上信線紀行(2)高崎駅

さて、上信電鉄の旅の始まりである。いつもながら、旅の始まりは気分も高揚し、楽しい。改札口の駅員氏から、フリー乗車券に赤日付スタンプを入れて貰い、ホームに向かおう。

上信線のホームは、中央部分を抉った様な行き止まり頭端式になっており、0番線が振られている。国鉄・JRと駅構内で直接連絡していた頃は9番線であったが、平成17年(2005年)の改札分離の際、0番線に変更されている。また、0番線と言うと、個人的には、出雲市行き夜行鈍行山陰号に乗る為に並んだ、昔の京都駅山陰線ホーム0番線が思い出される。なお、1番線ホームよりも手前にホームが増設されると、この0番線が使われる事があるが、近年、新たに使われる例は、大変珍しいと言える。

かつての上信電鉄高崎駅は、現在地よりも、南に独立してあったらしい。大正13年(1924年)12月の改軌の際、省線(後の国鉄線)との連絡運輸(※)の為、現在のJR高崎駅寄りに延長し、駅構内に組み込まれた。当時は、客貨混合列車運行の為、旅客用と貨物用にそれぞれ別に設置した島式ホームで、途中駅の列車交換駅も島式ホームに全て改築されている。また、検修区、乗務員詰所、貨物取扱所、事務室、社宅や物置も同時期に新設された。


(上信電鉄ホーム。ホームはJRの所有になっており、上信電鉄が賃貸している。)

かつては、三両編成の電車を運行していたので、ホームの長さもその分ある。0番線ホームの壁側には、懐かしい昭和風の広告や木造ベンチ等がずらりと並ぶ。床はコンクリートパネル、旅客上屋は鉄骨柱の簡易なトタン屋根なので、戦後昭和の頃に改築されたらしい。


(太いゴシック体の青文字駅名標。他の上信線の駅には、見られない。)

(国鉄風プラスチックベンチ、据え付けのロングベンチ、木製ベンチが揃う。)

沿線の見所も多い。世界記憶遺産登録を目指している古代の三つの石碑である上野三碑(こうずけさんぴ)や、平成26年(2014年)6月に世界遺産に指定された富岡製糸場、上州一ノ宮の一之宮貫前神社(いちのみやぬきさき-)、下仁田の妙義山が代表的観光地になっている。特に、富岡製糸場が世界遺産になってからは、乗車率が35%も増え、週末の入場券付き往復割引乗車券が、それまでの五倍も発券していると言う。勿論、富岡製糸場や駅から至近な観光地は、この旅で途中下車をして訪ねてみよう。


(沿線観光案内板。)

(富岡製糸場観光案内看板。真新しい看板である。)

ホーム南端には、構内分岐器(ポイント)の取扱所らしい小屋が一段高い所にあり、廃車された電車を再利用した待合室も設置されている。なお、列車集中制御装置(CTC;Centralized Traffic Control)を導入しており、本社運転指令所からリアルタイムに全線の列車、分岐器や信号等を監視制御している。JRや大手民営鉄道では一般的であるが、この規模の中小民営鉄道では珍しい。


(取扱所と電車型待合室。)

(ホーム南側からの全景。)

この電車型待合室「絲綢之間(しるくのま)」は、廃車されたデハ203を再利用したものである。上信線ホームには待合室が無く、富岡製糸場が世界遺産に登録されて、観光客も急増している事から、沿線の高崎産業技術専門校の生徒126人が製作協力し、平成27年(2015年)4月にオープンした。車体は、そのまま側線のレールの上に乗っており、ホームからの渡り板も手作りになっている。

室内に入ると、とても暖かい。入口側のロングシート前に長テーブルが置かれ、奥にJRから譲渡された、普通車グリーン席用のリクライニングシートが設置されている。勿論、冷暖房も完備されており、出入り口横に飲料の自動販売機もある。北関東の夏はかなり暑く、冬は季節風が山から強く吹き下ろす日が多いので、大変助かる。


(昭和39年・東洋工機製のデハ203。下仁田方に閉鎖された運転台がある。)

なお、ホーム南側には、上信電鉄の本社ビルと車両区、検修区(車両検査修理工場)が置かれ、発車すると、複雑な線路配置の車両区の中を走って行く。


(上信電鉄本社ビル。歴代社長には、地元の中曽根康弘元総理の実父が務めていた。)

(南側道路からの車両区全景。手前西側に検修区の建物がある。)

電車型待合室から、凸型電気機関車デキ1形(1)が見える。後ろは、ED316(31形6)である。「上州のシーラカンス」の異名があるデキ1形は、上州電鉄のマスコット的電気機関車で、デキ1・3の2両が本線運行が出来る状態になっている。主に、イベント列車や貸切列車、工臨列車(こうりん-※)で使われている。

このデキ1形(1・3)は、大正13年(1924年)の全線電化直前に、ドイツ・シーメンスシュッケルト社から3両輸入された、自重30トン級の中規模鉄道向け直流電気機関車である。国内に現存する凸形電気機関車としては、大型の部類で、大変貴重になっている。主に、セメントや石灰石の貨物列車を運行し、沿線住民からは、「おめしれっしゃ」と言われていた。なお、貨物列車なのに、お召し列車(※)とは面白い。昭和9年(1934年)11月には、本物の鉄道省蒸気機関車牽引のお召し列車が運行されており、電化後に黒い蒸気機関車が走るのは珍しかった事や、同じ黒い車体から連想したと思われる。

また、JRとの渡り線も繋がっているので、タイアップイベント時には、デハがJRの留置線に行って、国鉄機関車や蒸気機関車と並んだり、JR東日本が所有する旧型客車スハフ42(国鉄スハ43系緩急車※)を借り受けて、上信線内で牽引する粋な企画も催された事がある。


(デキ1とED316。後ろには、上信電鉄本社ビルが見える。)

後方にあるED316は、国産凸形電気機関車を箱型に改造した車両である。動態保存機(※)であるが、列車自動停止装置(ATS)が未設置の為、本線走行が出来ない。元々は、芝浦製作所・石川島造船所(現・東芝とIHI)製の伊那電気鉄道デキ1形電気機関車で、シーメンスよりもひと回り大きく、自重40トン級である。伊那電気鉄道が国有化され、買収電気機関車の国鉄時代を経て、上信電鉄に譲渡された。

また、車両区には、現役の電車の留置の他、廃車後に倉庫として使われている100形電車や生石灰輸送用に使われていた二軸有蓋貨車(-ゆうがいかしゃ※)テム1形も留置されている。テム1形は10両中、8両が廃車され、動態保存車が2両(テム1形1・6)あり、デキ1形とイベント運行する事がある。なお、車両種別の「テ」は、当時は木造車体の貨車が一般的であったので、「テ=鉄板=鋼鉄製=鋼製車体」の意味である。車番下の二重線は、他社線直通可能車(国鉄と民営鉄道、または、民営鉄道同士間)を示す。


(テム1形1。かなり錆びており、吊り扉下部に腐食と鉄板の変形があるので、
近く廃車される運命かもしれない。なお、6は再塗装されており、綺麗な状態である。)

(100形103編成。西武鉄道からの譲渡車で、正面は国鉄101系電車に似ている。
この小豆色に青帯の塗装は、上信電鉄の旧標準色である。)

一通りの駅の見学をして、時計を見ると、時刻は8時10分過ぎである。そろそろ、列車に乗る事にしよう。

途中下車をするローカル線の乗り方としては、起点駅から順に途中下車する方法と、最初に終点まで一気に行き、起点駅に引き返しながら途中下車する方法のふた通りがある。正攻法で行きたい場合や路線キロが短い場合は、順に途中下車する方が良い。上信線の路線キロは33.7kmと特に長い方ではないが、木造駅舎や観光地が多い様なので、今回は引き返しながら途中下車する方法にしよう。この方法は、時間ロスや帰路の負担が少なくなるので、途中下車が多い場合や遠征時に適している。

暫くすると、上信電鉄で最新の7000形電車2両編成が到着する。折り返しの8時21分発に乗車して、先ずは、終点の下仁田(しもにた)まで行ってみよう。


(富岡製糸場の世界遺産登録に合わせて新造された、自社発注オリジナル車両である。)

(つづく)

レールあやなす操車場
上信電車は高崎を
汽笛の音も高らかに
今ぞ出立つ旅心

上信電鐵鐡道唱歌より/北沢正太郎作詞・昭和5年・今朝清氏口伝。


(※連絡運輸)
他社線同士の改札を通らない旅客乗り換えや貨車の直通のこと。
(※緩急車)
車掌室があり、手ブレーキと車掌弁(車掌用の非常ブレーキ装置)がある車両。
(※工臨列車)
保線工事の臨時列車。保線作業員、資材やバラスト(線路に敷く砂利)等を運ぶ。
(※お召し列車)
天皇陛下や皇族が利用する特別専用列車。
(※動態保存)
動く状態で保存してある鉄道車両。動かないのは、静態保存と言う。
(※有蓋貨車)
雨風をしのげる屋根が付いている貨車。屋根が無いのは、無蓋貨車と言う。

【参考資料】
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄発行・1995年)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館発行・2004年

車両区は、追加取材時の撮影。

2017年7月17日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正
2017年7月17日 音声自動読み上げ校正

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