銚子電鉄紀行(5)本銚子駅と笠上黒生駅

来た道を引き返し、徒歩10分程で、観音駅に戻って来る。時刻は14時30分過ぎた所である。今度の下り外川行き列車に乗車して、隣駅の本銚子駅(もとちょうし-)へ行こう。下り列車が来る直前には、8人程が駅に集まり、たい焼き屋にも、ひっきりなしに客が訪れている。

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観音1446======1448本銚子
下り外川行き(デハ1001・単行)
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青色のデハ1001に乗り、下総台地(しもふさ-)に上るグリーンベルトに入る。標高は15m程上るだけであるが、銚子の町並みを北に見下ろしながら、鬱蒼とした雑木林の中の20パーミルの急勾配を上って行く。この区間には、小さな第四種踏切もあり、通過警告のタイフォンも鳴らす。まるで、ワープする様な楽しい区間である。

単行運転の車内座席は満席、立ち席が若干ある混み具合で、女性車掌氏も乗務している。銚子駅の総武本線特急と鈍行列車の二本が接続した様で、忙しそうに、切符の発券をしている。

そのまま、弓状に右に曲がりながら走り、ふたつの小山の間を通る勾配のピーク地点を過ぎて、警報機と遮断機付きの県道踏切を越えると、本銚子駅に到着する。


(建て植え式駅名標。上部に、傘付きの照明も付いている。)

本銚子駅は、このグリーンベルトの小さな終日無人駅で、起点の銚子駅からは1.8km地点、所要時間6分、銚子市清水町、標高30mにある。開業当時からある駅で、「ほんちょうし」と読める事から、縁起駅になっている。一面一線の小さな単式ホームに、古い木造駅舎兼待合室があり、沿線で最も秘境感のある駅なので、鉄道ファンに人気がある。実は、ホームからは見えないが、北側に市立清水小学校があり、小学生の通学利用が多い。

駅舎は木造であるが、開業当時のものではないらしく、戦後に建て直されているらしい。外川方に、やや広い待合室と壁据え付けのロングベンチがあるが、壁全面は白いベニア板を打ち付けてあり、殺風景な感じになっている。


(本銚子駅と清愛橋。出札口は、使われていない。)

外川方を望むと、切り通しのグリーンベルトが、もう少し続く。15パーミルの勾配が終わる、向こうの右カーブした明るい辺りが、出口になっている。また、桜と紫陽花が咲く名所でもあり、コンクリート製人道橋の清愛橋がホーム上方に跨いでいて、昔からの鉄道撮影ポイントになっている。


(外川方とグリーンベルト。)

(小学生達の通学用橋の清愛橋から撮影した、上り銚子行き列車。)

銚子方は、県道踏切からやや下がって、駅構内は水平になる感じである。丁度、県道踏切付近が、観音駅からのピークになっている。


(銚子方。)

緑の中に駅がある為か、不思議と静かである。次の下り外川行き列車が来るまで、ゆっくりとしよう。なお、駅名の本銚子は、市町村合併で町名が消滅し、この駅名だけに残っている。

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本銚子1516======1520笠上黒生
下り外川行き(デハ1002・単行)
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30分程経つと、県道踏切が突然鳴り響き、下り外川行きの赤いデハ1002がやって来る。グリーンベルトを抜け、右カーブと踏切を通過すると、観音駅までの市街地の中を走っていた車窓が一変して、住宅も疎らな近郊農業風景になる。

直線区間の後、半径430mの大きな右カーブを描きながら、東から徐々に南に進路を変え、カーブ出口の笠上小踏切と笠上大踏切の親子踏切を越えると、銚子電鉄の難読駅名でもある、笠上黒生駅(かさがみくろはえ-)に到着する。鉄道ファンの間では、某ビールの様な駅名で、昔から話のネタになっていたが、先のネーミングライツで、「かみのけくろはえ」と名付けられ、話題になった。髪の毛をイメージした本物の昆布の普通入場券も発売され、1番線側には、ネーミングライツ駅名標がある。


(国鉄風の建て植え式駅名標。)

この難読な駅名は、「笠上」と「黒生」のふたつの字(あざな)を、つなぎ合わせたものである。開業当初の駅ではなく、再開業2年後の大正14年(1925年)開業の有人駅で、起点の銚子駅から2.7km地点、4駅目、所要時間8分、銚子市笠上町、標高28mになる。また、銚子ポートタワーと観光魚市場のウオッセ21、銚子第三漁港と銚子外港の最寄り駅であるが、徒歩で20-30分かかる。

銚子電鉄唯一の列車交換設備と架線の給電施設(変電所)も併設されており、対向式ホームの二面二線、古い木造駅舎と側線も一部残っている。また、保線区(保線基地)の保線用資材も置かれているので、本社や車両検修区(電車庫)のある仲ノ町駅と並んで、重要な駅になっている。


(銚子方から、ホーム全景。)

銚子方には、駅舎本屋と並んで、灰色の鉄扉と窓の無い建物の給電施設(変電所)がある。南側には、側線があり、保線用資材置き場兼搬入口となっている。上りホームを結ぶ幅の広い構内踏切があるが、警報機が無い昔のままである。


(銚子方と変電所。仲ノ町駅から遠隔操作されている。)

この給電施設は、JR東日本在来線の直流1,500Vと比べて、低圧の600Vである事と、路線長が短い為、300kW級の整流器が一基だけの小規模なものになっている。架線も、直接吊架式(-ちょうかしき)のトロリー線(電車線)の直釣りで、路面電車等で良く見られる簡易な仕様である。電車への集電時の電圧は、550Vから600V、電流は200A(アンペア)程度になり、丁度、路線のほぼ中間地点なので、末端の電圧降下も少ない。

また、太平洋戦争末期の銚子大空襲の際は、仲ノ町駅にあった当時の給電施設が破壊され、廃線も検討されたらしい。辛うじて、駅や車両は被害が殆ど無く、「電気が無いだけで、廃止は出来ない」と判断し、鉄道省(後の国鉄)から借用した蒸気機関車1両と機関士の代行運行の後、新潟県の蒲原鉄道(かんばら-)から余剰の変電設備を譲り受け、空襲から約1年後に全線電化復旧した。

外川方を眺めると、構内を少しばかり並走し、スプリングポイントでまとまる。こちら側にも、ひとりが通れる位の小さな構内踏切があるが、駅職員用であろう。また、ポイント手前には、上り列車用の場内色灯式信号機が設置されており、平成11年(1999年)までは、腕木式信号機であった。

なお、上り銚子行き列車は、下り外川行き列車がホームに到着しないと、構内に進入出来ない事になっている。平成7年(1995年)6月、併合閉塞による閉塞ミスと運転士の思い込みミスで、本銚子駅と笠上黒生駅間において、正面衝突の重大事故が発生した為である。


(外川方。)

また、笠上黒生駅から終点の外川駅までは、スタフ式列車閉塞を採用しており、仲ノ町駅からの通券閉塞式と、タブレット交換が実施される。

本来、スタフは金属製の棒状であるが、プレートタイプを採用しており、仲ノ町駅から笠上黒生駅間は四角のマーク、笠上黒生駅から終点の外川駅間は三角のマークがある。上下列車共に単行の場合は、駅長氏が線路に降りて、手渡しで交換をする。タブレット交換と確認が終わると、上り銚子行き列車が先発して行く。


(タブレット交換風景。駅長氏と運転士が、プレートの穴の形を確認している。)

駅南側には、鉄道ファンに風葬線と揶揄される側線末端部があり、オリジナルのトロッコ車両「澪つくし号(みお-)」が、静かに横たわっている。昔は、二線の側線あったが、現在は、一線になっている。

国鉄貨車を改造した「澪つくし号」は、朝のNHK連続ドラマ撮影にも使われた。電車後部に連結され、夏期に運行されていたが、老朽化の為に休車になっている(※)。


(トロッコ車両「澪つくし号」。車体の波のイラストが、可愛らしい。)

(つづく)


(※)老朽化のため、平成24年3月末に解体廃車になった。

【参考資料】
RM LIBRARY 142「銚子電気鉄道(上)」
(白土貞夫著・ネコパブリッシング刊)

2017年7月15日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正

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