蒲郡線紀行(1)蒲郡へ

2016年冬の旅の一日目は、富士山南麓にある岳南電車を訪問した後、静岡の西にある藤枝に宿泊。二日目は、取材から離れ、名古屋鉄道を利用した観光地周遊の「知多半田めぐり」をした。その夜は、静岡方に戻り、大井川鐵道訪問時に良く利用する、掛川駅前のビジネスホテルに宿泊する。
グーグルマップ・掛川駅

掛川駅は、新幹線停車駅と旧・国鉄二俣線であった天竜浜名湖鉄道の起点駅でもあり、東海道新幹線の停車駅では、唯一、木造駅舎の駅である。掛川城を擁する城下町で、駅周辺の商業飲食施設が多い割には、夜は静かで快適である。ホテルの朝食無料サービスもあるが、乗り鉄の掟の「早起き、始発乗車」なので辞退し、起床後の熱めのシャワーを浴びて、出発の準備を整えよう。ここに連泊の予定なので、着替え等は部屋に置き、小さなカメラバッグのみの身軽な旅装である。

今日は、東海道本線を再び西進し、名古屋鉄道のローカル線を訪問する予定である。中京圏の大私鉄である名古屋鉄道は、乗車する機会があまりなかったので、楽しみである。数年前の長良川鉄道や樽見鉄道の訪問時も、廃止された名古屋鉄道の路線を見てきており、末端の閑散路線の廃線議論が上がっているそうなので、前から気になっていた。

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掛川546======726蒲郡
東海道本線下り・109F普通・岐阜行
313系0番台4両編成・モハ313-14乗車
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時刻は、朝5時半前である。駅前のホテルから、掛川駅に向かう。朝一番、出入り口を開けた駅員氏に挨拶をし、明け方の底冷えのする中、ホームで待っていると、5時46分発の静岡始発下り109F・普通岐阜行きが到着する。列車の運転区間が短縮化された東海道本線では、静岡始発列車は島田や浜松止まりが殆どで、その先の豊橋行きでさえ少ないが、この列車は名古屋の先まで走る。車両も、オールロングシートの313系ではなく、転換クロスシートの0番台を充当しており、しっかりとした座り心地の疲れにくいシートであるのが嬉しい。この掛川駅からは、10人程が乗車し、直ぐに発車する。

313系0番台4両編成の1両毎に、数人の乗客を乗せて、暗闇の中を颯爽と走って行く。天浜線のバイパス戻り駅である新所原駅(しんじょはら-)に到着すると、日の出になり、乗客が結構乗って来て、座席の半分が埋まった。それからは、駅に停車する毎に乗客が増えて行き、結構な混み様になってくる。浜松駅で5分間停車、先に高速貨物列車を通し、豊橋駅では11分も停車する。名古屋鉄道本線への乗り換え客と、先発の新快速大垣行に乗り換える乗客が一斉に下車し、一気にガランとなって、掛川駅からの乗車時の様子に戻ってしまった。

新快速には乗り換えずに、このまま、のんびりと行こう。豊橋駅を定刻に発車し、田んぼが広がる中を、朝日の影を長く伸ばしながら走る。二駅先の愛知摂津駅でも、豊橋駅後発の下り特別快速列車に追い抜かれ、海が少しばかり左窓に見えると、豊橋駅から五駅目の蒲郡駅(がまごおり-)に到着する。

掛川駅から約1時間40分、時刻は7時26分。この駅で下車である。向かいの豊橋方面の上り2番線ホームには、大勢の通勤通学客が並んでいる。


(蒲郡駅下り3番線に到着。車掌氏の指差し戸締め確認の後、直ぐに発車する。)

この蒲郡の読みは、関東人には難しく、「かまぐん」や「かばぐん」と読んでしまう。思うに、鉄道的には、京浜東北線蒲田駅(かまた-)や蒲田電車区の略号である「カマ」、一般的には、蒲焼きの読みの印象が強いからであろう。由来は、明治11年(1878年)、宝飯郡蒲形村(がまがた-)と西之郡村(にしのこおり-)が合併し、両村から一字ずつ取った合成地名との事。地理的には、愛知県南部の三河湾東部の大きな港町であり、奈良時代の朝廷への貢物をルーツとする三河織物、蒲郡みかんやロープが特産品である。

また、鉄道唱歌東海道編の30番にも、「東海道にてすぐれたる、海のながめは蒲郡。」と、歌われている程の風光明媚な町である。沖には、日本七弁天のひとつ「八百富神社(やおとみ-)」が鎮座する竹島が浮かび、志賀直哉、谷崎潤一郎、山本有三、川端康成や井上靖等の文人の滞在地でもあった。

高架ホームの階段を降りて、改札を出よう。丁度、朝のラッシュ時間帯なので、多くの人々がコンコースを行き来している。蒲郡駅は大きな高架駅で、改札口横には、東海キヨスクの売店ベルマートや、豊橋駅弁「稲荷寿し」の壺屋が経営する駅うどん店もある。ちなみに、蕎麦も扱っているが、暖簾や旗はうどんの文字が先に来るのが、やはり名古屋界隈である。


(蒲郡駅南口。名古屋鉄道の駅名標が掲げられている。)

今日は、この蒲郡から吉良吉田・西尾方面を結ぶ、名古屋鉄道蒲郡線の旅である。蒲郡線は愛知県南部の温暖な三河湾沿いを走る単線のローカル線で、この蒲郡駅から湾沿いに西進し、吉良吉田駅までの約18kmを結んでいる。

広い改札コンコース南側に、名古屋鉄道の改札口がある。出札口の初老の駅員氏から、「まる乗り1DAYフリーきっぷ」(大人3,100円)を発券して貰おう。広大な名古屋鉄道全線有効である為か、1日フリー切符としては高額で、路線キロの短い蒲郡線を行き来するのみでは、逆ざやになるかもしれない。しかし、切符購入や都度精算をする手間が無い事を考えれば、大変便利である。


(南口を入ると、直ぐ左側に名古屋鉄道の改札口がある。)

なお、お得な2日間有効のフリー切符(全線・大人4,000円/連続した2日間)もあるので、こちらは1日当たりが大分格安になる。旅行予定に合わせて選びたい。10時から16時までの特別車(指定席車/特急や急行に併結)乗り放題、明治村等の名古屋鉄道グループの観光施設入場料割引や、中部国際空港でのプレミアムクーポン進呈特典も付いている。

ここで、名古屋鉄道蒲郡線の概況と略史に触れたいと思う。この蒲郡線は、三河鉄道によって開業し、後に、名古屋鉄道が合併した路線である。

◆路線データ◆
蒲郡駅から吉良吉田駅間、営業キロ17.6km、駅数10駅、所要時間片道約30分、
軌間1,067mm、
全線直流電化1500V、全区間単線、毎時二本の終日ヘッドダイヤ運転(朝5時台は除く)、
各駅停車のみ。2両編成によるワンマン運転。
他線からの直通運転は無し(線内折り返しのみ)。

◆略史◆
昭和4年(1929年)
三河鉄道により、三河吉田駅(現・吉良吉田駅)から三河鳥羽駅間開業。
昭和11年(1936年)
三河吉田駅から蒲郡駅まで、三河線として全線開通。但し、三河鳥羽駅以東は非電化。
昭和16年(1941年)名古屋鉄道に合併し、名古屋鉄道三河線の一部になる。
昭和20年(1945年)三河地震による甚大な被害(震度7相当)。
昭和22年(1947年)全線を直流600Vで電化。
昭和23年(1948年)三河線の吉良吉田駅から蒲郡駅までを、蒲郡線として分割。
昭和34年(1959年)全線を直流1500Vに昇圧(7月)。伊勢湾台風の甚大な被害(9月)。
昭和35年(1960年)西尾線からの直通列車乗り入れ開始。
昭和40年(1965年)名古屋からの直通特急列車乗り入れ開始。
平成10年(1998年)普通列車のワンマン運転開始(西尾線西尾駅から蒲郡駅間)。
平成17年(2005年)蒲郡線内の特急・急行列車廃止。
平成20年(2008年)名古屋鉄道が廃線の意向を発表。他線からの直通列車廃止。
平成22年(2010年)
愛知県・西尾市・蒲郡市から公的支援開始。向こう10年間の存続を決定。

沿線人口と利用客の減少が進み、平成18年(2006年)度の営業係数は266と、中小民鉄と比べても、かなり悪くなっている。よって、平成20年(2008年)に、名古屋鉄道から廃線の意向が示されている。沿線関係者からなる協議会が結成され、平成22年(2010年)より公的支援を開始し、平成32年(2020年)までは存続する決定がされているが、先行きは不透明である。

駅時刻表を見ると、朝5時台を除き終日1時間毎2本のヘッドダイヤになっている。時刻表にあまり気を取られずに、駅見学や下車観光が出来そうである。大きな赤字を出している路線であるが、この列車本数を維持出来るのは、名古屋鉄道のスケールメリットであろう。


(駅時刻表。)

自動改札が導入されていないので、駅員氏に入鋏をして貰い、ホームに上がろう。なお、自動券売機はあるが、中京圏のICカード乗車券であるmanaca(マナカ)は、経費削減の為に蒲郡線内未導入になっている。

大きな踊り場のある、コンクリートの階段を登り切ると、JRの高架ホームの南側に、島式一面二線の蒲郡線専用高架ホームがある。ホームは意外に長く、4両編成程度まで対応出来る感じである。なお、1番線終端の車止めには、53キロポストが立っている。路線キロより長いのは、名古屋鉄道本線の知立駅(ちりゅう-)起点の三河線海線からの通しの路線キロになっている為で、三河鉄道時代の名残とも言える。


(名古屋鉄道蒲郡線ホーム。)

(三河鉄道名残の53キロポスト。)

ふと、ホームから南口を見ると、南口は、大規模な再開発がされている様で、大きなショッピングセンターも建っている。また、巨大なヨットがロータリーに据え付けられているのが、目を引く。世界最高峰ヨットレース「海のF1」と言われるアメリカズカップの日本チームヨットで、この蒲郡の港にベース基地を置いていた。日本チームは、1992年、1995年と2000年のレースに出場し、最終出場後の平成20年(2008年)に、南口再開発に合せて、記念展示したとの事。


(マストの高さは32.6m、艇長は23.2m、重さ25t、16名のクルーが乗船する。)

2番線ホームには、既に、名古屋鉄道6000系が入線している。「スカーレット・トレイン」と言われる、この名古屋鉄道の車両塗装は、関東エリアには無い色合いなので、衝撃的でもある。良く見ると、見る程に、吸い寄せられるような色合いである。


(側面の種別行先表示は、小型ながら、昔ながらの幕式である。)

(オールロングシートである。つり革配置は、関東の鉄道会社と違うので面白い。)

(アナログライクな高運転台仕様。運転席後ろには、収納箱付きの運賃箱がある。)

この名古屋鉄道6000系は、1970年代中盤に開発された19m級三扉直流近郊形電車で、
二両編成が基本になっている。蒲郡方は付随車(T車/6000番台)、吉良吉田方は電動車(M車/モ6200番台)になり、蒲郡線では五編成が運用されている。

角ばって膨らみのある車両前面と特徴的な撫でデコ、前面表示幕、貫通型高運転台やパノラミックウィンドウを採用しており、どことなく、同時期の国鉄115系直流近郊形電車に似ているのが楽しい。製造時はセミクロスシートであったが、後年にロングシートに改造され、蒲郡線導入時には、ワンマン運転対応の改造をした。

【名古屋鉄道6000系・主要諸元】
19m普通鋼製車体、日本車輌製造、自重37.5t(電動車/モ6200形)、
定員130人(同電動車)、中空軸平行カルダン駆動、抵抗制御(弱め界磁付き)、
空気ばね式台車、ワンマン運転対応。

時刻は7時41分。早速、蒲郡線の旅を始めよう。まだ、朝日が眩しい時間帯なので、終点の吉良吉田駅まで通し乗車をし、沿線風景を見ながら、木造駅舎や下車観光が良さそうな駅をロケハンしよう。

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蒲郡741======808吉良吉田
上り763列車・吉良吉田行
6010編成・2両編成
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2017年7月14日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正

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