知多蔵めぐりの旅(3)半田観光 JR武豊線半田駅

名古屋鉄道知多半田駅の方に戻る途中、JR武豊線(たけとよせん)の半田駅に立ち寄ってみよう。JR武豊線は明治19年(1886年)に開通した愛知県内で最も古い鉄道路線で、知多半島北部・半田の南にある武豊港から、東海道本線を建設する資材を搬入輸送するために敷設された。現在は、路線キロ19.3km・駅数10駅の名古屋近郊電化路線になっている。

木造建築の平屋建ての駅舎は、大きく改修されているが、明治末期に建て替えられ、築100年を超える。また、御幸通りと言われる駅前大通りの名称は、明治23年(1890年)3月に陸海軍合同演習が行われた際、昭和天皇が大本営と宿舎を半田に設けたことが由縁になっている。

駅の開業は明治19年(1886年)3月1日、起点の東海道本線大府駅から14.6km、8駅目にあり、現在は業務委託駅であるが、有人のみどりの窓口も設置されている。開業時、大府方の踏切付近に駅があったそうで、明治29年(1896年)に現在地に移転し、明治45年(1912年)に現駅舎に建て替えられている。また、駅舎南側に屋根の延長部があるが、古い写真を見ると、臨時改札口だったらしい。この部分も明治当時のままと思われる。一日の乗車客数は、約1,700人とのこと。


(JR半田駅。ひと目見た感じでは、築100年を超えている様には見えない。)

(駅舎南側の屋根延長部。元・臨時改札口だったらしい。)

有人駅なので、入場券を自動券売機で購入して、見学してみよう。改札係の中年駅員氏に撮影許可を貰っておく。質素なデザインの印象があるが、柱などの細部を見ると凝った装飾もあり、とても興味を引く。


(改札口周辺。壁や天井は、かなり補修されているらしい。)

駅舎とホームが南北に配された三面二線の列車交換可能駅で、単式ホームと島式ホームの組み合わせになっており、駅舎側の単式ホームは使われていない。駅舎側のレールも撤去され、1番線ホームは欠番になっている。


(島式ホームからの駅舎側旧・1番線ホーム。転落防止を兼ねて、広告板が設置されている。)

駅舎側の旧・1番線の旅客上屋を見ると、木造ではなく、古レールを大きく曲げた柱で梁を造り、波形スレート屋根(※)を葺いている。築年は不詳だが、戦後に葺き直されたのだろう。ホームの高さも、開業当時の客車ホーム(高さ760mm以下/通称・760ホーム)らしく、間知石(けんちいし/横に6個並べると、一間約180cmになる角石材)の二段積みになっている。


(駅舎側旧1番線の旅客上屋下。島式ホームからは、切妻屋根に見えるが、片流れ屋根である。)

改札から左に歩いていくと、古い木造跨線橋が接続しており、一部改修されているが、明治43年(1910年)11月に設置されたものとのこと。JRグループの現役跨線橋では、国内最古の貴重なものになっている。


(跨線橋出入口。間口は1.8m程で狭い。柱には、宮殿の様な装飾を施す。)

(跨線橋の渡り廊下内部。窓枠と屋根板は交換されているらしい。)

なお、開業から長らく非電化路線であったが、平成27年(2015年)に全線電化されている。その際、非電化路線用の跨線橋渡り廊下の高さが低く、そのままでは架線を通せなかったが、跨線橋下に防護板と吊架線(ちょうかせん/電気が流れる電車線を吊り下げる支持線)に防護カバーを取り付け、吊架線と電車線(パンタグラフが接触する電線/通称・トロリ線)の間隔も圧縮して、取り壊さずに使っている。


(島式ホーム南側からの跨線橋。)

この跨線橋はオール木造ではなく、床下の桁と支柱、渡り廊下の梁と柱は、
金属であるのが特徴になっている。両側にある支柱も、単なる直線柱ではなく、段付きや装飾が付いた洒落たものである。なお、島式ホーム側の柱を良く見ると、エンボス状(凸状)の文字があるが、かなり厚くペンキが塗られており、読むことができない。


(跨線橋の柱。明治時代らしい、品の良い華やかさのあるデザイン。)

現在、列車の発着に使われている島式ホームを見てみよう。幅も広く、かつての乗降の多かった玄関駅の名残を感じる。旅客上屋も大きく、どっしりとした美しい梁構造の見ごたえのあるものになっている。なお、1番線は使われていないが、そのままの番線振りで、2番線が下り武豊方面、3番線が上り大府方面になっている。


(島式ホームの木造旅客上屋。屋根は直葺きではなく、羽目状の野地板がある。)

(島式ホーム南側からの駅全景。嵩上げされているので、旅客上屋は寸詰まりに見える。)

駅舎南側の跨線橋脇には、レンガ造りの危険物保管庫が残る。木造駅舎を火災から守るため、ランプや暖房に使う灯油などの可燃物を保管した耐火倉庫で、跨線橋と同じ時期の明治42年(1909年)に建てられたとのこと。


(危険物保管庫。寄棟屋根は珍しいかもしれない。※光学ズームで撮影。)

なお、この半田駅北側の上り大府方には、とても広い空き地がある。昭和52年(1977年)頃の国土地理院航空写真を見ると、駅舎よりも大きい、巨大な貨物ホーム・倉庫らしい建物と貨物側線があり、北側の踏切付近は旧駅の構内跡と思われる。鉄道貨物は、開業から昭和50年(1975年)まで取り扱いをしていた。地元特産のカブトビールや酢、飼料(醤油を絞った後、大豆粕が飼料になった)などが、鉄道で出荷された記録がある。なお、鉄道手小荷物は、昭和59年(1984年)に廃止になっている。

また、太平洋戦争までの半田運河東側には、中島飛行機(現・スバル)の巨大な航空機製作工場と半田飛行場があった。ひと駅大府寄りの乙川駅(おっかわ-)から、専用の引込線もあった。この半田駅も、軍需都市の主要駅として、大量の物資の発着があったと思われる。

駅の北側には、国鉄タンク式蒸気機関車が静態保存されているので、行ってみよう。
この武豊線由来の車両で、最後に走った国鉄タンク式蒸気機関車C11-265号機である。近くには、鉄道資料館も併設されており、毎月第一と第三日曜日に開館している。

腕木式信号機なども保存され、立派な鉄骨トタン屋根下に保存されているのに驚く。昭和19年(1944年)・日本車両製造のC11-265号機は、生粋の尾張っ子で、中津川機関区、名古屋機関区や稲沢第一機関区に配属され、中津川時代は国鉄明知線(現・明知鉄道)、後にこの国鉄武豊線の列車を牽引した。昭和45年(1970年)に廃車となり、走行キロは約111万キロだった。


(信号機や転轍機操作レバーなども展示され、立派な解説板も設置されている。)

(さよならSL列車を牽引したC11-265号機。)

なお、武豊線沿線は、名古屋近郊のベッドタウンとして急発展しており、JR民営化後に利用客数が倍増している珍しいローカル線になっている。また、半田駅周辺の立体交差化が計画されており、この歴史ある明治の駅はどうなるのか、心配なところでもある。

(つづく)


(※スレート屋根)
セメントと石綿(アスベスト)を混ぜて固め、着色した屋根材(瓦)。高耐久、手入れ不要、高遮音性、不燃性、重量も価格も瓦の半分だった為、戦後高度成長期頃に良く使われていた。

【参考資料】
現地観光案内板
半田観光ガイド(半田市発行)
知多半島ぶらぐる散歩(知多半島観光圏協議会・名古屋鉄道発行)

2018年4月22日ブログから転載・校正。

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