観音駅前の街道を、左の海の方に向かって歩いて行くと、大きな馬場町交差点【車マーカー】に出る。
(馬場町交差点。)
交差点の向こうの大きな黄色看板や飲食店が、集まっている方には、「観音さま」と親しまれている、飯沼観音こと、飯沼山圓福寺【万字マーカー】がある。馬場町交差点を少し行き過ぎると、道路に面して、参道の正門である仁王門が建っている。なお、銚子は漁業の町であるが、元々は、この飯沼観音の門前町として発展しており、この付近が古来からの銚子の中心地である。
(飯沼山圓福寺と黄色い大看板。)
(仁王門。)
仁王像が左右に睨む門を潜ると、参道は然程長くはなく、大きなお堂が見える。飯沼観音堂は本堂として、一段高い場所に建立され、十一面観世音菩薩が安置されている。朱色が映え、境内や周りの庭園も良く整備されていて、その立派さに驚く。
(飯沼観音堂。)
寺の縁起は、奈良時代初期の神亀5年(728年)、夢告を受けた二人の漁師によって、利根川の河口から十一面観世音菩薩が引き上げられ、祀られたのが始まりとされている。後の9世紀の頃に、弘法大師(空海)がこの地に立ち寄った際、開眼供養をし、この地の豪族であった海上氏(うなかみし)の援助と庇護により、大きな伽藍が建立された。鎌倉時代以降になると、関東の坂東観音霊場第二十七霊場として、多くの参拝者が訪れる様になり、安土桃山時代の天正6年(1578年)に観音堂が建立されると、これがきっかけになって、銚子の町は大きく発展した。
大階段の手前には、銚子の町の人達に親しまれている、小さな大仏様も鎮座している。江戸時代中期の正徳元年(1711年)作の青銅製の阿弥陀如来坐像で、太平洋戦争中の米軍機の機銃掃射の跡が、台座等に残っている。
(観音堂と大仏様。)
また、終戦間際の昭和20年(1945年)7月19日に、銚子大空襲があった。飯沼観音も一部を除いて、焼失してしまったが、檀家や信者の尽力により、戦後に再建している。この観音堂や仁王門は、昭和46年(1971年)に再建されたもので、以前のものよりも大きい。毎月18日は縁日として、大護摩供養や五重塔の開扉拝観がされ、賑わいを見せている。
(観音堂前からの境内の様子。)
観音堂の横には、千葉県内で二番目の高さを誇る、五重塔が聳え立っている。かつてあった、薬師堂と多宝塔の再建を兼ねており、高さは33.5m、伝統的な総檜造りで、薬師如来が塔内に安置されている。
(五重塔。檀家や信徒の浄財により、平成20年に竣工した。)
境内には、銚港神社【鳥居マーカー】や末社も、鎮座している。この銚港神社は、銚子発祥の祖神として、歴代領主の祈願社として祀られてきた。創基は、奈良時代初期の養老年間(西暦717年から724年)と言われており、水神である闇淤加美神(くらおかみのかみ)が主祭神となっている。なお、「闇」は谷間(海)を差し、「淤加美」は龍の古語で、水や雨を司ると考えられていた。地元では、「龍蔵権現」と言われている。
(銚港神社。)
観音堂の南200mの場所には、大師堂【赤色マーカー】がある。昔は、同じ境内にあったが、今は、道路と住宅地で分断されている。辛うじて戦火を逃れており、江戸時代末期の弘化4年(1847年)築の木造建築で、御朱印や納経の受付をしている。なお、現在の宗派は、真言宗になる。
(圓福寺大師堂。)
観音堂前の境内には、昔ながらの縁日屋もある。店内を覗くと、駄菓子や玩具が一杯並んでおり、子供達が楽しそうに選んでいる(※1)。
(昔ながらの縁日屋。)
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時刻は、正午前である。たい焼き二個では、流石に足りず、「蕎麦でも食べようか」と、辺りを見渡すと、駐車場横に焼きそば屋【食事マーカー】を発見。面白そうなので、ここにしよう。
(観音名物焼きそば遠藤。)
年配女将の「いらっしゃい」の声に迎えられ、店内中央のテーブルに座る。2-3つのテーブルと小上がりの座敷もある、昔ながらの昭和な店である。メニューには、ところてん、焼きそば(普通と大)、おでん、焼きうどんがあり、好物の焼きそば(大・400円)を注文する。
店先の鉄板で、ジュージューと焼いている。待つこと数分、出来上がった様である。野菜の酸味が強い辛口ソースは、辛さが後に残らず、さっぱりとしている。麺は茹でてあり、ソフトなストレート中太丸麺を使った、懐かしい昭和風の焼きそばである。
(遠藤の焼きそば大、税込400円。※撮影と掲載承諾済み。)
女将の話を聞くと、店は三代も続いているそうで、戦前は、ヨシズを立てかけて営業していたとの事。飯沼観音の周りには、参拝者向けのうどんや焼きそばの店が数軒あったが、今は、この店のみになったそうで、日中は観光客の軽食処、夜は地元常連客の酒場になっているとの事。こんな、縁日ソウルフードの昼食も楽しい。
【観音名物焼きそば・遠藤】
飯沼観音駐車場内、不定休、営業時間・11時頃から20時半頃まで。
夜は、地元常連客の酒場になる為、観光客の方は日中にどうぞとの事。
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お腹も満たされ、「美味しかったです。また来ます」と、お礼を言い、出発しよう。飯沼観音からもう少し行くと、路地を曲がった先に銚子漁港第一卸売市場【錨マーカー】があり、大型魚のマグロ等が水揚げされている。しかし、東日本大震災により、柱と天井が崩壊してしまい、市場は一時移転をしている(※2)。周辺は、観光客向けの魚河岸食堂や干物屋も並んでいて、賑やかである。
(銚子漁港第一卸売市場。)
銚子には、魚種によって水揚げが分けられた、三ヶ所の大きな魚市場がある。この第一卸売市場は最も大きく、昭和7年(1932年)に開設された。黒潮と親潮がぶつかり合う銚子沖は、多種多様な魚が集まる大漁場で、全国から沖合漁業の船が集まるとの事。なお、銚子港全体の水揚量は、27万t(2014年度)を超え、日本一になっている。
暫く、銚子魚港からの眺めを堪能しよう。銚子第一漁港は、海に直接面していない珍しい漁港で、向こう側は、利根川の大河口になる。風力発電の大風車が、ゆっくりと廻っていた。
(岸壁に係留される漁船。やや大きな魚船が多い。)
(銚子第一魚港と風車を望む。)
(つづく)
(※1)取材後の火災の為、廃業した模様(再取材時に現地確認)。
(※2)2015年4月より、建物を建て直し、営業を再開。
【参考資料】
現地観光案内板
飯沼山圓福寺パンフレット(圓福寺発行)
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