湊線紀行(10)那珂湊めぐり その3

那珂湊の中心市街地を散策してみよう。金龍松影の井戸(大井戸)【A地点】から港の方角に歩くと、交通量の多い通りの交差点にトタン倉庫と大正風建築の建物が建っている【赤色マーカー】。手前の黒トタンの建物は、川上弥介商店こと、通称「さのや」の倉庫で、金物販売店である。交差点を曲がった通りに面して、木造の古い商家が建つ。また、向かいには、大正風建築のタバコ兼雑貨店の鯉屋商店【黄色マーカー】がある。鯉屋商店の後ろにも、珍しい2階建て石蔵【青色マーカー】が建っている。

なお、那珂湊は、近くの勝田や阿字ヶ浦に軍事関連設備があったにも関わらず、アメリカ軍の大規模な空襲に遭わなかった。しかし、昭和22年(1947年)4月29日夕方に約1,500戸を焼く大火があり、現存する古い木造商家は大変少ない。煙突からの火の粉が原因であったという。

さのや金物店は、元々は、煙草の製造を行っていたという。町の主要産業のひとつであったが、明治30年(1897年)に国の専売化により、民間での製造販売ができなくなったたため、商売替えしたらしい。また、当時の那珂湊では、醤油や味噌などの醸造業も盛んで、県内生産量の20%以上も占めていた。北海道や東北から昆布を仕入れて加工する、刻み昆布製造も盛んで、全国に出荷されていたという。


(交差点角のトタン倉庫と鯉屋商店。ホーロー看板の赤鳩印は、現在のJFE鋼板[川崎製鉄]のブランドであった。)

(川上弥介商店「さのや」。右手には、防火用水のコンクリート製天水桶も残る。)

(鯛屋商店裏の2階建て石蔵。店の所有らしい。門も石で出来ている。)

この交差点を横断し、もう少し南の路地に入った所に、関東最大級と言われる大土蔵【緑色マーカー】があるので、行ってみよう。しかし、建物はなく、東日本大震災で大きく損傷したため、取り壊しになったという。木材を取り扱う豪商・木内家の倉庫として、江戸時代に建てられたもので、江戸時代末期の天保13年(1842年)の絵図に描かれていることから、築160年以上とされていた。

幅18間(29.1m)、奥行き4間(7.1m)、高さ4間(同)もあり、延べ62坪(205m²)もあった。当時は、ひたちなか市の歴史資料館として一般公開され、幕末の水戸天狗党の乱やその後の打ちこわし騒動でも、持ちこたえたという。とても残念である。


(震災のため、取り壊された木内家土蔵。当時、市の「ふるさと懐古館」として、公開されていた。※震災1年前の2010年4月25日訪問時に撮影。)

取り壊しはショックであるが、気を取り直して、那珂湊中心部を交差しているメインストリートの県道に出てみよう。古い商店街が今も残り、現役店舗も多いのは、町内に大きなショッピングモールがないことや、昔から住んでいる年配の人達が頻繁に利用しているからであろう。湊本町交差点の近くに、名物店がふたつあるので紹介したい。

昭和5年(1930年)創業の老舗の町パン屋「みなとパン店」【紫色マーカー】は、近年、口コミで美味しいと話題になり、町外からも買い求める人が多いという。太平洋戦争の頃は、配給所(※)であったとのこと。アンパンが看板商品で、ひとつ買ってみて食べてみると、素朴で懐かしい昭和の味がする。なお、餡は昔ながらの薪たきで、丁寧に練り上げ、優しい甘さが印象的である。他、店内には、メロンパン、クリームパンやフランスパンなども多数あり、特に食パンは、全国菓子博覧会で高松宮王冠賞(総裁最高賞)を受賞した程の出来栄えとのこと。


(みなとパン店。店は建て替えられている。)

(看板商品のアンパン[税込み110円]を購入。通りのベンチで食べることもできる。長時間発酵させた生地と優しい味の餡が、ほっこりな気分にしてくれる。)

みなとパン店の並びにも、以前から気になる店がある。生わかめや干し芋などを扱う「伊勢増(いせます)」【茶色マーカー】である。殿山駅の駅名標や茨城交通時代の番線案内板が、店頭に飾られており、おそらく、店主が大の鉄道好きなのであろう。昔から、湊線を訪れる鉄道ファンの間では、とても有名になっている。また、店で扱っている干し芋は、自社農園産・自社工場製のこだわり品とのこと。干しいもアイス(税込み200円から)など、地元食材を使った創作食品もあるので、食べ歩きも良いだろう。


(伊勢増。明治30年[1897年]創業の海産物店の老舗という。)

(那珂湊ギャラリーと名付けられている。湊線でも、茨城交通時代のものは少なくなっており、今や貴重である。)

この湊本町は最も栄えた場所になり、戦前、駅から港までの貨物引き込み線(臨港線)を敷く計画も立てられたが、諸般の事情で実現できなかった。しかし、終戦直後、旧日本軍の弾薬を海洋投棄することになり、GHQ(連合国軍最高司令官総司令)の命令で敷設された。その後、線路を撤去するか、漁獲物の輸送に利用するか、検討されたが、那珂湊の大火後に撤去された。実質3ヶ月間使われ、1日5往復の国鉄蒸気機関車牽引の貨物列車が走ったという。

散策マップのゴールである、四郎介稲荷【祈りマーカー】に行ってみよう。静かな住宅地の中を歩いて行く。那珂湊は全体的に平坦であるが、この付近は微高地になっている。太古の昔、那珂湊は水底にあり、この那珂川河口部一帯は「阿多可奈湖(あたかなのみなと/あたかなこ)」と呼ばれる大きな汽水湖であったという。この微高地は、湖と海を隔てていた自然堤防跡といわれ、阿多可奈湖は那珂湊の地名由来である説もある。

四郎介稲荷神社に到着。千本鳥居を潜ると、沢山の狐が迎えてくれる。なお、四郎介は人名ではなく、神の使いである狐の名前だという。昔、常陸の大社である静神社(しずじんじゃ/現・茨城県那珂市)の森に、神通力を持つ4兄弟の狐がおり、人間に協力するため、4つの神社に分かれ住んだという。この那珂湊には、四郎介という狐が住み着き、町の発展に協力した言い伝えがある。


(二の鳥居と千本鳥居。境内は広く、約800坪とのこと。)

(社殿。地元では、「四郎さん」と呼ばれ、親しまれているという。)

(見事な龍の彫り物。小さな社であるが、正1位の称号を賜っている。)

安土桃山時代の文禄3年(1594年)、湊村の飯塚家の初代当主が四郎介狐から神託を受け、京都伏見稲荷から勧請したとある。なお、豊受大御神(とようけのおおみかみ/伊勢神宮外宮の女神。農業と食物の神)を御祭神とし、四郎介はその使いになる。明治9年(1876年)再建の社殿は、彫り物が凄い。

なお、飯塚家は当時の湊村の名家で、藩や村の発展に大きな貢献をした。二代目当主・喜兵衛廣道は、江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉の生類憐れみの令の取り締まり役になり、その功績から、水戸藩主より代々苗字帯刀を許され、江戸深川の8万坪の土地を幕府より下賜される程であったが、固辞し、大赦を願い出て、生類憐れみの令で捕縛された人々を解放(牢獄払い)させたという。お上からの命なれど、人々が苦しむに耐え難かったのであろう。

ここが終点であるが、那珂湊天満宮【鳥居マーカー】が近くにあるので、行ってみよう。湊公園の裏側の山下に鎮座する。鎌倉時代、菅原道真公の御霊が海からやって来たと言う伝説があり、当時の領主が北野山満福寺泉蔵院を建立し、祀ったとされる。神仏習合が長らく続き、仏像を安置し、神前で大般若経の転読会(※)も行われたという。その後、江戸時代の水戸藩によって、神仏分離が行われ、歴代藩主の加護と尊崇を受けていた。

大鳥居を潜ると、参道が直角に曲がる。境内はとても広いが、やや殺風景な感じで、神社の雰囲気は少ない。鉄筋コンクリート製の近代的な社殿になっていることもあるだろう。


(大鳥居。昭和12年[1937年]5月に建立したと、柱に刻まれている。)

(大鳥居横には、幕末の文化5年[1808年]の石灯籠も現存している。)

「八朔祭(はっさくまつり)」と呼ばれる宮祭りは、町一番の大祭になっている。海から来た道真公にちなみ、白褌の男達に担がれて、神輿が浜に降りる。海に沈められた後は、町に上がり、暴れ神輿になるという。また、10台以上の屋台も引き回される。屋台上では、神楽や獅子舞をせず、着飾った町の女性達が座り並び、「それ、それ、おっしゃい、おっしゃい、おっしゃいな」と連呼し、おっしゃい囃子と呼ばれる独自な囃子になっている。


(拝殿。失火により、昭和49年[1974年]に再建された。気が付かなかったが、後ろの本殿と御神体は無事だったとのこと。)

門前に昔ながらの池谷氷菓店【アイスマーカー】がある。歩き通しで、体も火照っているので、一休みしよう。カラカラと引き戸を開けると、大変広い店内であるが、通りに面した場所だけが店になっている。


(昭和な雰囲気満点の池谷氷菓店。)

60代の女将が、「いらっしゃい」と奥から出てきた。暖簾に掛かる今川焼(大判焼)が名物らしく、それをひとつ注文。暑いので、冷茶やアイスも買おう。店の一角にテーブルがあるので、そこで食べて良いとのこと。テーブルも大理石風合板で、懐かしい昭和のままになっている。

もう、70年間営業しているとのこと。昔は、大勢の参拝客が訪れ、店も沢山並んでいたが、次第に寂れてしまったそうである。下校する小学生達も常連であったが、今は先生が厳しく、買いに来なくなったという。なお、東日本大震災後に神主が不在になり、天満宮は荒れてきているとのこと。宮と一緒に歩んできた店であるためか、とても残念そうであった。

作りたての粒餡の今川焼が出てきた。もちろん、自家製餡で、皮は薄く、餡がとても多い。しっかりとした甘みがあるが、くどくなく、とても美味しい。粒餡と白餡の2種類のみと、なかなか硬派なメニューであるが、この味ならば有無を言わせない感じである。夏は、かき氷も取り扱っている。


(池谷氷菓店の今川焼[粒餡/税込み110円、※白餡も同価格]と自家製バニラアイス最中[税込み150円]。アイスも、さっぱりとした懐かしい昭和の味である。)

(店頭の焼き器も見せてみらった。四角の型枠は珍しく、特注品とのこと。※撮影許可済み。)

時刻は16時20分を過ぎた。日も少し傾いてきている。これにて、那珂湊の散策は終了である。5月としては夏の様な陽気であったが、古刹名所をたっぷり観れたので、大満足である。女将にお礼をして、駅に戻るとしよう。

(つづく)

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(※配給所)
太平洋戦争中は、食料や生活必需品は国から配給されていた。割り当てられた配給切符を持参し、配給所で受け取った。なお、昭和の頃、米穀に「自主流通米」の区分があったが、配給制度の名残(配給米でないという意味)である。
(※汽水湖)
淡水と海水が混ざった湖。海への開口部を有する場合が多い。浜名湖やサロマ湖など。
(※大般若経)
全部で600巻もある最大級の経典。複数の僧侶が分担して読み上げる。完全な読み上げは膨大な時間がかかるため、通常はその一部の真名(まな)などを読み上げる。

【参考資料】
現地観光歴史案内板
「みなとまちなか漫遊MAP」(発行元・発行年不明。駅で入手。第4版改定2。)

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