久留里線紀行(12)久留里から上総亀山へ

久留里駅に戻って来た。下り列車に再び乗車し、終点の上総亀山駅(かずさかめやまえき)へ行ってみよう。この先の区間の列車本数は半減し、木更津からの直通列車も、下り6本、上り8本と少ない。日中の時間帯は、3時間から6時間待ちになる場合があるので、時刻表を予め確認しておいた方が良い。

今の時間から向かうとなると、13時50分発の上総亀山行きがあり、終点に14時08分に到着。直ぐに折り返しの14時23分発木更津行きになるが、駅近くの亀山湖も散策したい為、次の17時15分発久留里行きで帰ってこよう。滞在時間は約3時間もあり、十分である。

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久留里1350==平山==上総松丘==1408上総亀山
下り上総亀山行き(キハE130形二両編成・←107+110・ワンマン運転)
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発車時刻の10分前に、木更津発のキハE130形107と110の上総亀山行き2両編成列車が、1番線ホームに到着する。この駅で下車をする乗客を大勢降ろすと、20人程が車内に残っている。その殆どが、鉄道ファンと思われる装いで、観光客風の乗客は少ない。今日は連休の祝日なので、乗客は比較的多い方だと思うが、平日は非常に少ないだろう。因みに、この昼下がりの時刻でも、下り上総亀山行きの三番列車になる。この久留里駅から数人が乗車。線路の撮影の為、ロングシートには座らず、列車最後尾に陣取ろう。


(駅長氏もホームに出て、二両編成の木更津発上総亀山行きの到着を迎える。)

上総亀山方からの列車交換は無く、向かいの2番線に停まっている久留里始発木更津行き単行列車と、ほぼ同時の発車時刻になっている。10分程経つと、地方ローカル駅に似合わない「ルルルル」と電子音の発車ブザーが短く鳴り、上り列車を先発させた後、2両のエンジンの大きな唸りと共に発車する。


(上り木更津行き単行列車と共に久留里駅を発車する。)

この久留里から上総亀山間は、国有化後の昭和11年(1936年)3月25日に延伸開通した9.6km区間で、激しく蛇行する小櫃川(おびつがわ)の東側を縫いながら、カーブや速度制限も厳しい山線区間となる。本流を渡る鉄橋は二箇所、トンネルも二箇所あり、久留里から終点上総亀山までの所要時間は約20分である。

なお、久留里線は国鉄簡易線規格で敷設された。当時、甲・乙・丙線(※)の更に下である事から、四級線ともいわれ、建設費と工事期間を抑えた路線になっている。その為、運転上の規制も多く、旅客列車は最高時速65kmまで、貨物列車は45kmまで、最大勾配率は33パーミルまでに制限される。最小カーブ半径は160mであるが、本則は300mまで、やむを得ない場合は200mまで、特例で160mまでとなっている。実際の急カーブは、200mから250mまでが殆どである。

また、遠心力が強く働き、脱線しやすい急カーブは、速度制限も厳しい。半径300m以上400m未満は時速60kmまで、250m以上300m未満は50kmまで、200m以上250m未満は45kmまで、175m以上200m未満は40kmまで、150m以上175m未満は35kmまでが本則になり、分岐器(ポイント)や地形等の危険箇所は更に制限される。この先は勾配の上下変化も激しい為、運転士はノッチとブレーキさばきの技量を求められる。レール上の車輪の転がり抵抗が非常に小さい為、下り勾配で弾むと、簡単に速度超過してしまうのである。

【久留里から平山間の勾配率】

(‰=勾配率、〓=鉄橋、R=カーブ半径、X=踏切、P=勾配ピーク、V=勾配の谷。)
※勾配の上下は、下り列車進行。横軸距離は正確ではない。

自動転轍機(ポイント)で線路がひとつにまとまると、巨大な築堤上の11パーミルの下り勾配(※)になる。しかし、その区間は短く、緩いS字カーブ出口の鉄橋手前にある23kmポスト付近から、6パーミルの上り勾配が始まる。勾配は緩いが、半径250m・長さ500mの右大カーブを、制限時速45kmでギュンギュンと曲がる。


(久留里駅からの巨大築堤のアプローチ。カーブの先に鉄橋がある。※追加取材時の上り木更津行き列車最後尾から、上総亀山方を撮影。)

右窓下には、小櫃川のコンクリート堰が見え、旧小櫃川がオーム形(Ω)に蛇行している起点と終点の短絡部らしい。この急カーブ上に短い鉄橋が二本あるが、本流の鉄橋ではなく、旧小櫃川を渡る鉄橋になっている。旧小櫃川には、水の流れは無く、淵の様に水が溜まっている。
国土地理院電子国土web・旧小櫃川


(短絡部の小櫃川コンクリート堰。※前日の雨の為、窓の汚れはご容赦頂きたい。)

(鉄橋から旧小櫃川が見える。意外に水量が多いが、殆ど流れていないらしい。)

ふたつの旧小櫃川の鉄橋を渡ると、25パーミルの上り急勾配が始まり、水田の中にある掘割りを登って行く。その頂上付近の大門踏切からは、返しの長い15パーミルの下り勾配になる。この久留里発車直後からの急カーブと急勾配区間は、蒸気機関車の難所のひとつであったという。


(堀割りを抜け、大門坂を上る。※当列車最後尾から、後方の久留里方を撮影。)

(大門付近には、田植え準備中の水田が広がり、長閑な南房総の風景が広がる。)

大門踏切先のピークに達すると、ご当地富士山である「大坂山(上総富士、地元では、そのまま富士山とも/標高285m)」が正面に見え、山の土手からの盛り土部を制限速度45kmで下る。左窓には山、右窓には水田が広がっている。そして、この勾配を下り切ると、右カーブにある小櫃川支流の浦田川橋梁に差し掛かる。
国土地理院電子国土web・浦田川橋梁付近


(浦田川橋梁を渡る。意外に大きな支流橋である。※追加取材時の上り木更津行き列車最後尾から、終点の上総亀山方を撮影。)

鉄橋の直前から、20パーミルの上り急勾配になっており、ノッチが再び入る(※)。鉄橋を含む右大カーブ、左小カーブのS字カーブをこなすと、真新しい吹付けコンクリートの切り通し部を通過。ここが大きなピークらしく、今度は、下り15パーミルと上り10パーミルのダウンアップになり、長く緩やかなすり鉢状線路をゆっくりと走って行く。


(大ピークにあるコンクリート切り通し部。ここだけが、白く新しいので、異世界に突入した感じがする。※当列車最後尾から、後方の久留里方を撮影。)

(平山駅手前のすり鉢状直線線路。線路両脇に雑木林が広がるが、見通しは良い。※当列車最後尾から、後方の久留里方を撮影。)

そして、雑木林が途切れて、視界が開けると、所要時間約6分で平山駅に停車。この久留里線の難所区間のひとつを越え、一息つく感じになる。この平山駅は、大水田に面した単式一線の無人単式ホーム駅である。古い木造駅舎は残っていないが、ホームの前の水田がとても見事なので、帰りに寄ってみよう。


(平山駅に停車中。10パーミルの上り勾配のピーク直前にある。鉄道ファンと思われる乗客達も、車窓を眺めたり、心地良く居眠りをしたり、想い想いに過ごしている。)

【平山から上総松丘間の勾配率】

(‰=勾配率、P=勾配ピーク、V=勾配の谷、〓=鉄橋、X=踏切、◇=難所狭窄部。)
※勾配の上下は、下り列車進行。横軸距離は正確ではない。

平山駅での乗降客はおらず、直ぐに発車する。直ぐ先の10パーミルのピークを越えると、久留里線の最大勾配率である30パーミル下り勾配が待ち構えており、肉眼でもその具合がはっきりと判る。グイングインと抑速ブレーキ(※)で下り、26kmポスト付近の右急カーブを抜けると、第二と第三小櫃川橋梁を連続して渡る。小櫃川が激しく蛇行している場所で、ふたつの鉄橋の距離も420mしか離れていない。深い谷の川の両岸には、大きな竹が群生し、この川竹林も南房総の里山らしい風景である。


(久留里線最急と思われる平山駅先の勾配。※追加取材時の上り木更津行き列車最後尾から、上総亀山方をズーム撮影。換算112mm相当。)

(第二小櫃川橋梁からの小櫃川と川竹林。この区間は、4パーミルの上り勾配であるが、道床が弱い危険箇所らしく、時速40kmで走る。)

ふたつの鉄橋を渡ると、25パーミルの長い上り勾配となり、左右の森も深くなってくる。時速は45km制限のまま、やや苦しそうにエンジンも唸る。産女(うぶすめ)踏切手前のピークを越えると、長い10パーミルの下り勾配となり、27.5kmポスト付近の小櫃川、線路と国道が束になっている狭窄部を通過。右窓に丘の美しい棚田が見えてくる。勾配が緩和し、右大カーブのフランジ音を激しく響かせながら、アウトカーブ側に28kmポストが見えると、上総松丘駅に停車する。


(松丘の美しい棚田。)

単式一線の無人棒線駅であるが、向かいに旧ホームが残っており、列車交換が可能であったらしい。この松丘地区は、山間に丘陵が広がり、森の中に住宅が点在する長閑な農村になっている。


(上総松丘駅。丁度、山の中に入って行く入り口にある。※追加取材時の上り木更津行き列車最後尾から、終点の上総亀山方を撮影。)

この先の上総松丘から上総亀山までの最後の3.9km区間は、久留里線最大の難所区間である。ふたつのトンネル付近を頂点とする最大25パーミル勾配のダブルピークがあり、小櫃川の断崖すれすれを通過する危険箇所もある。山線ローカル線好きには、とてもスリリングな区間になっている。

【上総松丘から上総亀山間の勾配率】

(‰=勾配率、P=ピーク、V=勾配の谷、】【=トンネル、◆=危険箇所、
R=カーブ半径、〓=国道橋下。)
※勾配の上下は、下り列車進行。横軸距離は正確ではない。

上総松丘駅を発車し、木々が生い茂る深い山の中に入って行く。ここからは、小櫃川からも一度離れて、沿線に人家は全く無い。直ぐに25パーミルの長い上り急勾配が始まり、フルノッチが入って、時速50kmで力行する。29kmポスト付近にピークがあり、返しの20パーミルの下り急勾配になってから、ひとつ目の三本松トンネルを通過。小稜線上の国道の真下にあり、4秒位で抜ける短小トンネルになっている。

返しの下り勾配は、抑制ブレーキを使いながら、グイングインと下って行くので、時速40km程度しか出ない。そのままコンクリート法面の切り通し部を抜け、線路の両内側に脱線防止レールが添うと、列車は大きく減速し、小櫃川のアウトコース側断崖上を走る危険箇所を慎重に走る。29.6kmポストから半径200m・長さ200mと制限時速35kmの右急カーブは、通称「大戸道先カーブ」と呼ばれ、保線用の鉄製手すり付き通路(犬走り)も川側に取り付けられている。小櫃川・線路・国道が密接して通過する大難所である。


(カーブから見える下流方の小櫃川の流れ。断崖の高さは15m位ある。)

(国土地理院電子国土web・大見戸先カーブ付近。山の裾野が川まで迫り出している所である。)

大戸道先カーブを通り抜け、国道をアンダーパスする橋下の直線から、再び、25パーミルの上り急勾配の力行となる。30kmポストと半径400m右カーブが入口にある名殿トンネルに突入。こちらのトンネルの方が、1本目の三本松トンネルよりも長い。トンネル内も上り勾配の為、2両のディーゼルエンジン音が、トンネル壁にけたたましく反響する。


(長い名殿トンネルを抜ける。)

無事にトンネルを抜けると、出口先のピークに達し、長い15パーミルの下り勾配となる。小櫃川は右手に平行し、柳城集落と国道が左手にあるらしいが、木々と崖に遮られ、全く見えない。先程のけたたましさはなく、列車は鬱蒼とした雑木林の中を滑るように静かに走って行く。

この先の右急カーブ手前から上り微勾配になり、フルノッチの再力行になって、最後の25パーミルの長い上り急勾配に挑む。住宅もチラホラと左右に見え始め、林の中の半径800m左大カーブと直線の掘割りを上り切り、踏切が見えると、終点の上総亀山駅に到着。なお、上総松丘駅からの所要時間は約7分で、上総松丘駅からの区間表定速度は時速約33kmである。蒸気機関車時代は、勾配率変化の激しさと急カーブの為、運転が大変な区間であったであろう。


(最新型のハイパワーな気動車は、難なく終点の上総亀山駅に到着した。)

追加取材時に上総松丘駅を訪問したので、簡単に紹介したい。平山駅と終点の上総亀山駅の中間にある終日無人駅になっている。

駅開業は、久留里から延伸時の昭和11年(1936年)3月25日、起点の木更津駅から28.3km地点、14駅目、君津市広岡、標高53m、1日乗車客数約80人の終日無人駅である。小櫃川が折り重なる様に激しく蛇行し、駅西方の「上総富士」と呼ばれる大坂山(標高285m)の南東に広がる大きな山丘に、集落と田畑が広がっている景色の良い場所である。地名の由来は、そのままの「松が群生する丘」からで、戦時中は松油を採取していた。

駅は単式ホーム一面一線であるが、向かいに旧ホームが残っている。かつては、列車交換をしていたらしく、二面三線の中規模駅であったという。昭和44年(1969年)頃まで、駅長と駅員のふたりが常勤しており、駅員やその家族達住む一戸建ての鉄道官舎も四戸建てられていた。無人化後は、夜間管理をする宿直者を置いていたが、国鉄分割民営化の昭和62年(1987年)頃に廃止され、完全無人化されたらしい。


(ホーム全景。3.5パーミルの微勾配にある。向かって右側が旧ホーム。)

古い木造駅舎は無く、大きな待合所兼公衆トイレがホーム横に建てられている。平成2年(1990年)11月23日、不審火とみられる火災で全焼し、その後に新築されたものとの事。改札は無く、分厚い一枚板のテーブルとベンチ、小さな乗車証明書発行機が置かれている。


(新築された待合所兼公衆トイレ。)

勿論、この松丘地区住民の為の駅であるが、集落の中心地は駅から少し離れている。大きな丘谷を約100m横切って登ると、旧街道と思われる狭い道路沿いに家々が密集している。家々は多いのだが、物音はせず、とても静かである。小学校、中学校、商店街、郵便局や銀行もあり、周辺はゴルフ場が多く、昭和の頃は今以上に栄えていたのであろう。


(旧街道沿いの松丘集落。国道バイパスが駅の東側に出来ているので、車の往来は殆ど無い。)

(つづく)


(※線路規格)
国鉄時代、輸送量等に応じて線路規格が定められていた。特別線(特甲線とも/東海道本線)、甲線(東北本線、常磐線、山陽本線、首都圏の山手線などの幹線)、乙線(函館本線、室蘭本線、宗谷本線、北陸本線、中央東線(八王子以西)、中央西線、山陰本線や鹿児島本線などの亜幹線)、丙線(高山本線、紀勢本線、飯田線や五能線などの地方線)と簡易線(行き止まりの盲腸線など)があり、レールの重さ、カーブ限界、勾配限界、道床の厚さ、枕木の数等の基準があった。因みに、房総では、総武本線、内房線、外房線と成田線(我孫子から成田間)は乙線、成田線(成田以東)と東金線は丙線、久留里線と木原線(現・いすみ鉄道)は簡易線規格である。
(※勾配/パーミル・‰)
鉄道におけるパーミル(‰)は坂の傾斜を表す。水平距離1,000mに対する高低差(m)。例・25パーミル=1,000m当たり、25m差=10m当たり、25cm差。レール上の転がり抵抗が非常に小さい為、鉄道は勾配に大変弱い。基本的に10パーミルまでで、それ以上は、蒸気機関車時代の重い貨物列車は、重連(じゅうれん/機関車二両での運行)が必要であった。20パーミルを越えると、急勾配となり、蒸気機関車の登坂力は設計上25パーミルまでの為、蒸気機関車が走っていた路線では、25パーミルを上限として建設されている。しかし、山がちな地形や建設費の制約により、それ以上のこと勾配もあり、国鉄簡易線では33パーミルを上限としていた。なお、電車は登坂力に優れ、35パーミルまでが一般的な上限となっている。電化区間でも、蒸気機関車がかつて走っていた路線では、基本的に25パーミルまでである。
(※力行とノッチ)
力行とは、主幹制御器(マスターコントローラー/自動車のアクセルに相当)の回路を開き、動力(モーターやディーゼルエンジン)の出力を増やして、加速する事。主幹制御器は無段階制御ではなく、1段目、2段目と有段で、段数が大きほど出力が大きい。この段数を上げる操作を、「ノッチを入れる(=加速すると同意)」という。下り坂や長い平坦線では、ノッチを完全に切った(無段/無動力、自動車の変速機のニュートラルに相当)状態の惰性で走る事(惰行)もある。鉄道車両は自動車のアクセルと違い、線形や勾配に応じて、動力を入れたり、切ったりして走行し、運転感覚的には、レールの上をスケートの様に滑る感じに近い。
(※抑速ブレーキ)
ディーゼルエンジンや液体変速機の回転抵抗を利用したブレーキ。自動車のエンジンブレーキと同じ。山岳線のディーゼルカーには装備され、運転台の専用スイッチの入切をして使う。平坦線の車両は装備していない場合もある。

※線路の撮影は、運転士のワンマン運転の差し支えになる為、列車最後尾から後方を撮影。
また、山間の光線方向状態が悪い為、追加取材午前中の写真も一部使用した。
※線路の勾配は、走行中の車内から勾配標を目視調査した為、不正確な場合もある。
※上総松丘駅は追加取材。カメラの機種が異なる為、色調がやや異なる。

2018年3月5日 ブログから転載
2024年8月24日 文章校正・修正

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