明知線紀行(11)阿木駅

新設駅の極楽駅と飯羽間駅(いいばま-)に停車し、長い下り急勾配を下り、阿木川を渡ると、岩村駅から約10分で阿木駅に到着する。意外にも、自分を入れて、4人の乗客が乗降する。


(阿木駅に到着。)

(国鉄風の建て植え式駅名標。)

駅開業は昭和8年(1933年)5月。大井駅(現・恵那駅)から阿木駅までの開通時で、起点の恵那駅から3駅目(開通当初は2駅目終点)、9.9km地点、所要時間約20分、所在地は中津川市阿木、標高は446mの終日無人駅になる。なお、この阿木駅と隣の飯沼駅のみが、中津川市のエリアになっている。

阿木駅は、岩村駅まで延伸開通するまでの約半年間は、終着駅であった。なお、現在の終点の明智駅まで開通したのは、翌年の昭和9年(1934年)6月になる。その為なのか、列車交換設備跡があり、千鳥式ホームと貨物側線が1本残っている。国鉄時代は、駅員が常務する有人駅で、タブレット交換や列車交換も行われていたが、第三セクター転換時に無人化し、同時に廃止になった。今は、駅舎側ホームのみ、発着に使われている。


(恵那寄りから、阿木駅全景。昔の低い客車ホームのままである。)

なお、阿木周辺は、谷幅が広く、田圃が山際まで広がっていて、明るく開放的な盆地になっている。岩村盆地の北東に位置し、地質学的には、北西の屏風山断層と南東の恵那山断層が、ぶつかりあって出来た断層盆地である。

木曽川支流の阿木川が流れ、降水量も年間2,000mmと多い。阿木川も沢山の小さな支流を抱え、阿木盆地の南東には、広大な扇状地が広がっている。また、東濃エリアや名古屋・知多エリアに、農業用灌漑水、上水道や工業用水を供給する為、約1km下流に大規模な阿木川ダム(高さ101m・貯水量480万m³・発電所併設)が建設されている。

駅舎の向かい側を見ると、草がボウボウに生え、廃止された上りホームがそのまま残っている。上り側のレールは剥がされていないが、構内踏切、ホーム上の待合室や駅名標は、撤去されている。


(旧・上り2番線ホームと阿木盆地。)

恵那方を眺めると、線路は緩く右にカーブし、腕木式信号機の支柱が残っている。駅舎には、併設された歯科医院があるが、営業していない様子である。


(恵那方と旅客上屋。)

明智方には、貨物ホーム跡と貨物側線が残っている。側線には、第三セクター転換時に新規導入された富士重工業製レールバスであるアケチ1形(2)「あぎがわダム号」が留置され、屋根付きの倉庫として使われている。なお、現在運行しているアケチ10形は、第三セクター化してから、三世代目の形式になる。

【アケチ1形・主要諸元】
昭和60年(1985年)製造、富士重工業製、富士重工製レールバスLE−Carの初期形、
全長15.5m、自重24.2t、230馬力エンジン搭載、非冷房。
5両導入され、1号機「恵那峡号」が、山岡駅構内に廃車状態で置いてある。
この2両の他は解体された。


(明智方。貨物側線跡と廃車されたアケチ1形。)

貨物ホーム跡から、明智方を見ると、古い木造保線小屋があり、廃止された腕木式信号の支柱と右にカーブをしている鉄橋が見える。


(木造保線小屋と腕木式信号機支柱跡。低倍率ズームで撮影。)

駅舎の中に入ってみよう。新調されたらしいホーローの国鉄風駅名板が、鈍い光沢を放っている。この駅は、中津川市立阿木高校の最寄り駅になっている。


(下りホームと改札口周辺。ホーム確認用出窓もある。)

(ホーム側からの改札口。)

8畳位のやや広いスペースの待合室は、壁側に沿って、木製ベンチが置いてある。長座布団は、駅近くの阿木高校の家庭クラブの生徒達が、手作りで作ったもので、30年前から毎年寄進している伝統的な活動との事。また、生徒会が中心となって、駅の清掃活動に取り組んでおり、小奇麗である。

掲示板に、阿木の地名由来の案内板が掲げられている。地元の神社の伝説によると、ある神様がお子をお生みになり、近くの野原で静養した際に、「まことに安心して休める気楽な所である」と喜び、この地を「安気(あんき)」と名付けたそうで、これが転じて、「安岐(あき)」、「安木」、そして「阿木(あぎ)」となった。実際、のんびりとした良い所で、その通りと感じる。なお、現存する一番古い書物に、「安岐」の地名が使われているのを、確認出来ると言う。


(改札口。)

(古い背もたれ付きベンチに並ぶ平ベンチも、彼らの手作りらしい。)

残念ながら、出札口や小荷物窓口は、ベニア板で覆われていて、面影は無くなっている。しかし、民家風の杉板天井と吊り下げの蛍光灯、背丈より高い大きなガラスの吊り引き戸があり、昭和の雰囲気が十分に残っている。


(美しい杉板天井は高く、民家風の駅舎になっている。)

駅前に出てみよう。木造モルタル平屋建て駅舎になっており、明智駅を半分にした様な感じである。駅前は広いが、商店は無く、目の前は山になっており、長閑な農村の中にある。


(駅前からの駅舎。)

岩村電気軌道は、阿木川に沿った最短経路で、大井駅(現・恵那駅)と岩村駅を結んでいた。その為か、国鉄明知線は阿木(当時は阿木村)を経由しており、急勾配の飯沼谷を通る東寄りの険しいルートになっている。この阿木の村人達の鉄道開通の喜びは大きく、開通式では、昼間に花火を上げ、花火の中の落下傘を皆で取り合い、小学生全員参加の村芝居も行われたと、伝えられている。

次の列車までの時間があるので、明智方の鉄橋【赤色マーカー】まで行ってみよう。この阿木は、恵那山系の山々に囲まれており、大変水利が良い土地柄で、稲作の他、シクラメン、トマトや蕎麦の栽培が盛んな農村地帯である。特に、蕎麦は岐阜県内2位の出荷量(2009年)で、「安岐蕎麦(あきそば)」のブランドで販売されている。古来からは、林業、製材業や醸造業も盛んになっている。また、阿木地区には、30ヶ所以上の古墳があり、縄文の頃から人々が暮らしていた。

町の中心地は、駅から南東の学校と国道がある付近になっており、町外れに駅がある感じになっている。中心地に向かって、町道を歩いて行くと、昔懐かしい小さなよろず屋がある。そう言えば、昼食を摂って無かったので、パンふたつと飲料を手配しよう。

また、阿木駅の東側の山中には、16世紀末頃に築城されたと言われる阿木城跡がある。遠山家の十八城のひとつで、本城の岩村城を守る出城であるが、規模も大きなものであった。今も、本曲輪等がよく残っている。天正2年(1574年)に、甲斐の武田勝頼の軍勢に攻められて落城し、そのまま、廃城になっている。


(グーグルマップ空撮写真・阿木周辺)

駅から右手に行く。よろず屋「よしまるや」の角を右に曲がり、坂を下って行くと、車一台分の幅のコンクリート道路橋と並行して、鉄橋が架橋されている。デッキガーター式4スパンの阿木川橋梁は、昭和9年(1934年)の延伸開通時のものであろう。
マピオン電子地図・阿木川橋梁


(阿木川。年配男性がのんびりと釣りをしている。)

16時16分頃に、下り明智行きの列車が通過するので、列車を撮影しよう。カメラを構えて待っていると、阿木駅を発車する警笛とディーゼルエンジンの音が聞こえ、助走を付ける様に鉄橋を渡ると、急勾配を登って行った。


(阿木川橋梁を渡る明智行き15D列車。)

撮影も終わり、駅に戻る。ホームの木製ベンチに腰掛けて、「よしまるや」で手配したパンと缶コーヒーを飲みながら、田んぼを眺める。誰もおらず、蛙の鳴き声と鳥のさえずり、遠くの田んぼから聞こえる耕耘機の音のみが聞こえる。何とも、贅沢なひとときである。ふと、向こうの線路を見ると、名も知れない小さな花がいっぱい咲いている。錆びた線路と相まって、ほのぼのとした気持ちになった。


(線路に咲く小花。)

(つづく)


【参考資料】
中津川市公式HP・阿木事務所

2017年7月30日 FC2ブログから保存・文章修正・校正
2017年7月31日 音声自動読み上げ校正

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