蒲郡線紀行(3)吉良吉田へ

こどもの国駅は、昭和11年(1936年)の延伸開業当時、洲崎駅と呼ばれていた。昭和19年(1944年)に太平洋戦争の戦況悪化により、一時休止駅となり、戦後の昭和27年(1952年)に復活した駅である。復活時は、現在のこどもの国駅から400m吉良吉田方に設置されたが、昭和49年(1974年)のこどもの国開園に合わせて、旧駅の位置に再移転し、開園から2年後に、現在のこどもの国駅に改称されている。

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蒲郡0741======0808吉良吉田
上り763列車・吉良吉田行(6010編成2両編成)

◆蒲郡線の停車駅(こどもの国駅から吉良吉田駅間)◆

【こどもの国】

【東幡豆(ひがしはず)】列車交換可能駅・木造駅舎あり

【西幡豆(にしはず)】列車交換可能駅・木造駅舎あり

【三河鳥羽】列車交換可能駅

【吉良吉田】終点・名古屋鉄道西尾線に接続
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ここから終点の吉良吉田駅まで、三河湾に沿って、ほぼ真っ直ぐ西に走る。こどもの国駅を7時54分に発車し、左カーブをしながら切り通し部に入る。25パーミルの上り勾配であるが、直ぐに切り通し部にあるピークを越え、長い10パーミルの下り勾配になり、時速70km程の高速で走る。

なお、こどもの国駅から隣の東幡豆駅(ひがしはず-)に越えると、蒲郡市(がまごおり-)から西尾市に入る。切り通しを抜けた先は、左手の視界が開け、海岸沿いの低山の間に三河湾も所々見えて来る。丁度、こどもの国がある山の縁の高台に沿って走ってる感じである。この周辺は、住宅も少なく、緑と田畑の多い長閑な三河湾沿岸の風景が広がっている。


(10パーミル下り勾配区間。この山の上には、こどもの国の蒸気機関車が走っている。)

暫くすると、内陸側に線路が大きくカーブし、43kmポスト付近の下り急勾配から平坦地に降り、緑の多い住宅地の中に入る。そして、大きく左にカーブをすると、減速して、東幡豆駅(ひがしはず-)に到着する。なお、単線区間の列車交換駅では、原則的に列車の進行方向左側に入線するが、この駅は構内右側進行の特例駅になっている。また、木造駅舎があるので、後で立ち寄ろう。

この東幡豆は、昭和時代の三河湾観光の中心であった町である。海では、海水浴、潮干狩りや海釣り、かつては、名鉄観光の観光島や遊覧船があった。山側では、三ヶ根山に連なる尾根に有料スカイラインが伸び、展望台もあったそうで、東は蒲郡や豊橋から、南は渥美半島から伊勢志摩まで、素晴らしい絶景が眺められたとの事。


(東幡豆駅。)

1分程の停車の後、7時57分に東幡豆駅を発車する。住宅地の中の長い上り勾配が続き、盛り土部が徐々に高くなって、町を見下ろす様になる。この先は、峠では無いが、長さ200m・標高30m程の低山の切り通し部を通る。25パーミルの上り勾配の先の大きなピーク【赤色マーカー】を越えると、今度は下り急勾配になる。なお、東幡豆駅からは、海岸から離れた内陸側を走るので、海は見え難くなる。また、幅広の立派な道路が線路横は、県道である。幡豆地区の山側には、直線状の国道バイパスがあるので、旧国道247号線と思われる。

なお、こどもの国駅から三河鳥羽駅付近の沿岸は、海岸線から0.5-1km程度の幅の平坦地が東西に広がる。しかし、海岸線から離れると、三河湾に注ぐ川沿いの低地を除き、山地が広がっており、幡豆地区の六割をも占めている。山の標高は200-300mと低いが、南アルプスの木曽山脈南端が海に落ち込む部分であり、堅い岩石からなる険しい山で火山ではない。そのおかげで、海岸部でありながら、地震時は揺れ難い地域になっている。


(東幡豆から西幡豆間の大ピーク41kmポスト地点。)

(国土地理院電子地図Web・蒲郡線東幡豆-西幡豆間大ピーク付近)

2分程度で、西幡豆駅(にしはず-)に到着。沿線から見える住宅も多く、ちらほらと旧家も建っており、沿線では大きな町らしい。この駅も、構内右側進行になり、地元の人達の数人の乗降がある。また、この駅にも、小さな木造駅舎が残っているので、後で寄ってみよう。

西幡豆を出発すると、知らぬ合間に30人程度の乗客になっており、大型な19m級2両編成の列車には少ないが、他のローカル線よりも乗っていると感じる。東幡豆駅から吉良吉田間の乗客の大きな流れは、西尾寄りらしく、この幡豆地区はその東限らしい。


(西幡豆駅。)

(西幡豆駅を発車する。住宅地の中を高速で走るのも、面白い。)

西幡豆駅を発車すると、緑の多い住宅地の中の平坦線を、時速70kmの高速で走る。左窓に港と海が見え、大きな太陽電池発電所を過ぎると、三河鳥羽駅に到着。対向式ホームのある列車交換可能駅で、先着で構内左側の副本線に進行する。運転士の列車交換待ちの案内があり、暫く停車していると、上り860列車と交換になる。

かつての蒲郡線(当時は三河線)は、この駅から西の三河線知立方は電化路線、東の蒲郡方は非電化路線であった為、この駅は乗換駅であった。今では、その面影も、全く無い感じになっている。なお、愛知県犬山市の明治村に動態保存されている、有名なタンク式蒸気機関車12号機(※1)は、昭和14年(1939年)から電化するまでの9年間、西浦駅の西浦車庫に配属されていた。名古屋鉄道合併時に移籍した、元・鉄道省700形タンク式蒸気機関車の三河鉄道709号機(※2)や、後に入線した、元・豊川鉄道の機3号タンク式蒸気機関車の13号機(※3)と共に、蒲郡線非電化区間の客貨混合列車(通称・ミキスト)の運行に使われていた。


(三河鳥羽駅。)

上り860列車が到着後、出発信号機が青になり次第、発車する。駅の直ぐ西にある鳥羽川を渡り、長い上り勾配が続くと、南北の低山が挟みこんでいる狭小部のふたつ目のピーク【黄色マーカー】を越える。東幡豆から西幡豆間のピークよりは、小さいので、列車は難なく高速で通過する。なお、三河鳥羽から終点の吉良吉田間は、蒲郡線で最も古い開通区間になっている。

左カーブの小ピークを越え、下り勾配先の右大カーブを返すと、気持ちの良い田園風景が広がる、吉良町乙川地区の谷間【緑マーカー】に出る。その先の区画整理された田圃の中に真っ直ぐに敷かれた線路は、踏切や用水路を幾つも越える為、アップダウンが激しいが、時速90km近い高速運転でジョイント音も忙しい。蒲郡線で一番高速で走る地上区間であろう。


(右大カーブからの吉良乙川地区の田園風景。)

(激しいアップダウンの直線を高速で走る。)

暫くすると、進行方向に大きな町並みが見え、減速をしながら矢崎川橋梁【青色マーカー】を渡り、終点の吉良吉田駅(きらよしだ-)に到着する。時刻は8時8分。所要時間27分で到着である。吉良吉田駅は三河鉄道時代開業の古い駅であり、ローカル駅でありながら、かつては、蒲郡線、西尾線、三河線の三線が乗り入れていた。現在、三河線は廃止となり、蒲郡線と西尾線のみ接続している。


(矢崎川を渡る。昔は、川湊と湊に面した貨物駅があった。)

(吉良吉田駅2番線に到着する。旧三河線ホームを転用している。)

海岸沿いに東西に細長く平坦地が広がる幡豆周辺と違い、この吉良周辺は矢作川が造った巨大三角州の南東端にあり、広大な平野が広がっている。地勢や海が近い利点を活かした、近郊農業と沿岸漁業が盛んな町で、古くは、「饗場塩(あいばじお)」で有名な塩の町であった。製塩業が盛んな頃は、海岸沿いに大塩田が一面に広がり、信州塩尻まで結ぶ「塩の道」の起点地でもあったという。

この吉良吉田駅には、昼食を兼ねて下車する予定なので、線路撮影をしながら、蒲郡駅にもう一度折り返し、気になった各駅を下車訪問してみよう。

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吉良吉田831======901蒲郡
上り862列車・普通蒲郡行
6010編成2両編成(折り返し乗車)
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(※1)新橋駅-横浜駅間の日本初の鉄道の増備用機関車として、明治7年(1874年)に
イギリスから輸入された、シャープ・スチュアート社製1B形タンク式蒸気機関車。
(※2)イギリスのバルカン・ファウンドリー社製。1B1形タンク式蒸気機関車。
(※3)国鉄1100形・C形タンク式蒸気機関車と同じ。イギリスのナスミス・ウィルソン社製。

【参考資料】
名鉄西尾・蒲郡線沿線おすすめマップ(市民まるごと赤い電車応援団発行・2014年)
博物館明治村での12号蒸気機関車の動態保存PDF資料(橋本樹、白井昭著・2015年)
幡豆町へようこそ(旧幡豆町産業課委託映像・鈴木一夫製作・製作年不明)

線路撮影は、運転の支障になる為、折り返し上り蒲郡行きの最後尾から撮影。

2017年7月14日 ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正
2020年12月26日 文章校正・修正・地図入替え

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