南蛇井駅(なんじゃい-)から、ふたつ高崎寄りの上州一ノ宮駅へ行こう。訪問記念に硬券入場券を購入し、「また来ますね」と初老の男性駅長氏にお礼を言う。14時23分発の高崎行き列車に乗車する。
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南蛇井1423======1430上州一ノ宮
上り普通(普)38列車・高崎行き(150形第一編成2両編成)
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上信電鉄最古参の国電101系電車に似た、元・西武車の150形第一編成に乗車すると、車内に5人位乗っている。駅長氏も会釈をして、改札口前から見送ってくれた。
発車すると、上信越自動車道の高架橋をアンダーパスし、真っ直ぐな下り勾配を高速で走る。もうひとつの難読駅で、集落内の無人駅である神農原駅(かのはら-)は、近くに大きな民間病院がある。小さい単式ホーム駅でありながら、意外に乗降が多い。なお、南蛇井駅から上州一ノ宮駅間は、道床(どうしょう※)が弱く、カーブもきつい箇所があった為、昭和52年(1977年)に、軌道強化や曲線改良工事が行われている。
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神農原駅からは、鏑川(かぶらがわ)の流れに沿って、北東に進む。1km北側に線路がシフトすると、鏑川と線路が最も接近する場所に、上州一ノ宮駅がある。
上野鉄道(こうずけ-)開業時の古い駅で、明治30年(1897年)7月開業、起点の高崎駅から23.1km地点、16駅目(開業当初は5駅目)、所在地は富岡市一ノ宮、標高181m、曜日時間限定の業務委託有人駅になっている。元々は、一ノ宮駅の駅名であった。大正13年(1924年)12月の電化改軌の三年前に、省線(後の国鉄)から直通する貨車の発着錯誤(※)を防ぐ為、旧国名上野国の別称・上州を冠した。なお、上州新屋駅(にいや-)、上州福島駅、上州富岡駅や上州七日市駅も同様である。
(駅舎軒下の柱駅名標。)
南蛇井駅と同じ、波形スレート屋根の近代的旅客上屋と島式ホーム一面二線が、上り北東・下り南西方向に配されており、側線は無い。昭和40年(1965年)頃の古い写真を見ると、ホームは未舗装で、旅客上屋は無く、木造の待合室が建っていた。なお、昭和56年(1981年)9月の鉄道近代化事業で、この旅客上屋が新設されている。
(上州一ノ宮駅の島式ホーム。擁壁を見ると、嵩上げの跡がよく判る。高さは780mm。)
改札口にいる女性駅長氏に、1日フリー乗車券を見せ、撮影の許可を貰おう。ホーム上から川の流れが少し見える。鏑川が見える上信線の駅は、この駅のみである。なお、佐野のわたし駅も川に近いが、鏑川では無く、烏川(からすがわ)になる。
(島式ホームから鏑川を望む。大きな河岸段丘の崖の下に川がある。)
下仁田方を眺めると、鏑川に沿って、真っ直ぐに線路が延びる。関東山地最北部の稲含山(いなふくみやま/標高1,370m)がそびえ、農耕の神山として古くから信仰されており、西上州で一番の展望地である。また、駅前広場から、川側に抜けるコンクリートの自由通路が、線路下に設置されている。
(下仁田方と遠くの稲含山の山々。)
下仁田方のスロープ下には、小さな詩碑が建てられている。富岡市出身の著名な詩人・国文研究家の故・鈴木比呂志氏のものである。近くに住んでいた鈴木氏は、地元の風物を歌った詩を筆書きし、昭和30年代半ばから、上州一ノ宮駅待合室の名物になっていた。
ふるさとの駅には 優しい母のにおいがする
旅から帰ってくると そのふところに抱かれたくなる作詞・鈴木比呂志
(鈴木比呂志詩碑。故・鈴木比呂志氏は、交響詩曲ぐんまの作詞も行っている。)
高崎方は線路脇に23kmポストがあり、少し直進すると、右に大きくカーブして行く。最も鏑川に近づいて走る唯一の区間であるが、距離は然程無く、左カーブを返して、バイパスでない旧道の国道254号と交差すると、富岡盆地に入って行く。なお、左の架線柱が左側にシフトしているのは、貨物側線があった名残らしい。
(高崎方。この先は、河岸段丘の大きな崖の近くを走って行く。)
駅舎を見てみよう。下仁田方のスロープを下ると、構内踏切と連絡通路がある。駅舎横に臨時改札口跡があり、現在は有料の自転車置場になっている。この上州一ノ宮駅は、上州一の古社である一之宮貫前神社(いちのみやぬきさき-)の門前駅でもあり、昔は相当の乗降客があったという。また、昭和9年(1934年)の北関東での帝国陸軍大演習視察の折、地方行幸と参拝の為、昭和天皇が下車された由緒ある駅になっている。
この行幸の際、鉄道省蒸気機関車牽引のお召し列車が運行されている。一度目は、高崎から山名間の往復、二度目は、前橋から上州一ノ宮と上州一ノ宮から高崎間で運転された。その対応の為、上州一ノ宮駅の駅舎改修の他、線路や分岐器(ポイント)等の交換修理、駅周辺の環境整備等が課せられ、昭和不況下で資金的に大変な負担であった。上信電鉄の社員達も、健康診断、伝染病の予防接種、身元や政治思想の厳しい調査を受けたという。
(スロープからの駅舎全景。)
(駅舎横の臨時改札口跡。そのままの状態で残っている。)
(ホーム側の改札口周辺。)
駅舎の中を見てみよう。南蛇井駅よりも、ふたまわり大きな待合室になっており、各部は改修されているが、出札口や手小荷物窓口跡も残っている。なお、曜日時間限定の業務委託駅であるので、平日と第一・三・五土曜日の6時から9時55分と、14時20分から20時09分の間に駅員が配置され、休日と第二・四土曜日は無人である。勿論、硬券切符の取り扱いもある。
改札口右上には、大きな額に入れられた、毛筆の詩文が掲げられている。平成28年(2016年)2月と記されているので、新しいものである。「詩の壁駅待合室」として、故・鈴木比呂志氏の後を継いでいるらしい。
「如月随想」
電車着き 如月の風連れてくる
飛行機雲きさらぎの空真っ二つ
野に立てば 如月の空高く澄む
ひとところローバイ咲いて暮れ残る
立春と言えど日陰の残り雪
あれこれと家庭菜園の春近し作詞・今村堂雨
(改札口と出札口。出札口は、壁面や下見板が違うので、増改築した部分らしい。)
(手小荷物窓口と出札口。基本的な内装デザインは、南蛇井駅と同じである。)
下仁田方は、窓下に木造ロングベンチが据え付けられている。大勢が座れる様に、出入口横も小部屋の様になっており、ベンチもL字になっている。上州かるたの「ゆ」として、貫前神社の大かるたも、出入口上に掲げてある。また、改札口側には、懐かしい伝言板兼お忘れ物の黒板も、そのまま残る。ベンチの長座布団は、地元の地域食育団体「富岡市くらしの会」が、寄進したという。郷土料理の伝承や地産地消の推進等を行う、農林水産省系の団体である。
(下仁田方の木造ロングベンチと黒板。)
(駅出入口と小部屋L字ベンチ部分。)
駅前に出てみると、北西に面して、立派な古い駅舎が建つ。同時期に建てられた南蛇井駅の駅舎とは、内装や窓枠は同じであるが、外装はかなり異なる。木造モルタル建築の駅舎は、然程大きくは無いが、他の上信線の木造駅よりも屋根が非常に高く、屋根の傾斜が二段になっている。昭和9年(1934年)の昭和天皇の行幸参拝時に、大幅に改装された可能性がある。
洋風建築のマンサード屋根に似ているが、平入りであるのと、角度が急緩となっているので逆であり、線路側は腰折れが無く、急角度でストレートに落ちる非対称デザインだ。出入口の上には、向拝(こうはい)があり、和風の変形腰折れ屋根といえる。また、外壁をよく見ると、窓下は短めの羽目板であり、窓の左はモルタルにせず、ささら子(縦に細く入っている押え木)付きの下見板であるのが、面白い(※)。
なお、駅舎東側の高崎方には、上屋付きの貨物ホームと側線があった。現在は、完全に撤去されており、無料駐輪場と日貸し・月極の駐車場になっている。また、大きなトンネル状の鉄骨スレート屋根建物もあり、側線の撤去後に建てられたらしい。
(上州一ノ宮駅舎本屋。下り棟付きのコンクリート瓦葺きになっている。)
駅出入口上のグレーのモルタル部に、立派な上信電鉄の社章が掲げられているのも、目を引く。上信電鉄の「上」を八つ放射状に配したデザインは、豪華な立体造形で、上の字の先端が細くなっており、これが原形に近いものであろう。
(駅出入口上の古典的な社章と駅名標。)
駅周辺は、町の中心から離れた疎らな住宅地になっていて、とても静かである。駅前広場からは、直線の道路が120m延び、国道254号線富岡バイパスの大きな交差点に接続する。駅発着のバスは無いが、国道沿いにコミュニティバスのバス停がある。
(駅前からの眺め。)
なお、昭和の初め頃、一ノ宮貫前神社の節分祭は、大変な人出であった。上信電鉄も二割引の切符を発行したり、深夜11時までの増発運行した。臨時改札口も開け、参拝客でごった返したという。
西にそそるは一之宮
赤くそば立つ大鳥居
鉄骨鉄筋コンクリー
一国一社の大社なり上信電鐵鐡道唱歌より/北沢正太郎作詞・昭和5年・今朝清氏口伝。
(つづく)
(※道床)
線路下の路盤のこと。輸送量や線路規格に応じて、その厚さ等が決められている。
(※発着錯誤)
貨車側面に、発駅や着駅等を示す紙の車票が差し込まれ、それを見て取り扱いをする。これを見間違えると、貨車と荷物が行方不明になる場合があった。
(※羽目板と下見板)
縦が羽目板、横は下見板と呼ぶ。地域により、全て下見板と呼ぶ場合もある。
【参考資料】
「上毛新聞ニュース/三山春秋・上州一ノ宮駅の詩碑」(上毛新聞)
2017年7月19日 ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正
2025年1月25日 文章修正・加筆・校正
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