足利散策 その1

休日であるが、いつもどおりの時間に起きてしまった。緊急事態宣言も解除になり、近場を短時間散策したい。どうも、家にこもってばかりで、精神的に参ってきている。状況が状況のため、人が密集している都内は避け、北千住から東武伊勢崎線(スカイツリーライン)に乗り換え、一路北へ。

今旅は栃木県足利市を訪問したい。何回か所用で訪れたことはあるが、取材は初めてになる。以前、駅周辺を少しだけ見たところ、古刹や昭和な町並みも残り、歴史と見どころのある町だと感じていた。最近では、市街中心地より東にある足利フラワーパークと栗田美術館が、一般的によく知られているだろう。最寄り駅も新設されて、アクセスもしやすくなっている。なお、駅近隣の市街中心地のみの短時間散策にし、普段よりも早い午後3時頃には帰路につく予定である。

北千住を発車した急行電車は、ほぼ直線の路線を結構なスピードで北に走る。停車駅も少ないため、東武動物公園まではあっという間である。この先は同じ伊勢崎線ながら、まるで別路線のような運行形態になっており、東武動物公園までは複々線の高輸送通勤路線、東武動物公園・久喜(くき)から館林(たてばやし)間は複線の6両短編成、館林以北は単線区間もある3両編成ワンマン運転の三段構えになっている。東武鉄道の主要幹線のひとつであるが、多段的に先細りするのも珍しい。とはいえ、終端部まで特急りょうもう号も走るので、そのメンツは保つ。東武動物公園から分岐し、会津や日光方面と接続する栗橋方面の需要が高いのであろう。

奥に行くほど、乗客もまばらになってくるが、観光客や山行き客もちらほらと見かける。久喜と館林で乗り継ぎ、北千住から所要時間約1時間半で足利市駅に到着。時刻は朝の8時45分。日もだいぶ上がり、ちょうどよい感じである。天気は晴れ時々曇り、日中の気温は20度近くまであがるので、穏やかな春日になりそうだ。幸いにも、風もほとんどない。


(東武鉄道足利市駅。渡良瀬川南岸沿いにあり、高架駅になっている。)

(駅前の観光歓迎看板。同市の4大観光地が写真紹介されている。)

足利市は北関東の群馬県から栃木県の2県にかけて、関東山地南麓の東西に衛星状に連なる都市のひとつで、西には高崎・前橋・桐生(きりゅう)、東には佐野・以前訪問した栃木市や小山がある。町のすぐ北は関東山地がそびえ、関東平野最北端の町のひとつになっている。明治時代以降は、養蚕と絹織物の町として大いに栄えたのは、西隣の桐生と同様で、これらの衛星都市を結ぶようにJR両毛線(りょうもうせん)が東西に横断している。

改札口前の観光案内所は9時から開くが、インターネットで観光スポットを予め調べてあるので、すぐに出発しよう。なお、市内にはふたつの路線が乗り入れ、東京方面から北上してくる東武伊勢崎線の足利市駅とJR両毛線の足利駅があり、一字違いでややこしい。それも、町の東西に大きく流れる渡良瀬川(わたらせがわ/利根川の主要支流)により分断され、駅同士は結構離れている。利用客の争奪戦をしている感じはなく、東京方面は東武、地元の高崎・小山方面はJRと棲み分けしており、JRの足利駅が旧市街地と県道に面し、中心部に近い。

まずは、足利市街地一の古刹である鑁阿寺(ばんなじ)【万字マーカー】に向かおう。駅から北に向かうと、すぐに大鉄橋の「中橋」【赤色マーカー】があり、渡良瀬川を渡る。足尾の渓谷部から関東平野に出て、それほど距離はないが、既に結構な川幅である。鉄道開通以前、水運が盛んだった頃はこの先下流の古河(こが)で利根川に合流し、江戸に向ったので、水上交通の要衝地でもあったと思われる。なお、市街中心部には、4つの大橋が架けられている。


(中橋。橋長約286メートルの三連タイドアーチの美しい道路橋は、足利のシンボルになっており、夜間はイルミネーションも灯される。昭和11年[1936年]に開通。アーチ部は桜田機械製作所製。)

(渡良瀬川上流方を望む。向こうの鉄橋は渡良瀬橋。この中橋周辺は水防上の問題点があり、架替えが予定されている。現在のアーチ鉄橋は下流側にスライドされて、歩行者専用橋になる計画とのこと。)

町は渡良瀬川北岸(左岸)に並行して発達し、橋を渡ると大小の建物がかなり密集している。南岸(右岸)の東武伊勢崎線の足利市駅周辺は疎らなため、比較的新しい町らしい。


(中橋北詰交差点。向こうにJR両毛線の踏切が見える。)

中橋を渡り切り、両毛線の踏切を越えると、観光モニュメント【黄色マーカー】が鎮座している。天皇家下賜の桐紋や足利家の「丸にふたつ引き」家紋、観光案内板が設置され、なぜか水飲み場がある。由来を読むと、足利は川の町であるが、地下水を水道水としており、ミネラルが豊富で美味しいという。少し飲んでみると、甘く柔らかな水であった。


(観光モニュメントと水飲み場。)

すぐ先の交通量の多い県道交差点を右折し、130メートルほど歩くと、石畳の小路の奥に山門が見える【カメラマーカー】。地元では、「大日さま」と親しまれている大寺で、足利尊氏(たかうじ)など室町幕府将軍家として歴史に名を残す足利氏の邸宅跡であり、非常に歴史の深い町になっている。


(足利市街地を東西に横断する県道67号線。商業ビルも多く、町一番の主要道になっている。※振り返って、西の桐生方を撮影。)

(県道から覗く鑁阿寺参道。)

足利氏2代目当主・足利義兼(よしかね)が鎌倉時代初期の建久7年(1197年)に仏堂を建立し、大日如来を安置したのが始まりとされている。山門までは小洒落た石畳道が整備され、落ち着いた雰囲気を醸し出す。

さすがに観光客は少ないが、全くいないわけではない。男性ひとり旅、少人数のよそ行き格好の中年女性グループや子供連れの地元家族が散策に訪れている。土産店やカフェも並び、観光客は少ないといえども、ほぼ全ての店が開店の準備をしている。普段よりも大変静かであろうが、ゆっくりできるのは良い。


(大日大門通りと名付けられた石畳参道。小綺麗な店や古い土蔵も残る。)

突き当りに小堀があり、太鼓橋(反り橋)を渡って山門を潜ると、真正面に大屋根の本堂が鎮座している。山号は金剛山、宗派は真言宗、「大日さま」由来の大日如来を本尊とする。真言宗の一派である大日派の総本山であり、古くは足利氏の氏寺であった。また、関東八十八ヶ所霊場の第十六番目の寺になっている。


(鑁阿寺山門。兵火のため、室町時代末期に13代将軍足利義輝が再建。納められている仁王像は鎌倉時代運慶の作とのこと。太鼓橋は江戸時代安政年間に改修されている。)

(史跡足利氏宅址の石碑。もともとは、ここに足利氏の邸宅があった。)

境内では数人が境内の掃き清めをしており、地元の信者やボランティアらしい。「おはようございます」と挨拶を交わし、本堂前に進むと、重々しい大屋根に圧倒されるが、間口の大きな開放的な造りになっている。約800年前に落雷にあい、再建された本堂であるが、当時伝播したばかりの禅宗様式を取り入れているという。当時の禅宗様式を取り入れた貴重な木造建築として、国宝に指定されている。先に道中安全の参拝をし、境内を散策してみよう。


(国宝の鑁阿寺本堂。難しい寺名の「ばんな」の由来は、真言宗に伝わる曼荼羅[まんだら/仏を描いた掛け軸]が由来とのこと。)

(本堂前。)

また、総本山の大寺らしく、境内には大きな堂宇が多数建立している。本堂左手前には多宝塔、右手前には鐘楼、西隣には経堂(書庫)があり、どれも文化財に指定されている。


(多宝塔。こちらにも金剛界大日如来を安置する。右手前の大銀杏も名物とのこと。)

(室町時代初期の応永14年[1407年]再建の一切経堂。約2,000の経典を保管し、国の重要文化財になっている。境内一の桜名所になっており、満開であった。)

(創基年の鎌倉初期建久7年[1196年]建立の鐘楼。貴重な鎌倉時代初期の木造建築物として、国の重要文化財になっている。池のある日本庭園も整備され、ゆっくりと過ごせる。)

(経堂の西、西門前に小さな出店が2軒あったが、休業していた。昭和な感じがたまらない。右の「ひこまや」は西門前の料理屋が経営し、いもフライが名物という。)

境内は大変広く、ゆったりとしている。西側の一部は、ステージ付きの多目的公園や児童公園として整備されている。多目的公園の一角に大日茶屋と名付けられた店があり、寺直営の観光売店らしい。じゃがいも入り焼きそばが名物と謳っているのに目が止まる。朝食は立ち寄ったコンビニエンスストアのおにぎり2個だけであった。この後の散策のためにも、食べてみよう。

店出入口左にカウンターがあり、「朝っぱらから、いいですか」と、中年女性の店員にじゃがいも入り焼きそば(一人前税込み400円)を注文。ついでに足利シュウマイ(2個税込み160円)も頼んだ。「天気がいいので、外のテーブルで食べても良いですか」と尋ねると、「いいですよ」とのことなので、呼ばれるまで外で待つ。


(大日茶屋と名物の案内看板。)

(じゃがいも入り焼きそばと足利シュウマイ。)

数分待つと、「できましたよ」と店内から呼ばれる。早速食べてみよう。小麦文化圏の北関東では、焼きそばやすいとんなどが好まれており、絹織物産業が盛んだった頃には、従業員や工員の昼食・軽食としてよく食べられていた。西隣の桐生や中島飛行機の工場があった太田でも、焼きそばが名物になっている。

ひとくち食べてみると、麺は角のある中細麺で焼きそばとしてはコシがあり、少しモチモチする。ソースが特徴的で、野菜の甘酸っぱさを十分に感じる地元・月星製のソースを使うのがセオリー。懐かしい昭和の味の焼きそばは、なかなか美味い。あっという間に平らげてしまった。

じゃがいもも入っているので、腹持ちもよかろう。市内には、多数の焼きそば専門店があるので、焼きそばファンは是非食べ比べ訪問してほしい。なお、昔は、リヤカー屋台の焼きそば屋が鈴を鳴らしながら焼き歩いたので、チンチン焼きそばと親しまれ、足利市民の味になったという。

また、足利シュウマイも、面白い。豚肉や海老は使わず、刻み玉ネギに片栗粉をまぶし、皮に包んだもので、プリプリ感がたまらない。これも醤油ではなく、月星ソースを少しかけるのが正統とされ、結構美味い。もともとは、地元ラーメン店のサイドメニューだったという。肉なしシュウマイはラーメンとのバランスを考えてなのであろう。

(つづく)

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