大鐵井川線紀行(4)終点井川へ

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【停車駅】 〓は主な鉄橋
奥大井湖上1427=〓=接岨峡温泉=尾盛=〓=閑蔵=1506井川
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タイフォンが鳴ると、孤高に感じさせる奥大井湖上駅を発車する。ここからは、長い上り勾配とトンネル連続区間となり、暫くすると、右手に南アルプス接阻大吊橋と僅かな平地や茶畑が見えて来る。また、湖水が少ない時期は、トンネル先の列車後方に、湖内に砂が貯まらない様にする長島貯砂ダムが見える。湖水が多いこの春期は、水没している。

接岨峡大吊橋が見える付近から、長い下り勾配になり、旧線との合流地点を通過すると、井川線唯一の温泉町である接阻峡温泉駅(せっそきょう-)に到着。何人かの乗客が下車する。なお、新線区間はここまでになり、ダイヤによっては、千頭行き列車に改札を出ずに乗り換え、戻る事も出来る。

昭和34年(1959年)8月、中部電力から大井川鐡道へ運行の移管時に、川根長島駅として開業した。新線に付け替えられた平成2年(1990年)に、現在の駅名に改称している。起点の千頭駅から15.5km地点、10駅目、所要時間約1時間10分、榛原郡(はいばら-)川根本町犬間、標高は496m(千頭から+198m)になる。島式ホーム一面二線の列車交換可能な委託駅になっており、曜日時間限定であるが、駅員が勤務している。

木造駅舎と島式ホームを南北に配し、千頭方には、機関車の留置線もある。この駅で折り返す列車もあり、上下方ともスプリングポイントの一方向進行の為、井川方のスプリングポイントを利用し、千頭行き2番線に転線が行われる。また、千頭行き列車の後部に回送編成を繋げる場合があり、回送編成の機関車が中程に組み込まれる珍しい編成になる。なお、連結作業は車掌氏が担当し、機関車の外ステップに立ち、誘導する光景が見られる。


(接岨峡温泉駅。復路での撮影。)

駅周辺の民家は、ダム建設による水没の際に移転して来たらしく、温泉街の中心は、接阻峡大橋で大井川を渡った対岸にある。また、駅の裏手には、日帰り入浴が可能な民宿露天温泉があり、湯は凄く良いらしい。途中下車する時間があれば、次の列車まで、ひと風呂も良いかもしれない。
民宿森林露天風呂公式HP


(国土地理院電子国土Web・接岨峡温泉駅付近)

この先の大井川は激しく蛇行し、険しいV字谷の接阻峡が続く、ダイナミックな森林鉄道の雰囲気が楽しめる区間になる。接岨峡温泉駅を発車。長い上り勾配と深い森の中をゆっくりと走り、手入れがされた高く真っ直ぐに伸びる杉林の間から、接岨峡が見える。この先の第29号トンネル付近のピークを過ぎると、下り勾配になり、トンネルを幾つか越え、井川線で一番、中部エリアでも、一番の秘境駅と名高い尾盛駅に到着する。

周りには人家は一軒も無く、駅に連絡する道路も無い超絶的な駅は、秘境駅として全国的に有名なJR飯田線の小和田駅(こわだ-)よりも、上を行くと感じる。以前は、ダム建設の従業員の宿舎や小学校、医院もあったが、それが無くなった後も、ダム建設の補償の関係により、駅は廃止せずに残っている。

駅の開業は、昭和34年(1959年)8月、起点駅の千頭から17.8km地点、11駅目、所要時間約1時間40分、榛原郡(はいばら-)川根本町犬間、標高は526m(千頭から+228m)になる。広く開けた明るい場所にあり、列車交換設備の跡や側線跡のスペースも見られる。現在は、対向式ホーム一面のみを使った無人駅になっている。


(建物は駅舎では無く、保線小屋である。熊出没時の緊急避難場所になってる。)

(歓迎板と狸達。)

人は居ないが、大きな信楽狸が出迎えをしてくれる。今でも、鉄道ファンの秘境駅訪問や地元住民の山仕事等の利用があり、年間数百人の乗降がある。なお、熊の出没地帯になっており、大井川鐵道の判断により、下車禁止になる場合がある。

タイフォンを鳴らし、超絶秘境駅の尾盛駅を発車する。この先も険しい区間になっており、V字谷上の絶壁を縫う様に、急カーブと狭小トンネルをゆっくり走り抜けて行く。

3本目の第35号トンネルを抜けると、支線跡が左に分かれ、関の沢鉄橋(長さ114.0m)を渡る。高さは70.8m、鉄道用鉄橋では日本一の高さがあり、特別に一分間停車するサービスがある。車掌氏から、「帽子やカメラを落とさない様に、ご注意下さい」と車内放送があり、恐る恐る下を覗き込むと、ビル30階建ての屋上に相当する高さがあり、足が竦みそうである。


(国土地理院電子国土Web・関の沢橋梁【中心十字線】。点線は送水管。)

(下流の大井川側。)

(支流の上流側。)

下に流れる川は、大井川支流の関の沢川になり、上流側に山腹をくり抜く送水管も見える。先程のトンネル出口付近から、分かれる支線跡は、この送水管の工事に使われたのであろう。また、この橋の周辺は、紅葉の絶景の名所で有名である。

この先は、深い山の中をトンネルが連続し、中央部に荒々しい素掘り部分があるトンネルも多くなる。第41号トンネルから、山中の切り通しを抜けると、最後の途中駅の閑蔵駅(かんぞう-)に停車する。この駅から、静岡市葵区に入るが、市中心部の繁華街で有名な葵区が、深山の中にあるのも面白い。

閑蔵駅から終点の井川駅までの5.0km区間は、井川線内で最長の駅間距離となり、大井川の激しい蛇行にぴったりと寄り添い、最も険しい区間になる。しかし、かなり深い木立の中を走る為、大井川の渓谷は中々見えない。

左右に曲がりくねる急カーブと激しいフランジ音、落石防止ネットの崖下危険箇所も多く、窓から手が届きそうな位の迫力満点の素掘り部分のあるトンネルを抜けて行く。そして、第48号トンネルを抜けた先に、発電取水用の奥泉ダムが見えてくる。山中を貫く長大な導水トンネルを使い、アプトいちしろ駅横の大井川ダムに送水している。先程の関の沢鉄橋左窓(上流側)から見える送水管は、このダムからの送水管である。
国土地理院電子国土Web・奥泉ダム


(奥泉ダム。)

昭和30年(1955年)竣工の重力式コンクリートダムは、車窓からは小さく見えるが、44.5mの高さがある。この周辺は、立ち入り禁止の為、井川線から唯一全景を見る事が出来る。なお、ここに駅は無いが、ダム保守に使われる資材置き場があり、平坦で広い停車スペースが確保されている。車窓から見上げると、周辺の山々の景色もよく見える。

この奥泉ダムからは、ラストスパートの区間になる。深山の中の急カーブとトンネルが連続し、第一金山トンネルと思われる第53号トンネルは、直線の長いトンネルになっており、中央部の素掘り部分が長く、最もダイナミックな印象がある。また、短いトンネルを三つ抜けた第57号トンネル先は、通称「山の十二単」と呼ばれる幾重にも山並みが重なる名所になっている。車掌氏の観光案内放送もあり、列車も徐行する。

そして、赤い鉄骨柱のロックシェッド部がある第59号トンネルを抜けると、巨大な井川ダムと井川湖が見えてくる。正式名称は、「井川五郎ダム」になっており、当時、建設の陣頭指揮を取った中部電力の初代社長・井上五郎氏の名前を外国に見習って名付けられた。


(井川ダム。)

昭和32年(1957年)竣工、高さは103.6m、幅は243m。長島ダムとほぼ同じ大きさであるが、貯水量は約二倍の1,500万m³になる。日本初の中空重力式コンクリートダムである。因みに、大井川の源流は、更に上流の南アルプスの白根三山付近にある。本流に設置されたダムは六つあり、井川ダムは上流から三つ目になる。

現在のダム建設は、コンクリートの全量の重さで堰き止める重力式が一般的であり、断面は直角三角形になっている。中空重力式は、川の流れ方向にコンクリートのI形を幾つも並べる様に打ち込み、断面は二等辺三角形、中の空洞は六角形になっている。コンクリート単価が高かった昔、建設費削減の為、イタリアのダムを参考に造られた。現在は、単価も低下し、重力式の方が総合的に安価に施工できる様になってから、造られなくなっている。

そして、遠方色灯式信号機がポータル前にある最後の第61号トンネルを抜けると、15時06分に、井川線終点の井川駅(いかわ-)に到着。金谷から続く、大井川鐵道の終着駅である。ホームに降り立つと、冷んやりとした空気が張り詰め、春服では肌寒く、大井川鐵道起点の金谷駅周辺よりも、約1ヶ月遅い景色になっている。

昭和29年(1954年)に、井川ダム建設の為、大井川ダムの横(現・アプトいちしろ駅付近)から井川駅まで、難工事の末に延伸された。当時、国鉄初乗り運賃が20円の頃に、25億円の巨額の建設費が掛かったと言う。起点の千頭駅から25.5km地点、13駅目、本線の金谷駅からは65km地点、千頭から所要時間約1時間30分、静岡市葵区、標高686mになる。千頭駅から、標高388m差を路線キロ相対平均勾配率15.2‰(パーミル)で上がって来た事になる。
国土地理院電子国土Web・井川駅

線路の直進方向には、扉が取り付けられたトンネルがあり、湖畔の方向に線路が伸びている。その先には、昭和46年(1971年)まで、貨物駅として使われていた堂平駅跡(どうひら-)があり、廃線跡も残っている。


(改札は直ぐに閉鎖され、到着後の構内見学は不可である。)

(側線もあり、石垣の手前で、線路が終わっている。側線にホームらしいものもある。)

井川ダムの見学をしたい所であるが、千頭行き最終列車は40分後になっている。今回は諦めよう。駅はダム横の高台にあり、階段を降りると、土産店兼食堂が一軒のみある。なお、井川の町は駅周辺に無く、3km北側に離れている。

10畳程の待合室のストーブにあたりながら、のんびりと待つ事にしよう。訪問記念に硬券入場券を購入すると、南アルプスあぷとラインの乗車証明書もサービスで頂いた。乗車証明書の写真は、関の沢鉄橋の紅葉風景である。なお、井川線の硬券入手可能な駅は、奥泉駅、接阻峡温泉駅と井川駅の三駅になっており、接阻峡温泉は委託駅になっている。


(硬券の普通入場券と乗車証明書。帰宅後に撮影。)

暫く待っていると、15時48分発の最終列車の乗車案内がある。千頭駅に戻ろう。帰りは10人程が乗り込み、下車した乗客の半数は、大井川を更に北上するか、井川に宿泊の様である。春の深山の斜陽は早く、かなり肌寒くなり、車内は暖房が入っている。また、今回の旅では、時間的に途中駅の木造駅舎訪問が出来なかった。次回に訪問したい。


(帰りの車内は、暖房が良く利いていた。)

大井川鐵道公式HP

(おわり/大井川鐵道井川線ダイジェスト版)


【訪問日】2009年3月26日
【カメラ】PENTAX Optio S10

2017年7月16日 ブログから保存・文章修正・校正
2017年8月2日 文章修正・音声自動読み上げ校正

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