上信線紀行(3)上州福島へ

この上信電鉄7000形に乗車して、終点の下仁田駅(しもにた-)まで、ロケを兼ねて行ってみよう。路線キロ33.7km、片道約1時間のノンビリとした旅である。少し寒いが、すこぶる快晴で、天気は上々である。


(7000形の車内。※折り返しの上り高崎行き列車にて撮影。)

上信線は、利根川水系の鏑川(かぶらがわ)の広い川谷を西進する川線であるので、西に向かって、ゆるい上り坂をずっと登って行く感じである。高崎駅と下仁田駅の標高差は、約158mとそんなにきつくは無い感じで、全線の路線キロ相対平均勾配率も4.7パーミル(※)になっている。しかし、南蛇井駅(なんじゃい-)までは、比較的起伏が少ない平坦地を走るが、その先から下仁田まで、険しい山線となっており、急勾配と急カーブが連続する。

なお、上信電鉄の「信」は、勿論、信州を表している。かつては、下仁田駅から、西牧道(さいもくどう/現・国道254号線)沿いの宿場・本宿(もとじゅく)と内山峠を経由し、鉄道省小海北線中込駅(現・JR小海線中込駅)まで延伸する計画があり、国鉄信越本線の様に関東と信州を結ぶ路線になるはずであった(※)。しかし、昭和4年(1929年)の世界恐慌や戦争の戦局悪化により、それも夢と消え、社名のみに残っているのである。

また、上信線は、繭や生糸の大量輸送を担った産業自生鉄道(※)がルーツである。山名(やまな)の炭鉱や材木、下仁田の鉄鉱山、石灰山、砥石を産する山や農林産品も豊富で、鏑川流域には古くからの町や古刹も多く、沿線の人口も多かった。開業直後は、経営に苦しむ地方鉄道が多かったが、旅客貨物共に好調であった。

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【停車駅】◇→列車交換可能駅・信号所、〓→主な鉄橋。
高崎821======923下仁田
下り普通(普)11列車・下仁田行き(7000形2両編成)

高崎 起点駅・有人駅

南高崎

◇(佐野信号所)

佐野のわたし駅 最も新しい新設駅(平成24年)

〓(烏川橋梁)

根小屋 木造駅舎・有人駅

高崎商科大学前 学校前の新設駅(平成14年)

山名◇ 木造駅舎・有人駅・開業当時の駅・構内右側進行
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2両編成の7000形に乗り込むと、朝ラッシュの反対方向の下り列車なので、乗客は20人位である。快適なセミクロスシート車で席も空いているが、過ぎゆく線路と車窓を眺めたいので、あえて、最後尾運転台近くの立席にする。

発車時刻の8時21分直前に、ミュージックメロディーの発車ベルが鳴り響く。昭和後期、「アジアの歌姫」と呼ばれた故・テレサ・テンの有名曲を使っており、高崎との縁は不明であるが、50代以上の世代にとっては懐かしい。なお、電車型待合所付近では、モーツァルト40番が流れるので、発車時にふたつのメロディーがホームに流れる珍しい発車ベルとなっている。この発車ベルの後、ブーと言う無機質な戸閉兼発車警報音が鳴り、発車となる。

タイフォン(※)を一声し、列車が発車すると、車両区の真ん中を緩くカーブしながら、通過する。高崎駅から暫くは、低層の住宅地をゆっくり南進し、3分程で南高崎駅に到着。町中にある単式ホームの無人駅で、意外に通勤通学客の乗降が多い。なお、停車駅案内は女声の自動放送で、富岡製糸場への外国人観光客の為に英語でも放送を行っており、地方中小鉄道としては珍しい。


(高崎駅を発車し、車両区の中を通過する。※当列車の最後尾から撮影。)

プレートガーターの小川を渡り、県道71号線をアンダーパスすると、左大カーブ後に減速して、佐野信号所(※)を通過する。日野自動車広告ラッピングの6000形と、徐行しながらの行き違いになる。上越新幹線高架橋のコンクリート橋脚を、挟み込んでいる信号所であるが、停車する事は余りないそうで、上下列車が同時に徐行通過する事が多い。


(佐野信号所。昭和48年12月に設置されたので、新幹線の高架橋は後からの建設である。※上り高崎行き列車の最後尾から、下仁田方を撮影。以下同。)

新幹線下の信号所を通過。勾配を下りながら90度近く大きく右にカーブし、上越新幹線の高架橋と再び交差すると、平成24年(2012年)12月に新設された、佐野のわたし駅に到着する。駅名は一般公募で選ばれ、駅横に烏川(からすがわ)が流れており、船渡し場があったらしい。なお、高崎は台地上にあり、この烏川流域は低地となっているので、線路は下り調子である。


(佐野のわたし駅と烏川橋梁。対岸には、山名丘陵が見える。)

佐野のわたし駅を発車すると、直ぐに烏川橋梁を渡る。上信線の3つの大きな鉄橋の内、最初の鉄橋になり、工事中の為に制限時速35kmで通過する。この烏川は、昔は相当な暴れ川で、この鉄橋が壊れた事もある。下流側には、現役の木造橋「佐野橋」がかかっており、地元住民の生活橋として利用されていて、結構、人が渡っているのが見える。


(烏川橋梁から右窓の上流を望む。天気が良いと、榛名山の山々が良く見える。
左手の冠雪している頂は、草津の白根山。)

(人道橋の佐野橋は、車は通れない。橋脚は鉄骨、橋桁や橋板等は全て木造。)

長い烏川橋梁を渡り、堤防からの盛り土を下り切ると、左に大カーブし、アップダウンのある線路を時速60kmまで加速する。対岸に渡ると、住宅も疎らになり、一気にローカルな風景に変わる。目の前には、標高300m級の大きな丘陵があるので、その丘陵と烏川に挟まれた山際を南東に向って走る。

丘陵際の根小屋駅(ねごや-)を過ぎると、緑の多い高台に上がり、左窓に高崎の町並みが見える。なお、上信線には、峠越え区間は無く、ここがそれらしい雰囲気のある区間になっている。タイミングが合えば、烏川向こうのコンクリート高架線に、新幹線が高速走行している。


(山名丘陵際の高台を走る。北西方向には、赤城山や谷川連峰も見える。)

大学新設駅の高崎商科大学前駅を過ぎ、鬱蒼と緑が茂る山中の半径200mの急カーブを制限速度時速40kmでくねりながら、この高台から降りる。左手に町並みが見えて、8時30分に開業当時の古駅である山名駅(やまな-)に到着。高崎駅から最初の列車交換可能駅で、構内右側進行の特例駅(※)になっている。また、山名丘陵の登山口があり、地元古刹の山名八幡宮の門前駅でもある。遠足であろうか、先生に引率された可愛い幼稚園生達が大勢乗ってきて、急に賑やかになった。

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【停車駅】◇→列車交換可能駅・信号所、〓→主な鉄橋。
高崎821======923下仁田
下り普通(普)11列車・下仁田行き(7000形2両編成)

山名 木造駅舎・有人駅・開業当時の駅・構内右進行

西山名

馬庭◇ 木造駅舎・有人駅

〓(下流鏑川橋梁)

吉井◇ 木造駅舎・有人駅

西吉井

◇(新屋信号所)

上州新屋 木造駅舎

上州福島◇ 木造駅舎・有人駅
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上り列車交換後に山名駅を発車すると、大きく右カーブをして、丘陵の南側に廻る。この付近から、鏑川に沿って西に真っ直ぐ進み、田圃と住宅が混在する中を走る。なお、鏑川も近くを流れるが、線路からは離れており、車窓からは見えない。

かつて、上信電鉄が経営した川プールの駅であった西山名駅を過ぎると、長い直線区間になり、田畑が広がる中を時速60-70kmの高速で走って行く。なお、次の駅までの距離は、2.4kmあり、上信線内で三番目に長い区間になっている。


(山名駅から西山名駅間。右窓を見ると、丘陵の山際に集落が集まっている。)

そして、直線先右手に住宅地が見えてくると、列車は減速して、馬庭駅(まにわ-)に到着。木造駅舎が残っており、列車交換可能の左側進行駅である。近隣には、県立吉井高校があるので、高校生の通学利用が多い。

馬庭駅での列車交換は無く、発車すると、直ぐに下流鏑川橋梁を渡る。上信線は鏑川を二回渡るが、橋梁名に第一・第二、ではなく、下流・上流と冠しているのも、珍しい。対岸の荒れ地の盛り土部の勾配を上り、平坦地に接続すると、再び直線を高速で走る。


(下流鏑川橋梁。8スパンもある長いデッキガーター鉄橋である。)

そして、県道71号線「西上州やまびこ街道」をアンダーパスして、町並みの中に入って行くと、ふたつめの途中主要駅である吉井駅に停車。マンナンライフ広告ラッピングの500形と列車交換となる。吉井は、甘楽エリアの中心地のひとつで、町も大きく、乗降客も多い。ここで、山名駅から乗車した幼稚園生達が、下車して行く。

この吉井駅は、開業当時の古い駅であり、側線や保線区も置かれた大きな駅になっている。江戸時代までは、吉井藩と言う小さな藩(末期は1万石)も置かれていた。また、古代の石碑「上野三碑(こうずけさんぴ)」の内、最も有名な多胡碑(たごひ)は、この駅から1.9kmの場所にある。


(吉井駅。上州富岡駅と並ぶ二大途中主要駅である。)

吉井駅を発車する。大沢川の小鉄橋を渡ると、吉井の町を抜け、西に真っ直ぐ向かって走る。再び、左右には田畑が広がっている。また、この付近は、南側の御荷鉾山麓(みかぼ-)から鏑川支流が何本も北流し、溜池も見られる。

昭和40年代に上信電鉄が団地開発し、広大な田畑の中のスクエアな町になっている西吉井駅に停車。鏑川の支流の天引川を渡ると、新屋信号所(にいや-)があり、その200m先に上州新屋駅がある。この駅から、高崎市から甘楽郡甘楽町(かんら-)に入る。

緩い上り勾配の直線が続き、鏑川支流の小川の付近では、堤防部のアップダウンがある。左右に田畑が広がるローカルな雰囲気になり、進行方向右手に、浅間山と妙義山が見える風光明媚な区間になっている。なお、周辺の田畑は綺麗に区画整理されており、奈良時代頃の条里制の名残らしい。丘陵北側の安中に古代の街道である東山道が通っていたので、街道沿いから条里制が整備された。現代の上信越自動車道も、この甘楽と下仁田を経由して、軽井沢に向かっている。


(上州新屋駅から上州福島駅間。浅間山と妙義山が見える直線区間である。)

(妙義山のギザギザな岩肌が、遠くからでも判る。※光学ズームで撮影、112mm相当。)

そして、高崎駅から約30分で、三つ目の途中主要駅の上州福島駅に到着する。開業当時の古い駅で、木造駅舎が残る列車交換が可能な有人駅である。この駅まで来ると、高崎から乗車した客は半分になっている。なお、西山名駅から直線の緩い勾配が続くので、ローカル線としては、高速運転が続く。


(上州福島駅。)

この駅の南方3kmに、武家屋敷が残る城下町小幡(おばた)がある。二万石の小藩である上野小幡藩が置かれ、あの織田信長の孫の織田信良(のぶよし)とその子孫が、七代・約150年間に渡って治め、織田家の歴史を語るには、外せない土地柄になっている。また、「蒟蒻畑」で、有名なマンナンライフの工場も、この駅の近くにある。また、上信線のほぼ中間地点にあり、末端部の電圧降下が少なくなる事から、架線に電力を供給する福島変電所が電化当時から設置されている。

高崎駅からこの上州福島駅間までが、明治30年(1897年)4月19日に竣工し、5月10日に先行開業した最も古い区間になっている。今から、119年前の事である。

走る窓辺の夕映えに
雪をいただく浅間山
むらさきにおう妙義嶺(みょうぎね)や
大桁山(おおげたやま)の美しさ

上信電鉄新鉄道唱歌12番より/鈴木比呂志作詞・昭和56年。


(※下仁田駅からの鉄道延伸について)
下仁田駅からの延伸先の終着駅は、上信電鉄案と鉄道省案では異なっている。
中込駅終着は鉄道省の最終案になる。詳細は、下仁田駅の回で解説する予定。
(※勾配)
鉄道の勾配(坂の傾斜)は、水平距離1,000m当たりの高低差m(パーミル、‰)で表す。
(※産業自生鉄道)
特定地域の生産力増強と市場拡大に応じて、その地域の経済力を基礎とした鉄道。
(※タイフォン)
ファーンという電車の警告音。機関車や気動車は、フィーという空気式汽笛を装備。
(※信号所)
列車の行き違いや待ち合わせの為に設けられた、旅客や貨物を扱わない停車場。
(※構内右側進行)
日本の鉄道は、複線時は道路と同じ左側進行。但し、一部例外もある。

【参考資料】
「上信電鉄沿線見どころガイド」(上信電鉄・上信電鉄沿線市町村連絡協議会発行)
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄発行・1995年)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館発行・2004年)

線路撮影は、運転士のワンマン運転業務の差し支えになる為、
折り返しの上り高崎行き列車の最後尾から、下仁田方を撮影。
なお、運転席窓は遮熱ブルーガラスの為、色調補正処理済み。

2017年7月17日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正
2017年7月17日 音声自動読み上げ校正

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