上高地線紀行(11)松本市内観光 その3

落ち着いた佇まいの武家屋敷で、ひと休憩させてもらった後は、松本城の南側を散策してみよう。松本藩の城下町時代は、城の北側に中下級武士が住まう武家町、南側に町人町が形成されていた。現在の市街中心地の大手町(松本城のすぐ南)は城の三の丸跡になり、藩重臣の屋敷地であったので、女鳥羽川(めとばがわ)【地図中央の東西河川】より南側に町人が住んでいた。

時刻は16時前。空はまだ明るいが、雲がかなり出てきた。高い山々にも囲まれているので、もう、夕暮れの雰囲気である。女鳥羽川(めとばがわ)の千歳橋まで、行き交う人と車の中を少し早足で戻ろう。川の辺りには、四柱神社(よはしらじんじゃ)【神社マーカー】が鎮座している。

創基は新しく、明治政府の国家神道政策により、明治7年(1874年)に神道中教院を設立し、4柱の大神を勧請。明治12年(1879年)に新社殿を現在地に建立し、遷座したという。翌年の明治天皇の地方御行幸の際には、ここに立ち寄られた記録がある。それらの由縁から、一般的な神社名ではなく、「しんとう(神道)」と地元で呼ばれている。


(四柱神社。大通りからは、社殿は見えず、交番横の奥まった場所にある。)

きれいに掃き清められた参道を抜けると、南側に広い境内を配し、堂々とした社殿が構える。松本中心市街地であるので、背後に高いビルや電波塔が建ち、ここだけ異世界な感じもする。現在の社殿は、明治21年(1888年)の松本大火後、仮社殿を経て、大正13年(1924年)に再建されたとのこと。毎年10月1日から3日間執り行われる例祭「神道祭」は、松本一の秋祭りとして、10数台の山車(地元では舞台と呼ぶ)や花火大会など、盛大に催されるという。

なんでも叶う、「願いごと結びの神様」として、地元信仰を集めている。国創りの三神の天之御中主神(あまのみなかぬしのかみ)・高御産霊神(たかみむすびのかみ)・神皇産霊神(かみむすびのかみ)と、伊勢神宮と同じ天照大神(あまてらすおおかみ)の計4柱を祀るので、この名がある。なお、国創り三神と天照大神の関係は、三神が上位であり、天之御中主神が天の中央に坐す最高神である。この三神の神意を地上に現すのが天照大神とのこと。


(拝殿。明治以降創基の新しい神社らしく、全体的にシンプルで、古来の神社と雰囲気が少し違う。)

境内南側には、縄手通り(なわてどおり)【買い物マーカー】と呼ばれる仲見世も、女鳥羽川の河岸に沿って東西に延びる。40程の小さな店々が所狭しと並び、平成13年(2001年)に再整備されて観光化した。名称の由来は単純で、城の水堀と女鳥羽川に挟まれた、「縄のように細い土手」からである。門前そば店、名物のたい焼きなどの軽食店、土産店のほか、パン屋、八百屋、洋品店などもあり、観光店と生活店が一緒くたになっている。

この千歳橋北詰付近には、人力車の発着場が置かれ、人々の往来の多い場所であったらしい。松本大火後、神社の要請により、露天が出るようになったのが始まりという。昭和初期には、東京の「銀ブラ(銀座をブラブラする)」ならぬ、「縄ブラ」の通りとして、当時最新の声の広告塔も設置され、大層賑わった。


(再整備された縄手通り。)

また、カエルが商店街のマスコットになっており、集客に一役買っている。かつては、多くの河鹿蛙(かじかかえる)が川に生息していた由来であるが、水質汚染により激減。商店街も一時は廃れてしまった。再興の気持ちを込めて、昭和47年(1972年)から、カエル大明神を祀っているという。大通りに面した商店街出入口横には、平成17年(2005年)に東京藝術大学の学生たちが制作した「がま侍神輿」が鎮座している。正直、あまり可愛いと言えないが、妙なインパクトがあり、若い女性観光客も記念撮影していた。


(カエルの上にカエルの「がま侍神輿」。発泡スチロール製で、学園祭で担がれた後、貰い受けたという。)

女鳥羽川南岸の中町【歴史的建造物マーカー】には、古き松本の土蔵の町並みが残っているので、行ってみよう。大通りからは、近代的なビルばかり見えるので、少し意外である。路地出入口の案内板に従って踏み込むと、表通りとは全く違う町並みが続いている。江戸時代末期の城下親町のひとつの中町は善光寺街道筋で、犀川(さいがわ/奈良井川と梓川が合流した川)の水運が開通した天保3年(1832年)の頃は、塩や魚を扱う問屋が軒を連ねていたという。


(旧・善光寺街道の中町通り。)

昭和風の建物と土蔵が混在しており、江戸時代末期や明治の大火の後、商人達がなまこ壁の土蔵を次々に建てたという。大通りから入ってすぐに、木造の町家建築と土蔵が並ぶ伊原漆器店がある。軒上のオリジナルの和風看板がとても印象的で、明治40年(1907年)創業の老舗とのこと。漆器というと、高級品のイメージがあるが、1,000円位からの手頃な品揃えで人気がある。店先をちらりと覗くと、可愛らしい漆器が展示され、若い女性観光客達が品を選んでいた。

もう少し歩くと、四つ角の交差点の脇に黒漆喰の土蔵が建つ。松本では、一般的な白漆喰も見られるが、松本城と同じ黒いものも見られ、独特な景観になっている。なお、47年間、カレー店が営業していたが、オーナーの体調不良で廃業したという。場所がよく、保存状態もいいので、今後どうなるのか心配なところである。


(木造の町家建築と土蔵が並ぶ伊原漆器店。看板に描かれた謎の動物は、狛犬らしい。)

(元・カレーの店「デリー」の黒漆喰壁の土蔵。店の出入口と内部は改装されているが、外観はほぼ原形を保つ。これも、明治築のもの。)

この通りの中央右手には、ひときわ大きな「蔵シック館(中町蔵の会館)」があり、中町のシンボル兼観光案内の拠点になっている。隣町の宮村町にあった大禮酒造(おおれいしゅぞう)の母屋など3棟を、平成8年(1996年)に保存移築したとこと。オリジナルを修復・復元しつつ、一部は有料イベントスペースとして利用できるように改築している。堂々とした造りの正面の母屋と脇の土蔵は、明治松本大火直後の竣工になる。なお、松本市が所有し、地元商店街と町内会で組織される中町(蔵のある)まちづくり推進協議会に管理を委託している。総事業費は約7億円もかけたというので、驚きである。


(蔵シック館。土蔵がマンションの再開発で解体される危機であったことや、中町通りの商店街の衰退対策が運良く重なったこともあるという。)

移築された蔵シック館はとても大きいが、路地の東側に歩いていくと、軒高が低く、小さな土蔵が並ぶ。観光客相手のカフェや土産店が多いが、個人住宅らしい土蔵もある。

町薬店のみどり薬品は、松本市内でもあまり見かけない看板建築商店で、昭和2年[1927年]竣工になる。東京日本橋に軒を並べる店舗に憧れた故・店主が建てたという。モルタル洗い出し加工がされ、2階のバルコニー風手すり、薬の浮き出し文字、すずらん花房をあしらった装飾など、見ごたえがある。なお、看板建築商店は、大正末期の関東大震災後、コンクリート製の耐火店舗を建てられない資本力の弱い中小商店主が建て、関東を中心に独自に発展した。松本は関東と関西の中間地点にあり、この看板建築のデザインは両方の影響があるという。


(中町通りの東寄りの様子。)

(看板建築商店のみどり薬品店舗。斜め横から見ると、皮一枚の看板建築の平面性がよく分かる。)

中町通りの東寄りには、土蔵を利用した松本市はかり資料館がある。国内でも珍しいテーマの博物館で、全国各地の150点のはかりと擬洋風の蔵座敷が公開されている。その東側には、小さな土蔵が続き、2階の窓も土蔵扉や京風格子窓ではなく、十文字の窓枠入リの大きなガラス窓のシンプルなものも見られる。とても驚いたが、まるで、一つ目小僧のような愛嬌を感じる。


(松本市はかり資料館と小さな土蔵群。手前の資料館は、明治35年[1902年]創業の竹内度量衡店[どりょうこうてん/はかりや計測量器などを扱う店]を譲り受け、そのまま資料館にしたという。入場料大人一般200円・9〜17時・月曜日休館。)

(小さな店舗が並ぶ田形窓土蔵群。庇も短く、装飾も少ない。)

明治21年(1888年)1月4日に発生した松本大火では、この中町を中心に約1,500戸を焼失した大きな被害がでたという。当時の屋根は板葺きが殆どで、瓦葺きは非常に少なかったことも、火災を大きくした。江戸時代から明治時代にかけて、大火が度々あったそうなので、城下の人々はかなり難儀したであろう。しかし、22番目に計画されていた米軍空襲がなかったため、いくつかの土蔵が市内各所に現存している。

また、一本南側に並行する高砂町通りの東奥に行くと、松本最古とされる源智の井戸【水マーカー】があるので、行ってみよう。松本の町並みができる以前からあるとされ、歴代の領主や藩主は制札(禁札)を立て、厚く保護したという。かつての松本では、造り酒屋も多数あり、みなこの井戸の淸水を使って酒を造っていた。

つるべ落としはなく、自噴井戸であるため、こんこんと八角形の枡形から湧き出ている。源智の名称は、宅内井戸の所有者であった、信濃国守護小笠原貞慶(さだよし)の家臣・河辺縫殿助源智(かわべぬいのすけげんち)から。近代では、明治天皇御巡幸時の御膳水として使われ、平成の名水100選にも選ばれている。なお、松本は水の都であり、女鳥羽川と薄川(すすきがわ/美ヶ原源流)の複合扇状地である市街中心部には、多数の井戸がある。


(「松本一の名水」と名高い源智の井戸。まつもと城下町湧水群の代表的井戸として、地元ボランティア団体が大切に整備管理している。※追加取材時に再撮影。)

日がだいぶ傾いてきたので、駅に戻るとしよう。時間が足りず、市内東側エリアを散策できなかったが、「水玉の人」で有名な女流芸術家・草間彌生(やよい)氏の作品を常設展示する松本市立美術館や、旧制松本高等学校校舎も見どころである。駅のお城口から真っ直ぐに延びる、あがたの森通り沿いにある。観光や経済の中心地である松本市は、芸術や音楽などの文化事業にも力を入れており、市民の誇りになっているという。


(松本市立美術館。公立美術館なので、大人一般410円と観覧料は安い。草間彌生氏のほか、地元芸術家・書家や市民ギャラリーなどの展示も多数ある。※追加取材時に撮影。)

(野外展示場の巨大な水玉の花「幻の華(草間彌生・2002年制作)」。幼い頃からの幻視や幻聴を芸術に昇華しており、海外での評価が高く、国内では逆輸入という。なお、実家は花屋である。※館内は撮影禁止なので、ご容赦願いたい。追加取材時に撮影。)

(大正時代の代表的洋風建築である旧制松本高等学校本館。国重要文化財に指定されており、旧明智学校校舎よりも大きい。現在の信州大学の前身になり、政界人・経済人・学者などを多く輩出した。北側向かいの講堂は修復工事中であった。また、名物のヒマラヤ杉の並木とあがたの森公園も広がる。※追加取材時に撮影。)

(威厳を感じさせる復元された校長室。校舎内は無料で見学ができる。中庭を囲むようにコの字形の教室配置になっており、大正期の校舎配置の特徴という。※追加取材時に撮影。)

松本駅に戻ってきた。今日一日、松本観光を楽しんだ観光客が帰路につく時間になり、駅前や改札口周辺は混雑している。帰りも特急あずさ号に乗車しようと思ったが、液晶式案内板を見ると、八王子や終点・新宿までの指定席は満席。多数の観光客が途中駅の甲府で乗車するためで、観光ハイシーズン中の上りあずさ号では、甲府以東の当日指定席券は下りよりも取りにくい。そうそうと、各駅停車(鈍行列車)で帰ると決めた。まだ、発車時刻まで十分余裕があるので、駅前の出店に寄ってみる。

近年、松本のB級グルメとして、少しずつ人気が上昇している「からあげセンター(略称・からセン)」に立ち寄り、名物の唐揚げを購入。全国からあげグランプリ(日本唐揚協会主催)で金賞を受賞したとのこと。早速、一口食べてみると、関東の唐揚げと違い、油分はかなり少ない上、醤油よりも塩味の方が強く、醤油は隠し味になっているのが特徴である。白っぽい衣は厚くなく、肉はとても柔らかい。山賊焼きという信州名物のとんかつ風鶏唐揚げがあるが、その味によく似ている。


(「からセン」と地元で呼ばれる、からあげセンター駅前営業所。一杯立ち飲みスタイルでアルコールも飲め、若者や家族連れも集まる。なお、駅ビル4階に母店があり、県内数カ所に支店も展開している。)

(お手軽からあげコップSサイズ[税込み324円]を購入。とても大きな唐揚げが3個入っていた。)

乗車時間が4時間近くになるので、唐揚げ3個だけでは足りないだろう。駅のお城口左手下には、大きな蕎麦店がある。松本を立つ前に、きちんとした専門店で食べておきたい。この「榑木野(くれきの)」は、長野自動車道松本インターチェンジ近くに本店を構える蕎麦店で、平成3年(1991年)創業と新しいが、こだわりの石臼挽き手打ち蕎麦を売りにしている。


(駅ビル1階の本格手打ち蕎麦処「榑木野(くれきの)松本駅舎店」。榑木とは、屋根材などの板木のことである。本店の場所が、上高地や島々谷から川流しをした榑木・丸太の集積場であったことから命名。駅の一等地にある有名店のため、昼時は大変混み合う。)

丁度、昼と夜のピークの間なので、がらがらに空いている。店内中央の大テーブルに通され、普通のざるそば(税込み900円)を注文。4、5分で直ぐに出てきた。見た目はごく普通であるが、麺は細めで、歯応えがあるので、好みが分かれるかもしれない。なお、蕎麦の甘みもしっかり感じられるが、やや辛口のつゆが打ち消すため、つゆ無しで食べたい。


(榑木野ざるそば。税込み900円。有頭海老天・舞茸天[松本駅舎店限定]・とろろ・山菜・鴨せいろなどもあり、メニューは多彩である。もちろん、温冷選べる。)

同じ駅ビル内の土産店で買い物をした後、改札口を再び通り、下り1番線ホームに向かおう。向かいの2番線にあずさ号が入るので、鈴なりの土産を持った観光客が待っているが、こちら側はまばらである。約4時間の鈍行列車の旅になるが、途中の大月駅での乗り換え1回だけで、済みそうである。

++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
松本1837 普通・大月行き 210系3両編成(クハ210-3041/松本方最後尾車両に乗車)
2125
大月2130 快速・東京行き E233系10両編成(モハE232-438に乗車)
2219
八王子(終)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

(おわり/上高地線編)

◆アルピコ交通上高地線編取材記録◆

【取材日】
本取材 平成29年(2017年)8月27日
追加取材 平成29年(2017年)9月24日(波多神社・亀田屋酒造ほか)
追加取材 平成30年(2018年)8月18日(旧島々駅・松本美術館ほか)

【本取材旅程表】
松本1010======1040新島々
列車番号13・下り新島々行き
3000形第3編成(←3005+3006)・2両編成(ワンマン運転)

新島々1126======1128淵東
列車番号20・上り松本行き
3000形第2編成(←3004+3003)・2両編成(ワンマン運転)

淵東1209======1222新村
列車番号22・上り松本行き
3000形第4編成(←3008+3007)・2両編成(ワンマン運転)

新村1307======1321松本
列車番号24・上り松本行き
3000形第3編成(←3006+3005)・2両編成(ワンマン運転)

【追加取材】
旧島々駅跡・梓川・波多神社・旧波田町役場・亀田屋酒造・
松本市内(高橋家住宅・松本市立美術館・旧制松本高等学校)

【カメラ】
RICOH GRII

【主な参考資料】
上高地線の80年(郷土出版社・1996年)

【切符代】
上高地線電車一日フリー乗車券(大人1,000円)×3枚
計3,000円
※松本までのJR交通費・食費などは別途。

□□□

【参考資料】
現地観光歴史案内板
各種観光客向け案内パンフレット(現地取材時に入手)

©2020 hmd
文章や画像の転載・複製・引用・リンク・二次利用(リライトを含む)や商業利用等は固くお断り致します。

This site is protected by wp-copyrightpro.com