小布施めぐり(2)ながでん電車の広場「ED502号機」

小布施駅構内には、長野電鉄の鉄道公園「ながでん電車の広場」がある。四両の往年の車両を静態保存しており、有効な乗車券や入場券(大人160円)だけで、自由に見学が出来る。なお、平成2年(1990年)に、島式ホーム隣の側線に開設されたという。


(ながでん電車の広場。)

島式ホームからの小さな構内踏切を渡り、安全対策がされた展示用側線に入る。この側線は自由に見学が可能で、白漆喰の土塀を模した観光看板も、横に設置されている。


(展示用側線に入る。)

最初のお出迎えは、長野電鉄で使用されていた3基の腕木式信号機と、須坂駅側線にも留置されている、ED5000形の502号機である。501号機と違い、動かせないが、車内見学が出来る様になっている。


(腕木式信号機とED502号機。)

この昭和2年(1927年)製の古い電気機関車は、国鉄ED15形電気機関車と並び、国産直流電気機関車の元祖的な車両になっている。501号機の様に正面下部がゼブラ塗装ではない為、きりっとした精悍さを感じる。箱型の角ばったエッジと撫で肩の屋根、正方形木枠窓、木造の乗務員乗降扉等、国産電気機関車の黎明期に製造された大変貴重な車両である。また、国鉄ED15形に似ているとされ、車体はひと回り小さく、モーター総出力は約27%ダウンされている。


(車体に取り付けられている製造銘板とエンド表示。)

このED5000形直流電気機関車は、長野電鉄から三両が発注された。後年、502号機と503号機は、新潟県長岡市の越後交通に譲渡されたが、この502号機だけが保存の為に里帰りをしている。503号機は、残念ながら、越後交通の廃線と運命を共にした。なお、越後交通時代に、尾灯の移設等の小改造をしており、長野電鉄オリジナルの501号機と若干違う部分がある。

【長野電鉄ED5000形直流電気機関車の主な諸元】
昭和2年(1927年)製造、日立製作所、全長11.5m・全幅2.7m・全高4.1m、自重36.3t、
直流1,500V、B-B軸配置、吊り掛け駆動、抵抗制御、モーター4基搭載、
出力600kW/h(150kW/h☓4基)、重連統括制御可。

日本の電気機関車の歴史を紐解くと、信越本線の横川-軽井沢間(碓氷峠区間)が明治45年(1912年)に電化した際、本格的に導入されたのが始まりである。それ以前は、鉱山等で、小型の輸入電気機関車が使われていた程度であった。当初、イギリス・ドイツ・スイス・アメリカからの輸入電気機関車を多数導入しており、当時の日本の工業技術力では、国産化は不可能であったという。大正15年(1926年・昭和元年)になって初めて、純国産のED15形を日立製作所が開発。この長野電鉄ED5000形は、その翌年に製造された車両になる。

なお、戦前までは、変電所が空襲を受けると、鉄道輸送がストップする為、軍部が鉄道電化に消極的であった影響も大きい。日本の鉄道電化と電気機関車の大きな発展は、戦後になってからである。ちなみに、大井川鐵道で現役の旧型電気機関車E10形は、終戦直後の製造である。このED5000形は、それよりも一世代以上古いが、重連統括制御も出来る等、当時のローカル民営鉄道向けとしては、非常に高性能であった。

横にある見学用通路に上がり、車体側面の小さな扉から車内に入ってみよう。乗務員室は前後幅1.5m位で狭く、乗務員乗降扉や窓枠は小ぶりな木製になっている。


(ED502近影。)

当時のガラス強度の関係の為か、現代の機関車の様に大きな窓では無く、機関士席に腰掛けて見ると、かなり小さな窓から前方を見る感じになっている。しかし、アイポイントが高い為、遠方の見通しは良い。


(機関士席と前方視界。腕木式信号機の高さは、機関士の視線の高さになっている事が判る。)

機関士席の右側には、主幹制御器(マスコン)が鎮座している。モーター4基分の電流を直接通し、内部の多数のカムスイッチを機関士の手力で動かした為、現代の機器よりも巨大な縦長箱形の装置である。また、弧状ガイドレールの切れ込みとロック付きハンドルは、国鉄電気機関車にも通じるデザインであり、電車や気動車と逆の左手がブレーキ、右手がマスコンの配置は、蒸気機関車時代の名残になっている。「制動・後進・断・前進・制動」の小さな表示盤には、方向転換レバーが付いていたらしい。レバーを動かすと、矢印等で現示していたはずである。


(機関士席。)

なお、弧状のガイドレール上には、向こう側から、「断―直列(制御ノッチ段)―並列(制御ノッチ段)」の刻印になっている。電気機関車は、モーターが複数搭載されており、その接続方法を変え、出力をコントロールする。

・直列(モーターが一列)は、電流量は変えず、電圧を加減する。
・並列(モーターが二列以上)は、電圧を変えず、電流量を加減する。
ウィキペディア公開ファイル(電気機関車の直並列制御の概念図・8kbyte)

実際の運転では、モーターの並び方と抵抗器(ノッチ段)を組み合わせ、発車時は直列、速度が出ると並列に切り替える。昔の電気機関車では、この直並列制御を機関士の経験判断と手動で切り替えをしていた。現代の新型電気機関車はコンピューターで自動化されている。ちなみに、この概念は、電車には無く、同じ電気動力車両でも仕組みが違う。


(主管制御器レバーと刻印。)

機関士席周りの計器やスイッチ類も、後年の電気機関車の様に多くない。この頃の機関車や電車には、速度計は装備されておらず、機関士の経験に依る。また、機関助手席前には、手ブレーキ(ハンドブレーキ)の水平ハンドルが設置されている。


(機関士席周りの計器は、電流計、電圧計、空気圧力計(丸形の赤黒二重指針がふたつ)のみ。空気圧力計は、空気式ブレーキ用圧縮空気の圧力用。)

(背面のスイッチ類は、カノピースイッチと呼ばれる大型の高電圧スイッチ。)

(手ブレーキは、人力でブレーキを掛ける装置で、駐機時や緊急時に使った。)

乗務員室内後方の扉から、車体中央の機械室に入ってみよう(※)。幅50cm程しかないサイドの通路は、大きな体の人は通りにくくなっている。高速遮断機、継電器、抵抗器やコンプレッサー等が、所狭しに詰め込まれている機関車の心臓部である。


(通路は大変狭く、反対側の運転室に行ける。手前の金網部分に、高速遮断機がある。)

(継電器[リレー]と思われる。)

(中央部に大きな棚があり、抵抗器が沢山設置されている。)

(台車上付近の駆動系機器。モーターは吊り掛け式になり、大半は床下の台車内にある。)

(つづく)


(※)アスベストが暴露している恐れがあるので、心配な場合、車内見学をお勧めしない。

このED502は、屋代線の廃線後に信濃川田駅跡に移動し、その後、地元民間企業のオーナー愛好家に譲渡された。

2020年3月24日 ブログから転載・文章修正・校正。

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