上信線紀行(17)西富岡駅

上州七日市駅から、隣駅の西富岡駅に行こう。マンナンライフ・ララクラッシュ塗装の150形第三編成に乗車する。大きな右カーブを抜けると、真東に進路を取り、住宅地の中の直線区間を中速で走って、2分程で西富岡駅に到着する。


(建て植え式駅名標。)

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上州七日市1618======1620西富岡
上り普通(普)44列車・高崎行き(150形第三編成2両編成)
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この駅から高崎寄りの東富岡までの直線区間1.7kmには、富岡の名を冠した三つの駅が集中し、富岡市の中心市街地にある。西富岡駅は、上信線の電化改軌後の昭和12年(1937年)10月に追加設置され、当初、駅員のいない病院前駅として、その便宜の為に設置された。戦後の昭和26年(1951年)に旅客取り扱いを休止したが、その二年後に現在の駅名に改称し、再開した。

七日市藩の所領であった土地柄で、藩病院を建設した由縁であるからか、公立七日市病院等の病院が集まり、看護学校もある。起点の高崎駅から21.0km地点、14駅目、所在地は富岡市七日市、標高168m、曜日時間限定の業務委託駅になっている(※)。

東西に配された単式ホーム一面一線の小さな駅には、駅員が勤務しており、高崎寄りに小さな駅舎がある。このホームの高崎寄りは、昭和56年(1981年)8月に舗装されている。駅舎の並びには、木造ベンチ付きの片勾配スレート屋根の鉄骨造り旅客上屋もあり、近代化工事で設置されたのであろう。なお、市街地なので、住宅が多いが、線路の北側には畑も点在している。


(下仁田寄りからホーム全景。)

(駅舎並びのベンチ付きの旅客上屋。造り的には、昭和後期風である。)

(県道踏切と高崎方。※下仁田方は完全逆光の為、撮影困難。ご容赦願いたい。)

先に、中年の女性駅長氏に切符を見せ、撮影の許可を貰おう。「いいですよ。じっくり撮っていって下さい」と、快諾を頂いた。話を聞くと、列車や駅の撮影に、この駅にも、鉄道ファンが大勢やって来るらしい。

上信線の現存木造駅舎の中では、個性的なコンパクトデザインである。隅々まで清掃が行き届いており、古いながらも、気持ちの良い駅になっている。有人駅の長所であり、長い目で見れば、駅舎の老朽化スピードも緩和できる。

また、改札口や待合室は大変狭く、腰下に人造大理石(テラゾー)が使われているのが特徴である。人造大理石とは、天然の大理石を砕き、セメントで固めたもので、マーブル状の細かい粒子がある。昭和の中頃まで、安価で高耐久な建築用石材として、よく使われていた。


(ホーム側の改札口。)

(出札口と改札口。窮屈な位に狭く、六畳程度の待合室である。)

(小さなL字木造ベンチ。手小荷物窓口跡と思われる小テーブルも残る。)

出入口は、東に面した妻入り一箇所で、駅前も大変狭い。現在の駅舎は、昭和35年(1960年)築で、民家風の平屋木造モルタル建築になっている。二車線の県道218号線の踏切横に接続しており、駅前は有料駐輪場になっていて、平成に入ってから、地元自治体の補助で整備された。また、昭和43年頃は、信越本線磯部駅方面への上信電鉄バスも、接続していた。

駅出入口上の駅名標は、枠付きの金網に「西富岡驛」の切り抜き文字を一文字ずつ貼った、個性的なものであった。しかし、文字が崩れ落ちた為、富岡製糸場の世界遺産登録に合わせて、ブリキ製に更新されたらしい。


(駅舎本屋。左の窓の風防板が面白い。)

(駅出入口。木製の両開き引き戸も残る。)

駅長氏曰く、「皆さん、踏切の横から、よく撮影されていますよ」と、話してくれたので、カメラを構えてみる。県道踏切横から見ると、とても小さな駅舎である事がよく判る。おそらく、上信線の有人駅の中では、一番小さな駅舎であろう。地元住民が差し入れを持って来て、のんびりと駅長氏と談話しているのも、長閑な光景である。


(県道踏切からの駅舎。ニョキッと生えたH型のストーブ煙突も、懐かしい。)

なお、西富岡駅の駅昇格後は、社員配置の有人駅であったが、昭和43年(1968年)の合理化の際に駅業務を委託化している。平日と第一・三・五土曜日は、6時04分から9時50分と14時24分から20時05分まで配置され、休日と第二・四土曜日は配置無しになっている。勿論、駅員勤務時間帯ならば、硬券切符の入手も可能である。

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西富岡1644======1706下仁田 下り普通(普)39列車・下仁田行き
(折り返し乗車)
下仁田1725======1830高崎 上り普通(普)50列車・高崎行き
共に500形第一編成2両編成に乗車。
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陽も大分傾いてきて、辺りは薄暗くなってきた。今日の上信線めぐりは、ここまでにしよう。泊まりの用意をしていないので、自宅に帰る。明日は、西富岡駅から高崎寄りの駅の訪問と、下車観光の予定である。

乗り納めで、西富岡駅から下仁田駅までもう一度行き、折り返して高崎駅まで戻る。地元で人気の「ぐんまちゃん電車(列車)」500形第一編成に乗り、返しの列車が吉井駅付近になると、上り高崎行き列車でありながら、50人近くも乗車しており、先頭車両のシートは満席である。ラッシュ時間帯の富岡から高崎間は、上り下り共に乗客が多いらしい。


(18時30分、起点の高崎駅に無事到着する。)

暗くなった18時30分、起点の高崎駅に到着。新幹線ではなく、在来線の高崎線で帰る。疲労軽減と夕食を摂る為、上野駅までのグリーン券を手配しよう。勿論、夕食は駅弁である。「たかべん」こと、高崎弁当の「鶏めし弁当」(税込900円)を手配した。赤いだるま弁当が有名であるが、実は、こちらの鶏めし弁当の方が歴史は古い。鶏めし弁当は昭和9年(1934年)、だるま弁当は戦後の昭和35年(1960年)発売である。

なお、明治17年(1884年)の上越線開通時に、おにぎりの販売を始めたのがルーツとなっており、関東エリアの老舗駅弁業者(調製所)のひとつとして知られている。関東主要駅の有名駅弁業者としては、信越本線横川駅のおぎのやは明治18年(1885年)、東海道本線小田原駅の東華軒は明治21年(1888年)、東北本線宇都宮駅の松廼家(まつのや)は明治26年(1893年※)、東海道本線大船駅の大船軒は明治31年(1898年)、総武本線千葉駅の万葉軒は昭和3年(1928年)の創業である。駅弁はおぎのやの「峠の釜めし」が元祖(※)であるが、高崎弁当は一年早く創業しており、この中でも最古参になっている。上野からの所要時間の兼ね合いや、関東から抜ける最後の途中主要駅であり、開業当初から需要が大きかったのであろう。


(たかべん鶏めし弁当の掛け紙。)

この鶏めし弁当は、九州出身の先代が考案した鶏飯で、昔からの味を守っている。国産米を醤油味付けし、鶏ローストや鶏そぼろなど色々な調理法の鶏肉おかずを入れた、鶏ずくしの逸品である。箱も昔ながらの木枠を使い、懐かしい木の香りがするのが良く、国鉄時代を忠実に守る。全体的にかなり濃い甘辛味で、見かけによらず量もあり、充実感の高い駅弁になっている。


(鶏めし弁当の盛り付け。国鉄時代のプラ製ポット茶も欲しい。)

なお、高崎駅西口階段下には、直営の駅蕎麦店もある。駅蕎麦店であるが、昔懐かしい醤油ラーメンがとても美味しく、名物になっている。今度、時間がある時に立ち寄りたい。


(駅蕎麦たかべん。丁度、上信線の連絡通路出入り口付近にある。)

高崎駅を18時47分に発車。時速110kmの走行が可能な高規格線路なので、スケートの様に走る。上信線は、とにかく上下左右によく揺れるので、その落差が面白い。上野まで約二時間。グリーン車に折角乗ったので、少し休んでおこう。

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高崎1847======2033上野
上り上野東京ライン・1939F熱海行き(サロE231-1080乗車)
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(2日目につづく)

西富岡には 公民館
病院なども あまたあり
南に下れば 桐淵(きりぶち)の
橋よりながめる 鏑川

上信電鉄新鉄道唱歌15番より/鈴木比呂志作詞・昭和56年。


(※西富岡駅の駅業務委託化)
昭和43年(1968年)4月から、委託開始となっている。それ以前は、無人駅であったらしい。
(※松廼家の駅弁)
松廼家は明治18年に、竹皮包みのおにぎりを発売したのがルーツであるが、公式の創業は明治26年となっている。日本初の駅弁は松廼家の説もある。

【参考資料】
たかべん公式HP(高崎弁当株式会社)
松廼家公式HP(有限会社松廼家)
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄発行・1995年)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館発行・2004年)

2017年7月19日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正
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