樽見線紀行(12)本巣機関区 前編

再び、華厳寺の参道にあるバスターミナルから、谷汲口駅(たにぐみぐち-)行きのバスに乗車する。帰りも、乗客は居らず、ひとり貸切バス状態である。なお、公共交通機関を利用する場合、養老鉄道で大垣駅から揖斐駅まで来て、揖斐駅から路線バスを乗り継ぐルートもある。

昔は、バスが曲がる十字路の近くに、名古屋鉄道谷汲線の終点谷汲駅があり、参拝者や観光客の輸送を担っていたが、平成13年(2001年)に廃止になってしまった。現在は、谷汲昆虫館を併設し、駅舎と赤い小型電車二両が静態保存されている(見学は有料)。今回は、事前の調査不足で訪問出来なかった。
グーグルマップ・揖斐川町役場「谷汲昆虫館」

バスは春の日差しの田園の中をノンビリと走り、谷汲口駅に到着する。谷汲口駅から本巣駅(もとす-)に戻って、本巣機関区を見学しよう。今度の上り大垣行きは、13時50分発になり、7分程の待ち合わせになる。

暫くすると、上り20列車・大垣行きがやって来る。幸運にも、樽見鉄道のマスコット的存在のハイモ230-312である。昭和62年(1987年)富士重工業製のレールバスで、樽見鉄道の最も古い現役気動車の為、運用にあまり入らない予備車になっている。


(レールバスのハイモ230-312がやって来る。)

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【停車駅】〓;第◯根尾川橋梁、】【;トンネル
谷汲口1350=〓1==木知原=】【=】【==綾部===1400本巣
上り20列車・普通大垣行(ハイモ230-312・単行)
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根尾川の川谷を抜けて、濃尾平野に出ると、約10分で本巣駅に到着する。4分間の待ち合わせで、下り19列車・樽見行きと列車交換をする。暫くすると、青ハイモ295-516が、1番線に直列で並ぶ。

2番線に到着の下り19列車樽見行き・白いハイモ295-617は、ここまでの運転になり、列車番号は変わらないが、青いハイモ295-516に切り替えて、終点の樽見まで運転する。上り列車と下り行き列車が、同じ番線に縦列で発車待ちをするのも、今では大変珍しい。


(本巣駅ホームに、三両の気動車が集まる。)

この本巣機関区を見学してみよう。駅の南にある県道76号線の踏切から、樽見方を眺めると、長い側線が三本あるのが判る。北側にある住友大阪セメント岐阜工場に出入りする貨車を取り扱う側線で、平成18年(2006年)の貨物列車廃止後も、貨物側線のレールは撤去されていない。やや、複雑なポイント配置になっており、短い引き上げ線が踏切側にある。


(県道踏切から樽見駅構内。引き上げ線には、保線用車両が留置されている。)

駅の西側は、住宅も疎らな田畑になっていて、見晴らしが良い。駅のホームや車庫もよく見える。


(構内南側から。ホームと車両検修区の建物。)

(構内北側から。留置中の気動車と車両検修区の建物。)

線路脇には、レバー式手動転轍機が据え付けられている。通称「ダルマ」と呼ばれる円盤錘が付いた手動転轍機が良く知られているが、比較的新しい路線には、トングレールを誘導側にスプリングで強力に圧着させるこのタイプも多く見られる。なお、レバー式も色々と細かなタイプの違いがあり、路線によって違う場合がある。

(レバー式手動転轍機と転轍器標識。)

西側から3本目の貨物側線には、廃車された車両が留置されている。


(貨物側線の廃車群。)

手前の青いレールバスは、富士重工製のレールバス・ハイモ230-301で、子供たちが描いた絵をパッチワーク状にラッピングしている。白いハイモ295-617が、三木鉄道から入線した為、平成21年(2009年)4月に廃車となった。第一世代のハイモ180形の後継として導入された第二世代のレールバスで、先程、谷汲口駅から乗車した第三世代のハイモ230-312(310番台)とは、仕様が少し違う。

【ハイモ230-301の主な諸元】
昭和60年(1985年)富士重工業製レールバス、全長15.5m、自重23.5t、
日産PE6HT03ターボ付き水平対向ディーゼルエンジン230馬力(1,900r.p.m.)、
ロングシート、定員98名、クーラー有り、バス窓、折戸式乗降扉。


(第二世代のハイモ230-301。)

その後の色褪せた青い客車は、国鉄14系客車である。かつて、朝夕のラッシュ時や淡墨桜の桜ダイヤ時に、ディーゼル機関車牽引の客車として活躍した。平成6年(1994年)にJR東海から購入し、平成18年(2006年)3月まで運行されていた(※)。なお、樽見鉄道の客車としては、オハフ33形客車(谷汲口駅に1両静態保存)と国鉄12系客車(廃車済み)の後、最後に導入された客車グループになる。

車番は、大垣寄りから、スハフ14-4/オハ14-5/オハ14-13/オハ14-8/スハフ14-2の5両編成で、通常時は、スハフ/オハ/スハフの3両編成で運転されていた。樽見鉄道での車籍上は、スハフ2200形とオハ2000形であるが、形式表示は国鉄時代のままになっている。


(元・国鉄14系客車。)

その並びには、かつて運行していた観光トロッコ車両も、1両のみ留置されている。国鉄無蓋貨車トキ29107(国鉄トキ25000形)の改造車である「うすずみ2号」で、車体妻面の車両検査票を見ると、定員68名、自重18.7tになっている。

元々は、無蓋貨車の為、屋根を付けたり、各部に改造の箇所が多く見られる。屋根のスラント部分には、採光の為の細長い天窓がある。不自然な腰高窓であるが、座席が底上げされて、テーブルが設置されている。車両中央床下の白い棒状の部品は、貨車特有の足踏みフットブレーキである。なお、トロッコ列車は、樽見鉄道が樽見まで全通した平成元年(1989年)から、平成17年(2005年)までの16年間、運行されていた。


(うすずみ2号。直線的で独特なデザインである。)

(国鉄14系客車スハフ14-2とうすずみ2号。ブルーシート下は、スイッチャーである。)

構内の樽見寄りには、鉄製トラスの跨線人道橋があるので、渡ってみよう。標準的な国鉄車両の全高は4mであるので、この跨線橋の床面の高さは5m位である。また、1.5人分の通路幅しか無く、今日は北風が強いので、かなり揺れる。樽見方を見ると、住友大阪セメント岐阜工場とレールが剥がされた引き込み線跡がある。


(跨線人道橋上から樽見方。左手の建物は、セメント工場。)

大垣方を見ると、東に機関区、西に貨物側線、その間に短い島式ホームと本線を配している。左の円筒形の黒いコンクリートの建物は、蒸気機関車時代の給水塔で、水を引き上げた井戸も横に残っているが、残念ながら、転車台は残っていない。


(跨線人道橋上から大垣方と給水塔。)

この跨線橋を渡り切り、反対側の東側に降りる。東側階段下の銘板を確認すると、昭和35年(1960年)11月竣工である。「名古屋鉄道管理局」の文字も、国鉄を感じさせる所である。このトラス構造や細い鉄骨、塗色等が、国鉄時代の特徴を良く残している。


(美濃本巣跨線人道橋全景。)

(東側コンクリート土台の銘板。)

(つづく)


(※)平成22年(2010年)の秋に、全て廃車解体された。

2017年7月29日 FC2ブログから保存・文章修正・校正
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