湊線紀行(11)水浜電車と殿山駅。

那珂湊散策の最後に、戦前の一時期、もうひとつの鉄道駅が那珂湊にあったことに触れておきたい。

常磐線(当時は日本鉄道)のルートより外れたための連絡鉄道としてスタートした湊鉄道の開通後は、県都であり、行政中心地であった水戸へのアクセスの重要性も増していった。そんな中、湊線開通から遅れること約11年の大正14年(1925年)7月、水戸から大洗中心市街地を経由し、那珂湊対岸の磯浜に向かう水浜電車が開通した。水戸に直接のアクセスがあることから、水戸市内交通や大洗への海水浴客輸送で大繁盛をしたという。更に延伸をして那珂川を渡り、那珂湊町内に終着駅を設置することを目指し、両鉄道の激しい攻防があったのは、あまり知られていない。なお、水戸から大洗を経由し、那珂湊に至る路線は、磯湊鉄道という構想が練られていた。

(水浜電車路線イメージ。※路線は正確なルートを示したものでなく、大まかなルートになる。)

両鉄道共にサブロク(※)の線路を使っていたが、水浜電車は湊鉄道の様に国鉄(当時は省鉄)に準じた標準鉄道ではなく、より軽便な路面電車であった。両鉄道からの所轄官庁への陳情、特許や延伸免許申請などの攻防が行われた。そして、磯浜までの開業後は、那珂川を渡る渡船も運行され、湊鉄道にプレッシャーを与えたという。昭和5年(1930年)11月には、那珂川河口に海門橋が架橋され、そこに軌道を敷設。湊鉄道が危惧していた水浜電車の那珂湊町内への延伸を許してしまう事態になった。厳密には、鉄道車両規格が違うが、湊鉄道の駅(現・ひたちなか海浜鉄道那珂湊駅)よりも町の中心地にあった。

しかし、状況は大転機になる。昭和13年(1938年)6月に那珂川の大洪水により、海門橋が落橋。水浜電車の渡河運行も休止になった。折しも、前年には日中戦争が開戦し、同年には国家総動員法が発布され、戦時色が濃くなっていく。翌年には、湊鉄道も水浜電車傘下になり、昭和19年(1944年)に国策により茨城交通に統合。本社は元・水浜電車本社に置かれ、社長も元・水浜電車創業者(社長)であったことから、水浜電車を地域の中核的鉄道事業者として、国は水浜電車に湊への延伸などを早々と許可したと思われる。茨城交通に資産全てを譲渡する形になった湊鉄道は、会社解散になっている。

その後、海門橋は直ぐに再架橋されることはなく(※)、昭和28年(1953年)に大洗から那珂湊間を正式に廃止。茨城交通の主要路線であった水浜線(元・水浜鉄道)は、水戸市から市内軌道線の廃止要請や自社の茨城交通バスとの競合に破れ、昭和40年(1965年)に全線廃止になっている。当時の水浜電車との攻防には負けてしまったが、湊鉄道をルーツとするひたちなか海浜鉄道が今も健在であるのも、興味深い。なお、水浜電車の湊駅は、再開発で住宅地化しており、その跡は無くなっているという。

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那珂湊1650======1653殿山
下り阿字ヶ浦行・←キハ11-6+キハ11-5(2両編成)・ワンマン運転
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1日目の最後の訪問駅になる殿山駅に向かおう。2両編成のキハ11形が到着し、数人の乗降がある。殿山駅は隣駅なので、3分程度の所要時間になる。

定刻に発車。駅南の半径201mの急カーブをこなすと、10パーミルの長い勾配を登る。湊線の線路敷設工事で最も難所であったと言われ、切通しにしている。海岸沿いの台地の一部であるが、富士山と地元で呼ばれているのも面白い。字(あざな)も、「富士ノ上」になっている。台地の西端なので、富士山がよく見えるからであろう。


(黄昏れつつある那珂湊駅に下り列車が到着する。上りのアニマルトレインと交換。)

(通称・富士坂を登ると、殿山駅に到着。)

殿山駅に到着。乗降は自分ひとりだけで、列車は直ぐに発車になる。那珂湊から磯崎間は第二次開通区間として、大正13年(1924年)9月3日に開通しているが、開通当時の駅ではなく、4年後の昭和3年(1928年)7月に追加設置された駅になっている。当時、乗合バスとの競合が激しさが増したため、その対策の一環として設置された。なお、金上駅と同日の駅開業になっている。

起点の勝田駅から9.6km地点、6駅目、所要時間約17分、ひたちなか市浅井内、海抜約20mの台地上にある。駅開業以来の無人駅であるが、平成時代の一時期は通勤通学時間帯に駅員が配置されていた。近くに県立高校があり、高校生の通学利用が多かったためである。

住宅地の後背地にひっそりと建ち、観光客の利用は非常に少ない。1面1線の長い単式ホームは、最大4両まで停車できるが、通常は駅舎のある阿字ヶ浦方に停車する。なお、この狭いスペースに列車交換設備があったというが、撤去時期は不明である。その跡らしいスペースも、阿字ヶ浦方に少し残る。改札口は開放的で、鉄パイプと廃レールで簡易に造られ、国鉄風の大きな電光式駅名標が吊り下がっている。


(改札口と電光式駅名標。)

(勝田方からのホーム全景。安全上、駅構内は勾配はなく、水平「L[水平の英語LevelのL]」になっている。)

ホーム端から終点の阿字ヶ浦方を望むと、長い複線跡らしいスペースが続いている。海岸台地の上であるが、10パーミルの勾配が再び続く。勝田・那珂湊方は、富士見坂が真っ直ぐに下るので、長い勾配の途中にある駅になっている。また、向こうに線路を跨ぐ橋が見える。富士見陸橋と呼ばれ、かつては富士山と列車が同時撮影できる撮影名所であった。元々は、佐久間橋と呼ばれ、開通時に架橋した湊鉄道所有の人道跨線橋(※)であったが、昭和50年(1975年)の架替え時に市に移管し、二車線の道路橋の富士見陸橋の名になっている。


(阿字ヶ浦方を望む。再び、10パーミルの上り勾配になる。)

(勝田方と富士見陸橋を望む。10パーミルの富士坂が下る。)

小さい駅ながら、駅舎も阿字ヶ浦方の奥まった場所にある。駅開業の4年後、暴風雨のために駅舎が大破し、その翌年に建坪を減らして、建て替えられているので、その当時の駅舎であろう。また、ホームの旅客上屋と一体化したベンチは、廃止された茨城交通水浜線の馬口労町入口停留所の転用品と言われており、珍しい構造である。記録では、昭和54年(1979年)にホームを全面舗装化。昭和62年(1987年)にホーム待合室上屋増築とある。


(元・水浜線の待合所と言われるベンチ付き旅客上屋。)

実は、県立那珂湊第二高校が平成23年(2011年)3月に廃校になり、通学生達で朝夕賑わった駅も、今は静かになっている。ホーム花壇の一角に、「ありがとう湊線」の閉校記念碑が建てられており、同校の美術選択の卒業生達が制作したもので、木に止まるフクロウをデザインしている。また、デザイン駅名票は、市花のハマギクとケイトウをあしらっている。


(地元ボランティアが管理しているホーム花壇とデザイン駅名標。)

(閉校記念碑。)

ホームの向かいの土手には、一本足の電鈴が設置されているのが目を引く。上り列車の接近を通学生達に知らせるために設置されたもので、今はその役割も終え、鳴らなくなっている。「チンカンベル」と呼ばれ、地元や鉄道ファンの間では親しまれていたので、少し寂しいところである。


(上り列車接近を知らせたチンカンベル。)

駅前に出てみよう。ロータリーや商店はなく、切通しにあるのがよく分かる。住宅地からも、急な下り坂になっており、駅出入口手前に数段の手すり付き階段がある。なお、駅前からは、列車交換跡は全くわからず、当時の構内配置はよくわからない。


(駅前から駅全景。自転車は地元通学生のものであろう。)

さて、今夜は、起点駅の勝田駅前のビジネスホテルに宿泊する予定である。夕食は付いていないので、那珂湊で再び下車し、もうひとつの名物を食してみたい。阿字ヶ浦で折り返してきた上り列車に乗車する。


(折り返しの上り列車が到着。)

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殿山1719======1723那珂湊
上り勝田行・←キハ11-5+キハ11-6(2両編成)・ワンマン運転
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17時23分に那珂湊に到着。駅の待合室は帰りの観光客で混雑している。駅から湊本町交差点方面に行き、路地奥の地元食堂「喰い道楽 すみよし」【上記地図マーカー】に到着。大衆食堂と言うよりは、観光客や冠婚葬祭時などの会食にも対応する、やや高級な町食堂になっている。


(湊中央町の「喰い道楽 すみよし」。※昼の散策時に撮影。)

海の幸が定番である那珂湊であるが、名物のB級グルメもある。那珂湊焼きそばである。然程、有名ではないので、焼きそば好きでも意外に知られていない。地元では、50年以上の歴史があり、町のソウルフードになっているとのこと。この店は、那珂湊焼きそばの代表店のひとつで、この店が元祖になっており、他に数店舗が提供している。なお、店による大幅なアレンジを認めており、同じ那珂湊焼きそばでも、かなり違う。レギュレーションの厳しい静岡県富士宮市の富士宮やきそばと、大きく異る特徴である。

店に入ると、奥の座敷(あがり)に案内される。座敷であるが、テーブルと椅子が置いた和洋折衷スタイルである。早速、「やきそばソース味 中サイズ(税込み486円)」を注文。10分位すると出てきた。


(すみよしの那珂湊焼きそば。中は普通盛りになる。大や特大も選べる。豚骨スープは差し水の代わりに使っているとのこと。)

この店の那珂湊焼きそばは、ラードと豚骨スープを絡ませたソースが特徴になっているとのこと。一口食べてみると、たしかに独特で、豚骨の味がする。出汁感も強く、油分も多いが、マイルドな味になっている。しかし、辛さが後から増してくるので、水が欲しくなるほど、結構濃厚な味である。王道の甘辛いソース味ではないが、面白い味付けと思う。なお、地元のわたなべ製麺所の手延べせいろ麺を使うのが、定番になっており、モチモチとした独特な歯応えの中太丸の短い麺になっている。

この店では、麺類や海鮮丼などの他、冬はあんこう鍋も食べられる。那珂湊の冬の名物として、これを目的に訪れる観光客も多い。大変美味しいらしいので、機会があれば、食べてみたい。

食い道楽 すみよし 公式サイト
(11時から20時まで営業、不定休、無料駐車場あり、ひたちなか市湊中央1-5-12。)

穴場的焼きそばを食した後、那珂湊駅に戻り、18時22分発の上り勝田行に乗車する。10数人の乗客を乗せ、勝田駅に付いた頃、やっと空も薄暗くなってきた。涼しくなり、心地いい疲れを感じながら、駅前のホテルに向かおう。


(勝田駅に到着。1日目を無事に終える。)

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那珂湊1822======1837勝田
上り勝田行・キハ11-7単行・ワンマン運転
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(2日目につづく/ひたちなか海浜鉄道1日目おわり)

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(※サブロク)
線路の幅が、3フィート6インチ=1,067ミリ。狭軌のこと。
(※海門橋)
明治中期から、木造橋が繰り返し架橋された。水浜電車の軌道が併設されたのは、4代目になる。現在、昭和32年(1957年)竣工の5代目が架橋されている。洪水時の莫大な水量と軟弱な地盤が技術的に難しかったという。
(※佐久間橋)
当時の湊鉄道の支配人兼取締役であった、佐久間傅太郎(でんたろう)氏からと言われている。

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