油伝味噌で美味しい味噌田楽を頂いた後は、歩いて来た旧道を戻ろう。しかし、田楽三串だけでは流石に物足りず、「腹が減っては」何とかである。蔵の街大通りまで戻れば、観光客相手の食事処が沢山あるが、ここからはやや遠い。岡田嘉右衛門(かえもん)家【A地点】の斜め向かいに地元の蕎麦屋【食事マーカー】を見つけ、ここにしようかと悩む。こういう立地の場合、当たりか外れか両極端な場合が多いが、車でやって来た地元住民らしい家族連れが大勢で入ったので、「多分、大丈夫であろう」と決心。カラカラと引き戸を開ける。
(日光例幣使街道旧道沿いの香取屋。おあいそ時の女将の話では、俳優の渡辺謙がロケ時の食事に来たこともあるという。数軒の小さな商店が集まっているエリアの一角にある。)
昼は蕎麦屋、夜は中華居酒屋という組み合わせも珍しい。店内も蕎麦屋風ではなく、ダイニング風の居酒屋の造りになっているが、奥に小上がりもある。ふたり掛けテーブル席に案内され、困った時の王道である天ざるを注文。暫くすると、出てきた。
(天ざる。勿論、真冬でも、冷やしが通であろう。しかし、駅蕎麦は専ら温であるが。)
さて、当たりか、外れか、一口食してみると、大当たりである。自家製手打ちの蕎麦はやや太く、適度な弾力があり、スッとした味わいが良い。汁は江戸前の返しで辛口である。また、天ぷらも脂っぽくなく、大海老も付き、新鮮な野菜の味がしっかりしていて旨い。これで、970円(税込み)というので、「この内容で、こんなに安くて良いのか」と思う程のサービスである。
なお、北関東は一般的に小麦文化圏といわれているが、東寄りの栃木や茨城は、うどんよりも蕎麦である。日光街道・国道4号線沿いには、東北山形系の板蕎麦という、長方形の箱板に平らに盛る蕎麦屋が沢山連なっている。この町の蔵の街大通り沿いにも、手打ち蕎麦屋が幾つもあるので、蕎麦好きな人は、是非、訪れて欲しい。
【手打ち蕎麦/中華居酒屋 香取屋】
火曜日定休、11時から14時30分まで(17時以降は中華居酒屋として営業)、
駐車場あり、栃木市泉町2-21(日光例幣使街道保存地区内、岡田記念館近く)。
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女将におあいそをお願いし、再出発する。午後は、蔵の街大通りの西側に平行して流れる、巴波川(うずまがわ)周辺を散策してみよう。この栃木市の最も有名な観光地で、テレビの旅番組やパンフレットなどにもよく紹介されているエリアである。岡田嘉右衛門家前から、嘉右衛門橋を渡って、裏道で南下できる。橋の近くには、岡田家の明治時代の別荘である翁島【赤色マーカー】の建物が見える。一見、地味な建物であるが、全て銘木を使い、ヒノキは全て木曽産、廊下に長さ六間半、幅三尺、厚さ一寸のケヤキの一枚板を使うなど、贅を尽くした造りとのこと。いわば、栃木の銀閣寺である。当時の岡田家の財力を垣間見る。
(岡田家前からの嘉右衛門橋。欄干に洒落た街灯もあり、昭和初期の橋が多く架かっているのも、見逃せない。)
(橋上からの巴波川上流方の流れ。右岸に翁島がある。)
(対岸からは、翁島の建物が見える。)
観光化した蔵の街大通りと違い、静かな住宅地になっている。途中、トタンバラック建ての居酒屋【酒マーカー】が突然あり、昭和の雰囲気が充満していた。ネーミングも凄いが、何故に、こけしのイラストであるのかも可笑しく、とてもシュールな感じがたまらない。
居酒屋はっぴー 公式ホームページ
(居酒屋はっぴー。重ねて、看板の清酒・夢心ともリンクしているのが良い。なんと、ホームページもある。)
600m・7分程歩くと、常盤橋(ときわばし)の袂に到着。西の方を見ると、時計台のあるハイカラな大きな洋館が建っているので、行ってみよう。旧・栃木町役場庁舎(栃木市役所別館)【黄色マーカー】である。大正10年(1921年)竣工の総二階建て木造洋館であり、明治16年(1883年)までは、栃木県庁がここにあったという。
(旧・栃木町役場庁舎。手前の小さな堀は、県庁堀と呼ばれている。)
(正面玄関は北を向いている。所々、ペンキが剥げているが、状態は良い。)
常盤橋袂に戻ろう。ここから南が、この栃木市観光のハイライトになり、綺麗な石畳道路が整備されている【カメラマーカー】。この常磐橋近くの西岸には、巨大な蔵を両側に抱えた横山郷土館【青色マーカー】があり、その威容に圧倒される。
横山家は栃木でも有数の麻問屋であったという。中央の木造商家はひとつに見えるが、北側(向かって右側)が麻問屋、南側(左側)は栃木共立銀行として造られ、出入口もふたつあるのが珍しい。北側の蔵は明治42年(1909年)築の麻蔵、南側の蔵は明治43年(1910年)築の文書蔵になっており、鹿沼産深岩石で造られている。外観は和風であるが、所々に洋風も取り入れられており、敷地奥に大正7年(1918年)築のハーフティンバー形式の洋館があるという(私設有料資料館として公開。一般300円)。
(旧・横山家店舗住宅。両袖切妻造りという大変珍しい建物で、問屋の帳場もそのまま残っている。)
(対岸からの旧・横山家店舗住宅全景。同じデザインの大石蔵に挟み込まれ、左右対称の美しさがある。)
次の幸来橋を過ぎ、巴波川橋の間の東岸には、黒塗りの長い板塀と白壁土蔵が密集している。旧・塚田家(塚田歴史伝説館)【紫色マーカー】である。栃木市一の観光名所として、テレビや旅行雑誌などで見たこともある人も多いと思う。天気の良い今日は、遊覧船も運航されており、長閑な船頭歌が聞こえてくる(通年営業・一般700円・悪天時運休)。
(旧・塚田家と巴波川。この下流に堰があるので、流れは穏やかで水位は低い。かつては、至る所に湧水があるため、今よりも流れが速かったらしい。)
塚田家は、江戸時代後期から、船運を活かした木材回漕(かいそう)問屋を営んでいた豪商である。この巴波川東岸は「栃木河岸(とちぎかし)」と呼ばれる川湊(かわみなと)跡で、江戸時時代初期に開かれたと言われている。安永3年(1774年)には、十軒もの船積み問屋が集まり、賑わいを見せていた。隆盛を極めた江戸時代末期には、この巴波川の両岸に白壁土蔵を建て並べたという。
江戸からの荷物は、幕府の御用荷物のほか、塩、鮮魚、蝋(ろう/ロウソク)、油、黒砂糖など。栃木からは、木材、薪炭、米、麦、麻、木綿、たばこ、石灰、瓦などであった。このまま、巴波川を藤岡市付近まで下り、大きな高瀬舟に積み替えて、利根川経由で江戸へ向かった。帰りは自力で遡上ができないため、麻縄やシュロ縄で岸から曳いていた。その曳いた道を縄手道(なわてみち)といい、この両岸の石畳遊歩道がそうである。
(幸来橋の近くにある、かつての栃木河岸を描いたレリーフ。ガス灯が描かれているので、明治から昭和初期であろう。)
川の流れを眺めながら、巴波川橋の上で、少し休憩する。ここが一番観光らしい場所であるが、不思議に落ち着く。昼下がりの冬日に照られた水面も美しい。近くの遊覧船切符売り場には、待合所も設けられており、自由に休憩できる。乗船記念撮影用の仮装グッズも置かれていた。
(巴波川橋からの眺め。)
(遊覧船切符売り場の仮装グッズで、江戸時代を体験できる。向こうに並んでいるのは、ゴム製のちょんまげカツラと衣装。)
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さて、時刻は15時を過ぎたところでである。少し早いが、栃木市散策を終えることにしよう。蔵の街大通りを南下し、五連店蔵とスターバックスコーヒーの前を通って、駅に戻る。実は、もう一カ所寄りたい場所があるので、JR両毛線(りょうもうせん)に乗り、足利(あしかが)に向かおう。ホームにあがると、丁度、上り高崎行きがやって来た。1時間毎に1、2本程度のダイヤなので、幸運である。小山からの学校帰りの高校生達が多く、車内は混雑している。
民営鉄道の両毛鉄道として開通し、後に国有化した電化ローカル線で、群馬県の新前橋(高崎に直通運転)と栃木県の小山を結ぶ、北関東横断線の一部である。峠越えのない典型的な平坦線の上、駅間距離も長いため、ローカル線としては列車速度が速い。しかし、全線単線路線であるため、時間は思った以上にかかる印象がある。
新設駅でテレビニュースになった、あしかがフラワーパーク駅に停車。結構な人数の家族連れや若者達が下車するので、山の方を見て見ると、巨大なイルミネーションが幾つも展示されている。花の無いこの時期のイベントを開催しているらしい。
30分程度で、足利駅に到着する。今日は、同じ鉄道旅行仲間のK氏と新年会の約束をしている。少し早く着いてしまったので、足利一の観光名所の足利学校をちょっと見に行こう。流石にこの時間はもう閉まっていたが、格式高い雰囲気を感じる。足利市は群馬県桐生市と同様に絹織物産業で大変栄え、東西に渡良瀬川が流れる大きな町になっている。この足利学校の他にも、国宝の鑁阿寺(ばんなじ/真言宗大日派本山・足利氏邸宅跡)や織姫(おりひめ)神社などの古刹も多く、昭和の町並みも残っているので、今度、街歩きもしてみたい。
(昭和8年に建てられた洋風木造駅舎のJR足利駅。駅開業は、明治21年の両毛鉄道開業当初になる。先年、落雷により二階の一部が焼失したが、完全に修復されている。以前は、白壁・赤瓦の屋根であった。)
(灯籠で照らされた足利学校入口。日本最古の学校とされ、開校時期は諸説あるが、15世紀の室町時代以前と考えられている。明治5年に閉校したが、平成になってから復原された。)
暗くなったため、少し道に迷ったが、待ち合わせの居酒屋に到着。その名もズバリの「地鶏炭焼やきとり君」である。ビルの谷間にある昭和バラック風建てであるのも、面白い。あと10分程度で来ると連絡が入ったので、先に入ろう。夜になってから、かなり寒くなってきた。
(地鶏炭焼やきとり君。奥に立派なカウンターのスナックがあるが、バラックを通り側に建て、営業している。)
新年の挨拶もそこそこに、早速、乾杯である。新宿やこの足利などで何回か会っており、同世代であるので、話もよく合う。去年の4月には、仲間4人での大井川鐵道合同乗り鉄(ツアー)もしている。なお、鉄道旅行派の鉄道ファン(乗り鉄)はひとり旅派が圧倒的で、あまり同好者と交流をしない傾向が強いが、こういう交流も学生時代のクラブ活動の様で楽しい。同じ乗り鉄でありながら、旅のスタイルや着眼点は違い、色々と刺激を受けるものである。
(出来たてのやきとり。なんと、1本110円という安さで、懐に優しい。脇の生キャベツもほんのり甘く、やきとりに合う。日替わり串、おでんやサラダなどもある。チェーン店にはない、昔ながらの飲み屋も心地いい。左の皿は、暖房代わりの炭火火鉢。)
お待ちかねのやきとりが出てきた。冷凍物ではなく、地鶏の生肉を丁寧に炭火で焼いてあるので、肉の味がしっかりし、とてもジューシーで旨い。酒も結構進み、今日の栃木市散策や鉄道の話で大いに盛り上がってきた。
(おわり/栃木市散策編)
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【取材日】2019年1月19日
【カメラ】FUJIFILM X100F(フィルムシミュレーションはProviaを使用)
【歴史参考資料】現地歴史解説板、蔵の街のんびり散策マップ(駅観光案内所で入手)。