流山線&竜ヶ崎線紀行(6・流山線編)鰭ヶ崎駅と周辺散策

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流山0915======0926馬橋
列車番号30・上り馬橋行「流星号」
2両編成(ワンマン運転)

(馬橋で折り返し乗車)

馬橋0930======0938鰭ヶ崎
列車番号29・下り流山行・同編成
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流山散策には、少し時間が早い。起点駅の馬橋(まばし)に一度戻り、折り返しの流山行きに乗って、途中駅の鰭ヶ崎(ひれがさき)に寄ってみよう。

馬橋からは3駅目、3.6km地点、所要時間約7分、流山市鰭ヶ崎宮ノ後、海抜5mの社員配置有人駅である。開通当初の大正5年(1916年)3月14日開業になる。かつては、こぢんまりとした木造駅舎が建っていたが、昭和中頃に建て替えられたらしい。また、この最近30年間で、利用客数が1/4まで激減しており、流山線内で最も少なくなっている。

坂川が下総台地(しもふさだいち)から江戸川流域の平野部に出る場所にあり、台地の西端が近くにせり出している。また、駅から約10分歩くと、JR武蔵野線とつくばエクスプレス線(正式名称は、首都圏新都市交通)の南流山駅に乗り換えることができる。武蔵野線は昭和48年(1973年)、つくばエクスプレス線は平成5年(2005年)と開業が遅く、武蔵野線が開業した1970年代頃までの駅周辺は、雑木林や畑が広がっていたという。現在は、鉄道路線三線が利用できる交通至便な町として、再開発が進んでいる。しかし、大きな駅になった南流山駅周辺が主らしく、鰭ヶ崎駅周辺には、昭和40年代頃の街並みが残っている。

地名の由来は、地元古刹の東福寺の伝説「竜が背鰭の先を残した」からの由来で、「先」が「崎」に置き換わったという。平安時代に弘法大師(空海/くうかい)が開山したと伝えられ、とても古い土地柄である。駅から少し離れた北西と南西の方角は、整然と区画された大きな新興住宅地や団地が広がるが、北西にある東福寺周辺は道筋や家の向きがまちまちで、元々は、門前町として、小さな集落が形成されていたらしい。

列車から降り立つと、北西・南東方向に配された、長さ3両編成程度の単式ホームの棒線駅である。ホームの幅は比較的広く、街道に面する北側に改札口と駅舎がある。かつては、構内売店もあったが、利用客の激減により、平成19年(2007年)に閉店になってしまった。構内トイレの前にある駅名標は、昭和中頃のものらしく、ブリキ製である。


(馬橋方からのホーム全景。)

(昭和中期頃のものらしい古いブリキ製駅名標。)

(改札口と出札口。自動券売機も一台あるが、有人の出札口もある。硬券入場券も入手できる。)

(手書きの駅時刻表。こうしてみると、平日は結構な運転本数である。)

上りの馬橋方は、住宅地の中を真っ直ぐに線路が伸びる。約450m先を左に少し曲がると、坂川橋梁がある。ホーム向かいにスペースがあり、保線トロッコなどが置かれ、保線基地にもなっている。


(馬橋方。名物の凄い緑色の建物「グリーンハウス」が見える。)

(保線資材置き場。トロッコと脚立が置いてあるので、架線点検用らしい。)

下りの流山方を望むと、流山線で最も難工事であった切り通し区間が見える。距離的には200m程で、西側は更に切り崩され、新興住宅地になっているが、東側は雑木林のままの当時の面影を残している。この先に見える道路橋を抜けた場所に、流山線に給電している西平井変電所が設置されている。


(流山方と切り通し。)

駅出入口は北側の街道側と西側の住宅地側があり、ほとんどの人が街道側を行き来する。本来は住宅地側が正面らしい。街道側に小さな駅前商店街もあるが、以前よりも、寂れてしまっている。


(住宅地側の駅舎全景。こちら側が正面らしい。)

(改札口前から街道側を望む。左手が駅前商店街。)

この鰭ヶ崎を少し散策してみよう。駅の直ぐ横に小さなパン屋の丸十(まるじゅう)パン店【赤色マーカー】がある。カラカラと引き戸を開けると、70代位のお母さんが出てきた。「大層、古いお店ですね」と尋ねると、昭和41年(1966年)8月29日に開店し、もう50年以上営業してきたと言う。昔はケーキなどの洋菓子も作っていたが、今はパンを少し作っているだけだそうで、古い大型冷蔵ショーケースもそのまま置かれており、昭和中頃に戻ったような雰囲気である。


(駅横の丸十パン店。)

折角なので、メロンパンとツナパンを購入。少し小ぶりではあるが、税込100円からの手頃な価格にしてあるとのこと。流山線の駅近くには、コンビニやスーパーが少ないので、昼食や小腹の足しの調達に良いだろう。食べてみると、今のパサパサとしたパン生地と違い、しっとりとした昔風のパンである。なお、「丸十」とは、大正時代初期、乾燥酵母(ドライイースト)を使った日本近代製パン法を確立した田辺玄平氏の屋号である。全国から弟子が集まり、田辺家の家紋である「丸の中に十」をアレンジし、暖簾分けしたという。

【丸十パン店】
定休日・不定期。営業時間・不明(朝から。売り切れ次第閉店と思われる)。
流山線鰭ヶ崎駅隣。専用駐車場なし。
丸十パン店公式HP


(商品棚に並ぶ手作りパン。※撮影許可済み。価格は取材当時。)

「また来ますね」と、お礼を言い、駅から南に徒歩10分にある地鎮・鰭ヶ崎雷神社(ひれがさきいかづちじんじゃ)【鳥居マーカー】に行ってみよう。住宅地の中の小社であるが、隅々までよく手入れがされていて、とても美しい。創建時期は不明で、江戸時代に再建されたと伝えられている。社殿裏には、天然痘治癒祈願の疱瘡神塔(ほうそうしんとう※)や小さな富士山(溶岩を積み上げた富士嶽浅間大神/浅間神社のこと)もある。

この神社では、五穀豊穣と家内安全を祈願した構(こう)を起源とする「おびしゃ行事」が、流山市の無形民俗文化財になっている。300年の歴史があり、赤鬼と青鬼を描いたふたつの的に矢を社殿前から射って、その年の吉凶を占う。

おびしゃの語源は、神社を維持する諸経費を賄うための水田を、備社田(びしゃでん/備神田・御神田とも)と呼ぶことからである。また、歩いて矢を射る「歩射(ぶしゃ/馬上から射る騎射との対義語)」から転訛したという説もあるらしい。なお、関東各地に伝わる正月の行事であり、多くの地域では参拝と宴会だけに形骸化してしまったが、流山各地では、今でも行われているという。神社での儀式や御囃子、神楽のほか、夜に万灯を掲げ、花車が街中を巡る。


(鰭ヶ崎雷神社。御祭神は大雷神(おおいかづちのかみ)である。※夏の追加取材時に撮影。)

次は、この鰭ヶ崎でもっとも大きな古刹である東福寺【寺マーカー】へ行ってみよう。駅の北西、歩いて7分程度の場所にある。今から1200年前の平安時代創建の真言宗寺院で、山号は守龍山(しゅりゅうざん)と呼ばれ、かなりの大寺である。境内は急石段を登った下総台地上にあり、最初に眩い朱色の仁王門が迎えてくれる。

寺伝によると、かつて、この高台に美しい池があり、龍王が住んでいるといわれていた。弘法大師がこの地に訪れると、龍王が翁の姿で現れ、寺の建立を懇願した。仏像を作る木を大師が欲したところ、今度は龍が現れて霊木を授かり、本尊の薬師如来を造り上げたという。この時、龍が背鰭の先を残して行ったことから、地名の由来になっている。


(東福寺入口。石段上の仁王門には、流山市内で最も大きな、高さ2.7mの金剛力士像一対を安置している。江戸時代の制作、あの名工・運慶の作と伝えれられている。)

境内奥の一段高い場所に建立されている本堂は立派なのもで、両翼に千仏堂や庫裏(くり)を併設している。大師が龍に遭遇したとの言い伝えがあるので、軒下の透し彫りには、見事な龍の彫刻が施されている。


(本堂。境内はかなり広く、ゆったりとしている。)

(本堂の龍の彫刻。)

境内東にある中門には、江戸時代の名彫刻家・左甚五郎(ひだりじんごろう)の作と伝わる鴨の彫刻がある。この彫刻には伝説があり、田植えの時期の夜な夜な、寺周辺の田んぼの苗が荒らされた。何者の仕業かと、村人が監視していると、鴨が大勢やって来てついばんでいる。寺の方に逃げたので追ってみると、この左為五郎の鴨の足が田の泥に汚れていたという。「この左甚五郎鴨か」と犯人を突き止めた村人達は、目を五寸釘で潰し、それ以来、田は荒らされなくなったという。今は、上塗りがされて、よく分からないが、目の部分が潰れているのがわかる。なお、左甚五郎は、日光東照宮陽明門の眠り猫の作者としても有名である。


(中門の左甚五郎目潰しの鴨。)

最後にもうひとつの名物店である、流山せんべい店【黄色マーカー】も紹介したい。駅まで戻り、踏切を渡って、北東に歩いて行く。店番をしている中年女性に挨拶し、尋ねると、昭和62年(1987年)に暖簾分けをして、独立開店したという。流山は醤油や味醂が手に入り易く、東北米が江戸に舟運で運ばれる経由地でもあったので、米も入手しやすかった。昔は、多くの煎餅専門店があったそうだが、今は、市内に5店舗程度しかないという。


(流山せんべい店。※逆光のため御容赦願いたい。)

(店頭のショーケース。上の地球型ガラス製瓶も、今では貴重なものである。※撮影許可済み。価格は取材時。)

木枠のショーケースの中に種類も沢山あり、希望に応じて、箱詰めでもバラでも販売してくれる。今回は、普通のうす焼き煎餅(税込50円)とたねがし煎餅(税込120円)を試食してみよう。縁台も店頭に置いてあるので、そこで頂く。

うす焼き煎餅はハート形になっていて、女性受けしそうな可愛らしいデザインである。たねがし煎餅は、ピーナツを細かく砕きまぶした洋風の煎餅で、珍しい。味付けは、甘辛であるが、甘すぎない、辛くない、中庸な味の軽い仕上がりになっている。米の旨味もしっかりと感じ、何枚でも食べられる素朴な美味しさである。


(うす焼き煎餅とたねがし煎餅。他に、堅焼き厚焼きの雷焼や赤シソの淡雪なども、お勧めとのこと。)

素材、味、焼き方にこだわっているそうで、備長炭で一枚一枚丹念に焼き上げている。機械焼きでなく、昔ながらの大谷石製炭火焼き器を使った手作りとのこと。わざわざ、窓を開けて見せて頂いた。


(大谷石の炭火焼き器。東日本大震災の際、大谷石が割れてしまったそうだが、新しいものは入手困難のため、補修をして、大切に使っているという。※撮影公開許可済み。)

なお、平和台駅前のイトーヨーカ堂流山店でも、流山の名産品として販売している。流山線訪問や沿線の歴史散策時の土産に良いだろう。

【流山せんべい店】
定休日・火曜日、営業時間・9時から19時半まで。
専用駐車場なし。千葉県流山市鰭ヶ崎1475−6。

(つづく)


(※疱瘡と疱瘡神塔)
伝染性ウイルスによる天然痘のこと。全身に膿疱ができ、死亡率も高かった。一生に一度はかかるものであったが、跡(アバタ)が残った。日本では、平安時代から江戸時代まで猛威を振るい、明治政府による強制種痘(ワクチン)が行われてからは、発症は激減し、現在は無い。世界保健機関(WHO)でも、絶滅感染病とされている。この疱瘡を悪神として祀り、症状の緩和や早期治癒、病除けの信仰対象としたのが疱瘡神塔である。

【参考資料】
現地観光歴史案内板
総武流山電鉄の話「町民鉄道の60年」(北野道彦・1978年・崙書房)

2024年9月10日 文章修正・校正・一部加筆

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