岳南線紀行(3)岳南原田へ

1日フリー切符と貰った沿線マップを手に、1番線に到着した、折り返し10時15分発の岳南江尾(がくなんえのお)行きに乗車しよう。この岳南7000形電車は、鉄道ファンの間では、「新赤がえる」の愛称で親しまれている車両で、京王3000系の中間電動車に、両エンドにFRP製カバーの運転台を取り付けた改造車である。車体切断もある大掛かりな改造の上、技術的な難度も高いので、京王グループの京王重機整備が実施した。

なお、本来の「かえる」電車は、東京渋谷駅前や熊本電気鉄道の引退ニュースで話題になった、東急5000系(初代)が由縁である。かつて、岳南線にも東急5000系2両編成4本が譲渡され、塗装を緑色から赤色に変更した事から、「赤がえる」と言われた。5000系の後継車になる、この京王車も模したので、「新赤がえる」言われている。また、過去には、西武鉄道や小田急電鉄の車両も、譲渡された事がある。


(戸袋窓の黒Hゴム仕様も、そのままである。下部コルゲートも美しい。)

この岳南7000形は、7001、7002、7003の三両が運用に就いており、別に、通勤通学ラッシュ時間帯に運行される2両編成の8000形が一編成ある。岳南電車の日中ダイヤは、大凡1時間毎に二本の割合で運行しているので、そのうちの二編成が同時運行している感じである。

早速乗り込んで、ふかふかの臙脂色のロングシートに腰を掛ける。ワンマン運転なので、最後尾吉原方の運転室前のロングシートならば、車窓撮影しても、運転士や一般乗客の乗降精算に迷惑がかからず、最適である。なお、乗客の顔が写る車内撮影は、トラブルになる事があるので、原則的に不可になる。


(1日フリー切符は、昔ながらのD型硬券で、改札で入鋏もしてくれる。)

なお、岳南電車の利用客ピーク時の昭和42年(1967年)には、年間510万人もの利用客があり、大変混雑したが、現在は、77万人程度とピーク時の15%程度しか無い。平成15年(2003年)頃の67万人がワーストで、そこから10万人も利用客が戻っているのは、平成25年(2013年)の富士山の世界遺産登録前である事も考えると、近年の地方中小ローカル民鉄としては、驚くべき事かもしれない。地元の応援と近距離線の長所を活かし、今後も、地元の足として活躍して欲しい。

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【乗車経路】
吉原1015======1024岳南原田===
下り岳南江尾行き 7000形(7002)単行

【岳南線の停車駅と信号所・主な橋梁】
[吉原]有人駅・起点駅・昭和24年11月開業(開通時)

〓小潤川橋梁(こうるがわ-)

[旧・左富士信号所]昭和57年廃止

[ジヤトコ前駅]無人駅・昭和24年11月開業(開通時)

[吉原本町]主要駅・時間限定有人駅・昭和24年11月開業(開通時)

〓和田川橋梁

[本吉原]無人駅・列車交換可・昭和25年4月開業

[旧・田宿信号所]昭和57年廃止

〓田宿川橋梁

[岳南原田]時間限定有人駅・列車交換可・昭和26年12月開業
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朝の通勤ラッシュ時間帯は過ぎているので、のんびりとした雰囲気の中、少しずつ乗客が乗って来ると、発車直前に10人位になった。定刻になり、改札の女性駅員氏がボタンを押すと、昔ながらの「ジリジリジリジリ」と、詰まった感じの金属の発車ベルが鳴る。運転士は乗務員扉前で改札に向かって立ち、ベルが鳴り止み、指差し確認をしてから、運転室に乗り込む。戸締め後、カルダン駆動の乾いたモーターの唸りがかかると、軽快に加速して行く。

ホームを出ると、一番北側の旅客線を走る。暫く、東海道本線と貨物側線に並走し、南側の三本の貨物留置線が旅客線に分岐器で順に綺麗にまとまると、田子の浦港に注ぐ沼川河口のデッキガーター鉄橋を渡る。なお、岳南吉原駅西の貨物留置線は、南のJR東海道本線側から、貨物1番線は受取り線、貨物2番線は引渡し線、旅客線隣の貨物3番線は、機関車の機回し線になっている。以前は、沢山の貨車が連なっていたのが、東海道本線の列車からも、良く見えた。


(発車すると、鈴川倉庫横の旅客線を走る。)

鉄橋を渡ると、三菱商事フードテックの工場を廻り込む様に、カントのきつい半径200mの右大カーブを、フランジ音を立てながらゆっくりと通過する。西進から90度曲がって、進路を北に取る。ここで、東海道本線とお別れである。


(東海道本線との分岐点。)

カーブを曲がりきると、東海道新幹線の高架橋をアンダーパスし、国道139号線と交差する付近まで、直線区間が続く。この区間はアップダウンもあるが、光線具合も良く、岳南線一の鉄道撮影スポットで有名である。列車も、富士山に向かって真っ直ぐに走り、いきなりハイライトである。なお、吉原とジャトコ前間は2.3kmあり、岳南線で一番長い駅間距離になっている。

この先の最初の停車駅であるジヤトコ前駅手前までは、開業以前の昭和11年(1936年)に敷設された、日産貨物専用線であった線路である。社有線であったので、譲渡か賃貸か交渉し、開業当時は賃貸で決着した。


(小潤井川橋梁付近は、見晴らしの良い直線になっている。※再取材時撮影。)

国道139号線と交差する踏切付近には、日産工場(現・ジヤトコ)に貨物引き込み線が分岐する、旧・左富士信号所があった。単線信号所の袋とじ状の線形ではなく、工場方の引き込み線を利用したトの字線形で、下り岳南江尾行き列車が工場引き込み線に先に入って待機し、上り吉原行き列車の通過後、バックして本線に戻り、タブレットを受領後に発車する運用方法であった。現在は、工場引き込み線は廃止され、信号所の跡も判らなくなっている。線路沿いに流れる小川が、その線路の跡らしい。


(旧・左富士信号所付近の半径260mカーブを走る7000形。)

なお、左富士と言うのは、江戸時代の大津波で、吉原宿と東海道が内陸部に移転した後、今まで右手に見えていた富士山が、左手に見える事から名付けられた名勝地であった。今では、建物で見え難くなってしまったが、東海道の旅道中のささやかな楽しみであったらしい。東海道五十三次で有名な歌川広重画にも、左富士の題目が残っている。なお、この踏切から東の460m地点に、旧東海道が通っている。


(広重東海道五十三次・15番・吉原「左富士」※著作権フリー素材を引用。)

旧・左富士信号所からは、緩やかに左カーブをして、富士山を右に流すと、ジヤトコ前駅に到着する。この駅は、日産従業員専用の駅として開業し、昔の日中は通過していた。現在は、全ての列車が停車し、岳南線で最も少ない乗降客数の駅である。ちなみに、「ヤ」は、新会社創立後は大きい文字を使う。鉄道撮影ファンならば、お馴染みのカメラメーカーのキヤノンの表記と同じである。

また、この駅から西に延伸し、身延線入山瀬駅までを結ぶ西部線の計画があったが、資金の目処が立たず、頓挫してしまっている。既に、国鉄身延線が開通していた事情もあろう。

ジヤトコ前駅から先は、住宅密集地の中に入り、カーブもきつくなって来る。岳南原田駅までの区間は、意外に急カーブが多いので、列車も時速40km以下でゆっくりと走る。半径200mと180mの二段の右急カーブを400m程走ると、再び、正面の東京電力ビル横に富士山が一瞬見えて、吉原本町駅(よしわらほんちょう-)に到着する。


(吉原本町駅。)

列車交換設備の無い単式ホームの駅であるが、岳南線で一番人気(ひとけ)のある、途中主要駅になっている。元々、浜沿いの国鉄吉原駅(当時は鈴川駅)と移転後の旧吉原宿であった吉原本町間の路線敷設要望が強かったので、町の住人も多く、乗降客も多い。また、この駅は、きのこ型旅客上屋ではなく、一般的な昭和風の木造旅客上屋が残る。

吉原本町駅を発車し、県道踏切を渡ると、和田川の小さな青プレートガータ鉄橋を渡り、右にカーブしながら、右手に紅白の高煙突が見えてくると、たったの300mで本吉原駅(ほんよしわら-)に到着。本吉原駅は無人駅であるが、きのこ型旅客上屋もあり、駅前には、親会社の岳南鉄道本社がある。なお、吉原からの乗客は、この本吉原駅までで、半数近くが下車してしまう。小さな岳南電車線は、路面電車や路線バス的性格であり、短距離客が多いのが特徴になっている。


(本吉原駅には、駅舎は無く、歓迎門の様なものがある。※再取材時撮影。)

本吉原駅からは、線路は曲がりながらも、東に進路を取る。ジヤトコ前駅から本吉原駅までは、住宅地の中を走るが、この先は大きな工場が増えて来る。線路の左側は住宅地、右側は工場が広がり、岳南線はその境界に沿って、ゆっくりと走る。

住宅地と工場に挟まれた狭い場所を線路が通っており、住宅密集地の中であるが、第四種踏切もある。途中、3.7kmポスト付近の小学校東側に、旧・田宿信号所(たじゅく-)があり、隣接するふたつの大工場の専用分岐線が併設され、昭和57年(1982年)まで使われていた。今も、レールがそのまま残っており、列車交換だけでなく、工場への分岐線も兼ねていた。


(旧・田宿信号所跡は、信号所自体が大きくカーブしている。※再取材時撮影。)

線路南側の工場を見ながら、大きく左にカーブし、田宿川のデッキガータ鉄橋を渡る。今度は、右に大きくカーブをして、踏切手前の岳南線の変電所を通過し、カーブ出口に差し掛かると、巨大な紅白模様の煙突が見える岳南原田駅に到着する。岳南線の起点から4.5kmの中間点にあり、この駅で列車交換をする事も多い。なお、この付近まで来ると、住宅が少なくなってくる。


(岳南原田駅。)

(つづく)


【参考資料】
アイラブ岳鉄(鈴木達也著・静岡新聞社刊・2001年)

線路の撮影は、運転業務や車内精算の支障となる為、
上り吉原行き列車の最後尾から、終点の岳南江尾方を撮影。

2017年7月13日 文章修正・校正

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