冬の秩父路紀行(1)影森へ

今年はとても暖冬である。確かに寒い日はあるが、この時期としては妙に暖かい日もある。年末年始の慌ただしさが過ぎたところで、少しばかり、気分転換に純粋な乗り鉄に出かけようと思う。行き先は、事前に決めず、先ずは上野駅まで出てみよう。なお、上野駅を出発起点にすることが多い。高崎方面、水戸方面、宇都宮方面の三方向に行けることや、上野東京ラインの開通によって、反対側の東海道方面にも行けるので、非常に便利なためである。

さて、朝7時過ぎの上野駅地上ホーム中央改札前。さて、どこへ行こうかと考える。困った時は、床にペンを立て、倒れた方向に行く究極の行き先選択方法をしようかと考えたが、何となくの気分で、高崎線に乗車する。乗りながら、または、列車の終着駅で考えよう。とりあえず、高崎までの片道普通乗車券とグリーン券を購入し、車内で朝食をとるためにグリーン車に乗る。

5番線からの7時25分発・高崎行き普通列車に乗車。熱海駅を早朝5時18分に発車し、高崎まで約210km・3時間51分も走るこの上野東京ライン直通列車は、国鉄時代には考えられない主要幹線同士の鈍行直通運転であるが、分割民営化後にぶつ切りになった国鉄時代の中長距離鈍行を彷彿させる。

15両編成の高崎方に、グリーン車を2両連結しており、乗車率は50%位で意外に混んでいる。週末の観光客の他、ゴルフバッグを抱えた中年男性もチラホラと見かける。4号車二階席中央左側に席を確保し、早速、中央改札口正面のいつもの駅弁屋で手配した駅弁を食べよう。今日は、北海道函館本線森駅の有名駅弁である「いかめし」である。


(阿部商店のいかめし。掛け紙のイラストも、シンプルでインパクトがある。)

(小型のイカが2、3杯入っている。)

なぜ、東京なのに北海道の駅弁があるのか。実は、東京駅や上野駅では、全国の有名駅弁が入手できる。現地で買って食べるのが正統であり、旅情は全く感じ無いが、便利な世の中になったものである。

駅弁大会常連のこの駅弁は、戦時中の昭和16年(1941年)に販売開始された。小ぶりのイカの内蔵とゲソを丁寧に取り除き、うるち米ともち米をギュウギュウに詰めてボイルし、秘伝の甘辛タレで仕上げた地元料理である。タレはかなりベタ付いて甘く、ボイル後に潜らせるので、中の詰め飯には染みていない。そのため、甘辛い味の後にさっぱりとした飯の爽やかさを感じるのが特徴になっている。見た目は小さいが、詰め飯は半餅状になっており、腹持ちが良い。しかし、朝っぱらから、イカの匂いを周囲に漂わせてしまい、気が引けてしまった。

上野を定刻に発車し、高崎線のロングレールを滑るように北に快走する。お召電車のE655系電車や、北斗星号やカシオペア号で使われた客車が所属する車両区のある尾久(おく)、赤羽や浦和などの南埼玉の主要駅を過ぎ、北のジャンクション駅である大宮に30分程で到着。新幹線と東北本線が分岐するこの駅では、結構な乗り換え客があり、車内は一時慌ただしくなる。

7時52分に大宮を発車し、東北本線と別れると北西に向かって走り、上尾(あげお)や鴻巣(こうのす)を経由して、8時30分に熊谷に到着する。ここで何を思ったのか、秩父鉄道の車両がチラッと左窓に見たのをきっかけに、下車してしまった。突発的ではあるが、今日は秩父鉄道の旅に決めてしまおう。沿線探訪の旅ではなく、今日はぶらり旅なので、気軽に行くスタンスである。高崎までの切符を購入したため、差額の800円分が損になるが、あえて気にしないでおく。普通列車のグリーン券は、50km以上は780円(土日祝日の駅発売額)の同額なので、損はない。

橋上のJR改札口を出て、コンコースを左手に少し行くと、秩父鉄道の改札口がある。昔ながらのフォントの電光看板がドーンと構えた、昭和風の改札口である。実は、秩父鉄道に乗るのも、久々である。


(秩父鉄道熊谷駅改札口。発車時刻案内のみが、最新の液晶式になっている。)

出札口の若い女性駅員氏に、「フリーきっぷはありますか」と尋ねると、丁度、「縁結び開運きっぷ」があるそうで、早速、それを発券して貰おう。この切符は、秩父鉄道全線1日乗り放題となり、大人1,440円である。熊谷から終点の三峰口(みつみねぐち)までの普通運賃は、片道950円なので、往復すれば十分お得である。行き止まり線の民営鉄道の場合、一般的に全区間の正規往復運賃相当額に設定するので、割引を入れるのは珍しい。乗車区間によっては、地元住民の往復割引切符の代わりにもなる。

なお、普段は「秩父路遊々フリーきっぷ」を週末や観光シーズンに発売しており、この開運きっぷは2月末までの限定企画きっぷで、同額・同利用条件になっている。秩父三社(宝登神社・秩父神社・三峯神社)で御朱印の際、オリジナル木札ストラップのプレゼントがある特典付きとのこと。一応、今流行りの「女子鉄」を狙った限定企画切符らしいが、男性でも購入できる。

有人の改札口を通り、幅の広い階段を下ると、懐かしい昭和風のホームに降り立つ。今日は風がとても冷たいが、南側なので、いくらか暖かく感じる。旅客上屋は、古く華奢な鉄骨造りの風情を感じるもので、電光表示板なども古めかしい。首都圏のJR線では見られなくなった、大型の背板広告付き木造長ベンチも並ぶ。床は30cm四方のコンクリート板敷きで、あちらこちらがデコボコしている。


(秩父鉄道熊谷駅ホーム。洗練されていない、この昭和のゴテゴテ感も良い。)

(長い木造ベンチ。)

先ずは、この熊谷から、秩父鉄道本線終点の三峰口(みつみねぐち)まで行ってみよう。乗車キロは56.1kmしかないが、普通列車で2時間近くもかかるのは、全線単線で駅数が多いからである。なお、秩父鉄道は羽生(はにゅう)が起点になっており、この熊谷は羽生寄りの途中主要駅兼JR連絡駅になっている。

時刻は9時前。下り列車は12、3分後にやって来る。暫く待っていると、上り羽生行きワンマン急行列車が先に到着し、下り列車と待ち合せになる。この急行列車乗車時には、乗車券やフリーきっぷの他に、200円の急行券が必要である。座席はリクライニング付き固定クロスシートになっており、観光であれば、快適な旅が楽しめる。


(線内急行の秩父路号6000系電車。この時期は、ロウバイ号に愛称が変わる。)

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【秩父鉄道本線下り停車駅】◎印は急行停車の主要駅。
熊谷◎=上熊谷=石原=ひろせ野鳥の森=大麻生=明戸=武川◎=
永田=小前田=桜沢=寄居◎
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昔ながらの肉声の列車到着案内放送がホームに響くと、9時09分発・下り普通影森(かげもり)行き列車の5000系電車が入線。この熊谷駅から、リックを背負った中高年男女のハイカー風乗客が大勢乗り込み、3両編成のロングシートがほぼ埋まる位の混み具合である。車内の雰囲気も、和気あいあいとした週末の観光列車になっている。また、車内は暖房がガンガン利いているので、春のように暖かい。奥行きのあるシートは座り心地が良く、シート下の電熱ヒーターの熱がダイレクトに伝わり、尻がとても熱い。これも昭和の電車らしい仕様である。なお、古い電車の電気暖房の温度設定は、強弱のふたつしか選べないことが多い。

熊谷駅を定刻に発車し、左に新幹線の高架橋、右に高崎線と並行して北西に走る。次の上熊谷駅で高崎線と別れ、二駅先の石原駅で新幹線と別れて、広大な平坦地を西に向かう。規則正しいレールのジョイント音を刻みながら、軽快に走り、昔の鉄道の様に横揺れも結構あって、鉄道ファン的には楽しい。この付近から、住宅が徐々に少なくなり、畑が広がる近郊農業地帯となる。北の方を見ると、遠くに榛名山(はるなさん)、赤城山や雪を頂いた日光連山が見え、この埼玉県中部はとても広い平野になっていると実感する。


(秩父鉄道広瀬川原車両基地を通過する。※列車最後尾から熊谷方を撮影。)

なお、熊谷から寄居(よりい)までの区間は、多少のアップダウンのある、平野の平坦線である。線形も直線が殆どで、カーブ半径も基本400m以上と大きく、列車速度も時速70-80kmと速い。また、熊谷駅から10駅先の寄居駅までは、平野部続きの熊谷の経済圏になっており、通勤通学路線の雰囲気が強い区間になっている。

暫くすると、秩父鉄道の全車両が所属している広瀬川原車両基地横を過ぎ、次の大麻生駅(おおあそう-)に古い木造駅舎が残っているのが見える。途中主要駅の武川駅には、秩父太平洋セメント熊谷工場に延びる貨物専用線と大きな貨物ヤードがあり、秩父鉄道オリジナルの中型電気機関車や貨車が留置していた。

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【秩父鉄道本線下り停車駅】◎印は急行停車の主要駅。
寄居◎=波久礼=樋口=野上◎=長瀞◎=上長瀞=親鼻=皆野◎=
和銅黒谷=大野原=秩父◎=御花畑◎=影森◎
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熊谷駅から約30分後の9時40分、寄居駅に到着。なお、明治34年(1901年)10月、前身会社である上武鉄道(じょうぶてつどう)が、熊谷からこの寄居までを初開通させ、秩父鉄道の始まりになっている。現在は、JR八高線と東武東上線が接続する大きな乗り換え駅である。その規模としては静かな駅で、秩父鉄道の駅員も配置されていたが、平成21年(2009年)8月に無人化してしまった。この駅で若干の乗客が入れ替わり、すぐに発車となる。

寄居から影森までは、秩父への回廊部と秩父盆地内の第二ステージと呼べる区間である。寄居は関東平野の西縁にあり、ここから西側は山間部で、この先を分け入った場所に秩父がある。この秩父鉄道も、この寄居から7駅先の皆野(みなの)までは、荒川の川谷を走る。

寄居駅を発車すると、緑の豊かな車窓に変わり、ローカル色も強くなっていく。比較的幅もある川谷区間で、線路のカーブや勾配も緩やかなので、列車のスピードは速い。また、寄居駅から西には、古い木造駅舎のある駅も多くなるので、鉄道ファンには見どころが多い。

上武鉄道開通後、暫く終着駅であった波久札(はぐれ)駅には、良い感じの古い木造駅舎が残る。この駅から先は、川谷の最も狭い場所を走る回廊状の難所となっており、秩父鉄道、国道と荒川がひと束になって、直角に曲がる。この難所があるため、波久礼駅から先は、8年後の明治44年(1911年)9月の開通になっている。

次の樋口駅に到着すると、難所区間を脱し、緩やかな上り勾配を走る。沿線は家と畑が半々な感じである。なお、秩父市街地内の御花畑駅までは、勾配率は基本的に10パーミル以下に抑えてあり、一部区間が12パーミル台になっている。電車よりも編成重量が重く、いち編成1,000トンもある貨物列車を考慮しているらしい。

少し大きな町の野上(のがみ)駅付近から、線路の進行方向は真南になり、有名な長瀞(ながとろ)駅に到着する。この駅は川谷回廊部の出口寄りにあり、荒川の奇岩や宝登山(ほどさん)観光の玄関駅で、二面三線の大きなホームと立派な大型木造駅舎がある。ここで、リックを背負ったハイカー客や観光客が一斉に降りてしまい、乗客は15人程になって、一気にローカル線の車内の雰囲気になってしまった。


(沿線一の観光駅である長瀞駅に到着。)

(長瀞駅を発車する。※列車最後尾から熊谷方を撮影。)

残り少ない乗客を乗せて、長瀞駅を発車し、次の上長瀞駅を発車すると、有名な荒川橋梁を渡る。秩父鉄道の復活蒸気機関車国鉄C58-363号機が牽引するパレオエクスプレス号や、石灰石貨物列車の撮影地としても良く紹介されている。もちろん、秩父鉄道の前身会社である上武鉄道開業時のもので、大正3年(1914年)竣工、長さ167m、高さ20m、四段積み煉瓦橋脚の美しい橋梁になっており、荒川本流を渡る唯一の秩父線鉄橋である。橋上からは、奥秩父山塊の甲武信ヶ岳(標高2,475m)なども見える。


(荒川橋梁上から、上流方を眺める。)

親鼻駅と途中主要駅である皆野(みなの)駅を過ぎると、進行方向正面に武甲山(ぶこうさん)が見えてくる。標高1,304mもある秩父のシンボルの山である。山の北側が巨大な石灰岩塊になっており、露天採掘がされているので、頂上部は階段状になっているのが肉眼でも判る。なお、この秩父鉄道は、元々、武甲山の石灰石やセメントを輸送する鉄道であり、筆頭株主も秩父太平洋セメント(旧・秩父セメント)になっている。

和銅黒谷駅には、ホームに和同開珎(わどうかいちん)の大きなモニュメントがあって、驚く。ここは、日本最古の国産鋳造貨幣の和同開珎が造られた銅が産出した場所とのこと。また、この付近から、秩父盆地に入って、線路も殆ど直線になる。

そして、上り勾配10パーミル以下の直線線路を、時速70-80kmの速い速度で快走する。次の大野原駅に近づくと、右手にセメント工場と広大な貨物ヤードが見えてくる。秩父太平洋セメントの本社工場で、石灰石の貨物列車や電気機関車がここで待機している。このセメント工場を過ぎると、秩父市街に入り、秩父の玄関駅である秩父駅に到着。地方民営鉄道としては、立派な駅ビルの駅になっており、乗降客も大変多い。ホーム東側からは、大きな武甲山の勇姿が眺められる。


(太平洋秩父セメント本社工場の貨物大ヤード。※列車最後尾から熊谷方を撮影。)

(秩父駅ホームからの武甲山。石灰石の採掘により、山の形が変わってしまった。)

次の御花畑(おはなばたけ)駅とは、700mしか離れていないので、2分で到着する。何とも、ハッピーな駅名であるが、秩父夜祭りからの由緒ある駅名とのこと。都内に出る最短ルートの西武秩父線との連絡駅になっており、秩父と御花駅間のみの利用客も多く、西武池袋方面からの三峰口行きと長瀞行きの直通運転列車も、ここから乗り入れている。

なお、西武線の駅は別にあり、旅客の接続は行っていない。三峰口方の踏切を渡って、5分位歩く。ちなみに、西武秩父線は、東飯能駅から正丸(しょうまる)峠を越える狭い川谷を登って来るので、秩父鉄道よりも険しい路線である。

この御花畑駅で、西武線への乗り換えと思われる殆どの乗客を降ろし、すぐに発車。発車直後に本線最急と思われる21パーミルの上り急勾配があり、左横に並行する西武線への渡り線の勾配は、もっと急な28パーミルで、まるで滑り台の様にも見える。

この先も、市街地の中の長い上り勾配が続く。多少のアップダウンと右大カーブを抜け、家々が少し疎らになると、最後に20パーミルの急勾配を登り切って、この列車の終点・影森駅に到着する。先の秩父駅と御花畑駅で大勢下車したため、ここまでの乗客は、自分を入れて三人のみであった。時刻は10時26分、熊谷駅から約1時間20分が経過したところである。山際のツンとした冷たい空気を感じ、穏やかな冬陽が心地良く、銀色の車体も眩しい。


(影森駅1番線に到着した5000系5002編成。元々は、都営地下鉄の車両である。)

(つづく)


(※勾配率、パーミル、‰)
鉄道の坂の角度は、水平距離1,000mあたりの高低差mで表示する。単位は、千分率のパーミル(‰)。普通は15パーミル以下、20パーミル以上が急勾配、通常は25パーミルまで。特例で33パーミル(旧国鉄簡易線規格準拠)、電車は35パーミルまでであるが、40パーミルを超える例外もある。

【参考資料】
週刊歴史でめぐる鉄道全路線「公営鉄道私鉄17」秩父鉄道ほか
(朝日新聞出版刊・2013年)

2017年7月11日 ブログから転載
2017年7月13日 文章修正・校正(全話分の濁点抑制と自動校正)
2020年8月21日 画像再処理・追加(カラー化・4K化)

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