屋代線紀行(25)屋代駅から松代駅へ&松代めぐり その5(2日目・前編)。

屋代駅の見学を十分した後は、8時12分発の上り408列車・須坂行きに乗車し、松代駅に向かおう。コンプレッサーの懐かしいコトコト音を聞きながら、発車を待つ。

屋代駅から松代駅までの車窓風景は、大きく三つのゾーンに分かれている。屋代駅から雨宮駅間の住宅が多いエリア、雨宮駅から岩野駅間とその先の高速道高架橋までの山裾沿いのアップダウン、高架橋から松代駅までの広い畑作エリアである。主な河川鉄橋は二箇所、短いトンネルが一箇所になる。また、屋代駅から松代駅まで、4つの全ての途中駅が、無人の棒線駅になっている。東屋代駅のみに小型木造駅舎が残り、他の駅は近代的な待合室のみである。

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【停車駅】〓→主な鉄橋 】【→トンネル ◇→列車交換可能駅
屋代(起点)0812==東屋代==雨宮=〓=】【=岩野==象山口=〓=0825松代◇
上り408列車・須坂行き(←3521+3531・3500系O1編成2両編成)
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折り返し発車を待つ2両編成の乗客は、十数人あり、その殆どが高校生達である。しなの鉄道の軽井沢行き上り電車を接続した後、反復の早いルルル音の発車ベルが鳴り、ブレーキの圧縮空気がシューと排気される。モーター上昇音と車体の軋み音と共にゆっくりと発車。暫く、しなの鉄道と並走する。この三線並走区間は一番東側を走行し、線路状態も良い為、時速60kmで快走する。


(三線並走区間。※最後尾から後方の屋代方を撮影。)

右に緩やかにカーブして、しなの鉄道と別れ、長野新幹線の高架橋を潜ると、東屋代駅に到着。近くに屋代高校がある為、高校生達は全員下車してしまい、乗客は数人になる。この先の東屋代駅から、左窓に住宅地、右窓に田園を眺めながら、直線を快走すると、雨宮駅に到着。この付近までが、屋代の市街地エリアになっている。

雨宮駅を直ぐに発車すると、鉄橋を目指して、緩やかな長い勾配を登って行く。雨宮駅から岩野駅間は大きくS字状に走り、鉄橋とトンネルをサミットとするアップダウン二箇所を越えて行く。


(雨宮駅。※最後尾から後方を撮影。)

勾配を上り切ると、千曲川支流の鉄橋を渡る。一度、堤防部を降りる下り勾配になってから、再び、上り勾配になり、北山隧道(トンネル)に入る。この付近が千曲川に最も接近するが、川面は見えない。


(支流鉄橋を渡る。※最後尾から後方を撮影。)

短いトンネルを抜けると、山裾に沿った5パーミルの勾配を下り、岩野駅に到着。ここから先は川側が開けて、国道403号線谷街道と暫く並走する。その先の上信越自動車道の高架橋を潜ると、広大な畑の中を走る。


(岩野駅から象山口駅間の国道併走区間。※最後尾から後方を撮影。)

岩野駅から国道踏切横の象山口駅まで、緩やかな長い下り勾配が続く。象山口駅からは、再び、緩やかな上り勾配になり、もうひとつの河川鉄橋のアップダウンを越え、右手に住宅と大きな建物が見えて来ると、所要時間13分で、松代駅3番線ホームに到着する。

この松代駅で下車しよう。改札口に行くと、駅長氏も顔を覚えてくれていて、「おはようございます」と挨拶する。今日の午前中は、昨日に観光出来なかった、大英寺と松代城址を見に行こう。天気は曇りがちであるが、空は明るい。

駅から南の方角の大英寺【万字マーカー】を目指して、歩いて行く。旧松代藩鐘楼横を過ぎ、国道403号線の交差点に近づくと、美味しい匂いが。おやき・和菓子・仕出し弁当店「つたや本店」【食事マーカー】である。
長野松代つたや本店公式HP


(つたや本店。)

店の換気扇からは、豪快に湯気が上がっており、おやきを作っている最中らしい。おやきの案内板が店頭にあり、それを見ると、具は茄子が一番代表格とある。ホテルの朝食をしっかり食べたが、此処で出会ったのも何かの縁なので、1個だけ食べてみよう。「今、出来上がったばかりよ」と、中年の女将から、茄子味(税込120円)を購入。中まで熱々、皮も餅の様に柔らかく伸び、素朴な味が絶妙である。


(おやきの案内看板。)

(なすのおやき。)

女将にお礼をして、出発する。国道を横断し、水路の水音を聞きながら、更に南に歩く。松代町は、南北に伸びる大扇状地の緩やかな傾斜地にあり、南の山側から北の千曲川に向かって流れる水路が、道路際に幾つもある。地元では、「川」と呼ばれ、今でも大切に維持されている。


(町中を流れる川。)

徒歩15分程で、大英寺【万字マーカー】に到着。町の住宅地の中にある浄土宗の小寺で、門前町は無いが、江戸初期の寛永元年(1624年)、松代藩初代藩主・真田信之(のぶゆき)が、正室・大蓮院殿の菩提の為に建立したと伝えられている。

大蓮院殿は、非常に優れた奥方として、信之を助けたそうだが、信之の上田城主時代に亡くなってしまい、大変、悲しんだという。後に、真田家が松代に転封された際、上田にあった菩提寺を此処に移転している(県宝指定、拝観料無料、9時-16時頃、無休、撮影可)。


(真田家由縁の大英寺。)

参道脇には、可愛らしい岩屋六地蔵があり、ほっこりさせてくれる。その先の小さな山門を潜ると、直ぐに本堂が構えている。かつては、大きく立派な寺であったが、明治維新以降は真田家の援助が難しくなり、諸堂を取り壊して規模を縮小した為、大蓮院殿の霊屋が本堂になっている。


(参道脇の岩屋六地蔵。)

(山門。)

本堂の周りには、鐘楼や幾つかの小堂が残っており、裏手は墓地になっている。もちろん、この本堂と山門は、江戸時代初期の寛永元年(1624年)築の大変古いものである。ちなみに、大蓮院殿は、徳川四天王・緒戦無傷の武将で有名な本多忠勝の長女にあたり、徳川家康の養女でもあった。生前は小松姫と呼ばれ、女武者であったという。


(元・御霊屋であった本堂。)

大英寺本堂に参拝し、旅訪問のお礼と道中安全の祈願をした後は、代官町【緑色マーカー】に寄ってみよう。昨日の夕方に立ち寄った、松代まち歩きセンターのガイド氏に、「武家屋敷の雰囲気が一番残るのは、どの辺りでしょうか」と尋ねた所、紹介された。

大英寺から旧横田家住宅前を通り、突き当りの三叉路の南先が代官町になる。町名の通り、代官達を住まわせた場所で、藩中級武士の屋敷が建ち並んでいたという。また、松代中心部は狭い道が多いが、此処は道幅が広く、ゆったりした感じがある。水路の水も豊富で、大きなせせらぎ音と共に、緩やかな長坂を軽快に下っている。


(代官町の町並み。)

この通りには、関西大学の創立者・井上操氏生家の井上家、長谷川家や成澤家の大きな旧家があり、国の登録有形文化財になっている。


(井上家表門。井上操氏の似顔絵入り観光案内板がある。)

町の名家の長谷川家は、この周辺の真田家以外では、特に大きい邸宅になっいる。長野師範学校を卒業した師範・長谷川五作氏は、苦心の末、えのき茸の人工栽培方法を発明した。今では、松代町の特産品のひとつになっている。


(長谷川家住宅。)

代官町の通りを北上して、駅方面に向かおう。国道との交差点横には、造酒屋の宮坂酒造店【酒マーカー】がある。明治40年(1907年)に創業、戦時中も休業することなく、松代唯一の造り酒屋になっており、本醸造酒「真田十万石」や「海津櫻」等が代表的な銘柄になっている。
長野松代宮坂酒造店公式HP

国道沿い出入り口には、看板替わりの大きな仕込み樽があり、行き交う車からも目を引いている。店先を覗くと、広く、綺麗な店内に地酒がずらりと並び、清酒の香りがほのかに漂う。時折、大型観光バスに乗った大勢の呑ん兵衛達がやって来て、賑やかになる。なお、地酒の他に、名物の地酒ケーキや漬物、ジャム等も販売している。


(仕込み酒樽の大看板。)

(宮坂酒造店直売所。)

(つづく)


文化財管理者の長野市教育委員会文化財課より、写真掲載許可済み。
井上家と長谷川家は個人邸の為、敷地内の見学は不可。

【歴史参考資料】
現地観光案内板、長野市教育委員会文化財PDF資料。

2020年3月20日 ブログから転載・文章修正・校正。

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