信楽は山深き場所にありながら、日本古六窯のひとつと言われる、陶器の名産地である。周辺から良質の粘土が産出する事から、古代より土器が作られていたらしく、12世紀の平安時代末期頃から、独自の硬質陶器として発展した。時代が下がると、茶道に使う陶器(茶陶)や庶民の日常生活に使う陶器も、作る様になったと言う。今では、たぬきの置物がシンボルとなり、生活用品や置物等の多種多様な製品が、作られている。
また、近年、この大戸谷(おおど-)入口の紫香楽(しがらき/信楽と同音)に、大きな宮殿と思われる建物跡が発見された。平城京に遷都以前、聖武天皇の離宮があったと言われる。深い山の中にかかわらず、伊勢詣に向かう街道往来の要衝地でもあり、京都や大阪方面の大消費地に運びやすかった事も要因であろう。
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信楽駅前から、真っ直ぐに伸びる県道を北西に歩く。大戸川(だいどがわ)を渡り、国道307号線との交差点周辺には、信楽焼を扱う店が集まっている。信楽焼の展示会、資料保管や観光案内等を行っている、信楽伝統産業会館もある。その先には、地鎮の新宮神社があるので、門前町風にも感じる。先に、産業会館の案内所に立ち寄り、街歩きパンフレットを貰って、見所を聞いてみよう。山側に散策コースがあるそうなので、時間が限られているならば、それが良いと教えて貰った。
(信楽駅前からの風景。)
新宮神社前には、陶器店「古民具いまい」【灰色マーカー】がある。この周辺の陶器店でも、特にレトロな信楽焼が揃っていて、目を惹きつける店である。古い信楽タヌキの表情は、リアルな感じで、少し怖くも感じる。
(古民具いまい。)
交差点角の「ホッとまるた陶喜」【茶色マーカー】は、タヌキの置物が豊富で楽しい。このタヌキの置物も、色々な大きさやポースが沢山あり、自分や誰かに似ている子を探すのも、面白いかもしれない。
このタヌキの置物は、江戸時代の茶道具であったものを、明治時代に改良し、更に現代風に可愛らしくしたものである。終戦直後、昭和天皇の信楽行幸の際に詠まれた事から、全国的に報道され、今では、信楽焼のシンボルになっている。また、縁起物として、商店や旅館等に置かれる事も多く、小生の鉄道旅でも、大井川鐵道神尾駅(かみお-)のタヌキ村が思い出される。
(ホッとまるた陶喜。タヌキの店と化している。)
駅からの通りの突き当たりにある、新宮神社【鳥居マーカー】は、街の中心部にあり、この近辺の産土神(うぶすながみ)になっている。今日は、賑やかな市が開かれているので、帰りに寄ってみよう。
(新宮神社とげなげな市。)
かつて、薪を焚いた登り窯を斜面に設置した為、神社裏手の傾斜地に集中しており、意外に狭い範囲に集まっている。今は、窯元散策路が整備され、各所に案内板もあって、散策しやすくなっている。神社裏の「ろくろ坂」の急坂を登って行こう。
周辺は旧家も多く、これを観るだけでも、結構楽しくなってくる。冬の気候は厳しいと思うが、街全体の伝統も大事にする、製陶の里を感じさせる。戦後の最盛期には、300以上の焼き窯と、その内の100もの登り窯があったそうで、沢山の窯から立ち上がる煙は、この信楽の風物詩であったらしい。現在は、大小30程の窯元があり、電気窯やガス窯が主に使われている。
(旧家の路地の角にも、タヌキ様が鎮座している。)
神社裏のろくろ坂を登り切った三叉路横には、この信楽を代表する登り窯である、明山窯(めいざんがま)【赤色マーカー】がある。江戸時代から昭和40年頃まで使われた、十段(間)の大きな登り窯で、信楽焼が得意な壺や鉢の大物も、大量に焼けるのが特長である。現在は、観光客向けの見学施設として、陶芸教室、カフェや売店を併設している。
明山窯公式HP(明山陶製)
余熱を効率良く利用できる登り窯は、共同使用もされた。最下段の火袋で、最初に一昼夜焚き、その後、下から順の段毎の焚き(間焚き)をした。今は、窯口が大きく開いているが、焚く時には、薪が一本入る位の穴を残して閉鎖される。また、最上段の間は、「果ての間」と言われ、最大の部屋になっている。
(明山窯の上段部。)
(窯口。)
(最下段の火袋。)
(信楽特産のナマコ釉火鉢。終戦直後は、飛ぶ様に売れたらしい。)
明山窯から道を左に曲ってみよう。窯場坂と言われる道の周囲には、大小の窯元が沢山集まっている。ここは、窯元の銀座通りである。
(窯場坂の案内板。)
その先の急坂の横には、屋根の無い露天の丸由窯【黄色マーカー】がある。昭和42年(1967年)まで、使われていた登り窯で、草も生えて侘び寂びを感じる。なお、工場に声をかければ、近くで見学も出来るとの事。
明治末期の標準的な十一段(間)の登り窯であったが、燃料の重油タンク設置の為に上部の四段を取り壊した為、七段のみが残っている。平成19年(2007年)には、通商産業省の近代化産業遺産にも指定されている。なお、これらの登り窯は引退しているが、町の西にある宗陶苑に唯一現役の登り窯があり、江戸時代築の十一段の大型窯で、年に数回焚き上げるとの事。
宗陶苑公式HP
(近代化産業遺産指定の丸由窯。)
(所々、崩壊しているが、状態は良い。)
窯元散策路には、所々に陶器オブジェも飾られており、良い雰囲気を醸し出している。この壁に並べられた円筒形のものは、立匣鉢(たちざや)と言い、壺等を窯に入れた時に使う専用の台座(焼台)である。この坂をもう少し行くと、女流陶芸家のますみ窯【緑色マーカー】があり、主に食器等を制作しているとの事。
(立匣鉢のオブジェ。)
(女流陶芸家のますみ窯。)
【参考資料】
現地観光案内板・解説板
2017年7月16日 FC2ブログから保存・文章修正(濁点抑制)・校正
2017年7月17日 音声自動読み上げ校正
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