流山線&竜ヶ崎線紀行(3・流山線編)馬橋駅

起点の馬橋(まばし)駅に向かおう。赤い流星号に乗車すると、すぐにドアが閉まる。幸谷(こうや)駅では、発車ベルを使っておらず、運転士と駅長の目視による安全確認で発車する。上の階のマンション住人に配慮しているのであろう。

今日は土曜日なので、車内のロングシートは程良く埋まり、通勤通学ラッシュにはなっていない。駅長の見送りと共に幸谷駅を静かに発車すると、ほぼ真南に向けて、住宅地の中の直線の単線を左右上下に揺られながら、軽快に走って行く。この流山線は、都心至近にあることや常磐線と連絡をするため、平日の朝夕の通勤通学ラッシュが激しい。しかし、全区間単線になっている。かつては複線化を検討したこともあるが、採算を取るのが難しいため、列車の頻発運転化で輸送力の強化を行っている。

左窓の住宅の間から常磐線の線路が見え隠れし、次第に接近してくると、僅か3分で馬橋駅に到着。流山線専用ホーム1番線に到着し、2両編成の電車からどっと人々が降りる。その最後尾に並び、中年男性の改札係氏に1日フリー切符を見せ、撮影の許可をお願いする。「いいですよ」と快諾を貰ったが、発着時の乗降が多い駅なので、くれぐれも一般乗客や駅員に迷惑が掛からないように十分注意しよう。

余談であるが、この流鉄流山線のことを地元近辺以外の一般の人達に聞いてみると、「どこにあるのか」と、必ず聞かれるほどマイナーな鉄道である。しかし、関東エリアのローカル線派の鉄道旅行ファン(乗り鉄)にとっては、とても人気のある路線になっている。同じミニ民営鉄道でも、千葉県東部の銚子電気鉄道ほど有名ではないので、観光客や同業の鉄道ファンが非常に少ない点も良い。東京至近ながら、ローカル線の本来の雰囲気を楽しめる。

流山線起点の馬橋駅は、蒸気軽便鉄道開通時の大正5年(1916年)3月14日に開業した。南北に配された島式ホーム1面2線の小さな地上駅で、接続しているJR常磐線とは別ホーム・別改札になっており、連絡改札口(乗り換え改札口)は設置されていない。なお、地名の由来は、旧水戸街道に架けられた橋名からである。


(JR常磐緩行線ホーム下り側から見た、流山線ホーム。民営鉄道の起点終点駅でよく見られる、頭端式ホーム(※)ではない。)

流山線ホーム東側にJR常磐快速線を挟んで、緩行線(各駅停車)の長いホームが見える。常磐線は日本鉄道土浦線として、明治29年(1896年)12月25日に田端から土浦まで開通しているが、この馬橋駅は開通当初の駅ではなく、明治31年(1898年)8月6日に追加設置された。現在、快速電車は停まらず、緩行電車のみが停車する駅であるが、乗車客数は1日2万人を越える賑やかな駅になっている。

向こうの常磐緩行線ホーム側から、下り常磐緩行線、上り常磐快速線、馬橋支線、下り常磐快速線、流山線の線路が並ぶ。馬橋支線は、常磐線から武蔵野線へ連絡する貨物支線である。この先の取手方に行くと、高架に上がり、北に進路を変える。なお、常磐線の複々線化は、昭和46年(1971年)からである。


(流山線ホームから見た、JR常磐緩行線ホームと連絡跨線橋。左手が下りの取手方になる。※夏の追加取材時に撮影。)

JR馬橋駅は橋上駅舎化しており、東西を結ぶ自由通路の連絡跨線橋で結ばれている。西口寄りの階段を降りると、流山線専用の改札口がある。その横に掘っ立て小屋の様な駅事務所もあり、スタンドアローン型の自動券売機2台もあるが、木造の小さな出札口もある。


(連絡跨線橋西口寄りの流山線入口案内板。)

(跨線橋階段は、壁や階段はリニューアルされているが、古い木造のままである。大きな駅時刻表も掛かっている。)

(流山線の出札口と改札口。)

ホーム上の改札口を通ると、電車3両程の長さの島式ホーム東側(JR常磐線側)が、1番線になっている。反対側の2番線は、レールの踏み面がかなり錆びついているので、ほとんど使われていないらしい。また、ホームはアスファルトで舗装されているが、古い木造旅客上屋が残っており、これだけ都心に近い駅としては珍しい。それも、改札寄りは片流れ屋根、先端方は緩やかな傾斜の切妻屋根が連なり、後年に増設された部分と思われる。切妻の方は無塗装になっており、印象はかなり違う。


(改札寄りの片流れ旅客上屋と駅時刻表。)

(番線案内電光標識と切妻屋根旅客上屋。)

新調された建て植え式駅名標が、流山寄りに設置されている。柱タイプの駅名標は、幸谷駅と同じ明朝体の流鉄オリジナルとプラスチックタイプのゴシック体のものがある。また、最近、駅ナンバリングも行われている。この流鉄馬橋駅は、「RN1」になる。


(新調された建て植え式駅名標。)

先端部まで行くと、10畳以上ある大きなプレハブ待合室と公衆トイレがある。廃れた地方ローカル無人駅の掘っ立て小屋の様なので、利用する際、少し勇気がいるかもしれない。


(ホーム先端部の駅トイレ。)

西側の二番線の外側には、小さな車庫がある。かつては側線も敷かれ、ここに貨物入れ替え用の小型ディーゼル機関車が置かれていたという。今は、保線資材置き場になっている。その右手の真新しい白い建物は、西口の商業施設「馬橋ステーションモール」である。


(2番線と小さな車庫。)

1番線延長上の上野方には、常磐線に接続する渡り線があり、現在も接続している。かつては貨車の受け渡しが行われていたが、譲渡車両の受け渡しに使われる位とのこと。下りの常磐快速線に接続しているが、ストレートに繋がっておらず、側線を介して繋がっている。高速運転をする快速線のため、事故防止の安全性を考慮しているのであろう。


(上野方のJR線との渡り線。)

また、ミニ民営鉄道である流鉄流山線では、長らく、電車を動かすための自前の変電所を持っていなかった。そのため、国鉄時代から、常磐緩行線の「き電線(※)」から電気を直接融通して貰っていた。平成2年(1990年)2月に自前の変電所が竣工し、その後に分岐線を撤去したらしい。ホーム先端部の西側に受電設備が残っている。


(流鉄の受電設備。電柱に設置されているのが断路器、平屋建物の中に直流高速度遮断器が設置されているが、使われていないという。)

流山方を望むと、左手の2番線の線路も長く延び、複線に見えるが、200m先は車止めになっている。ホームのすぐ先に、常磐線に繋がっている1番線からの渡り線跡があるので、貨車の引き込み線跡兼副本線らしい。なお、車止めの手前に、1番線の本線に渡る分岐器(ポイント)がある。


(ホーム先端からの流山方。)

のんびりとした土曜日の朝、日もだいぶ上がり、暖かくなってきた。小さな駅であるが、昭和の雰囲気がよく残っていると感じる。常磐線の電車も頻繁に行き来するので、ベンチに座ってのトレインウオッチングも楽しいだろう。時折、いわき行きの特急ひたち号も、二本先の線路を飛ぶように通過するので、迫力がある。


(ベンチで次の電車をのんびりと待つ乗客。あちら側と、時間の流れた方が違うのが面白い。)

終点の流山に向かう前に、自由通路の東口階段を下り、馬橋駅周辺を散策してみよう。実は、江戸と徳川御三家の水戸を結んだ水戸街道(現・国道6号線)屈指の門前町でもある。東口は街道沿いの古い市街地になっており、駅前は大変狭いが、人通りも多く、商店や飲食店がひしめき合っている。


(JR馬橋駅東口。)

(つづく)


(※頭端式ホーム)
ふたつ以上のホームの端が繋がっているホーム。上から見ると、くし形に見える。JRでは上野駅地上ホームが有名。民営鉄道各社(小田急新宿駅など)でも見られる。
(※き電線)
電車のパンタグラフ(集電装置)が接触する電車線(別名・トロリ線/いわゆる架線のこと)に、電気を供給する電線。なお、「き」は常用漢字外で、本来は「饋電線」と書く。

【参考資料】
総武流山電鉄の話「町民鉄道の60年」(北野道彦・1978年・崙書房)

2024年9月8日 文章修正・校正・一部加筆

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