近江線紀行(4)八日市駅

午前10時11分、本線途中の中核駅である八日市(ようかいち)で下車した。乗車してきた青い電車は、八日市線終点の近江八幡行きなので、すぐに発車する。ホームから人も払うと、静かな駅に戻った。ホーム向かいの中線には、主力の黄色い電車・近江鉄道800形(第5編成/805F)とマスコット的電車の900形が留置されている。どちらも元・西武車の改造車である。特に、ライオンズカラーの900形(901編成)は、近江鉄道開業100周年の記念車両として平成10年(1998年)6月にデビューした700形の後継という。万葉集由来の「あかね号」の愛称も受け継ぐ。


(近江八幡行きの青い電車が発車して行く。主力の800形と900形「あかね号」が留置されていた。)

この八日市は、本社や車両区が置かれた彦根と並ぶ重要な駅になっている。他社線との接続のない近江線単独の駅であるが、本線のほぼ中間地点に位置し、琵琶湖湖畔の東海道線が通る近江八幡への短絡連絡線・八日市線も分岐している。駅は大規模に近代化されており、古い木造駅舎などは残っていないが、地方民営鉄道独特ののんびりとした雰囲気を醸し出す。


(吊り下げ式駅名標と駅時刻表。駅ナンバリングも実施されている。今日は祝日なので、間違えないよう、平日時刻表にバツのテーピングをしている。)

構内を見渡すと、ほぼ南北に2面3線のホームを配す。駅舎寄りの1番線は本線下り貴生川方面、島式ホームの2番線は本線上り彦根・米原方面、同3番線は八日市線近江八幡方面になる。1番線と2番線の間に中線が1本、3番線外側に側線1本があり、電留線として使わている。しかし、構内が狭いため、側線や電留線が駅の規模に対し少ない。

駅開業は明治31年(1898年)7月の第一期工事後期(愛知川から八日市間7.4キロメートル)開通時、起点の米原から25.3キロメートル、12駅目(開業時は彦根起点3駅目/当時の途中駅は高宮と愛知川のみ)、所要時間約50分、東近江市八日市、標高128メートル、社員配置の終日有人駅である。湖東平野の中央部、瓦屋寺(かわらやじ)山系の低山の南東麓に位置する。1日の乗車人数は2,000人弱とのこと。列車の発着時以外は、とても静かな駅である。

米原寄りにエレベータ付きの連絡跨線橋が設置されており、そのまま駅舎内の階段に直結する。跨線橋上から下り貴生川方面を眺めると、線路は真っ直ぐ南に延び、留置車両の先にダブルクロッシング(※)が見える。地方民営ローカル線に大変高価なダブルクロッシングがあるのも珍しい。本線から八日市線へ分岐するためのもので、どの番線からでも入線と出線ができる。もちろん、その先の本線は単線になっている。また、3番線外側に比較的小規模な変電所設備もある。


(跨線橋上からの貴生川方。中線に留置された電車とダブルクロッシング。)

(3番線ホーム向かいの変電設備。駅構内にあるのも珍しいが、本線中間に位置し、路線両端の電圧降下を防ぐのに好位置のためと思われる。)

反対側の米原・彦根方は緩い左カーブを描きながら、踏切を越えて側線と中線がまとまる。踏切の向こう右側に電留線が一本あるのが見える。駅舎に対して、逆向きの米原方向きに本線に接続し、右手にスペースがあるので、ここに貨物ホームがあったと思われる。


(米原・彦根方と貨物ホーム跡。)

そのまま、改札口に行ってみよう。駅の階段と思えない小洒落た雰囲気の階段を下り、少し左手に進むと、懐かしい国鉄風銀色ボックスが並ぶ改札口がある。隣接する広い駅事務所には、4、5人の男性駅員が詰めており、自動券売機も置かれているが、昔ながらの有人出札口もひとつある。


(跨線橋に接続した階段。)

(2・3番線ホームからの改札口周辺。駆け込み転落防止のため、ホーム縁石にグリーンネットが張られている。)

改札口上には、昭和風の単色LED発車行き先案内板が吊り下がる。なお、原則、列車発着前後のみ改札が開く。見学したい場合は、一声かければ、その限りではない。改札口横の駅時刻表を見ると、本線は上下共に毎時1本・朝夕ラッシュ時は2本。八日市線は終日毎時2本・朝ラッシュ時は3本になっており、典型的な中規模地方ローカル線ダイヤである。


(懐かしい国鉄風金属製ボックスの改札口。)

駅事務所の若い20代の男性駅員氏に、「旅行で来たのですが、(近江線の)時刻表はないですか」と尋ねると、小さいながら立派な冊子の時刻表を頂いた。関東の大手鉄道会社ものよりも立派な作りに驚き、「お代は」と尋ねると、「無料です」という。お礼と駅訪問記念を兼ねて、硬券入場券を購入することにした。


(出札口と自動券売機。)

そのまま駅前に出ると、多少の雲はあるが、日はさんさんと汗ばむ陽気である。大きな三角屋根と時計塔が目を引く現駅舎は、平成10年(1998年)に、旧駅舎の老朽化により建て替えられたもの。切妻面上部は総ガラス張りの斬新なデザインと、シンメトリーデザインが美しく、第1回近畿の駅百選に選定されている。ちなみに、先代駅舎は2階建て寄棟屋根と横羽目板外壁のレトロな木造建築で、正面2階部分に多くのブリキ看板が掲げられていた。市民の愛着も強く、駅舎お別れイベントも開催された程であったという。


(現在の八日市駅外観。)

改札口外も掃除が隅々まで行き届いており、小綺麗な駅である。1階は駅部分を内包するほか、右手(米原方)に待合スペース兼駅ホール、コインロッカー、旅行会社の営業所、テナントスペースが並び、2階に駐輪場が設けられている。なお、交番はあるが、役場などの市の施設は入っていない。


(明るく立派な駅待合ホール。)

駅ホール奥には、近江鉄道の歴史や資料を解説展示しており、興味をそそられる。なお、この駅舎2階に、近江鉄道ミュージアムという名称の自社鉄道資料館を開館する予定とのこと。実は、彦根の車両区内に立派な同名の資料館があったが、大正築の資料館(元・変電所)や静態保存車両の老朽化、赤字経営が続いているため、維持を断念したという。同社内でも存続を望む声があり、この八日市駅構内に移転する運びのようである。しかし、残念ながら、貴重な凸形電気機関車などの静態保存車両の保存は難しいらしい。


(近江鉄道ミュージアムの仮展示コーナー。展示は少なく、一部のみの展示らしい。)

あまり駅らしくない造りに少し戸惑うが、地方民営鉄道駅としては、かなり立派である。ふたつある出入口の外壁の間に大壁画も設置され、「蒲生野(がもうの)遊猟の図」とのこと。古代、この八日市周辺は蒲生野と呼ばれ、京の皇族や貴族たちの狩猟の場であったという。なお、決して、貴族たちの悠長な戯れではなく、白村江の戦い(はくすきのえのたたかい※)に破れた機運を払拭するとも、当時の大津宮の対岸になる場所から、防衛的な意図もあったとされている。大壁画のモデルは、日本史でおなじみの額田王(ぬかたのおおきみ/女性皇族)と大海人皇子(おおあまのおうじ/後の天武天皇)の掛け合いを描き、かの時代に誘うようである。これだけで、この地の歴史の厚さを感じさせる。


(歴史大壁画「蒲生野遊猟の図」。)

なお、駅名でもある八日市は単独の市であったが、市町村合併のため、平成17年(2005年)に東近江市になっている。周辺は古代からの豊かな田園地帯で、水利と平地に恵まれ、高品質な江州米(ごうしゅうまい/今は、近江米と呼ばれる)の産地として栄えた。奈良や京都にも至近であり、都の人々の食を支えてきたのであろう。近江鉄道の開通も、この特産の江州米を輸送する目的もあったという。また、太平洋戦争までは、陸軍飛行場を擁する軍郷でもあった。


(駅前から伸びる大通り。この先に東近江市役所や警察署などがある。)

歴史的には、奈良時代以前より、米などの農産物の集積地として、人も集まり、市も立つようになり、在郷町・商業町として発達した。駅の近くには、大きな歓楽街もあったといい、現在も地域の中心地としての地位を保つ。町名の由来も、毎月8が付く日に市が立ったことによる。また、地学的には、約7,000万年前の中生代白亜紀(恐竜の時代)に大噴火した巨大火山のカルデラ(湖東カルデラ※)の中央部に位置するという。お盆のような平地を同心円状に低山が囲む湖東の独特な景観は、この火山活動の名残であり、遠く鈴鹿や比良の山々などもその外輪山にあたる。ちなみに、琵琶湖は約400万年前に形成されたので、はるかに新しい。

後日、追加取材をした際に再訪問した。新しく移転オープンした近江鉄道ミュージアムに立ち寄ったので、紹介したい。大型展示物の静態保存車両などがなくなり、規模は大幅に縮小したが、丁寧な展示は長い歴史を誇る近江鉄道の社員愛を感じるところである。また、貴重な初期の鉄道車両写真なども展示されており、興味深い。国有であった国鉄や現在のJRと違い、地方民営鉄道の公開資料は大変少ないので、貴重である。


(駅舎2階の駐輪場隣の部屋にオープンした「近江鉄道ミュージアム」。)

ここは元控室であろうか。2階駐輪場横の20畳ほどの広いスペースが改装され、展示している。近江鉄道の歴史を解説したパネルや写真から始まり、かつて実際に使われていた鉄道用品だけではなく、沿線各市町村の観光名所・特産品の展示など、鉄道ファンではない一般客にもわかりやすく展示してある。


(中央部メインの鉄道用品展示コーナー。周りの壁面には、近江鉄道の歴史や歴代車両紹介のパネル、記念切符、沿線各市町村の紹介コーナーが囲む。)

(裏側には、古い駅名標や鉄道標識などを展示していた。)

易と難の展示を取り混ぜ、子供や一般向けでありながら、鉄道ファンの鑑賞にも耐えられる本格的な内容である。なお、見学は無料、改札口の駅員に声を掛けて欲しいとのこと。ぜひ、立ち寄ってもらいたい。

(つづく)

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(※ダブルクロッシング)
並行した線路(複線)で、お互いの片渡り線を重ねた分岐器。上から見ると、Xの文字に見える。転轍機が4つ必要なため、大変高価になる。通称・両渡り線。
(※近江鉄道ミュージアム)
平成19年(2007年)に彦根駅構内に開館。同社の歴史や貴重な鉄道資料を展示していた。平成30年(2018年)12月に閉館したが、翌年の令和元年(2019年)11月に八日市駅2階に再オープンしている。
(※白村江の戦い/はくすきのえのたたかい・はくそんこうのたたかい)
飛鳥時代の西暦663年、朝鮮半島南西部の百済(くだら)国と日本(当時は倭国)の連合軍が、朝鮮半島の新羅(しらぎ)国と中国大陸の唐の連合軍と戦った海戦。圧倒的戦力の新羅・唐連合軍に惨敗。以降、唐の日本侵攻のリスクが生じた。飛鳥から大津宮への遷都も、琵琶湖の湖水を利用した防衛のためとされる。戦後、唐は新羅と対立が激しくなったため、倭と和解。侵攻はなかった。
(※湖東カルデラ)
九州の阿蘇山と同等か、それ以上の規模といわれている。現在、滋賀県内に火山はない。

※本取材時と追加取材時のカメラは同メーカー製・同型番ですが、バージョンが違うため、若干色味が異なります。ご容赦ください。

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