近江線紀行(1)米原へ

さて、普段は関東近県のローカル線ばかりの訪問取材であるが、たまには、遠く知らない町への旅もしてみたい。実は、半年前から、ゴールデンウィーク中に3日間の年休を貰えることから、色々と検討していた。実際の旅も楽しいが、プランを練るのも楽しい。資金のなかった中学生時代は、もっぱら、JTB大型時刻表での机上旅行に勤しんでいた。同世代の諸兄同好の方々も同様であろう。

まずは、「ローカル線の起点駅までは往復新幹線を利用」、「2泊3日で取材できる路線規模」、「民営鉄道か第三セクター鉄道(※)であること(JRは不可)」、「古い鉄道遺産や魅力的な沿線観光地があること」を条件にした。なお、「なぜ、乗り鉄なのに新幹線を使うのか」との古参同好者の批判もあると思うが、ローカル線の旅に特化している以上、途中のJR線の詳しい行程は無視してもいい。その方が、取材先のローカル線に没頭できるからである。新幹線でワープというところか。

(凡例/本社所在地駅をマーカー・区間・営業キロ)
赤色マーカー/津軽鉄道津軽五所川原駅(津軽五所川原〜津軽中里・20.7キロ・非電化)
黄色マーカー/山形鉄道長井駅(赤湯〜荒砥・30.5キロ・非電化)
青色マーカー/富山地方鉄道電鉄富山駅(電鉄富山〜宇奈月温泉/立山・93.2キロ・電化)

いくつかの候補から、個人的に興味が高い路線として、北東北(青森県北部)の津軽鉄道【赤色マーカー】、南東北(山形県南部)の山形鉄道【黄色マーカー】、北陸(富山県)の富山地方鉄道【青色マーカー】をエントリーしてみた。津軽鉄道は本州最北の果ての民営鉄道としても知られ、哀愁のあるローカル鉄道の魅力も大きい。世間一般的には、冬季に運行されるストーブ列車が有名で、大手旅行会社のプランにもよく紹介されている。山形鉄道は元国鉄長井線である。JR奥羽本線から分岐した行き止まりの第三セクター鉄道になっており、平成16年(2004年)に大ヒットした青春映画「スウィングガールズ」の舞台になった。そして、富山地方鉄道は立山アルペンルートへの鉄道として知られ、古い木造駅舎や車両などの鉄道遺産が豊富に残っている。

問題点も考えてみよう。津軽鉄道は新幹線で新青森まで行くはいいが、更に在来線に2回乗り換え、JR五能線の五所川原(ごしょがわら)まで行かないといけない。片道の所要時間は5時間近くになり、朝イチで上野を出発しても正午前になるため、あまりにも遠い。当然、路線キロも長くなるので、新幹線代も片道2万円近く(普通車指定席)と高い。また、乗降自由な1日フリー切符がないのも不自由である(途中主要駅の金木までは、JRと共通のエリアフリー切符がある)。山形鉄道は総合的なパンチに欠けると感じる。自然豊かな路線であるが、沿線の古刹や名所に乏しい。JR奥羽本線沿いに歴史のある米沢もあるが、あくまでも、そのローカル線沿線が主役であるので、取材対象外になる。また、早朝発深夜着が可能な駅前ホテルが沿線にないのも気になる。富山地方鉄道は富山県下を代表する大きな民営鉄道で、「3日程度では取材しきれないよ」と鉄道撮影をしている先輩からアドバイスを頂いたが、撮影された写真は素晴らしく、鉄道情緒的な魅力も抜きん出ているのに大いに煽られた。確かに3日間では無理かもしれないが、後日に追加取材すればいいだろう。富山まで北陸新幹線で片道約2時間であるのも、行きやすい。

ともあれ、総合的に鑑みて、富山地方鉄道こと、通称「地鉄(ちてつ)」に決定。早速、早割も効くので、新幹線とホテルをネットで予約した。あとは、当日直前に最終決定するだけになった。

そして、正月と桜の季節を過ぎ、インバウンドの熱気に当てられながら、ゴルデンウィークに突入。しかし、そうは問屋は卸さなかった。決行の2、3日前に富山地方の天気予報を見ると、初日は晴れであるが、2日目と3日目は本降りの雨らしい。列車に乗るは雨に打たれないが、町歩きもするので難しい。また、旅スナップ向けの小型軽量カメラのため、防水機能がない。こればかりは、お天道様次第であり、今回は泣く泣く諦めたのである。

年休は変更がないため、至急、代替えのローカル線を探す。山形鉄道や津軽鉄道の東北地方も、天気が悪い。太平洋側の西の方は天気の崩れもなく、大丈夫そうである。グーグルマップで入念に探していくと、いい感じのローカル線に目が留まる。滋賀県南部を東西に走る近江鉄道(おうみてつどう)である。8年前、信楽(しがらき)高原鐵道で陶芸の町・信楽に訪問した際、途中経路としてJRの代わりに利用したことがあり、豊富な鉄道遺産を見て、いずれは本取材したいと思っていた。そんな流れで、ここに決まった。ゴールデンウィーク直前であるが、ホテルもなんとか探し、新幹線の切符も取り直す。共に早割は効かず、かなり割高なのは致し方なかろう。それでも行く価値があると思う。

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東京0626=======0848米原
東海道新幹線 下り
ひかり501号 新大阪行き
7号車指定席(車番不明)
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ゴールデンウィークに入った5月2日。朝5時前に起床。旅立ちの日である。リュックとショルダータイプのカメラバックのみの最小限の旅仕度にしたが、3日間の旅程となると、着替えなどで背中のリックはずっしり重い。自宅を出発し、東京駅に向かおう。東海道新幹線のひかり501号新大阪行き6時26分発に乗車し、近江鉄道の起点・京都手前の米原(まいばら)に向かう。東京駅に到着すると、人影は疎らで、ゴールデンウィークの雰囲気はないが、あと2、3時間もすればごった返すのであろう。朝食や飲み物を買い求める駅弁店のみが大混雑していたが、無事に手配した。

手持ちのSuicaを新幹線改札口にかざして入場する。切符はJR東海の新幹線ネット予約サイトEXで手配したので、交通系ICカードを利用したチケットレスである。旅情的にはなんとも味気がないが、時代の流れで致し方なく、代わりに「EXご利用票」なる座席案内の小さな紙片が出てくる。それを取って、16番線ホームに向かうと、すでに列車は入線して待っていた。


(朝の清涼な空気を感じながら、東京駅16番線ホームに上る。時刻は丁度朝の6時を指している。)

この時間帯に東京駅から乗車する東海道新幹線の乗客は少なく、電気機関車のような大きなブロア音だけがホームに響き渡る。指定された7号車に向かい、発車を待つ間に座席で朝食を取ろう。車掌の発車前案内があり、定刻になると滑り出すように発車。この車両の乗客は5人程度で、次の品川で20人程度乗り込んできたが、まだかなり疎らである。次の新横浜で30人以上、小田原ではそれ以上の乗車があり、ほぼ満席になる。東京の発車時刻は早朝のため、東京郊外西方の人達にとっては、小田急電鉄を経由し、小田原からの乗車が利用しやすいからだろう。また、のぞみ号が停車しない豊橋や米原に、最も早い時間に到着する東京発列車になっている。


(ひかり501号新大阪行きの7号車に乗車。自由席は前寄り5両になり、グリーン車を入れれば、2/3は指定席車両になる。)

ほぼ満席の車内を見渡すと、ビジネスマンは少なく、観光帰省客ばかりである。小田原から豊橋まではノンストップになり、静岡には停まらない。富士山、天竜川と浜名湖をつむじ風のように通り過ぎ、小一時間ほどで、名古屋に到着。半分の乗客が下車して、空いてきた。米原までは30分程度なので、もう少しである。在来線が全く接続していない次駅の岐阜羽鳥では意外に乗車が多く、難所の関ヶ原を越え、伊吹山の美しいグラデーションの新緑を眺めていると、定刻の8時48分に米原に到着。交通の要所地でもあるため、下車客は多い。列車を見送った後、エスカレーターを上がって、新幹線改札口を出る。


(米原駅を発車するひかり501号。)

天気はよく、汗ばむ陽気だ。予報では、晴れのち曇り。日中の最高気温は21度の予報である。上着や雨の心配はいらないだろう。まずは、リックを駅コインロッカーに預けたいが、どこも空きがなく困ってしまった。しかたなく、このまま背負うことにする。実は、念の為にリックにしておいた。肩掛けのボストンバッグでなくてよかった。


(JR在来線の改札口前は混雑している。この先の駅東口に近江鉄道の改札口がある。)

新幹線改札口を右手に行き、JR在来線の改札前を通り過ぎ、階段を降りた先に近江鉄道の駅舎と改札口が接続している。JRの改札口は大きく、乗客も大勢いるが、近江鉄道はひっそりとこぢんまりとしている。

階段下には、米原の風土を題材にした木彫りがあり、これは凄いと見入る。米原駅の東の山間にある上丹生(かみにゅう)地区は、江戸時代末期から木彫りの里と呼ばれ、寺社彫刻、仏像、仏壇、欄間や美術工芸品まであらゆるものが制作され、米原の伝統的地場産業になっている。その上丹生木彫組合が制作、米原商工組合が寄進したとある。木彫り職人達が集まる、全国的に珍しい同業集落という。


(「木彫でみる米原風土記」。風土、名産品や歴史上の人物などが、立体的に彫刻されている。中央上部は伊吹山。正式には、上丹生木彫[かみにゅうもくちょう]と呼ぶ。※当日夕方に撮影。)

また、駅舎内改札口前には、サイクリスト向けのレンタル自転車店がテナントで入り、大層賑わっている様子で、琵琶湖を愛するサイクリストの拠点になっているという。なお、初心者も歓迎とのこと。観光用のママチャリや電動式自転車ではなく、スポーツバイクのクロスバイクやロードバイクを取り揃えているので、やはり本格的である。ちなみに、琵琶湖を自転車で一周すると、延べ200キロもあり、3日間もかかる。


(近江鉄道米原駅改札口とレンタル自転車店「BIWAICHI RENTAL CYCLE」。)

早速、出札口の初老の駅員氏から、週末・祝日限定の1日フリー切符「1デイ・スマイルチケット」を購入。丁寧に日付のゴム印を押すのも、都内では今や珍しくなった。なんと、全線乗り放題で880円とべらぼうに安いので、心配になるほどだ。全線約60キロの営業キロを考えれば、倍以上が相場であるが、利用客アップの施策が絡んでいるらしい。なお、米原から本線終点の貴生川(きぶかわ/営業キロ47.7キロ)までの片道正規運賃は、大人1,030円である(訪問時の運賃)。


(近江鉄道1デイ・スマイルチケット。金土日の週末と年末年始を除く祝日のみ発売している。大きさは、Suicaの半分くらい。※当日夜の宿泊先で撮影。)

次発は9時22分の近江八幡行きになる。少し時間があるので、駅周辺を見学してみよう。この米原は、伊吹山西麓から琵琶湖東岸に南北逆L字に接する市域を有する緑多い町で、人口は約4万人。ヤマトタケル伝説、中山道、戦国時代に名だたる名将・石田三成や豊臣秀吉らが活躍した土地柄になっている。また、琵琶湖の北東岸に位置し、湖上交通の拠点として発達した元・湊町(みなとまち)でもある。

関ヶ原の戦いの3年後の慶長8年(1603年)、当時の彦根藩の命により、北村源十郎(※)という人物が、琵琶湖と入江内湖(いりえないこ/琵琶湖に接した内湖が駅の西側一帯にあった。現在は干拓され陸地化)を結び、堀を開削して湊を開いたという。美濃方面への物資輸送、琵琶湖最南端の大津湊への中継、京や大阪と北陸を結ぶ湖上交通の重要な中継地になり、北国街道の宿場町としても栄えた。明治時代の初めからは、俊足な蒸気船が発着したが、明治22年(1889年)の東海道線開通により、その役目を終えたという。丁度、この米原駅付近に湊があったといわれ、駅前の一角には、石碑と米原独自とされる江戸時代末期の高速外輪船・車早船(くるまはやぶね)の模型が展示されている。

鉄道の開通後も、東海道本線から北陸本線へのジャンクションとして重要な要衝地になった。昭和49年(1974年)に高規格バイパス線の湖西線が開通してからは、その重要度が低下したが、往年の鉄道ファンにとっては、米原と聞けば、とても感慨深い。最盛期には、巨大なヤード、機関区、客貨車区、扇形機関庫、転車台や三角線(デルタ線※)などが設置され、国内有数の鉄道の町であった。


(米原駅東口。琵琶湖の反対側の山側に面し、旧市街地側[元宿場側]になる。西口が栄えているが、さほど人口が多くないので、建物も低層で少なく、静かな町である。)

(米原湊跡の石碑と車早船の模型。)

近江鉄道のホームは改築され、頭端式1面2線の小綺麗なバリアフリー付きホームになっている。かつては、駅前ロータリーを挟んだ山側に駅舎とホームがあったが、平成19年(2007年)の駅前整備事業により、JR寄りに移転したという。


(近江鉄道米原駅ホーム全景。)

そろそろ、折返しの下り列車が到着するので、ホームに上がろう。

(つづく)

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(※第三セクター鉄道)
国・県・沿線市町村と民間企業が共同で出資した、半官半民の鉄道のこと。国鉄赤字ローカル線を存続させるため、多数設立されたが、廃止された路線もある。
(※北村源十郎)
北村宅は北国街道米原宿の本陣であった。海上輸送に携わる船問屋を営み、多数の船を所有する船主でもあった。
(※三角線/デルタ線)
蒸気機関車は自動車と同様に前後のある片運転台のため、折り返し運転時などに転車台で前後を逆転させる。三角線は転車台を使わない方向転換用の線路で、三角形状に設置された線路を後進と前進をし、逆転させた。

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