用発電所の内のひとつで、平成4年(1992年)に中部電力へ譲渡されるまで、65年間活躍している。現在は、藤平氏の名を冠した藤平第一・第二水力発電所として、第一発電所が650kW、第二発電所が930kWの小さな発電所になっている。


(旧・樽川第二水力発電所の導水管とベルトン水車。)

この独特なカギ状の水車はべルトン水車と言い、ノズルからジェット水流を出し、水車の二列バケツで効率良く水力を受け取る構造になっている。昔の日本の水車にも見られる構造で、黒部第四ダムも採用している水車形式である。

(つづく)


2020年3月21日 ブログから転載・文章修正・校正。

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