天浜線紀行(10)遠州森散策 前編

2時間程度しかないが、この遠州森を少し散策してみよう。実際に途中下車をすると、車窓から判らない町の雰囲気が判り、旅の面白みが増すと思う。

遠州森は、行政上は静岡県周智郡森町(しゅうちぐんもりまち)になり、太田川が山間部から平野部に出てくる右岸に発達した町になっている。かつては、川湊のある川運の町として栄え、火除けの霊山の秋葉山に通じる秋葉街道と、「塩の道」と呼ばれた信州街道が交差する宿場町で、戦国時代以前からの城下町でもある。なお、地名由来は、太田川沿いにある三島神社の「森(杜/もり)」とされ、古くは、「三木の里」とも呼ばれる三方が山に囲まれた、穏やかな気候の土地になっている。川に沿って、南西から北東に細長く町並みが伸び、直ぐ裏手は山になっている。

この遠州森駅は、北東の旧市街地(城下町)から外れた南西の新市街地にあり、太田川橋梁を渡る前に停車した対岸の戸綿(とわた)駅周辺も森町の一部で、戸綿駅の方が旧市街地に近い。現在の町の人口は、約6,200世帯、約2万人との事。

この駅には、駅レンタサイクルがあるので、借りてみよう。観光協会と提携し、観光客向けに貸し出しをしている。駅長氏に申し出て、先に貸出申込用紙に記入し、料金を支払う。料金は1日300円、年中無休、朝9時から夕方4時半まで貸し出し可能との事。自転車を駅舎並びの倉庫から出して貰い、タイヤなどのチェックをする。イラスト観光案内地図も貰い、早速、出発しよう。


(駅レンタサイクル。三段変速ギア付きで、快適である。)

駅前には、木製の大型観光地図があり、「遠州の小京都」といわれるほど寺社が多い。今回は時間が少ないので、駅周辺を中心に見てみよう。


(駅前の木製観光案内板。かなり、大雑把な感じになっている。)

その町の雰囲気が良く判るのは、旧市街地であるので、行ってみよう。まずは、駅前の交差点を右折して北東方向に走り、本町地区へ向う。道路沿いは町工場や廃業した商店が多く、少し寂しい感じがする。まるで、昭和で時が止まったような商店も、ちらほらと見かける。通り沿いの北川酒屋【黄色マーカー】は、昭和風のブリキ製銘柄看板が目を引くが、営業はしていない様子である。


(旧市街地に向かう道路。交通量はあまりない。)

(廃業した北川酒店のブリキ看板。)

この通りの途中には、出世稲荷大明神【神社マーカー】と呼ばれる、赤い奉納幟が無数に並ぶ稲荷社があり、手前の防火用水槽を覗くと、大きな鯉がゆうゆうと泳いでいる。立身出世のみではなく、失くし物・交通安全・家内安全・商売繁盛など何でも祈願して良いらしく、地元の信仰も厚い様である。また、地鎮の金守神社が奥にあり、ねじれ幹の大木の御神木が聳え立つ。


(金守神社の末社らしい出世稲荷大明神。)

700m程走ると、T字路の下宿交差点に到着。右に行くと、森川橋があり、太田川対岸の戸綿・福田地地区や袋井市方面に向かう。左に行くと、直ぐ右手に旧市街地の本町地区の入口【緑色マーカー】がある。


(本町通りの案内柱。)

(本町通り入口付近。)

本町通りに入ると、1.5車線の狭い道路が曲がりながら、続いている。一直線になっていないのは、旧街道の名残であろう。なお、この本町通りは、秋葉街道と信州街道の重複区間になっている。

所々に木造の旧家が残る。しかし、歴史的景観保存地区ではないので、近代的に建て替えられている家が多い。残っていれば、観光客をもっと誘致できるのであるが、残念である。なお、地元住民の生活感や人気もあまり感じられず、大変静かな町になっている【赤色マーカー】。


(本町通りの最も旧家が集まる地点。)

この中程付近が、屋根の大きい立派な旧家が集まっている場所になっている。京風の連子格子(れんじごうし)や鎧破目(よろいはめ)の板張りがある、江戸時代後期以降の伝統的木造建築で、旅籠(はたご)や古着商が集まる宿場町であった。この先のひとつ目の交差点を左に曲がった先は、殆どの家が建て替えられていた。


(連子格子の旧家。)

(本町通りの旧家。)

(グーグルマップストリートビュー・森町本町通り入口から。)


(グーグルマップ・森町城下地区城下郵便局付近。)

旧市街地を抜け、北東2kmにある太田川右岸の城下(しろした)地区の郵便局近くには、秋葉山常夜燈が残っているという。かなり遠いが、行ってみよう。交通量の多い、川沿いの通りの長く緩やかな勾配を登って行く。この太田川の堤防沿いは、桜並木が続き、春の大名所になっているという。

風を感じながら、自転車をひたすら漕ぎ、「森」の地名由来の三島神社や天宮(あめのみや)神社の横を過ぎる。この天宮神社付近に川湊があったという。川沿いの古い市街地の路地に入って、奥に進んでいくと、よろずや風の食料品店「スーパーさづかや」の横に、江戸時代後期の天保4年(1833年)に建立された常夜灯が鎮座している。江戸時代後期には、伊勢参りや京都などの上方見物は盛んになり、これに乗じて秋葉詣の宿場町であった森町も大変栄えた名残という。町内の各村には、常夜灯が必ず1基ずつ建てられ、今でも、村中安全と防火を念じ、灯し続けているとの事。

なお、この城下地区はその名の通り、三倉(みくら)川と吉川が合流し、太田川に名を変える三叉の山上に、本城の天方(あまかた)城があったことによる。旧来の城下町であり、狭い路地に旧家が並ぶ雰囲気は本町通り以上である。カーブが多いのは、曲線の自然堤防上に町並みが形成された為らしい。この天方城も、戦国時代は武田信玄と徳川家康が激しく攻防し、戦況不利な家康軍が尾根伝いに敗走したこともあるという。


(城下郵便局付近の町並み。狭い路地が続き、とても静かである。)

(城下地区の秋葉山常夜燈。)

(覆屋があり、中の燭台は青銅製である。当時の町の鋳物師が造ったという。)

(つづく)


※天方城は3つあり、古城は城下地区西の山中、本城が三倉川と吉川の合流地点の山上、新城が太田川対岸(城下地区から東)の山上にある。

2020年5月12日 ブログから転載・加筆・文章修正・校正。

【参考資料】
「よんない 遠州森町のご案内」(森町役場発行のイラスト散策マップ/遠州森駅で入手。)

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