明知線紀行(6)日本大正村 前編

すこぶる春の好天の中、明智駅で途中下車をして、町並み散策をしよう。鉄道のみでなく、鉄道と共に歩んで来た町を見るのも、興味深い。

この明智町は、日本大正村として、町の景観の整備や保存に取り組んでおり、町内各所に大正時代前後の建物が、今もなお残っている。今日は、「ちょっとおんさい祭り」が開催中の為、大変な人出である。なお、テーマパークではないので、一部の施設を除いて、入場料は不要になっている。

元々は、明智町の町おこしと観光事業として、始まった。特定の区域に限定するものではなく、町全体を大正時代風に保存・再現するアイディアで、昭和63年(1988年)に公益財団法人を設立し、開村している。初代村長は高峰三枝子、二代村長は司葉子、平成27年(2015年)より三代目村長として竹下景子が務め、歴代人気有名女優を村長にしている。

駅出入り口右手に、大きな観光案内地図がある。駅の位置は看板の左下になる。川の向こうの旧市街地に行ってみよう。


(駅前の観光案内板。)

町の中央部を流れる明智川の小さな橋を渡る。袂に小さな地蔵も安置されていて、その先に石畳の路地が続いている。
マピオン電子地図 ・明智川の小橋


(明智川の流れ。)

(明智川の小橋を渡る。)

橋の先の石畳道は、大正路地【赤色マーカー】と呼ばれ、江戸時代から続いた呉服問屋の蔵と明治の終わりから大正時代まで使われた米蔵が連なっていて、とても良い雰囲気になっている。黒と白のコンストラストが見事であり、黒板の下は防火の為、土壁になっている。


(大正路地。狭いので、車は通れない様である。)

(大正路地を振り返って見る。緩やかな坂になっている。)

大正路地を抜けた交差点から、大通りを西の方に行くと、山際に八王子神社【鳥居マーカー】がある。毎年10月の大祭では、明智太鼓が2日間鳴り響く中、屋台に乗せた太鼓を軽衫(かるさん/ズボン状の袴)姿の若い娘達が引き、町内を練り歩く。神社の創建は天暦3年(949年)とされ、天照大神(あまてらすおおみかみ)の8人の王子・王女の分霊を勧請したのが、始まりと伝えられている。
マピオン電子地図・八王子神社

領主遠山家の氏神として庇護されていたが、甲斐武田家の侵攻で明知城は陥落し、この八王子神社も兵火により焼失した。その後、関ヶ原東軍の遠山利景(としかげ)が復権し、慶長8年(1603年)に再興された。現在の社殿は、延宝4年(1676年)に四代遠山伊次が造営した権現造で、正面の神門は、明知城の城門を移築したと言われている。


(八王子神社。)

長さ100m程の大正路地の先にも、石畳の急坂が続いている。
坂の入り口の左側の建物も、大層古く、明治時代の交番跡【交番マーカー】である。現在は、雑貨屋が入居しており、左隣の大通りにも、格子戸のある明治時代の町家が連なっている。


(大正路地先の石畳の急坂。)

(大通り沿いの古い町家。)

この細い石畳の急坂を登ると、大正村の中心的建物で、シンボルになっている大正村役場【黄色マーカー】が建っている。明治39年(1906年)築の100年の歳月を越える古い洋館は、昭和32年(1957年)まで、明智町役場として使われていた。当時、このモダンな二階建て木造洋館が建てられると、町の人々は大変驚いたと言う。また、映画の撮影に使われた事もあり、国の登録文化財に指定されている。
マピオン電子地図 ・大正村役場

「何故、山中の明智に、この様なモダンな建物が」と思うが、当時の明智は、日本の産業と輸出を支えた養蚕製糸産業の東濃エリアの中心地として、人、物資や資金が集まり、大変栄えていた。当時の町の勢いを感じさせる建物である。


(日本大正村役場。)

(坂の上からの大正村役場全景。)

この坂を登り切った突き当たりの石段上には、絵画館【緑色マーカー】がある。旧・明智小学校で、教室はひとつのみの小さな学校になっている。玄関と窓枠の形が、とてもモダンな洋館デザインになっている。


(旧・明智小学校の絵画館。)

正面玄関から望むと、明智川まで伸びた石畳が敷かれた路地はとても狭く、雰囲気満点である。


(絵画館玄関から、大正路地を望む。)

大正村役場に入ってみよう。中は、ひんやりと涼しい。無料休憩室や展示室があり、誰でも休憩・見学が出来る。また、明智町の観光事業を行っている大正村事務局も、ここに置かれている。大正風の矢絣袴(やがすりはかま)を着て、町を散策できる観光プランもあり、着付け・貸出も行っている(有料/公式HP参照)。
日本大正村公式HP


(日本大正村役場玄関。)

玄関を入ると、昔の学校の様な大きな土間あり、靴を脱いで上がる。昔のラジオ蓄音機が、懐かしい曲を奏でて、迎えてくれる。一階には、事務所、展示室や無料休憩室、二階の角には、元・明智町長室があり、大正ロマンのゴージャスさを感じる。


(昔のラジオ蓄音機。)

(二階の元・明智町長室。)

二階から階段を下りて、一階の廊下の角を曲がった所で振り向くと、年季の入った廊下板、木枠の板ガラス窓、ひとつ白熱灯、懐かしい雰囲気がいっぱいである。思わず、カメラのシャッターを切った。


(一階の木の廊下。)

大正村役場から出ると、玄関先に観光客が大勢集まっていて、賑やかである。懐かしいチンドン屋が、演歌を演奏していて、ゆるい太鼓のリズムと調子が時々外れるサックスが面白い。「絆」と言うバンド名のプロの演奏者で、拍手喝采の後に、チンドンと町中を練り歩きに行った。何だか、のんびりとした雰囲気で、良い気分である。


(パフォーマンスをするちんどん屋「絆」。)

(つづく)


【参考資料】
現地観光案内板・解説板
日本大正村公式HP

2017年7月30日 FC2ブログから保存・文章修正・校正
2017年7月30日 音声自動読み上げ校正

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